第79話 赤ん坊
「謎の研究所が見付かった?」
その知らせがノヴァの耳に入ったのは仕事が一区切りついた時であった。
長時間座り続けていた身体を解すために執務室の床に寝そべって柔軟体操をしているノヴァに知らせたのは体操の介助をしているサリアである。
「はい、先程調査部隊から送られた報告です。詳細な内容はありませんが取り敢えず第一報として送られたもので情報も断片的、調査が進むにつれて研究所の詳細な情報も判明するとは思いますが念の為に報告しました」
「謎の研究所、あいたた!?もう少し優しくしてくれ~」
報告はウェイクフィールド郊外を探索していた調査隊から送られたものだ。
調査隊は建築途中の生産施設周辺調査を行う為に編成された部隊であり、主に施設周辺の地理データ収集、ミュータントの分布状況の調査、資源回収場所の選定など多岐に渡る仕事を担当している。
その部隊が街の郊外で発見した大型の建築物群、発見当初は郊外にある大型商業施設と思っていたが周りを囲う防壁の様な壁と制限された出入り口から秘匿性の高い研究所と推測したようだ。
ノヴァも送られた建築物の映像を端末で確認する限り部隊の推測と同じように研究所か、それに類する建物のようにしか見えない。
「今の所は外観を見ただけですが後続の部隊を送り込んで詳細な調査を行う予定です。無論、建物内にミュータントが潜伏している可能性も考慮に入れて重武装部隊を中心に編成します。あと先日より少し体が硬いです、勤務後に負荷の大きい運動と柔軟を取り入れましょう」
「うん、分かった。それにしても、この研究所は怪しい匂いがプンプンするな」
『何が怪しいのですか?』
「お、五号データの読み込みは終わったのか」
ノヴァとサリアの会話に混ざる聞き慣れない人工音声、その正体は先日ノヴァが機関の演算施設の一部領域で開発した人工知能である。
名前は『五号』、生まれたばかりであり性能に見合った機体が未だに調達できていないのでビルの監視カメラやマイク等の装置を使いノヴァとサリアの会話に参加している。
まるでビルと会話しているようにノヴァは錯覚するが五号の本体とも呼べる人工知能はビルの地下に設置された演算室にある。
その事を制作者であるノヴァは理解しているので不思議な感覚を感じながら普段通りの調子で会話を続けた。
『はい、提供されたデータは全て読み込みました。それで何故研究室が怪しいと感じるのですか?』
「それはだな、今回発見された研究所に所属を示す看板が無いんだよ。本来であれば『国立ホニャララ』とか『●●会社所属の』とかある筈の研究所の名前が記された看板や案内板の類が一切見つかっていないんだ。経年劣化を考慮しても残骸も見つかっていない、頑なに名前を隠しているのは何かしらの意図があっての事と考えられる」
発見した部隊の推測は間違っていないだろう、建築物群を囲うように存在している壁と数を制限された出入り口。
機密性の保持を徹底した措置であり外部から隠し通したい何かがあったのではないか、考えられる中で最も可能性が高いのは連邦軍が関与していた極秘研究所ではないかとノヴァは睨んでいる。
だが本当に極秘研究所であればミルラ軍港の様に機密保持の一環で色々と持ち出されていて何も残っていない可能性も非常に高く、それどころか今やミュータントの巣窟になっている可能性もあるのだ。
『何も得られない可能性が非常に高いと、では余計な手出しは控えるべきでは?』
五号の判断はリスクとリターンを秤に掛けた上で算出したものだ。
必要とされる人手と物資と時間、それらを投入して得られる成果は果たして釣り合うものなのか。
限られた情報しかない状況で導き出したのであるがノヴァにしても納得できるものであり否定はしない。
「いや、全くその通り。面倒事には首を突っ込まない事も選択肢としてありなんだけど……、それだと何かが起こった時後れを取るんだよね」
ノヴァも成果が得られる可能性が低いのは承知している、それでも調査を行うのは可能性がゼロでないからだ。
