私が夫を殴っても罪にならないようだ

仲仁へび(旧:離久)

私が夫を殴っても罪にならないようだ



 何か重たいものを殴りつけるような音が、辺りに響く。


 気持ちのいい晴れ空の下、木材や石材のかけらが散らばる地面の上で、それは行われていた。


「お前が人間じゃなかろうと、竜だろうと、人外だろうと関係ないっ!」


 ばきっ、どごっ。


「人様に迷惑をかけるとは何事だっ、せいばいしてくれるっ!」


 ぼすっ、ばすっ。


 一人の女が、全長何十メートルもの竜にを殴っていた。


 その竜は、つい数時間前まで、近隣の町や村で暴れまわっていた竜だ。


 住んでいただろう者達は途方にくれながら、竜を見つめていた。


 だから、その悪行を止めるために、嫁入りの途中で通りかかった女が、殴り倒したのだ。


 ふるった拳は全部で百発。


 竜は地響きを盾て倒れた。


「お嬢様ーっ、大丈夫ですかーっ!?」


 そんな女には駆け寄るのは、嫁入りの際についてきた女性の使用人。


 女は曲がりなりにも貴族令嬢だったため、身の回りの世話をする人間がいたのだった。


 身分を示す証拠に、女の服装は仕立てがよかった。


 女に近づく使用人は、倒れてもなお巨大な竜を見ながら、おっかなびっくり移動する。


「その竜、大丈夫ですよね?」

「ああ、息の根は止めてないが。しこたま殴りつけたからもう動けないと思うぞ」


 竜の上で、ドレス姿で胸を張る貴族令嬢。


 その光景に使用人は何とも言えない顔をした。


 竜は、言葉通り気絶していた。


 女に踏まれても、動かない。


 しかし、それは少しまずかった。


「お嬢様、やはりちゃんと話を聞いていなかったのですね」

「何がだ?」

「この竜、おそらくお嬢さまの旦那様になるお方ですよ」

「えっ?」


 なぜなら、気絶しているその竜こそが、この女の夫だったからだ。







 貴族令嬢のチェスティスは、嫁いだ先の地方で夫を殴り倒していた。


 大事な事なので言うが、それは罪にはならない。

 牢屋に入れられたりはしない。


 なぜなら夫は、竜になる呪いをかけられていたからだ。

 人を殴った時の、法律はあったが、竜を人が殴った時の法律は存在しなかった。


 人間に戻った夫を嫁入り馬車に放り込んで、夫の家へ向かうチェスティスは、窓を見ながら現実逃避気味に空が青いなと思っていた。


「怒られるかな。挨拶する前に旦那になる人間を殴ったなんて、さすがに気まずいぞ私でも」

「どうでしょう。旦那様の噂はよく聞きますが、ご両親の話はなんとも」

「もし怒ってたら土下座するしかないな! ケンカで何度も父上や母上に謝って来たから、土下座には自信がある」

「あってどうするんですか。やめてください。貴族のお嬢様でしょう」

「むぅ」


 呪いの発動によって、竜になってしまった夫を殴り倒し、元に戻したチェスティス。

 彼女は、普通の令嬢と違って、言葉で話すより、拳で語るタイプだった。

 そのため、幼い頃からのケンカで鍛えられてきたその拳の力は、竜をも圧倒するようになっていた。


 それが幸か不幸か、気絶してぼこぼこになった夫を、嫁入り用の馬車にのせているという状況だった。


 おそらく前代未聞の出来事。


 過去に類似する事件があったならば、二人は知りたい気分だった。


 だからチェスティスも使用人も、どうしていいのか分からない心地で馬車に揺られ続けている。


 そんなチェスティスの拳に倒された夫は、小一時間ほどかけて起き上がった。


「おっ、気が付いたか? 記憶は飛んでないよな」

「はぁ、まあ。一応。誰だか分かりませんが、暴走していた僕を止めていただいてありがとうございます。強いんですね、武闘家かなにかですか?」

