こけし遊び

大上 狼酔

こけし遊び

「ねぇ、菜っちゃん。こけしを使って遊ばない?」

 意気揚々と彼女は私に問いかけた。

「はぁ? 何故そんな幼稚な遊びを私がしないといけないの。忙しいんだから邪魔しないで。夏っちゃん。」

「そんな事を言って〜。西洋の思想がああだの、性善説と性悪説がどうだの、哲学の世界にふけってるくせに~。」

 夏っちゃんが言う事は図星であった。所詮忙しいというのは脳内だけであり、実体は欠伸が出るほど退屈だった。


「とにかく放っておいて。」

 目の前の顔が不穏な笑みを浮かべる。無論、そこに悪意があるはずもなく、悪い予感は面倒事を嫌う私の偏見バイアスなのだろう。

「nonsenseではないか! これは論理的な思考回路を必要としつつ、ある意味で哲学的な心理ゲームなのだよ! 非常に興味深いだろう?菜っちゃん氏よ!」

「そのゲームは私の知的好奇心をどれだけくすぐってくれるというのですか。」

 明らかに答えに詰まった事は鈍感な私でも理解できた。

「そ、そうだな〜。イデア論に匹敵する事を保証しても良いぞ?」

 いつまで無駄な趣向を凝らした喋りを続けるのだろうか。

「じゃあ話ぐらい聞こうかな。」

「やったー! 早速ルールを説明するね。」

 彼女がわざわざ説得してくるのだから何か深い意味でもあるのだろう。彼女であれば無理矢理にでも私をゲームに参加させる事が可能なのだから。

「ルールは簡単。 ここの壁から向こうの壁まで45尺(約13.6m)ぐらいあるでしょう? 賽子を振って、こけしを真っ直ぐに前へ進めるの。向こうの壁に触れて、ここまで先に戻ってきた方の勝利!」

「ふむ。双六みたいだね。それで賽子の目の数でどれぐらい進めるの?」

「勿論決まっているよ。よく聞いてね。賽子の目が……」


 1…ほんのちょびっと

 2…少し

 3…まぁまぁ

 4…普通に

 5…けっこう

 6…ものすごく


「進むの!」

「……」

「どう?」

「馬鹿らし。」


 最後まで真面目に聞いていた私が滑稽でしかなかった。彼女が思い描く“哲学“と私が思いを馳せる哲学はどうも違うらしい。

「とにかくやってみようよ! 菜っちゃんが先攻ね!」

 夏っちゃんが満面の笑みで賽子を渡してきた。本当に馬鹿らしい。彼女は気付いていないかもしれないが、先攻の時点で勝ちは確定している。例え1が出たとしても

「私のほんのちょびっとは45尺なのさ。」

 とでも言ってやれば良い。数字なんて気にせずに向こうの壁にこけしを前進させる。この状況ではルールなどただの建前だ。

 私は指を適当に捻って、乾燥した地面に賽子を投げた。賽子の目は2を出した。善く生きれば運が伴う、そんな信条の私としては少々不服だが、ここはあえて妥協しよう。

 私はこけしに躊躇なく手を伸ばす。



 ……いや、違う。それでは駄目だ。

 1〜5の目が出てゴールした場合、次に相手が6を出したらどうする?真っ直ぐ進むという前提がある以上、6を出しても壁で止まる。すなわち自分のこけしと相手のこけしが同じ位置になる訳だ。つまり私は1=6という状況を作りだした非常識な女になる。そんなコペルニクス的転回があって良いはずがない。

 私は、この一見軽薄な遊戯と捉えてしまうであろうゲームの本質を悟った。

 勝負に形式上勝つ事は簡単なのだ。しかし心理戦において自分が劣等感を抱いた時、すでに相手に負けてしまっている。

 あぁ。思考が右往左往して迷子になる。進め過ぎても2の定義が過大なものとなり、4や5を出されてゴールされても、ぐうの音も出ない。

 一方で2を少ししか前進させなければ相手を牽制できるが、ゲームシステム的に自分が不利になるだけだ。


 私は20尺程度こけしを進めた。

 半分に達していないのだし、この判断は客観的に見て妥当だろう。


「お、菜っちゃんは意外と大胆だね~。」

「早く進めなよ。」

「わかってるって〜。ほら!」


 カラン、カラン。

 賽子が軽快な音を鳴らして転がった。

 出た目は3。

(3……どう動かす?)

