第117話 面倒な女

 キャンプ『木星』には廃墟化した建物が数多く存在している。

 高層建築物である電波塔をはじめとしてザヴォルシスク放送局がスタジオを構えていたビルがあり、近くにはショッピングモール等の商業施設も数多く存在する。

 元々電波塔の一帯は商業地区として栄えていたのか大型建築物が多くあり、地上から人間が居なくなると数多くのミュータントが棲み付くようになった。 

 そして現在、廃墟に棲み付いていたミュータントを駆逐した建築物の多くが修繕・改修を施され工場や居住区として再び人類に利用された。

 ノヴァが血眼になって用意した発電施設によって齎される豊富な電力が工場の工作機械を大量に稼働させ、暗闇を照らす電気の明かりがキャンプから途絶える事は無い。

 その光景はキャンプに初めて訪れたメトロの住人の常識を揺さぶり、同時にキャンプの持つ豊かさを言外にメトロに示していた。


 そんなキャンプにある再利用された廃墟の中に先日開店したばかりの酒場がある。

 キャンプにおいて限定的にだが許可された商業活動の第一号として内政部が認可を出し、出資元である商業部のオルガの私財を投じて開店した三階建ての酒場は連日多くの人で賑わう事になった。

 一階は傭兵や商人等のキャンプに訪れた多くの人が利用し酒盛りや雑談等を行っている。

 二階は個室となっており利用料金は高額となるが、料金に見合ったサービスが提供される。

 三階はキャンプの要人といった限られた人物しか利用できないVIP空間である。


「ようこそソフィア。どう、僕が開いた酒場は?」


「いい趣味してるじゃない。でも幾ら見栄えが良くても出される物が安物だったら全部台無しだけどね。それで品揃えの方はどうなの?」


「味は保証する、そこは安心していいよ」


 1階や2階とは違い広く作られた贅沢な空間には酒場を開いたオルガと傭兵部を預かるソフィアが互いに向かい合う形で座った。

 そして二人の間を見計らった様に酒場のボーイが運んで来たのはアルコールに合う軽食と一本のボトル。

 二人の前に用意されたグラスにボーイが中身を注ぎ、程よく満たし終えると二人はグラスを持ち上げて軽く打ち鳴らした。


「乾杯」


「乾杯」


 グラスを満たしているアルコールはオルガの言葉通りの代物であった。

 安物では感じられない香り、グラスを手に取り口に流し込めば安酒とは一線を画す味が二人の喉を潤す。

 共として出された軽食はアルコールの味を損なわない味付けであり、口の中を程よく満たしてくれた。


「本当に美味しいお酒ね」


「でしょ、苦労して手に入れた甲斐があったよ」


「抜け目がないわね、本当に。美味しいお酒に美味しい食事、気分が良くなったお客さんの口は軽くなって色々と話してしまいそうね」


「誤解しないでよ、僕達の耳に彼らの会話が偶々入っただけだから」


「分かっているわよ。情報収集についてはとやかく言わないわ」


「情報収集も兼ねているけどあくまで副業。此処は美味しいお酒と美味しい食事を提供する場所だよ」


「分かっているわよ。それに此処が開いたお陰でアタシの所に来る傭兵達も漸く息抜きが出来るようになったからね。本当に感謝しているのよ」


 ──そうして二人は用意されたアルコールと軽食を楽しみながら互いの近況を話し合う。

 ──傭兵部が常時実施しているミュータント狩りで仕留めたミュータントを食用等に利用しようと住民が動き出した事。

 ──傭兵達がプスコフの装備している武器を自分達にも売ってくれと売却を求めている事。

 ──無力化した『禁忌の地』にあるエイリアンの前哨基地跡を利用して新しい交易路を作ろうと商業部を先頭にして動き出している事。

 ──取引規模は今も少しずつ増え続け多くの駅から取引を持ち掛けられている事。

