第20話エルフの存在
ここは大陸の北の果て、ダルマハクと呼ばれているエルフの国だ。エルフの古い言葉では『昼と夜』を意味する。
ダルマハクが国家として成り立っているかと言えば微妙で、氏族の集合体と言った方が確かかもしれない。
その中でも最大氏族サーガに属するカーラ・フリスト・ローズウッドは、額にこぼれる前髪をかき上げるとホッペを膨らませた。
「もぅ! いやっ!」
手にしていた書類を放り上げるとグッタリとした表情で机にうつ伏せる。
容姿の整ったエルフの中でも、どちらかと言えば可愛いと分類される様なカーラ。
プラチナブロンドの髪をアップにまとめ、お団子にしている。愛らしい姿は、小柄な少女と言ってもいいくらいだ。
「うぅぅ、休みが欲しいよぉおおおおお!!!」
チラチラと傍らに控える侍女を気にしながら必死のアピールを送っていく。
ローズウッドの名前が示すとおり、彼女はアレスの母親である。カーラがアレスの元を離れて十年、何をしていたかと言うとダルマハクの地を治めていたのだ。
齢うん百年、年齢を聞くと「永遠の乙女」とぷりっと膨れるくらいのお年で、前にうっかり者が族長より古く生まれたと口にしたことがある。
途端に表情を失い「あら、誰の事かしら」と肩を掴んで凄まじい笑顔を見せた。歴戦の勇士の弁によると、吊り上った両目が血走って、決して逆らってはいけない何かを感じたという。
それ以降カーラの前で年齢に触れることは地雷となった。
「はいはい、お茶ですか? いま用意しますね」
いつもの事と軽く流した彼女はヘリア。
カーラの秘書をやっているが、どこまでも侍女と言いきる女傑である。
肩でそろえた髪に知的な容姿と、カーラとは対称的な魅力を兼ね備えていた。要するに完璧な大人の女だ。
けれど、エルフらしいと言えばそうなのであるが胸元は慎ましく控えめで、カーラが「おっぱいが重くて肩が凝るよぅ」と勝ち誇ったように言うたびに唇を噛み締めて、どう仕返ししようと考えるくらいの大人の女だった。
「ふーふーした?」
決して退行しているわけでは無い。猫舌なだけである。
ヘリアは軽く無視して「休憩は一〇分にしてくださいね」と釘を刺すことを忘れない。
油断しているとどこまでもサボるのは目に見えている。
「うぐぅ! ヘリちゃん意地悪!」
「はいはい、意地悪ですよ。それよりゴルの者から要望が来ていますが?」
ゴルとは氏族の一つで、騒がしい連中が多いことで有名だった。
何かあれば集団でやってきてごねる。
エルフの中では『ゴル』と言えばごねるの隠語となるくらい迷惑な連中だ。
「またぁ? この間送ったばかりじゃないの」
「まだ足りないと書いてますね」
差し出された要望書に視線を落とすと、長々とした前置きの後に○○を寄越せと書いてあった。
自然と共に暮らすと言えば聞こえが良いが、原始的な暮らしにも必要な物があった。まだまだ文化文明とはかけ離れてはいても、侵食を止めるわけにもいかないからである。
そして、物欲とかけ離れた存在のエルフが求めてやまない物とは。
「うげっ! また砂糖!?」
そう甘味だ。
「いやん! 香辛料ももっとよこせって!」
香辛料もである。
金銀財宝にもまったく興味を示さないエルフも己の舌を満足させてくれる調味料にご執心だったのである。
きっかけは貨幣の代わりに差し出された胡椒の実と黒糖。今ではこぞってそれを求めている始末だ。
求めるなら自分でしろよと思っているが、放っておけば何時までも瞑想に嵌る民族。それなりに生きる為の狩りなどをしていても働くという考えは無かったから、必然的にカーラに負担が掛かった。
彼女はエルフの中でも上位。それもハイエルフと呼ばれる種族だったからである。押し付けられたという面もあったが。
カーラは産休を終えて里帰りをしてから今日まで、帰る暇もなく執務に励んでいた。
時々目に付いた物をアレスに送ったりしていても、会いに戻れないのは辛いものだった。
アレスが思っているような、近所に散歩で十年も帰って来ないわけでは決して無かったのだ。
ましてやエルフの感覚は分らんなどと失礼な話である。
もっともカーラには、十年いやそれ以上掛けてでも果たしたい目的もあったのだが。
「それから、荷物が届いています」
「なにー、誰から?」
興味なさそうにしながらも一応送り主を聞いておく。相手によっては礼状程度は書かなければダメだからだ。
