《夢幻花》の宿主

橘紫綺

「ほんっとうにマジでふざけるなよ!! なんなんだよこの感染症!!」

 実年齢を裏切りまくる外見の美咲伯母さんが連日テレビから流れる新型感染症の感染者数を見て激怒した。

 無理もない。半年も前から楽しみにしていた舞台観劇が、世界規模で猛威を振るう感染症のせいで見られなくなったんだから。

 その感染症が海外で流行り出したと言われたのは、俺が中一の冬のことだった。

 初めは大変だなァとしか思っていなかった。

 海を渡って日本まで来るとも思っていなかったし、来たとしてもこんなに爆発的に広がるとも想像もしていなかった。

 だからこそ、誰も真面目に警戒なんかしてなかったんだろう。海外渡航客なのか帰省客かは知らないけど、初めの感染者が出てから、あっという間に人口密集地である都会と呼ばれる地域は軒並み医療機関を麻痺状態に陥らせるだけの被害をもたらした。

 当然のことながら、そんな状態で舞台なんてやるわけがない。コンサートも祭りも飲食店の営業ですら、軒並み打撃を受けた。

 それでも、半年もしないうちに収束するだろうと誰もが思っていたのに、感染症は治まるところか悪化した。

 結果。誰が聞いてもブラックな企業にお勤めの美咲さんの唯一の仕事の励みとなっている東京遠征の生の舞台観劇がぶっ潰れた。

 その嘆き様は、俺を含めて家族全員が心から同情したほど。

でも、正直俺は、この感染症のお陰で下らない人間関係に付き合わせられなくなって清々していた。

 学校が休校になっていた。修学旅行や部活の大会が消滅した学生たちには申し訳ないが、自宅待機は万々歳だった。

 別に俺は勉強が嫌いなわけじゃない。テストの点数は平均九十点は下らないし、部活も普通に取り組んでいたし、大抵のことは本気にならなくてもそこそこにこなすことはできたし、小学校から付き合いのある友人もいるし、親友と呼べる人間もいる。自分から積極的に誰かと関わろうと言う気はないけど、それでも、そこそこ相手が不快にならない程度に話を合わせることも出来ると自負している。

 だからこそ、毎日の人間関係が面倒で仕方がなかった。

 趣味のゲームの話や、好きな本の話を友達と話すのは楽しかったが、何故かそれを良く邪魔された。

 自分の容姿に自信のある連中は、何だって自分が声を掛ければ相手が喜ぶと思っているのか。

 勝手にグループラインに登録されて、誰誰のインスタの何がいいとか、映え写真とか。その写真撮るためにだけ注文し、食い切れないからってほとんど残して来たことを自慢げに話して、それに称賛の言葉を投げかける面々のコメントが凄まじい勢いで流れていく。そんな中身のない文字を読む興味も時間も俺にはない。

 それなのに、わざわざ誰かと話していると声を掛けて来てその話を振って来る。

 見ろ見ろと、いいねの数を自慢して来る。

 正直本当に興味なんてない。

 休み時間に教室内を見渡せば、誰も彼もがスマホを取り出して、顔を突き合わせている友達の顔を見ることもなく、忙しなく画面をスクロールして譫言のように言葉を交わす。

 通学中の電車の中でも、バスの中でも、町中を歩いていても、ファミレスに入っても。

 どこにいても、誰も彼もがスマホを見て、スマホの向こうの誰とも知れない人間の評価ばかり気にしている。

 すぐ傍にいる人間のことをまともに見ずに、承認欲求ばかり増やして。

 事件が起きれば被害者を気にするよりも動画や画像をいち早く入手して売り込むことに心血を注ぐ人を見て、心底俺はうんざりしていた。

 だからこそ、そんな姿を否が応にも見なくてもよくなるこの状況が、心の底から嬉しかった。

「ああああ、もう! 腹立つ。なんで! 寄りにも寄って! このタイミングなんだよ!!

 行って来る!」

「気を付けてね、美咲さん」

 憤懣やるかたないと言わんばかりの様子で、車で十五分のスーパーにご出勤して行く。

 様々な業種が時間短縮や営業停止状態の中で、生活必需品を販売するスーパーはむしろ休めなかった。一日平均十時間労働。一週間勤務は当たり前。時に十日連勤すら普通にこなす羽目になっている美咲さんが出て行くと、家の中には俺一人だけとなった。

 俺の父母は、祖父母と共に朝も早くから農作業へと向かっていて不在だ。

 本来美咲さんは、自分が農家の仕事も祖父母の面倒も見るから、母には普通に外で仕事してきてくれてもいいよと言ってくれていたらしいが、母も人間関係に疲れていたからと、元々興味のあった農家をやると、日々土と汗にまみれて頑張っている。

 五歳離れた兄は県外就職してしまっているし、このままだと俺が農家を継ぐのかなァ~とも思うが、別にそれならそれでもいいかと思うこの頃。

 無人になった居間で見ないテレビを消して、パソコンを立ち上げる。

 そして俺は不思議な単語を見ることとなった。


――夢を叶える花『夢幻花(むげんか)』


 なんだこれ?

