後日談の食卓

白沢悠

魚貝と褐粒穀の平鍋炊き

 平鍋を傾けると、温めた炒め油が滑らかに鍋肌をつたう。かすかに弾けるような音が、細かく刻んだ野菜を加えるとにわかに盛り上がった。ジャーッという大きな音。木べらを手にした青年はしかし怯むことなく、軽く平らにならした後はあまりかき回さずじっと刻み野菜を見つめている。

 音の勢いが少しずつ弱まり、やがてシリシリと小さな音になった。野菜はかさが減りしんなりと透き通っている。甘みと旨みが引き出されていく何とも言えない匂いに、知らず知らずのうち口元に満足げな笑みを浮かべた彼は、背後からの物音で振り向く。よく日に焼けた快活そうな女性が一人、小さなかごを抱えて立っていた。

「頼まれてた筋双貝と平巻貝、ちゃんと採ってきたわよ、ソーミー」

「あ、ありがとうっす、ララミーさん」

 先程までの自信ありげな様子はどこへやら、ソーミーと呼ばれた彼は頬を染めた。ララミーが彼の背中越しに鍋を覗き込んでくる。

「ダメよ。もう夫婦なんだから、ララミーって呼んでくれなくちゃ」

 仕方のない人、とでもいうような溜息が首筋にかかり、ソーミーは必死で平鍋に集中する。潜り漁から帰ってきたばかりの彼女は髪も潜水着もしっとりと肌に貼りついていて直視できない。

 受け取った貝とあらかじめ切っておいた黒平魚を入れ、水を注いでほんの少しの塩と色付けのための香辛料を加える。ひと煮立ちさせ魚貝を取り出し、褐粒穀をぱらぱらと振り入れてから、かがんで薪を足し火を強めた。赤みの強い橙色の煮汁が気化していき、表面にうっすらと膜を張る。野菜と魚貝が複雑に入り混じって煮詰まり、空腹を誘う匂いが辺りに漂った。目を細めたララミーが、ふいに表情を曇らせる。

「……これで少しは、フィルオンの気も晴れるといいのだけど」

 フィルオン・イアリービス──東の国から海を流されてきた彼は、二人の結婚にも大きく関わり、またこの漁村パスチェスを脅かしていた海の魔物を討った。魔物の消えた村は実に三年ぶりの豊漁に沸き、しかしフィルオンは魔物により命を落とした者のことを今も誰より気に病んでいる。

「正直言うと、あんまり自信は無いっすね」

 ソーミーはそう言いつつも真っ直ぐに平鍋の中を見つめ、弱まりつつある火にまた薪を足した。すっかり汁気が飛び、ちりちりと鍋肌から剥がれていた穀物が強く熱されて、香ばしく焦げていく。平鍋に戻す魚と貝を取る途中、彼はララミーと目を合わせる。

「でも、自分は自分にできることをするだけっす。それが美味い料理を作ることだって教えてくれたのもフィルオンさんっすから」

 それから、炊きあがった穀物を匙ですくい、ララミーに差し出した。彼女はソーミーの持つ匙をそのまま口に咥える。彼は突然のことに驚きしばらく固まっていたが、やがて我に返り自身も味見をした。

 噛みしめると一粒一粒から驚くほど強い味が染み出る。筋双貝の華やかな旨みを、平巻貝と黒平魚の淡い味わいが補い、じっくり炒めた野菜の風味が支えていて、調味料が少しの塩だけとは思えない深い味だ。焦がした部分もパリッと香ばしい。上出来だ。思わず笑みがこぼれてしまう。

「これなら、きっと大丈夫よ」

 明るい声がして隣を見ると、ララミーもやはり微笑んでいた。

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