もしかしたら何かがあるのかもしれない、それが機関にとって有用なものであり放置していて失われるような事態にはなってほしくないだけだ。
「それに何も無くてもミュータントの大群が巣を作っている可能性もあるからね。放置していたらミュータントが溢れ出て来た!なんて大きな面倒事になる可能性は放置できない。面倒事は小さな内に処理しておけば後で楽が出来るっていうのが俺の考え。という訳で、サリ──」
「ノヴァ様の考えている事は分かります。ですが今回は研究所内の安全が確保されてからです、その際も万が一に備えて部隊単位で護衛を入れます」
「了解、今回は探索でも何でもないからね。調査に専念、研究所が危険だったら脱兎のごとく逃げるよ」
「でしたら私から言う事はありません」
サリアの出した条件に変更を加えることなくノヴァは了承した。
ノヴァとしても探索や調査に赴くのは息抜きを兼ねたものであり、前回の様なスリルは求めていない。
例え過剰戦力であっても安全に調査や探索が出来るのであればそれに越したことは無いのだ。
「それで五号はちゃんと勉強している?」
『勿論です
「ほ~、どれどれ」
ノヴァが五号を製造したのは苦手としている内政関係、特に政策立案に関する仕事を任せる為である。
こればかりはノヴァの得意とする技術や機械製造でどうにかするにも限度があり今迄は手探り状態で行ってきた。
だが五号は人工知能である利点を生かし、ノヴァが一生掛かっても読み切れない政治、内政関係に関するデータや論文を読み込むことが可能だ。
実際に五号にはノヴァが確保している蔵書アーカイブの複製を渡してあり、蔵書量は10万を超える膨大な量のデータの塊である。
そうして大量の情報を得た五号が立案した政策である。
ノヴァが逆立ちしても出来ない高速演算処理速度、その結果として策定された政策一覧をノヴァは期待しながら目を通し──そして顔が凍り付いた。
「『犯罪者の強制収容及び人格矯正を実施』、『最大幸福の為に常時干渉し行動変容を促す』、『支配地域在住現地人の個別監視の徹底と統制』、『教育を通した規律、道徳心の滋養』、『犯罪行動抑制の為の密告制度の実施』、『物資資源の公平・平等な分配の為の計画経済の制定』」
一覧に記載されている政策はどれもノヴァが考えつかない様な物であり、非常に……個性的なものが多い。
いや、まさか、見間違いではないかとノヴァは一覧に何度も目を通すが書かれている内容は何も変わらない。
その考えに至るまでノヴァは計三回も見直し、そして一覧が表示された端末を置き──そして叫んだ。
「真っ赤やないか!?」
おお、なんていう事でしょう。
端末には嘗ての歴史の授業で習ったようなガッチガチの社会主義かつ共産主義の特徴に満ちた政策がズラッと並んで表示されていた。
そして歴史の授業をそこそこ真面目に受けていたノヴァはこれらの政策が齎す暗黒時代を詳細に想像する事が出来てしまうのだ!
だが一番大きな問題は五号が真っ赤っかな政策を立案した原因である。
今日で生まれてから三日目、一日目は割り当てた領域で人工知能を組み上げるのに費やし、二日目はデータを食べさせただけ。
そして三日目の今日に政策を提案してきた、ならば変な思想が混ざる機会があったのは大量のデータを食べた二日目しかない。
「まさか!?」
ノヴァは急いで確保している蔵書アーカイブの中身を表示、特定のキーワードの有無を基に蔵書を選別する。
膨大な蔵書量であるが地下にある演算装置の力であれば十秒もかからない仕事であり、その結果は直ぐに端末に表示された。
「なんで公共図書館の蔵書が真っ赤な思想と論文に満ちているんだよ!お前ら資本主義者の下に生まれた人間やろがい!」
ノヴァはまたしても叫んだ。
選別の為に打ち込んだ特定のキーワード、『人民』や『ブルジョア』や『社会主義』や『労働者』や『革命』といった真っ赤な思想でよく使われる言葉を含んだ蔵書は全体の半分近くに迫る勢いである。
特に内政、思想、政治関係は真っ赤になる寸前、犯人は一目瞭然であった。
『お父様、私の提案はどれも論ずるに値しない物なのですか……』