普段から届け物はよく来た。大抵は取引に混ぜて欲しいと哀願する商人からで、中身もエルフを良くわかっていないのか装飾品や美術品の類が多い。
「うふふ、ローザ様からです。アレス様がお作りになった品とお手紙に書いてましたが、さて、何でしょう?」
「ちょっ! それ早くよこしなさいよ!」
光速を越えるのではないかと思えるくらい素早く引っ手繰る。
途端ににへらっと顔を崩して匂いを嗅いでいた。うへへと気味の悪い笑い声を上げながら手紙を見ている様子は、とてもハイエルフとは思えない。
それを眺めながら「今日はもう仕事になりませんね」と呟くと自分のお茶に口をつけた。
ヘリアもしっかり猫舌だったのだ。
「ねえねえねえ!」
しばらくして、カーラの声に目を向けると石鹸が目に付いた。
そして。
「・・・・・・精霊石」
そこには色とりどりの精霊石があった。
ダルマハクで産出される主なものは魔石である。
魔力だまりに蓄積された塊。正体は世界樹と呼ばれる木の樹液が固化した物だった。
役割を終えた世界樹が残す遺産とも呼ばれている。
現在では、世界樹の残っている所はダルマハクだけだが、過去には世界のあちこちで見られた。だから魔石が取れる場所はダルマハクだけでは無い。
ただし埋蔵量と採掘の容易さは圧倒的で、他の追随を許さないものがあった。
その魔石や鉱石に精霊が宿ったのが精霊石である。
魔石や鉱石が程度の違いがあるとはいえ加工が出来るのに対して、精霊石を加工する事は出来ない。力を物理的に加えると一気に力を解放するからである。
だから目に前にある精霊石が、一様に揃った形をしているのが信じられない。
「キレイ・・・・・・」
ヘリアがうっとりとした声を出すのも無理は無い。エルフにとって精霊石はそれほど神聖な存在だ。
「ヘリア。一度ローズウッドに戻るわね」
だから、そう呟いたカーラの顔も真剣になっていた。
ダルマハクを旅立って一週間、普通なら到着していてもおかしくないのだが、あっちこちをフラフラするカーラに振り回されるヘリアたち一行はまだ森の中にいた。
「ねえ、ちょっと寄っていくから」
「またおしっこタイムですか?」
「ちっ! 違うわよ!」
「はいはい、調子に乗って水分とりすぎるから「違うのぉおおおおおお!!!」」
若干の毒を吐いたヘリアは、ハアハアと息を荒げるカーラの姿に満足げな笑顔を浮かべた。
「なるほど、泉にいらっしゃるんですね」
結界に目をやりうなづく。
分っていながら毒を吐くあたりは流石の主従と言った所か。
「久し振りだから女神様に挨拶しておこうかなと思ったのよ。十年ぶりだしすぐ戻るわ」
「それは良いんですけど、結界の中に私は入れません」
「適当に休んでて良いわ。あそこは選ばれた者しか立ち入れない聖域なんだから」
恐れ入ったかと得意顔で胸をそらす。どうひいき目に見ても、子供が背伸びしている様にしか見えないのだが。
「では、適当にお茶の用意でもしておきます」
周りを見渡してよさげな場所を見つけると、魔法の鞄から次々と取り出していく。
結界の手前に割りと開けた場所が多いのは、こうして従者を待たせる事が多いからであった。
それに、この森が絶対安全な場所であるのはエルフなら誰でも知っていた。すかさずテーブルを出してクロスを掛け始める。
「じゃ! 行ってくる」
カーラは軽く手をあげ結界の向こうに足を踏み入れた。
「ふみゃっ」
そして奇妙な声を上げた。
「あれれれれ!?」
「カーラ様。なんか奇妙な声が聞こえたんですが」
何をしているのかと不審な声。
「ななな、何でも無いわよ」
カーラは盛んに首を振っておかしいなと呟いていた。
「まぁ・・・・・・良いわ。気のせいね」
ブツブツ独り言を唱え、勢い良く結界に足を踏み入れようとして「うぎゅっ!」と弾き飛ばされて転がってきた。
それもころころと三回転。
「あらま」
ヘリアが目をパチクリさせた。
そして、見事な開脚後転を決めたカーラは両足を高く上げたまま固まっていた。
※※
「と、言うわけで。今日こそは案内してもらうよ」
朝食を味わっていると、やたらと貫禄があるヤーレン子爵を連れてランディ皇子が現れた。ここに馴染んだのか、やたらとフレンドリーだ。
それを見ていたイネスは「いつまでもしつこいのぉ」とため息を吐いている。
「無理だって言ったじゃないですか! あそこは誰でも入れるわけじゃ無いんです」
