ドラゴ・ソウル

悩縲

第1話 英雄

はるか昔、この大陸に5種族と言う概念すら存在しない頃、世界は混沌を極めていた。鈍重な雲の層、光の届かない不毛の地、洞穴で明日を迎えることができるかもわからない自分は身を震わせながら、明日も生きていられるように願う。



 ––––星は、まだ見えない。




「むかしむかーしのお話です。この世界は分厚い雲と、日の光が届かない不毛の地でした。それは、こわーい王様がこの土地に住まう人間を自分の配下にするためです。ほとんどの人たちは暗く、寒く、明日も自分が生きていられるかなんてわからないような暗闇の中で過ごしていました。しかし、五つの種族を代表した五人が王様を倒し、分厚い雲を取り除きました!」


「すごい! それでそれで!?」


「五人は王様から大地を取り返し、人びとを明るい空の下に導きました。それから彼らは英雄と呼ばれ、人びとと困難なことも、辛いことも、その全てを乗り越えて幸せに過ごしました。おしまい!」


「わぁ~!!」


 物語の中で『英雄』と呼ばれている人物を空想し、すごい人たちなのだと信じて疑わない目はキラキラと輝いているように見える。この子が小さい頃からずっとこのお話を聞かせていたからなのか、この子はいつも私に暇があると分かれば服の裾をつかみ読んで!とせがんでくる。そして、この子はこのお話を聞くと、いつも決まってこう言う。


「僕も英雄になれるかな!?」


「お、なんだ。今日も伝説の英雄のお話を母さんに読んでもらったのか?」


「うん! お母さんがいちばん読むのじょーずだからね!」


「ははは、母さんは声が綺麗だからな。 分かるぞ、その気持ち」


「恥ずかしいからやめてよ、お父さん」


 その日もいつも通りの幸せな日だった。鳥のさえずりが木々の間から通り過ぎ、洗濯物の良く乾く快晴のなか、森で狩りをしてきた旦那がまだ5つの我が子を抱き上げる。抱き上げられた息子は、キャハキャハと笑いながら今日の楽しかった話をする。いつもみたいに2人の好物であるそら豆のスープは今日は、少し暑いから冷やしてから飲めるようにしてある。我ながら完ぺきと思いつつも最愛の旦那に借りの調子はどうだったかを聞くといつもみたいに血抜きをしているから明日には加工できるはずだと伝えてくれる。

 穏やかな日常。その一幕のはずだった。こんなありふれた幸せがずっと続くと思っていた。少し恥ずかしがりやな彼と、やんちゃ盛りな息子と、これから先も幸せに暮らしていけるんだろうと。少し離れた村には自分にとって頼れる父もいる。特に何か困るわけでもなく、時に木洩れ日の中で昼寝をしたり、大きくなった息子が父の手伝いとして狩りをしたり、そんな未来を空想していた。


 ……そんな未来は数刻もしたら泡のように消えてしまったというのに。








「リュート!? リュート!!!」


 煙の立ち上る村と鳴りやまない悲鳴。村の人数自体はそこまで多くないものの、家から出ずにことが過ぎるのを待つ者、村を捨て避難をしようと言う者、王都の冒険者組合に助けを要請したから彼らが来るまで持ちこたえようと言う者、違いはあれど、現状をどうにかしなければという意識を持った住民が、集まって会議を開いている。だんだんと話し合う声が怒声に似たものになってくる。数少ない……と言うよりもこの村での子どもはリュートのみで、その自分の息子に聞かせないように必死に耳を塞ぐ。大人として、この子の母として、大人の中の汚い部分をこの子に見せたくはない。

 旦那は2時間前に向かう所があると、懐かしい装備を倉庫から持ち出して向かってしまった。大丈夫だとは思っているが、ここまで魔物たちが近づいてきているという事は苦戦しているのか、もしくは……。そこまで想像して、首を振る。そんなわけがない。あの人は約束を守る人だ。きっと帰ってくる。そう自分に言い聞かせ、最悪の事態に備えて逃げる準備をする。息子であるリュートはいまいち現状が理解できていないようで、お父さんはどこに行ったの?と聞いてくる。


「お父さんは、今大事なお仕事をしに行ってるのよ。でも大丈夫、きっと私たちを守ってくれる」


 その言葉はリュートに言い聞かせる、というよりも自分に暗示をかけているような側面が強かったが、齢5歳のリュートは無邪気にそうだよね!と答えるだけだった。この子を守らなければと再度誓いなおす。その結果、自分が命を落としたとしても––––!

