第8話
しばらくデジタルイラスト同好会の部室を勉強会の会場とすることで、優香ちゃんの負担を減らす作戦はいちおう成功していた。でも結局、優香は入部した週の土曜日の朝イチで僕の家に来た。
「お昼ごはんと夜ごはんを作るので……数学、教えてください……」
優香に上目遣いでお願いされたら、断れる男子は、いや女子も含めて誰もいないだろう。
朝九時くらいに優香ちゃんが来て、前日ゲームでほぼ徹夜状態だった僕は眠気と必死に戦いながら、優香に中学の内容を教えていた。
十時過ぎくらいになって、優香がいったん手を止めた。
「あの、先輩。そろそろお昼ごはんの準備をしましょうか」
「あー……実は食材を切らしてるんだよね。常備のカップ麺と非常食のカロリー◯イトしかなくてさ。今日、買い物に行こうと思ってたんだ」
「じゃあ、優香も一緒に行きます!」
「一人で大丈夫だよ。優香ちゃんはここで勉強してなよ」
「いえ、いつもお世話になっているので、優香が食材を選んでお料理します。ついでに荷物持ちもします!」
優香が張り切っていたので、結局断りきれなかった。
僕と優香は、徒歩三分くらいの距離にあるスーパーへ行った。周辺住民くらいしか利用しない、小規模なスーパーだ。僕は超適当なパーカーとジャージ姿で、優香は制服。なぜか優香は、休日でも制服を着ている。デートという感じはなく、仲のいい兄妹くらいに見えるだろう。
僕はいつもの癖で、入り口にある安売りのカップ麺を買い物かごに放り込んだ。
「えっ……?」
優香は驚いていた。なんでそんなことをするの、という感じの反応だった。
「カップ麺、安いし便利でしょ」
「そうですけど……いつもインスタント食品ばかり食べていたら、体に悪いですよ! 優香がお料理してあげますから!」
いつもの癖のせいで、優香をさらに心配させてしまった。失敗だ。
それから僕は、いつもは真面目に見もしない生鮮食品コーナーを歩いた。優香は野菜も肉も、いろいろな角度から眺めて、いいものを選んでいた。特にこだわりなく適当にかごへ放り込む僕とは大違いだ。
それから、優香が料理に使いたいというので、いろいろな調味料を買った。うちには塩と砂糖と醤油と超便利な半ネリタイプの中華風調味料しかなかった。
あと最後にお菓子も買った。やっぱり女の子なので、甘いものは好きみたいだ。
お金は、優香も食べるから、ということで割り勘になった。ちょうどいい金額で割ったから、僕が六割、優香が四割というところだ。先輩だし、相手が女の子だからおごってみたい気持ちもあったけど、親から貰っているお金だからそう乱暴には使えなかった。
帰宅後、優香がさっそく食材を整理して、ハンバーグを作ってくれた。僕も手伝おうかと思ったけど、優香に断られた。というか、優香の手さばきが早すぎて、僕がいたら邪魔になるようだった。
出てきたハンバーグは、僕のイメージを超越するものだった。
うちの母親は、料理が下手なのにやたらと自炊をしたがるので、ハンバーグは何度も食べた。だいたい水分がほとんどない、焦げ付いたハンバーグだった。あれならハンバーグにするよりひき肉を適当に炒めた方がいいのではないか、と常々思っていた。
優香の作ったハンバーグは、肉汁をしたたらせた、レストランみたいに立派なものだった。
「はい、できました!」
優香に呼ばれて、テーブルの上に置かれたそのハンバーグを見た僕は、思わずごくり、と唾をのんだ。
「すごい。プロの作ったハンバーグみたいだね」
「えへへ、一応、プロのお父さんに料理を習っていたので……」
「そっか。お父さん、レストランのシェフなんだよね。それにしても凄いなあ。こんなにいいもの、食べてもいいのかな」
「お勉強を教えてくれいたお礼としては、足りないくらいですっ」
優香にとっては当たり前のスキルなのだろう。本人もあまり負担だとは思っていないようだ。これなら一生、甘えてしまった方がいいのでは……
僕は先にその立派なハンバーグを写真に収めてから、ありがたくいただいた。
食べてみると、優香のハンバーグはやっぱり美味しかった。口にした瞬間、肉汁が溢れ出た。ソースも、辛すぎず甘すぎず、絶妙なバランスだ。
「あの、先輩」
「どうしたの?」
「先輩、いつも優香の料理を写真に撮ってますけど……そんなに綺麗ですか? 付け合せの野菜とか、今日はけっこう楽しちゃったんですけど」
言われてみれば、野菜はキャベツの千切りとトマトだけ。これでも僕としては十分だけど。
「ああ、綺麗なのもあるけど、僕、食べたものを写真に撮って両親に送る約束してるんだよ」
「親御さんに、ですか?」
「うん。僕、痩せ型であんまり食べないし、放っておいたら食費節約とかでろくな食生活しないだろう、って親に見抜かれててさ。毎回ちゃんとしたものを食べてる、って証明してるんだ」
「な、なるほど……」
「優香ちゃんは、お父さんかお母さんと普段話さないの? 一人暮らしって言っても、喧嘩して別れた訳じゃないんでしょ」
「えっとパパ……お父さんもお母さんも忙しいので、週に一回くらい電話で話すだけです」
パパ、と言ったところで僕が笑ってしまい、優香がふくれっ面になった。
「むー、今、子供みたいだと思いましたね」
「いや、いいよ。みんな子供の頃はパパママって呼ぶもんね」
「子供じゃないです」
「わかってるよ。一人暮らしできてるもんね。でも、この前みたいに熱が出たりしたら大変だよね。誰か、助けてくれる大人の人はいるの?」
「そこは大丈夫です。おばさんが近くに住んでて、たまに様子を見てくれるので」
「そうなんだ。じゃあ、調子が悪い時は無理しないでおばさんにちゃんと言いなよ」
「はい……あの……おばさん、けっこうお仕事が忙しいみたいで……優香のことなら、お仕事休んででもちゃんとしてくれるんですけど、それも迷惑だと思ってて……そういう時は、先輩にご相談しても、いいですか?」
「んー、まあ、別にいいよ。でもすごく熱があって大きな病気かもしれない時とかは、ためらわずにおばさんに言った方がいいよ。言いにくいなら、僕が言ってあげてもいいし」
「は、はい、わかりました……」
この会話で、優香はどちらかというと家族との仲が良くないかもしれない、と僕は察した。家族会議というグループメッセージで毎日やり取りしているうちの家族とは大違いだ。
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