クロノグラスが遺したもの

武藤勇城

1、クロノグラスが遺したもの

 これは運命に翻弄され、数奇な人生を送った一人の女性の物語。5つの魔法具に導かれ、大切なものを取り戻した家族の物語。これから待ち受ける未来は、まだ誰も知らない。



   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆



クロノグラス 制作:古洋天文館


魔法の砂時計が閉じ込められたガラス瓶。所持者の記憶を遡りその者に関わる過去を見ることができる魔法具。



   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆



 その魔法具が、小高い丘の上、雑木林の中にある一軒の家に持ち込まれたのは、小雪が舞う寒い夜であった。


「あら、レオンさん。こんな夜更けにどうしたの?」

「ヴィルマ。まだ起きていたか」

「ええ。外は寒かったでしょう。さあ上がって」

「すまない。ちょっとだけ失礼する」


 筋骨隆々の大男と並ぶと、ヴィルマはあまりにも華奢で頼りない。「白湯でいいかしら?」と独り言のように呟くと、レオンの返事も待たずに、肩より少し長めのプラチナブロンドの髪を揺らしながら奥の部屋へと消えた。


「温まるな」

「今日は一段と冷えますからね」


 暖炉の前で胡坐をかいて寛ぐレオン。ズズズッ、と湯を啜る音が響いた。言い出しにくい話だろうか。なかなか用件を切り出せないでいるレオンを、ヴィルマは黙って青い瞳で見詰めた。湯気を顎髭に当ててジッと考え込んでいたレオンが、気まずい沈黙を破るように口を開いた。


「エイラはもう寝たのか?」

「こんな時間ですもの。ぐっすり」

「そうか」

「エイラには聞かせられないような話かしら? それとも私に何か?」

「いやその……」


 やや距離を置いて座っていたレオンに、そっと近付く。ヴィルマが艶っぽい視線を投げかけると、レオンは「参ったな」と呟いて頭を掻いた。それから思い切った様子で、白湯の入った器をドンと音を立てて床に置き、真面目な表情でヴィルマの方へ向き直った。


「実はな、渡す物がある」

「あら、何かしら?」

「あまり良い物じゃないんだがな」

「小さい物かしら? 掌に乗るくらいの」

「ん? ああ、そうだ」

「指に嵌める物? それとも首元を飾る物かしら?」


 期待でいっぱいの表情を浮かべるヴィルマ。女性への贈り物といえば、輝く宝飾品と相場が決まっている。キラキラ輝く瞳を見て、レオンは苦い顔になった。


「すまない、そういうんじゃねえんだ」

「あら、残念」

「何だと思ったんだ?」

「婚約なら誕生石のネックレス。結婚ならダイヤの指輪。プラチナ製がいいわ」

「覚えておく。今日持って来たのは、これだ」


 革袋の中から出されたガラス製の小物。旅人なら誰もが所持する必須アイテムだ。そこまで高価な品ではない。かといって安価な品でもない。遠くまで行かなければならず、特に危険が伴う場合は必ず持ち歩く。それはクロノグラスと呼ばれる魔法具であった。


「これは?」

「ヴィルマが知らないのは無理もない。旅人なら誰でも持ち歩く、クロノグラスってんだ」

「ふーん……綺麗ね」

「お前はそればかりだな」

「あのね、レオン。女は綺麗な物が好きなのよ?」

「だろうな。特にお前はな」

「あら、私じゃなくたって、誰でもよ。だからって、他の女に宝石を贈ろうとしたら許さないんだから」

「お前が言うか? オレのいない間にガキ作って」

「あら、エイラはレオン似でしょ? あなたの子じゃないかしら?」

「馬鹿言うな。オレが何年も留守にしていた間だろ。オレの子なわけ……」


 体が温まって、舌も回り出したレオン。旗色が悪くなったと見たか、ヴィルマは自らの唇でレオンの口を塞いだ。目を瞑り、ヴィルマの感触を楽しもうとした、その時。カタッという小さな物音がした。ハッとして離れるレオン。