 ──ザヴォルシスクの郊外に点在しているコミュニティーとの交易も始める予定など。


 酒の肴となる話題は沢山あった、二人が全てを話そうとするなら一晩は確実に掛かってしまう程の量である。

 だが話す事が苦になる事はない、それは以前の二人であれば考えられない事であり想像できないものであった。

 そしてそれは二人に限った話ではない、キャンプに住む多くの人が抱いている思いであるのだ。

 メトロの暗く埃っぽい地下で明日一日の糧をどうやって得るのかと頭を悩ませていた時とは雲泥の差、毎日誰もが思いもつかない事が起きている。

 楽ではないだろう、困難も多くあるだろう、だがキャンプに住む誰もが未来について語り合う事を止められなかった。

 毎日少しずつ良くなっていく生活、住民は今も増え続け拡大していくキャンプではメトロとは全く違う明るい将来を無意識に、無条件に考えてしまうのだ。


「それでアタシを此処に誘った理由は何よ。とは言っても短くは無い付き合いだから貴方の考えている事は何となく予想は出来るわ。ボスの事でしょ」


 だが世間話であれば態々此処に来て密談の様なことする必要はない。

 ソフィアは程よくアルコールが身体に回るのを感じ、オルガに対して呼び出した理由を問いただした。


「うん、ボスに関する相談があってね。協力してくれるかい?」


「内容次第ね、取り敢えず話してみて」


 ソフィアが口火を切り、また同意が取れた事を確認したオルガはグラスの中身で口を潤してから話を始める。

 話題となるのはソフィアが言う通りボスに関する事である。


「じゃあ、ボスは最近になって漸く落ち着けるようになったよね。今迄任せられなかったキャンプのインフラ管理も部下が出来るようになって以前と比べて自由になる時間は増えた」


「そうね、悪かった顔色も元に戻って元気を取り戻した。それを見てアタシは安心したわ」


「それに関しては僕も同じ気持ちだよ」


 キャンプの代表という立場にありながらノヴァは多忙を極めていた。

 ソフィアやオルガに任せられる仕事であれば二人に丸投げする事は多々あったが、それ以上にキャンプで使用されるインフラや工作機械等の技術問題を任せられる人物がノヴァしかいなかった。

 それが大きな問題となりノヴァは大きな負担を背負っていたがキャンプの拡張も一段落しインフラの維持管理を任せられる人材が揃ってきた。

 ここにきて漸くノヴァの負担は大きく減少し、体調も回復した。


「そして、ボスは暇を見つけては電波塔に入り浸るようになった。どうやら当初の目的であった電波塔の修復は完了間近、そうなればボスは遠くにいる家族と漸く連絡が取れるようになる」


「喜ばしいことじゃない。何か問題でもあるの?」


「いいや、連絡が取れるようになった事は僕としても喜ばしいことだよ。でもね、僕が気にしているのは連絡が取れた先の事だよ」


「その先?」


 連絡が取れたその先、オルガが口にした言葉が何を意味しているのかソフィアは分からずオルガに訊き返した。


「まず、連邦にいる家族と連絡が取れました、で終わりじゃない。その後、ボスは帰るために手を尽くすだろうね、キャンプと同じように」


「そうなるわよね?」


「此処で問題、ボスがいなくなった後のキャンプを率いるのは誰?」


「……会議に呼ばれている各部の代表の誰かでしょうね。成程、アナタの味方に付けと言っているのね」


 此処まで言われればソフィアも流石に理解できる。

 つまり、この集まりはボス不在後に空席となるキャンプの代表の椅子を巡った謀の一環でしかないのだ。


「あ~、違う、違う。代表の椅子は二の次。軍部のグレゴリーや探索部のアルチョムは代表の椅子に興味がないのは今迄のやり取りから何となく想像できるし、それにソフィアが付いても抜け目のないあの女が対策の一つや二つ仕掛けているでしょ」


