16


「紡久ー! またお前に例のお客さん!」

「……え?」


 教室に着いて早々、友樹のうわずった声に呼ばれて鞄が肩からずり落ちそうになった。

 最近よく嗅ぐようになった石鹸の清潔な香りが俺の鼻腔をくすぐる。

 これ以上は関わらないと言った直後だというのに、まさか昨日の今日で希輝から俺に会いにくるとは思いもしなかった。


「やっと来たな。話がある」

「い、いやいや。話って何……」


 友樹の前から速やかに俺の方へと移動してきた希輝が、耳元でぼそりと囁いた。

 爽やかな香りと整いすぎた顔が近すぎて、不覚にも心臓がドキドキと騒ぐ。


「いいから来い」


 熱を感じる手のひらに手首をグイと引かれて、有無を言わせず教室から引っ張り出された。

 噂の渦中にいる二人が、何度も会うのはまずいのでは。

 折角解けたであろう誤解も、希輝から会いに来てしまったら、また可笑しな噂に戻りかねない。


「あのさ、糸のことなら俺が何とかするって」

「そういう話じゃない」

「え!?」


 赤い糸以外に、希輝に連れだされる原因を作った記憶は一つもないんだけど。

 無意識に人嫌いに拍車がかかるようなことをしてしまったのだろうか。

 冷や汗がダラダラと垂れる俺を、ちらりと横目で見た希輝が深く溜息を吐いた。


「そんな風に怯えなくて良い」


 予想外に優しい声音に驚いて、勢いよく視線を上げる。

 自分でもよく分からないとでも言いたげな複雑な色を宿した瞳がそこにはあって、再び心臓がザワリと騒いだ。

 

「……で。話ってなに」


 使い慣れてきた空き教室の片隅で、希輝に手首を繋がれたまま向き合う。

 緊張でドキドキと鳴る心臓をそのままに、顔色を窺うように希輝を見た。


「噂」

「え?」

「何であんな嘘をついたんだ」


 一瞬だけ、希輝が何の話をしているのか分からなかった。

 首をかしげかけて、昨日の自分の言動を思い出してハッとする。

 そう言えば、希輝のクラスメイトの女子に「俺が希輝に告白して振られた」と伝えた気がする。


「あー……と、聞いた?」

「皆の態度が前と同じ状態に戻っていたから。……おかしいと思って聞いた」


 希輝の瞳に困惑の色が見え隠れしていて、不覚にも笑いそうになった。

 きっと、何故自分が不利になるような発言をしたのかと聞きたいのだろう。

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