2  田舎は玄関が開いている〈過去〉

 なぜ伯母は、うちに入り込んでくるのだろう?

 インタホンがあるのに、鳴らしたことがない。

 コハルは子供心に思っていた。


 田舎の人は、玄関に鍵をかけないのか。

 その風通しに開けた縁側とか、ふと開いている勝手口から、伯母は入ってくる。

 そして伯母はコハルのうちが何をしたとか、何を持っているとかを逐一、知っていたいようだった。


 この伯母は婿を取って実家を継いでいたのだが、ある年、伯父の姓になった。

 コハルの母が家を継ぐことになり、コハルたちは姓を変え、母の実家で祖父と暮らすことになった。

 それは、いつも暗い色の雲がたれ込めているような、コハルの暮らしのはじまりだった。



 伯母家族は、祖父の家のそばに住んでいた。

 コハルたちも、祖父の家のそばに住んだ。

 

 なぜだかコハルが、庭の砂山(コハル家族の新居を建てた残土)で遊んでいると、コハルと年の近い伯母の子が怒って飛んでくる。自分の許可なく砂山で遊んではダメだと言う。

(なぜ?)


 ある日、そのいとこの留守中に、コハルはひとりで砂山でトンネルを掘って遊んだ。

 いとこが帰ってくる前に遊びはしまい、家の広縁のカーテンの中へ隠れた。そこから砂山が見える。息をひそめて、いとこの帰りを待った。いとこが砂山で、コハルがひとりで遊んだあとをみつけたら——。


 いとこが砂山の前に立っている背中が見えた。

 コハルの作ったトンネルを、運動靴で何度も踏みつけていた。

 そのぐらいのことはすると、コハルが考えていた通りだ。いとこの性格はひん曲がっている。カーテンに、かくれてたしかめているコハルもコハルだが。


 大人になって考えた。

 いとこは、コハルたちが来るまでは祖父と暮らしていた。伯母夫婦が、コハルたちが引っ越してきたいきさつを子供たちに説明したと思えない。

 コハルの家が建った場所は、空き地だった。いとこは、コハルの家族が自分の遊び場を奪ったと思ったのかもしれない。もしくは、その砂山は自分たち家族のものだぞと。

 

 そんないとこへの不満を、コハルは母に言った。母の答えは、「がまんしろ」だった。

 ずいぶん、あとになって、コハルは「どうして、がまんしろと言ったのか」と、母に聞いた。

 母の言い分は、「中学生になったら男子は、女子と遊ぶのがはずかしくなって、コハルを誘わなくなると思ったから。それまで、がまんすればいいと思った」だった。

 母は、事なかれ主義だったのだ。


 コハルも事なかれ主義になるしかなかった。

 いとこや伯母夫婦の前では、とりあえず、へらへらとしていた。

 車に乗せてもらったら、快活に「ありがとうございました」と言わなければならない。もじもじ、言えなかったりすると、「車に乗せてやって、ありがとうもない」と伯父に、じろりとねめつけられる。


 伯父はしまり屋で、伯母も寄せている。質実で、しっかりお金を貯めるタイプだ。

 ある年の暮れ、伯母がコハルの干支のスタンプと、インキスタンプ台を借してとやって来た。

 母が「コハルがスタンプを持ってる」と教えたからだ。

 コハルに、「スタンプを貸して」と、母が手を差し出したときには、もう母と伯母の間で話はついている。コハルの意志は、関係なく。


 コハルは年賀状といっても10枚も出しておらず、ていねいに使ったから、スタンプもスタンプ台も新品同様だった。

 それが数日後、伯母から返されたときには、スタンプはインキまみれ、スタンプ台のスポンジはぼろぼろだった。小学生のこづかいで買ったものが……。

 コハルの口角は下がり、目には、じんわり涙がにじんだ。


「伯父さんは年賀状を200枚ぐらい出すから」

 母は気まずそうではあった。しかし、コハルをなぐさめる言葉はない。


 

 コハルが「貸さない」と言える子供であったら。

 インキまみれのスタンプと、ぼろぼろになったスタンプ台を見て大泣きできる子供であったら。

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