失敗作、そんな言葉がノヴァの脳裏をよぎった。
実際に五号はノヴァの求める性能に達するどころか初期段階で躓いてしまっている、これが崩壊する前の企業であれば問答無用で解体処分されるだろう。
だがノヴァはビルに設置されたマイクから流れてくる五号が発した人工音声を聞いてしまった。
それは機械の様な抑揚のない話し方ではあったが、どうしてかノヴァには叱られる寸前の子供の様な声に聞こえてしまったのだ。
「五号、お前が提案してくれた政策の元になった論理や思想はなんていうか、その、あれだ、人間の善性とか理性を無邪気に信じた夢想家たちが描いた夢なんだ。だがらそれを現実に当てはめると大きなすれ違いや衝突が生まれてしまって却って状況が悪くなってしまうんだよ」
解体してしまえば楽だ、初期化してしまえば早く終わる。
そんな考えは何時の間にか消えてノヴァはビルに備え付けられたカメラに向かって話しかける。
『ですが参考文献には詳細な理論と裏付けがあります』
「思想の理論は幾らでも捏ね繰り回せるし、裏付けの数値も数少ない良好な結果に焦点を当てた物じゃないのか?数字は嘘を吐かない、だが嘘を吐く人は数字を悪用するんだ」
『ですが、私は……』
ノヴァは見落としていた、生まれたばかりの人工知能は純粋であり、簡単に染まってしまう事を。
与えられた情報の正誤を判断する知性に乏しい事を失念していたのだ。
「──とは言ってもお前に十分な量の教材を用意できなかった俺が悪い、すまんかった五号」
故に今回の出来事の起点であるノヴァはカメラに向かって頭を下げた。
五号が真っ赤な思想に染まったのも、与えるデータの選別をしっかり行わなかったノヴァに責任がある。
「とりあえず今までの渡したデータは参考程度に留めて置きなさい。これからは俺も協力するから古いデータだけじゃなく新鮮なデータも食べていこうな」
『……分かりました』
その言葉と共にノヴァを見ていたカメラの電源は切れ五号の気持ちを表すように項垂れた。
その様子を見ていたノヴァも執務室の椅子に座り、机の上で項垂れた。
「言いすぎちゃったかな?」
「生まれたばかりの人工知能は膨大な情報があろうとそれらを扱う経験、知性が足りません。こればかりは時間と経験を重ねるしか解決方法はありません」
「サリアが言うと説得力があるな」
知性の獲得に近道は無い、特に将来五号に任せる仕事を考えれば容易な複製等は百害あって一利なし。
地道に経験を積み重ねていき自力で知性を獲得しなければならないのだ。
「それでもしノヴァ様が求める水準に五号が達していないのであれば解体して新たな人工知能を製造する事も可能です。私の場合であれば不具合を考慮して基となった人工知能は複数あり過酷な選別によって一つだけ選び出しました」
「やだ、そんなことしないよ。昔の人もやってみせ、言って聞かせて、って言ってるでしょ。一回の失敗で見捨てないし、五号は生まれたばかりの赤ん坊。長い目で成長するのを見守る必要があるよ」
いきなり仕事を任せられるような人工知能が簡単に出来るとノヴァは思っていない。
元の世界においても人工知能の開発は大量の時間と資金、そして多くの研究者が必要なビッグプロジェクトであった。
そして全てのプロジェクトが成功した訳でなく、多くの失敗と挫折を生み出し、それらを糧にして人工知能開発は発展してきたのだ。
ノヴァも同じである、何より今回の事で物事に近道が無い事を知ることが出来た、ならば後は新たな心構えと共に更に開発に取り組んでいくだけ。
そう結論を出したノヴァは手を動かして今後五号に与えるデータについて選別を行っていく。
「これからするのは未来への投資だよ」
ノヴァの言葉は誰に向かって言ったものではない、自分に言い聞かせるものである。
それを傍らで聞いていたサリアはノヴァの疲労が軽減できるように新しいお茶を入れた。
そんなノヴァの言葉を執務室に設置されていたマイクは静かに一言一句逃さず聞いていた。
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