「いやいや奥までは無理でも、行けるところまででかまわないよ」
どこまでもにこやかな皇子スマイルなんだけど。
まったく困ったもんだ。どうも皇子は精霊石の秘密が森にあると思ってるみたいだな。
「はぁー、まぁ良いですけど」
そう思った僕は諦めて案内する事にした。
もっとも森の入り口から殆どすぐくらいまでしか入れない。
女神の加護で安全とは言っても森の中、護衛の騎士を二人ほど連れて魔木が生い茂る森に入った。
ローザが手にバスケットを持っているって事は、時間的に昼食は森で取るのかな。
「そう言えば皇子って魔法を使えるんですか?」
ちょっと気になって聞いてみた。
元々が精霊魔法を使うエルフに対して、人族は属性魔術を使っている。
魔法と魔術、こう聞くとどう違うのかと思うけれど中身は全然違っているんだ。
ハーフエルフの僕が習っているのも精霊魔法だがさっぱり上達しない。もしかして属性魔術なら習得できるのではと思ったのだ。
「ん、魔法かい? 血統魔法が使えるよ」
軽く枝を杖で払いながら皇子はそう言った。
「血統魔法とは皇族に伝わる魔法のことでね。火風土水などの基本的な属性とは違って、ちょっと特殊な部類の魔法なんだ。発現に血統が関わるからそう呼ばれる」
「ふーん、凄そうな魔法ですね」
「いや、そうでも無いよ」
簡単に言うけど、僕なんかに教えて良いのですか。
皇子は脇が甘い? それとも僕が信用されてる?
けどこの人って、人並みじゃない空気を持っているからな。どことなく庶民には手の届かぬ雲上人というか能天気な人当たりの良さは見せ掛けで、中身はつかみどころが無い、いや・・・・・・得体の知れない人物だ。
そんな事を考えていると、森の奥から激しい音が聞こえた。
「ローザ!」
僕が叫ぶより早くローザが飛び出す。いや、イネスの方が早かった。
「皇子をお守りしろ!」
ヤーレン子爵は剣の柄に手を当てて辺りを見渡した。同行する騎士が両脇を素早く固め油断無くかまえた。
「皇子を頼みます!」
僕は後をヤーレン子爵に頼むと、森の奥に向かった。
ちゅど────んと、ドクロの煙が上がりそうな音をたてている。
侵入者!? 場所は結界の近くだ! 誰かが攻撃しているのか。
全力で走りながら僕は、でも誰が? と思った。
ここってローズウッドの森だよね。
ええと、女神に加護された森って。
「えぇえええええええ!!! 普通は魔法が使えないじゃん!!!!!」
そうなのだ。
森の中は女神に許可されたモノ以外は魔法が使えない。
その中で魔法を使う相手。
精霊? 悪魔? いや魔王とか。
魔王がこの世界にいるかどうかは知らないけれど、嫌な予感ばかりが頭に浮かぶ。
頼むから戦闘なんて止めてくれよと思いながら、魔木が立ち並ぶ中をショートカットして結界の前に飛び込む。
揺れるイネスのオレンジ色の髪が見えた。
※※
「もぉおおおおおお!!!! なんで! なんで! なのよぉおおおおおおおお!!!!!」
周囲から集められる精霊。渦を巻き凝縮されて炎を放つ。
「フレイムっ! いけぇえええええ!!!」
手の平から打ち出された炎の固まりは真っ直ぐに結界の壁へと突き刺さって。
「・・・・・・あれっ?」
想像していたとは違った風景に唖然とした。
結界の張られた空間は炎を空に逸らす。上級魔法を受け止めたのだ。
その周りではテーブルを囲んで「おぉおお! 見事じゃの」と手をたたくイネスと、頭を抱え込んだローザの姿が。
「またなの! ふふふふふ、上級でも通じないとは、舐められたものね」
しゃがみこんで何かぶつぶつと言ってる人が。
僕も頭を抱えたいよ。
何をしてるんですか。
「良し、分ったわ。これしか無いわね」
ぶつぶつと独り言を言いながら立ち上がると、杖で地面に何かを描きはじめる。
ときどき「うへっ」とか「ぐふふ」と聞こえるけど無視してそばに近づくと。
そこで、誰だか知らない人から渡された紙の束を丸めて頭に一発。
「最上級の魔法を受けてみなさい! 集え精霊よ、わが身の魔力を糧に、うぎゃっ!」
ぱこ──んと音がした。
「何をしてるんですか!」
「えっ、えっ!?」
頭を抑えて涙目で僕を見るこの人は、そうです僕のお母さんじゃないですか!?
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