 決意新たにどうすればいいかと周囲の大人たちの顔をうかがっていると、村を取り囲んでいた柵が壊される音が聞こえる。その音と同時に野犬が威嚇するような咆哮が聞こえてくる。策が壊されてから数分もしないうちに大人たちの会合所として使われていた村一番の頑丈さを誇る家は、取り囲まれてしまった。

 どうしよう……!このままでは自分だけではなくリュートも殺されてしまう!嫌な想像が彼女の頭をよぎる。食い荒らされた死体に変わり果ててしまった息子を想像してしまい全身から力が抜けてしまうような感覚を覚える。パニック一歩手前、もはや半狂乱状態ともいえる母の腕の中から小さな手が伸び、その頬に触れた。


「だいじょーぶだよ、おかあさん。 きっとおとうさんが守ってくれるもん!」


「そう……そうよね。きっとお父さんが守ってくれるものね!」


「うん!!」


 今にも扉は破られそうにギシギシと嫌な音をたてている。外にはきっと自分では歯が立たないような魔物が待ち構えている事だろう。絶望の淵、その際だと言うのに自分の息子は諦めていない・・・・・・。きっと父が来てくれると、自分たちを助けてくれると信じてやまない。それはこの子にとって父が英雄そのものだからだろう。いつも優しく、穏やか。それでいて、心の奥底に強さを秘めている。そんな父を尊敬し、憧れているからこその希望があるのだ。

 私もまだまだね……。自嘲気味に微笑みたいところだが、そんな顔をしてしまえばこの子は不安になってしまう。それだけは避けなければならない。

 扉の前では男性たちが何度も突進してくる魔物たちが入ってこられないように抑えている。それもあと数度という所だろう。このままではいけない、どうすればいい。そう思っていたその時、喉の奥から絞り出されたような獣の声が聞こえてくる。一度聞こえるとだんだんと獣の唸り声が少なくなっていく。唸り声がピタリと止まったのと、扉がノックされるのは同じタイミングだった。恐る恐る村長が扉を開く。そこに立っていたのは刀を携えた青年だった。


「すみません、遅れました。冒険者組合から来ました––––です」


 逆光で顔はよく見えないが、柔らかい笑顔を浮かべているのだろう。落ち着いた佇まいからその青年の余裕が見て取れる。明らかに場慣れしている彼の態度に本当に彼が冒険者組合から救助に来てくれた冒険者なのだとその場の全員が理解した。それと同時に肩の力を抜く。ああ、もう安全だ、と。静かに息を吐いたのだ。

 リュートは見ている。美しい舞を踊るように自分たちを追い詰めていたはずの魔物たちを葬り去っていく彼のことを。時に仲間を庇いながら、時に仲間に庇われながら、諦めることなくこの場にいる全員を守る事を決めたような瞳で魔物を睨みつけている。どこまでも勝気な笑みを浮かべ、行くぞ!と彼が吠える。その背中が物語の英雄の様で、まるで物語から出てきたようで、瞳の奥がパチパチと弾ける。そして、強く思ったのだ。


『彼のようになりたい』


 それは、後の彼の目標となる。それにかかる負担も、苦痛も、困難も、出会いも、別れも、その全てをひっくるめたとしても構わないと思えるほどの憧憬。


『彼みたいな存在に』


 仲間を守り、情に厚く、弱きを助け、それでいて自分の大切なものは守り通す。そうして彼は憧れた……否、憧れてしまった。キラキラと輝く瞳の奥には強烈で、鮮明で、まばゆい光に。


「僕は、英雄になりたい」


 静かに、けれど強かに。彼は、自分の憧れゆめを見つけたのだった。

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