「いや、しんそーのご令嬢という奴だ。あとお前の妻になる女だ」

「えっ」


 呆然とする夫の名前はロンバルト。


 チェスティスと同じ貴族で、半裸のボロ布だがよく見るとした手の良い服を着ていた。


 そのロンバルトに、チェスティス達は事の成り行きを説明。


 ロンバルトは、「なるほど、あなたがチェスティスさんでしたか。そういえば婚約の際に絵手紙で見たな」と納得した。


 その、ロンバルトははっとした顔になって彼女にお願いをする。


「あなたにお願いがあります! もしこれから僕が竜になったなら、その時は殴ってでもいいので、元に戻してください!」

「なんだって? おまえ、虐げられて喜ぶ趣味でもあるのか?」

「違いますよっ!」


 チェスティスの質問に、ロンバルトはうろたえながらも説明。


 竜にならないための訓練をずっと前からしたかったが、止めるものがいなくて困っていたのだと。


 だから、チェスティスの評判を聞いて、婚約を申し出たのだと。


「なるほどな、話は分かった。いいぞ、引き受けてやろう!」


 普通の令嬢ならふざけるな、無理です、となる場面であったがチェスティスは特殊だった。


 困っているならと、快くそのお願いを聞き届けた。







 ロンバルト頼みを聞くことにしたチェスティスは、無事?に夫の家に到着。


 よそよそしいロンバルトの両親に挨拶をして、荷物をほどく。


「お前、両親と仲が悪いのか?」

「いえ、僕が狼狽したり驚いたりすると竜になってしまうので、刺激しないようにしてくれるんです」

「ふーん。大変そうだな」


 それから屋敷の中を案内してもらい、夕食の卓を囲んだ後は、ぐっすり眠った。


 寝室は別で、何事もなく夜は過ぎていく。


 一応何かあるかと覚悟していたチェスティスだが何もなかったので、この結婚は愛あってのものではないなと結論付けた。


 使用人も「お嬢様の武力に目をつけられたのでしょうね」と同意したので、チェスティスは疑わなかった。








 そして次の日からさっそく特訓がはじまった。


「おっ、お願いしますっ。どんな時でも動揺したりしないようになりたいんですっ。もし竜になったら、殴ってもいいので止めて下さい!」

「いいぞ。そういえば、あの時はなんで竜になったんだ?」

「それは、そのっ。お恥ずかしい話ですが、妻を迎え入れる事に緊張していたので。それに、以前もらった手紙の絵姿が綺麗だったので、そんな人に出会えるとなると色々心の準備が」

「綺麗? そんな事言われた事ないな。お世辞とかは別にいいぞ」

「そっ、そういうわけじゃないんですけど」


 そんな一幕があったあと、ロンバルトは自分が考えた特訓方法を伝えた。


 しかしチェスティスがばっさり両断。


 どうせやるなら、もっと派手な方がいいだろう。


 と、言って代わりの案を口にした。


 それを聞いたロンバルトと、チェスティスの使用人はおそれおおのくのだが。


「ほっ、本当にやるんですか?」

「やめてくださいお嬢様、死人がでます!」

「大丈夫だ。何があっても私が守る。だって私は竜に勝てる女だからな」


 確かな実績を引き合いに出されて、反対派二人は引かざるを得なくなった。


 それと共に。


「正直いつまであの屋敷にいられるか分からないんだ。私はこの通り拳しか能のない人間でな。きっと近いうちにお前の家族や使用人を怒らせてしまう。その後は、きっと強制送還だ。だから出来る時にできるだけの事をやっておきたいんだ」


 このような理由もあったため、チェスティスの出した案が実行された。





 