「そんな暇はねえ。今日の用事はコイツだ」

「クロノ……?」

「クロノグラスだ。これはな、所持者の記憶を記録する魔法具だ」

「ふーん?」

「この所持者はヒューゴだ」

「ヒューゴ!?」

「そうだ。もちろん知ってんだろ」

「……ぇ、ええ……知っているわ」

「知られたくない相手だったか?」

「別に」

「お前は都合が悪いとすぐ目を逸らすクセがある」

「あら、そんなわけ……」

「また目を逸らした」

「……」

「ヒューゴはオレもよく知ってる。昔、二十人ぐらいで一緒に旅をしたからな。一週間の旅だった」

「そう」

「でな。そのクロノグラスに保存された記憶、オレも見たぜ」


 サッと蒼ざめるヴィルマ。


「ど、どんな記憶よ?」

「こっち見ろよ、ヴィルマ」

「イヤよ」

「何かやましい事でもあんのか」

「ないわ!」

「そうか。まあ記憶を保存する魔法具ってもな、そんなに多くはない。新しい記憶ほど鮮明で、昔の記録は古ぼけ、どんどん新しい記憶に上書きされる」

「そう」


 ヴィルマは安堵の表情を浮かべた。


「まあ、強烈な記憶は鮮明になるから、一概にそうとも言えねえがな」

「……」

「お前は本当に分かり易いな。また目を逸らす。顔色が悪いぞ」

「そ、そんなわけ……」

「落ち着けよ。オレは別にお前を断罪とか、糾弾しようってわけじゃねえんだ。お前が誰を好きになろうが、誰と寝ようが結婚しようが自由だ。だがこれだけは言っておく。初心うぶな男を騙すような真似はやめとけ」


 ヴィルマはそっぽを向いたまま、レオンと一切目を合わせようとしなかった。


「この中には、ヒューゴの最期の記憶がある。ヒューゴは死んだよ。地竜に襲われ、仲間を守ろうと殿を務めて、勇敢に戦ったそうだ。遺体は骨も残ってねえ。回収出来たのはこのクロノグラスと僅かな遺髪のみ」

「っ……!」

「こいつも、お前に渡しておこう」


 そう言って、レオンは袋から何かを取り出した。元は綺麗なブロンドだったが、今は血と泥で汚れ切ったヒューゴの遺髪である。


「ヒューゴの遺品は、お前が持ってんのが一番良いと判断した。だから届けに来たんだ。クロノグラスの使い方は、ここをな、おい! こっち見ろヴィルマ! ここだ、こうすればいい。あとはこいつを握っていれば、遺されたヒューゴの記憶が浮かぶ」

「あら、そう」

「見るも見ないも自由だ。オレとしては、ヒューゴの最期の想いを知っておくべきだと思うがな。どちらでも好きにしろ」

「ええ、そうするわ」

「今日はそんな気分にもなれねえし、帰るぜ。遺髪は大切にしてやれ。あとダイヤの指輪は……暫くは期待すんな」

「そう。残念」

「気持ちに整理が付いたら、また来る。白湯、ごっそうさん」

「ええ。また」


 レオンが出て行くのを見送りもせず、バタンと閉まる大きな音だけ確認すると、ヴィルマはそっとクロノグラスに触れた。見るべきか、見ざるべきか。クロノグラスを撫でてみたり、クルクルと回してみたり。どれほどの時間が経ったのか、寒さで身震いして、暖炉の火が小さくなっている事に気が付くと、薪を適当に放り込んだ。

「ヒューゴ……」

 それから意を決したようにクロノグラスを手に取って、教わった通りに金属のつまみを回した。



   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆



「ヒューゴ、愛しているわ」

「今度帰ってくるのはいつ? 寂しいわ」

「女はね、綺麗な物が好きなのよ」

「あら、大きなルビー! 有難うヒューゴ、愛しているわ。今夜も泊まって行くんでしょう?」


「聞いて! 私、子供が出来たみたいなの! そうよ、決まってるじゃない、あなたの子よ」

「出産の時は傍にいてくれる? 名前はどうしましょう? 男の子だったら? 女の子だったら?」


「ふーっ、ふーっ……」

「ゆっくり、もっと大きく深呼吸して。お父さんも励ましてあげて下さい」

「大丈夫かって……ふーっ、ふーっ、ヒューゴ、ふーっ、これが大丈夫に見える!? ぐっ! うぁぅっ!」

「もっと力んで下さい! もう少しですよ!」

「おぎゃあ! おぎゃあ!」

「産まれました! 元気な女の子です」



   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆



 クロノグラスに残されていたヒューゴの記憶は、ヴィルマとの思い出で溢れていた。レオンは言っていた。古い記憶から消去されるが、強い想いは古くても残ると。ヒューゴの深い愛情を知るのと同時に、何故クロノグラスがヴィルマの元に届けられたのか、その理由も痛いほど理解出来た。


「こんな私に本気になるなんて、馬鹿な人……」



   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆



「お帰りなさい。ほらエイラ、こっちに来て。挨拶しなさい。ヒューゴパパよ」

「ぱぱ?」

「そう、ヒューゴパパ」

「うーご?」

「違うわ。ひゅ、う、ご、ヒューゴ」

「ゆーご!」

「もう、違うって言ってるのに! ほらヒューゴに笑われているわ」


「今回は遅かったのね。エイラ! ヒューゴパパが来たわよ」

「ゆーごぱぱ!」

「そうなの、もう3歳になるわ」

「まま、ゆーごも、ぽぱなの?」

「あらあらエイラったら、何を言っているの? まだ言葉が上手く喋れなくて。ごめんなさいね」

「エイラは寝たわ。今夜もゆっくり出来るの? ……エイラの服とか、ご飯もこれからいっぱい食べるようになる。大変だわ。大丈夫、何とかするって……本当? ヒューゴ、頼っていい? ……そうよね、あの子のパパですものね」