「3か〜。こんぐらい?」

 夏っちゃんは35尺程度、こけしを進めた。次に1を出してもゴール出来そうな距離にこけしが居座っている。

 だが、この場面で私はある優越感を覚えていた。私は賽子の目とこけしの移動距離を比の関係にして進めている。その論理ロジックでは3は30尺である。端から見れば無駄な拘り、形式的な配慮に見えるかもしれない。それこそナンセンス、江戸っ子の私を侮ることなかれ。論理的ゲーム展開をする事には絶大な意味がある!私は彼女に精神面で一歩勝っているのだ。(一歩が2.3尺なので実際には6.5歩負けているが。)


「次は私の番だね。精神面でも勝つから、覚悟して。」

「ほおー、このゲームの本質を理解し始めたみたいだね!」


 カラン、カラン。

 賽子が軽快な音を鳴らして転がった。

 出た目は4。


(面白くなってきた。)

 私は胸の高鳴りを抑えながら、こけしを壁の端まで進めた。合計は6であり、進めたと考えれば恥ではない。夏っちゃんが4〜5を出して壁まで進めれば先程のコペルニクス的転回は生まれてしまうが、相手が6であればご愛嬌だろう。私が満足し、優越感に浸る事が最優先事項な事には変わらないのだから。

「菜っちゃん、もうゴールしたの?早いー!」

 ふて腐れた彼女は私から賽子を奪って直ぐに地面に投げた。


 カラン、カラン。

 賽子が軽快な音を鳴らして転がった。

 出た目は2。


「わ~、最悪! 2じゃん! もうゴールで良いよね?」

「良いんじゃない?」

 そう、別に構わない。好きなようにすれば良い。劣等感を抱かないのなら。私の方がより大きな数で、論理的にかつ規則的に動かしている。この差が、この状況が、快感とさえ思えてしまう。

 何度でも言う。彼女には精神的に勝りたい。

 ……あれ?何でだっけ?


「よし。動かしましたよっと。」

「次は私の番。実質仕切り直しか。」

「そだね~。」

 私は賽子を無気力に投げた。その手の動きが少しぎこちなくて、自分でも驚いた。


 カラン、カラン

 賽子が軽快な音を鳴らして転がった。

 出た目は2。


 先程と流れは一緒だが、決して悪い流れではない。落ち着いて考えれば大丈夫。


「落ち着いて考えれば大丈夫……とか考えてる?」

「え?」

「君は重大なミスを犯している。初手に2を出して20尺しか動かしていなかったけれどあれは賢明とは言えないね。次に2を出した時に同じ距離しか動かせないもの。土壇場で30尺なんて動かしたら矛盾が生まれてしまうからね。それは勝ち負け以前に君にとって屈辱だろう。例えば41尺進めればどうだろう? どんな状況にも対応できる。潔い負け方も出来るし、諦めもつく。当たり前だが賽子の目の合計が大きい場合は勝ち目がない。このゲームにおいて重要なのはどんな勝ち方、負け方をするか。あぁ、君の行動を黙って見ていて申し訳ない。分析的な物の見方は褒められたものではないよね。」

「何を……言っているの……?」

「うーん、菜っちゃんは20尺進めるんだろうな~って話。」


 私は何か勘違いをしていたのかもしれない。ずっとずっと私は彼女に負けていた。

 私は黙ってこけしを進めた。


「次は私の番だね。」


 カラン、カラン

 賽子が軽快な音を鳴らして転がった。

 出た目は……5。




「菜っちゃん? どうしたの?」

“菜っちゃん”と呼ばれてた少女は黙って自分のこけしへと歩み始めた。

「ねぇ、菜っちゃん?」

「私は菜っちゃんじゃない!! 知ってるでしょ!!」

 少女の怒号が空虚な空に響いた。

「私は菜っちゃんじゃないし、貴方も夏っちゃんじゃない! だからこそ貴方に勝ちたかった、倒したかった! たとえ机上の空論だったとしても!」

「ねぇ、それこそ何を言っているの?」

「だから、これが正解なんだ。」

 彼女はこけしを手にとった。良質な木材が使われているため、かなり頑丈で硬い。

 人間の頭蓋骨が木っ端微塵にすることなど、造作もないほどに。

「やめて!!」

 彼女は静かにこけしを振り上げ、自らの頭を目掛けて思いっきり振り下ろした。




「夏菜ーどこにいるのー?……あっ、こんな所にいる!」

「お母さん!」

「ん? こけしなんか持ってどうしたの?」

「遊んでたの!」

「そっか。とにかくショッピングモールに行くよ? 早く準備してね。小学校4年生なんだから。」

「はーい!」


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