第5話
記憶を食う怪物が出ているらしい。オブジェクトに対する記憶ではなく、人間同士の関係や感情を食う怪物なので、対策として自分に白羽の矢が立った。
ちょうどいいと、自分でも思う。
相貌認識に不具合があり、世界中の人間が同じ顔に見える。自分の顔は、黒塗りで認識できない。だから、記憶を食う怪物にも記憶を食われない。
同僚の見立てでは、どうやら自分は昔、そういう類いの怪物に記憶を食われたらしい。物心つく前に顔に関する記憶をすべて食われ、その結果、顔という認識そのものができなくなった。
家族を認識できない。だから、物心ついたときから、ひとり。学校や人の集まる場所に行っても、誰が誰だか分からない。一応服や装飾品で見分けることができるけど、かろうじて認識できるのは同僚程度だった。
怪物に食われた影響なのか、元々そうだったのかは分からないけど、人ではないものがよく見えた。だから、この街に流れ着いて、街を守る任務を請け負っている。
凄惨な、殺し合いだった。怪物は、人ではない。ただ、殺すときに、人を越えるぐちゃぐちゃとした実感があった。感情。この怪物たちは、人の感情を食ったりしている。殺すとき、その感情が、逆流して流れ込んでくる。喜怒哀楽が、濁流みたいに。
人は、殺してもただ死ぬだけ。
でも、人ではないものは、殺すと感情が流れ込んでくる。
消耗していた。死にたいと、いつも思う。ただ死にたい。感情なんて、いらない。無感動に、そう思っていた。
そんなときに、彼女に出会った。
たまたま街を哨戒していて、人ではないものに出くわして。そして、彼女が食われていた。ちょっと食われ方が気になったので、助けるのを優先してその場を離れて。そして、作ったごはんを美味しそうに食べる彼女の表情を見て、好きになった。顔ではなく、感情が、こんなにも目に見えるとは思わなかった。
彼女を襲ったやつは哨戒の網を潜り抜け、そして同時に彼女の記憶は食われ続けていることが判明した。
その怪物を殺さない限り、彼女の記憶は食われ続ける。逆に言えば、殺せば彼女の記憶は返ってくる。こればかりは、死ぬ気で殺さないといけないと思った。刺し違えてでも、彼女の記憶ぐらいは取り戻さないといけない。
違う。
彼女の記憶を言い訳にして、自分が死にたいだけ。それが事実だった。彼女の存在と天秤にかけても、やはり、生きることに
だから、最後のひとときは、彼女と一緒に。
「別れよ」
そんなときに、この一言は効いた。かなり効いた。
とはいえ、任務のことは言えない。言えば、死にに行くのがばれる。彼女には仕事の出張に行くとしか言っていなかった。彼女の記憶を取り戻しに行く。と、いう言い訳で、死にに行く。
何を言っても彼女には効かず、そのまま彼女は部屋を出ていった。
そういうものなのかもしれない。死にに行く人間の、代償というかなんというか。都合良く他人を幸せにしたり不幸にしたりという映画のような展開は、実際に死にに行く人間には当てはまらないということか。
携帯端末。
『怪物が雨になって降ってくるぞ』
最悪の連絡だった。
記憶をたくさん食うために、雨になった。降り注いだ人間の記憶を、無差別に食う。街は終わりだった。
「降雨までどれぐらいだ?」
急いで部屋を出る。
彼女が。彼女の記憶が更に食われたら。
「7分」
絶望的だった。
逆に言えば、あと7分で自分の生死を懸けた対決ということにもなる。彼女を探している時間はない。
逆に言えば。逆。
逆なんて、なかった。
死にに行く人間が、女を追って街を走っている。生きることに倦んでしまったことが、間違いなのか。顔が分からないことが。彼女に出会ったことが。彼女と一緒にいたことが。全て間違っていたのか。
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