「あら、違うの?」


「違うよ、僕が言いたいのは今の此処を作り上げたボスがいなくなったらキャンプはお終いだってこと」


「それは言い過ぎじゃない? それを防ぐためにボスは権限の分散とマニュアルの整備や教育をしているじゃない」


「確かにそうだけど、ボスが行っているのは現状を維持する為だ。其処にはキャンプを牽引できる魅力や将来性は無い。ボスがいないキャンプなんて考えられるかい? 科学的な事は分かんないけどエイリアンの技術でボスは連邦から帝国に飛ばされたと聞いているよ。だけどボスの家族が今も本当に連邦にいるのかい? 本当に此処はボスが飛ばされた連邦と地続きの帝国なのかい? ほら、パラレルワールドとかタイムスリップの可能性も無くは無いだろ」


「そうね、可能性はあるわね」


 オルガによる取り込み工作と考えていたソフィアの考えはあっさりと否定された。

 オルガの話に適当に相槌を打ちながら聞いていたソフィアだが話を聞く限りだとキャンプ代表の座にオルガが執着している様子は見らない。

 どちらかと言えば会話の中心になっている話題はボスそのものであり、その動向に関してのものである。

 それに加え普段の会話でも抜け目のない表情をしている筈の友人の顔はアルコールせいかもしれないが赤くのぼせあがり、会話も普段とは異なる所が多い。

 短くない付き合いをしてきた友人の変化が何を意味しているのか、ソフィアの頭脳はアルコールの助けも借りながら高速回転し──、そして一つの考えを導き出した。


「ちょっと待ってオルガ、一つ聞いていいかしら」


「いいよ、何を聞きたいの?」


「アナタ、ボスに惚れているの?」


「ブフェッ!?」


 ソフィアの何気ない一言はオルガの図星を正確に貫いた。

 口に含んでいたアルコールに咽ながら口を押さえる友人の情けない姿、それを見たソフィアはため息を吐くと同時に呆れてしまった。


「ああ、そういう事ね。つまりアナタはボスが此処から離れて欲しくない、何とか引き留めようと考えている。だけど有効な手が思いつかない、或いは思い付いてもアタシの協力が必要なのね。納得したわ」


「……何だよ」


「まぁ、ボスに惚れるのも分からない訳じゃないわ。あんな良い男はメトロにはいないでしょうし、彼以外に見つかるとは思えないもの」


 本人は隠しているようだがオルガがロマンや夢に憧れる女である事を短くない付き合いの中でソフィアは知っている。

 それは彼女が過酷な現実に心が折られるのを防ぐための逃避の一つでもあっただろう。

 だが傭兵の中に混じって活動を続けてきたオルガが見てきたのは薄汚い現実だ。


 ──彼女の目に映るのは性欲に濡れた目で自分を嘗め回す男。

 ──金に目が眩んで自分を使い潰そうとする男。

 ──同性でさえ自分本位で彼女を利用する女。

 ──マフィアを率いるボスの愛人という立場、それを脅かされると勘違いした女による嫌がらせ。


 彼女の目に映るのは醜い現実であり碌でもない物が殆どであった。

 ロマンも救いも無い現実を突き付けられ、いつしか彼女はコレが現実であると自分に言い聞かせるようになった。

 ある筈がない、諦めるしかない、上を向くと辛いから下を向け、ロマンなんてものは捨ててしまえ。

 そう考えてオルガはメトロの薄暗い地下で日々を過ごしてきた──、心の奥深くに捨てられなかった小さな欠片を隠し抱きながら。


 ──だが彼女はノヴァに出会った。


 出会いはロマンの欠片もない独房であった、だがノヴァは行き詰まった生活から抜け出す始まりとなり、今迄の生活からは考えられない非日常に連れて行ってくれる存在であった。

 それは彼女にとって魔法使いと言える存在、オルガが憧れ惚れるのも仕方がないとソフィアの女心は理解していた。


「……そうだよ、僕はボスを此処に縛り付けようと考えている。今日呼んだのはボスの動向を可能な限り連絡してほしいからだ。特に電波塔での通信が失敗すればボスは落ち込む可能性が高いから連絡と場を整えてほしい」