 よく見れば、トレンド上位三つにその単語が入り込んでいた。

 気になった俺はそのまま単語をクリック。

 次から次に流れていく呟きを目で追った結果、ざっくり言うと、今売れっ子となっている著名人たちの共通項が『夢を叶える夢幻花』と言うことらしかった。

 どういうことなのかと気になって、俺は検索を掛けてみた。

 すると、コメディから恋愛、シリアス。脚本も、現代劇も時代劇もSFも何を書いてもヒット作になるその作家の記事が多数引っ掛かった。

 どうやら、編集部ですら特に手直しすることもなく、校閲も殆どすることなく、ほぼ書き上げた状態で書籍化されるその作家の、ヒット作を生み出す秘密は何かという特集の中で明かされたことだということが分かった。

 もしもその話が本当なら。

 俺は、美咲さんにもその花の夢を見て欲しいなと思った。

 美咲さんは作家を夢見ていた。

 俺と同じぐらいのときから、コツコツと書き進めて、何度もコンテストに応募して、一回は最終選考にも残ったことがあったらしい。

 でも、そのあとスランプに陥ってずっと書けなくなって。そうこうしている内に働いている店がどんどんブラック化して。それでも美咲さんは物語を書き続けていた。

 もう半ば諦めていると言いながら、習慣になってるのよねぇ~と言いながら、ちょこちょこと書いて、書き上げられたら応募を繰り返している。

 歳が歳だし、内容が中途半端だから規格外でどこも通らないと思うけどね。

 と自虐的だが、俺は美咲さんの書く互いを支え合っている登場人物たちの物語が好きだ。

 俺が読書好きになったのも、美咲さんの集めた資料や小説が身近にあったから。

 だから俺は、もしもそんな花の夢を見れば、本当に売れっ子作家になるのだとしたら、美咲さんに見てもらいたいと思う。

 美咲さんは、むしろ、俺にも小説は書けるんじゃないかとかっていうけど、とてもそうは思えない。だったらイラストレーターは? と言われたが、あんなのはただの趣味でしかない。

 好きは好きだが、それで食べて行けるとはとてもじゃないが思えない。

 世の中にはゴロゴロと自分より上の人たちがいる。SNSが発達して、誰もがバズれば売れっ子になるだろうけど、そこまで本気でなりたいとも思わないし、なれるとも思わない。

 そもそも、夢で見たら夢が叶う花なんて、どう考えてもネタだ。

 そう思ってよく見たら、パソコンに表示されている日付が四月一日になっていた。

 四月一日。エイプリールフール。嘘を吐いてもいい日。

 様々な企業で、その日限りのネタ投稿をする日。

 なんだ……。ネタか……と、がっかりしたような、肩透かしを食らった気分になる。

 お陰で早々に《夢幻花》に対する興味を失った。

 そして今日も俺は個人的な理由で、美咲さんの調べものを代わりにするべくノートを開いてシャーペンを持つ。勿論。オンライン授業が始まれば作業も中断するけど、俺はその作業がとても好きだった。


   ◆◇◆


 気が付くと俺は、暗闇の中にいた。

 だとしても、恐怖心は一切ない。

 日常生活ではまずお目に掛かれないほどの本気の闇だというにも拘らず。俺は自分自身の姿が見えていた。

 本当に光の一筋も差さないような闇なら、自分の姿だって本来見えないはずだ。それでも俺は自分の体が見えていた。普段から着ているジャージ姿。足の裏には平らな廊下の上に立っている感触はあるけれど、だからと言って、それがどうしたと困惑する。

 夢の中で夢を見ていると認識することはこれまでも何度かあった。それでも、本当にただ真っ暗闇の中にポツンと突っ立っている場面から始まる夢は初めてのことだった。

 これは一体どういう状況なんだろうかと思っていると、どこからともなく、なんとも甘い良い匂いが漂って来た。

 ただ黙っていても何も始まらない。もしかしたら、ゲームの中では『匂いの方へ進む』『匂いとは反対の方へ進む』『その場に止まる』と言う選択肢でも出ていそうだな。と思いながら、俺は殆ど迷わず匂いの方へと引き寄せられるように足を踏み出していた。


 どこまでもどこまでも暗い場所だった。正直、進んでいるのかどうかすら怪しいものがあったけど、少なくとも俺は間違ってはいなかった。

 俺の目の前に、綺麗な虹色に輝く大きな花を胸から生やした女の人が現れたから。

 その人は、普通にベッドの上であおむけになって眠っていた。顔は良く解からなかったけど、女の人だということはちゃんとわかった。そして、白いシーツを掛けられた上に、牡丹のような形の虹色の花が満開に咲き誇っていた。