 そんなチェスティスは、どんな状況にも動揺しないように、様々な状況にロンバルトを放りこんだ。


 それは――


「ひゃーっっはっはっはぁっ! 金目のものを置いて行け! 貴族のボンボンくんよぉ」


 野盗退治につれていったり、


「お嬢様この島、人が全くいないかわりに、野生動物だらけなのですが」


 無人島で生活してみたり、


「うらめしやぁあ! 生きてる人間道づれじゃあああ!」


 恐怖の名所でお化け退治をしてみたり。


 だった。


 そのたびに動揺したロンバルトが竜になるのだが、チェスティスもそのたびに夫を殴りつけて止めるのだった。







 チェスティスに殴り倒されながらも、少しずつ克服していくロンバルト。


 弱音を吐くときもあったが。


 ロンバルトは歯を食いしばって、自分の心を制する方法を身に着けていった。


 やがて、突発的なトラブルが起こっても竜化しないようになった。


「うむ! よくやった! さすが私の夫だな! これでもう免許皆伝だ!」

「ありがとうございます。チェスティスさん! なんとお礼をすればいいか」

「お嬢様、旦那様、良かったですね。私もそろそろ婚活に力を入れようかしら」


 そして、竜の呪いを克服した事で、出来る事や、やれる事が増えたロンバルトには、これまで遠巻きにしていた者達が近寄ってくるようになった。


「両親ともたくさん話ができるようになりましたし。使用人も話しかけてくれるようになりました。あなたは僕の女神です!」

「やっ、やめろよな。照れるだろ。それにしても、これでお役目ごめんか。さみしくなるな」

「えっ」


 驚愕するロンバルトに、チェスティスは笑いかける。


「もう私の拳の力はいらないだろ? なら結婚しておく必要はないじゃないか」

「それは、そうですけど」


 煮え切れない態度のロンバルトは、顔を赤くして、がっかりしたような様子で俯いていた。


 けれどロンバルトは顔を上げる。


 そして、数秒ためらった後に書面上ではなく、自らの口で求婚の言葉を口にした。


「どっ、どうかこれからも僕の傍にいてくださいませんかっ」


 ロンバルトは述べる。


 チェスティスは目を丸くした。


 予想しなかった言葉だからだ。


 使用人も驚いて口を開けている。


 同じようにまったく予想していなかったからだ。


「理由を、聞いても良いか?」

「はい」


 ロンバルトはチェスティスが好きな理由を口にする。


 真っ赤な顔のロンバルトは、特訓をこなしている最中に、


「誰かのために苦手を頑張る姿を尊敬する」というチェスティスの言葉に励まされたのだと述べた。


 その言葉をきっかけに、好意をいだくようになったのだと。


「それは、私がこの性格を言い訳にして、貴族らしいお勉強から逃げていたからだな。だからお前を尊敬しているんだ。こんなの普通の言葉だぞ?」

「僕には特別だったんです」


 それを聞いたチェスティスは、顔を赤くして「そっそうだったのか。そうかそうか、うむむむ」とうなって停止した。


 チェスティスの人生至上初めての告白であったため、どうしていいのか分からなくなったからだ。


 けれど彼女はどこまでも男前だった。


 数秒経過した後、再起動を果たす。


 しかし前を向いた方向性が、普通ではなかったので、周りに人間を仰天させた。


「うむ! ならばお前にちゅーしてみていいか。それで私がどきどきしたら、私もお前に惚れているという事になる。それが分かったら求婚を受けよう!」


 と、そんな事をロンバルトに述べたのだった。


 使用人が、慌てて後ろを向くのも待たずに、チェスティスはロンバルトの唇を雄々しく奪った。


 ムードもなにもない接吻だった。


 それでも、旦那にとっては刺激が強すぎたらしい。


 ロンバルトは真っ赤になりすぎて失神。


 その場にばたりと倒れ込んでしまった。


 すると、数秒もしないうちに姿が、膨れ上がっていく。


 竜化だった。


 ロンバルトは、特訓の努力もむなしく、竜になってしまった。


 それを見たチェスティスはあっけにとられた顔で、笑いつつもがっかりするといった器用な表情になり、言葉を口にした。


「まだまだ特訓が足りないみたいだな。免許はやれん。どうやら私達はもう少し一緒にいなければならないらしい。これからもよろしくな」


 チェスティスが見上げた竜は、どこかやけっぱちになって暴れているようにも見えた。


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