「成程。それで、その次はどうするの?」


「身体で慰める、僕の見てくれは女としては魅力的なはずだ」


「確かにアンタの身体は魅力的よ。それにボスは情が深いから一度抱いたアナタを捨てて連邦に帰るのを悩むでしょうね」


 マフィアのボスに目を付けられただけあってオルガの身体は魅力的である。

 そして酒や金に一切の興味を示さないノヴァであるが心が弱った時であれば寄り添い、耳元で囁けば逃避の為にオルガを抱く可能性はあるだろう。

 そうなればオルガの勝ちである。

 何故なら理論立てて物事を進めようとするノヴァの根底にあるのが優しさだ。

 だからこそどうしようもない現実をノヴァは技術によって変える、そんな彼が一度抱いた女を捨ててキャンプを去るのは出来ないだろう。


「ねぇ、正直にボスが好きだから此処に残って、帰らないでとアナタが自分の口で伝えればいいじゃない?」


 だがノヴァが情の深い相手だと見抜いているのなら態々弱った時を狙って抱くように誘導するのではなくオルガの方から告白すればいい。

 自分が抱いている本心を隠さずに告げる、そうすればオルガはノヴァの心に大きな楔を打つ事が出来るとソフィアは考えた。


「いや、あのね、それは……」


「……アンタも面倒な女ね」


 だがソフィアの言葉にしどろもどろになる友人の姿を見て確信した。

 コイツ、面倒な捩じれ方をしている、と。

 自分から告白するのは恥ずかしい、そうではなくてノヴァの方から告白して欲しい、でも弱った所に付け込んで身体を抱かせる方向はOK。

 もう一度ソフィアは思った、コイツ、面倒な捩じれ方をしている、と。


「まぁ、友達の恋路は応援するわ。電波塔の機材をこっそり壊すような事を頼まないアンタの初心さに免じてね」


「じゃぁ!」


「言っておくけどアタシが手伝うのは連絡と雰囲気作りまで、其処から先はアンタの力でボスを堕としなさい」


 そう言いながらソフィアは笑いながら友人の恋路を応援することに決めた。

 それを聞いて高揚するオルガの顔を見たソフィアも我がことの様に嬉しくなり、ではどの様にして雰囲気を作り上げるかと二人は話し合いを始めた。

 だがふとソフィアは思い出した、ノヴァの身近にいる女性はオルガだけでなく、もう一人いる事に。


「アナタ、ボスの身近にはもう一人いる事忘れてないわよね?」


「分かっているさ。あの女は油断ならない。下手をすれば足元を掬わるのは僕の方になるのは間違いない」


「内政部のタチアナ。アンタが警戒する程の相手なのね」


「そうだよ、メトロでアイツみたいな女には出会った事がない」


 タチアナもまたオルガとは別方向に魅力的な女性である。

 そして見た目だけではなく内政部を任され問題なく運営している事からも彼女の能力は非常に高く油断できる相手ではないとわかる。

 そして一番重要な問題として彼女もノヴァに対して何らかの思いを抱いている事をオルガはなんとなく感じ取っていた。

 それが恋であるのか、愛であるのかは分からない、だが軽い気持ちではない事は分かる。

 何より内政部という立場からタチアナは忙しいオルガとは違い事あるごとにノヴァを訪ねては会話を重ねているのだ。


 ──出会いと付き合いの長さから劣っているとは思わない、だがオルガにとってタチアナは無視出来る相手ではなかった。


「ならライバルになるかもしれない彼女の対策も考えないとね。二番目は嫌でしょ」


「当然」


 ソフィアの言葉にオルガは即座に答えた。

 そうして恋のライバル(?)であるタチアナの対策も同時に二人は話し合い始める。


 ──そして、二人が待ち望んだ機会は思ったよりも早く訪れた。


 酒場での密談から翌日、電波塔で行われたエイリアン製通信機材を用いた通信試験。

 想定以上の負荷を掛けて送信を行った結果、機材室で小規模な火災が発生。

 通信機材の多くが火災による熱で損傷するという知らせが二人の耳に届いた。

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