 素直に俺は綺麗だと思った。

 同時に、これが《夢幻花》なのだと、何の疑問もなく理解した。

 ああ、こんな風に人の体に根差して咲くんだな――とも。

 俺は、更に引き寄せられるように《夢幻花》へ一歩足を踏み出した。

 直後、その暗闇に輝く綺麗な姿が突如遮られて、一瞬息を飲む。

 視界を埋め尽くしたのが真っ白な大きな蜘蛛の巣だったから。

 堪らず一歩退けば、俺は見た。

 蜘蛛の巣が背中一面に白抜かれた夜色のフード付きの外套を身に纏った存在を。

 背丈は俺と同じぐらいか少し小さい。

 その人物は、俺のことなどまるで気付いていないかのように、真っ赤な色の眼が色抜かれた純白の手袋をはめた手を《夢幻花》へ伸ばすと、それが当然のことであるかのように、ずるりと女の人から根ごと引き抜いた。

 途端に、女の人の姿がベッドごと消え去って、残ったのは《夢幻花》を手にした何者かと自分だけ。

 このとき俺は、どうして突然現れた外套の人物の真後ろに立っていながら、そいつが何をしたのかがハッキリと分かったのか気にもしていなかった。

夢なんて言う物はそういうものだし、何が起きても『夢だから』で済むのだからと、頭の片隅でぼんやり思ったりはしたが、問題は、この後だった。

外套を纏った人物が突然振り返ると、俺と向き合って言ったんだ。


 ――次は、お前か。


 何が? と問う時間もなかった。

 フードを深く被っているせいで顔も見えなければ、ハスキーな感情の籠らない声のせいで性別も分からないそいつが掲げた《夢幻花》から、勢いよく何かが飛び出して、俺の胸を貫いたから。

 俺は、うって呻いたかもしれない。思っただけかもしれない。

 とにかく、突然自分の胸を襲った刺されたような痛みに、当然のように手を当てて体を折り曲げて。そして――

「え?」

 我ながら、なんとも間の抜けた声を上げることとなった。

 だって、反射的に瞑っていた眼を開けたら、世界が丸ごと変わっていたんだから。

 目を瞑る瞬間まで、世界は暗闇でしかなかった。

 でも、今目の前に広がるのは――

「なんだ? ここ――」

 ギャア、ギャア、ギャアと、どこかで鳥らしきものが鳴いていた。

 世界は極彩色に彩られ、様々な形の草草が生えた明るい森の中に立っていた。

 慌てて周囲を見回せば、見たことのない色の幹の木々が、見たことのない形の葉を茂らせて延々と生えていて、真っ赤なリンゴのような果実を実らせていたり、グレープフルーツのような実を付けていたり。虹色に輝いて見える笹の葉のような透明っぽい葉をつけているものがあったり、およそ現実離れした、どこぞのファンタジーゲームの世界のような景色が広がっていた。

 一瞬、自分がどこに居るのか分からずに混乱する。

 いや、夢の中で舞台がどんな場所かどうかなど気にするだけ無駄だとは思うけど、でも、夢にしてはやけに五感を刺激して来るものがリアルで、それがどうにも気持ちを落ち着かせてはくれなかった。

 土の匂いや草木の匂いは、学校行事で上った山の中や、変な話、花を栽培しているハウスの中の匂いにとても似ていたし、風が頬を撫でる感触も、体を押して来る感覚もやけにリアルだし、何より陽光が温かくて気持ちが良いし。なんだか、これまで見て来た夢の自覚のある夢と比べても、やたら現実味があると言えばいいのか何なのか。

 一瞬、もしかして本当に現実だったりするのか? と動揺するレベルで世界に馴染んでる感があった。

 その上、見下ろした自分の手には、分厚い茶色の皮手袋が装着されていて、見慣れたジャージは消えていた。代わりに身に着けていたのは、膝下までの革靴。深緑色のズボンと同じ色の服。肩掛けのバックに山吹色のマントを羽織っていることを認知して、思わず小さく吹き出した。

 マントがなければピーターパンっぽい装いに、自分は一体どんな夢を見ようとしているのかと、逆に楽しみになって来る。

 退屈な日々が続く中、夢ぐらいはこんな楽しいことが起きてくれても罰は当たるまい。と言うか、むしろ大歓迎。VRゲームのように楽しませてもらおうと、夢の中独特の切り替えの速さで楽しむことにする。

 だとすれば、持ち物チェックは必須。見た限り、武器となるものは一切持ってはいないから、鞄の中をチェック。

 見れば、さらに細かく革袋や布袋が入っていたり、何かしら液体の入った小瓶が数個。

 きっとこれは回復薬や解毒薬の類じゃないだろうかと推察しつつ、手のひら大の鏡を見つけて取り出し見れば、そこには見知らぬ人間の顔が写っていた。

 ハッキリ言って、そこに写し出されたのは俺ではなかった。本来の俺より一つ二つ年上そうな、赤い髪を首元で結った、赤い瞳の少年が目を丸くして映っていた。

 どうやらこれが、ここでの俺の姿かと察する。こんなところでも、絶世の美形じゃなくて、十人並みのどこにでもいそうな平凡な顔立ちであるところがおかしかったりもしたが、仮の姿なんだから構わない。

 でも本当に、これはどんな夢になって行くんだと、半ば呆れながら思ったときだった。

 それは突然やって来た。

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