月を掬う夜に君を想う

ろくろわ

流れ落ちる月

 辺りを淡く照らす月の光。

 今夜はあの日と同じ夜雲やうん一つ無い満月の映える空。

 頬に触れる風も無く、静かに目を閉じれば自分の鼓動や大地に降り立つ数々の命の音が聞こえる、そんな良い夜だ。

 そんな良い夜なのに、輝く満月を見つめた私の目からは一粒の涙がこぼれ落ちる。

 こんな夜だから、きっと思い出してしまったんだ。

 目に大粒の涙を浮かべ、私に救いを求めてきた君の事を。





 私の家のお隣の香久山かぐや 穂波ほなみは、私と歳がとお離れていて所謂、妹のような関係だった。

 そんな私が十七、穂波が七つの時だった。

 穂波が可愛がっていたウサギのピョン太が死んでしまった。ウサギの寿命ってものは知らなかったが穂波が小さい頃からお爺ちゃんウサギだったから随分と長生きではあったのだろう。

 穂波は夜雲の無い満月の輝く夜に、大粒の涙を浮かべながら私のもとに来て、ピョン太を月に送って欲しいと頼んできた。

 お月様にはピョン太と同じウサギがいるから寂しくないだろうと。だけどお月様は遠くてピョン太を連れていけないと。


 穂波の願いを叶えるべく私たち月明かりに照らされた道を進み、私の家の一つ隣、穂波家のピョン太が眠る庭に向かった。

 庭にはまだ新しく掘り起こされた土が少し小さな山となり、小さな石と花の添えられた小さな墓がそこにあった。

 私は涙をこらえる穂波をピョン太の前に座らせると、持ってきたバケツから両手で中の水を掬い、月をその中に映して穂波に話しかけた。


「穂波、ここに月が見えるかい。お月様から小さい月を分けてもらったよ」


 穂波は静かに首を縦におろしていた。


「穂波。この月をピョン太の眠る墓にゆっくりかけてあげよう。小さな月はピョン太を乗せてお月様に還っていくから」

 そう話ながら私と穂波は掬い上げた月が静かに溶けゆく姿を見つめていた。




 それからまた十年。

 私は二七、穂波が十七の時。やはり今日と同じ風の無い月の綺麗な夜。私達は近所の小さな池の畔に立ち、不思議そうに覗き込む穂波の前で満月を掌に掬い上げていた。


「穂波。両の掌を出してごらん」

「どうしたのですか?」

「ふふ。穂波、あの日と同じ満月をあげよう」

 私の掌を真似るように穂波も掌で器を作り、前に差し出した。

 私は自分の掌に浮かぶ月を穂波の作る掌の器に流し落としていく。穂波の掌に移った月は穂波の掌からもゆっくりと流れ落ちていき、その掌に小さな輝く石のついた指輪が一つ残った。

 穂波はその小さく輝く石のついた指輪を空にかざし、星に負けないキラキラした目で見つめていた。


「穂波。それは満月の近くで輝く小さな星で出来た指輪だよ。それを君にあげよう。私とずっと一緒にいてくれないか」

 私はこの何度も練習した言葉を伝え、穂波から指輪を受け取り彼女の小さな指輪へと戻した。

「何で濡らすのよ」と泣き笑いながらそう話す穂波を愛おしく思った。



 そして今日。

 夜雲の無い綺麗な満月の輝く夜。

 あの時の池は無くなり、硬く皺だらけになった私の手ではもうあの月を掬うことは出来ない。

 隙間の空いた掌の器に空の月を思い浮かべる。



 指の間からこぼれ落ちる月を見ながら私は静かに月に還った君を想う。




 了






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