「ひゅーごぱぱ、ありがと!」

「5歳のお祝いに何を貰ったの?」

「わかんない」

「あら、綺麗な宝石。エメラルド? 良かったねエイラ」

「うん!」

「ねえ、次はどこに行くの? 遠い南の砂漠? 危ない場所なんでしょう? 大丈夫って……エイラのためにも、気を付けて行って来てね。今度は私にダイヤの指輪をプレゼントしてくれる? ……嬉しい! 愛しているわ」



   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆



 ヴィルマとエイラに対する真実の愛。ヒューゴの遺した記憶を見る間に、ヴィルマの瞳に涙が溜まっていた。ツーッと一条の滝となって頬を伝う。



   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆



「……の女、金さえ積めば誰とでも寝るってな」

「儂もヤッた。なかなか良い具合だった」

「プラチナブロンドの、何て名前だったかな?」

「ヴィルマ」

「そう、ヴィルマだ! 出産で暫くご無沙汰だったんだよな。時期的に俺っちの子かも知れん。また今度……」

「なんだお前?」

「おっ、ヒューゴじゃないか。こっち来て一杯……グァッ!」

「おい! いきなり何しやがる!」

「お? 喧嘩か?」

「店は壊さないでくれ!」

「いけいけ!」

「あはは、もっとやれ~!」

「2対1じゃねえか。ヒューゴ、助けはいるか?」



   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆



 多くの男としとねを共にしてきた。ヒューゴはそんな男性の中の一人に過ぎない。男を生活のために騙し、利用してきた。騙される方が悪いのだ。誰の子かも分からない娘を自分の子だと信じて疑いもしない。


「馬鹿な人……本当にヒューゴ、あなたは馬鹿よ」



   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆



「ここが今回の目的物、ダイヤ鉱床か」

 入り口は木材で補強されているが、周囲は蔦が長く伸び、壁のあちこちが崩落していた。

「ダイヤの原石なんて珍しい物を欲しがるんだな、ヒューゴ」

「俺達にも莫大な分け前が入るから、構わないけどよ」

 日焼けした筋肉質の男が8人。鉱石を掘るために雇われた肉体労働者である。

「何の理由でか、長期間放置されていたそうだ。壁が崩れるかも知れない。みんな気を付けてくれ」

 坑道内へ足を踏み入れると、そこは虫や小動物達の棲み処になっていた。

「さあ掘ろう」

「おい見ろ! 何だあれは!?」

「何かいるぞ!」

「デカい……地竜だ!」

「あいつ、ここをねぐらにしていやがったんだ!」

「こんな怪物に敵うワケねえ! 逃げろ!」

 ヒューゴが殿になって地竜を牽制しつつ、後退する一行。最初は穴倉に入り込んだ小煩い生物を追い払うだけだった地竜。その時ヒューゴの長剣が運良く、いや運悪くと言うべきか、地竜が伸ばした右腕に命中した。

「グゥオオオオオオオオン!」

 地竜の咆哮。本来であれば、鋼の剣に全体重を乗せて叩き付けても、竜種の硬い外皮を切り裂くのは難しい。しかしカウンター気味に入った切っ先が肘の内側、外皮の薄い部分を直撃。骨まで切断された腕が、僅かな肉と皮で辛うじてぶら下がっている状態になった。怒り狂う地竜。

「早く来い! ヒューゴ!」

 我を忘れ、壁に天井に体を激しくぶつけながら迫り来る地竜。本気になった竜から逃れる術はない。

「行けって……? くそっ!」

 残った左腕でヒューゴの足を掴み、そのまま大きな口の中へ放り込む。鋭い牙がヒューゴの胴体に食い込み、四肢を切り裂いた。

「まだ死ねない……ヴィルマ……エイラ……」

 薄れゆく意識の中で最後の力を振り絞り、逆手に持った長剣を地竜の顔面に突き立てた。

「ダイヤ……指輪を……」



   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆



 クロノグラスに遺された記憶は、そこで途絶えた。ヴィルマの両目から、止めどなく涙が零れ、押し殺した嗚咽に気付いたエイラが起き出してきた。


「ママ?」

「エイラ、何でもないわ」

「ママ、なかないで。だいじょーぶだよ、ボクがなんとかするよ」


 エイラは寝ぼけ眼で見上げ、小さな手を伸ばして母親の濡れた頬をそっと撫でた。

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