第9話ロマリカの民という存在



 臨時に組まれた商隊は日が昇る前には村を出ていた。


 今日は難所を越えなければならないそうで、昼前には峠の手前に着きたいらしい。



 先頭を行くのは魔石を積んだ馬車が二台で、足が遅いがこの中では一番の商人だろう。


 その証拠に護衛を四人ほど連れていた。


 腰に吊るした剣の鞘が生々しかった。


 僕らは最後で間には二台の馬車が入っている。どちらも若い商人で一人は薬師さん。


 もう一人はなんだろう? なにをしている人か ちょっと分らない。時々僕らをじっと見てたりするんだけど。



 切り立つ岩山を越える前に曲がりくねった街道脇に馬車を停めた。馬を休ませ、ついでに僕らも早めの昼食を取るためだ。


 これは日に二食が普通の世界でも珍しい事では無い。旅の途中では次の食事がいつも取れると限らないからだったからだ。



 難所の手前には自然と人が集まっていた。安全を確保しなければ食事のしたくも満足に出来ないから自然と群れていく。


 この世界の旅とはそういうものである。



「少しこの先の情報を集めてくる」


 ギレアスは馬に水と塩を与えると、自分の食事も取らずに峠越えを終えた集団に向かった。


 ああ、手にしているのは酒か。





「あの人たちは何をしているの?」


 商隊とは違う一塊の集団を見つけた僕はローザに尋ねた。


「ロマリカの民でしょう」


 どこの難民? と言っても差支えがないくらい粗末な様子の集団は、イリアス大陸を流れ歩くロマリカの民だという。


 ロマリカの民は古い神を信仰していて、特定の所属する国を持たない彼らは教えに従い流浪しているみたいだ。


 難民と言うよりジプシーだな。


 忙しそうに動く連中は女性が多い。残りは年寄りと子供ばかりで男性の姿が見えない。


 何となしに炊飯の煙を眺めていたら、ふと気がついた。



 その集団の中から僕をじっと見つめる視線があるのだ。


 僕と一緒くらいの歳の・・・・・・きれいな女の子だ。



「気になりますか?」


「えっ!」


 ローザが何か複雑そうな顔をして僕を見ている。


「ロマリカの民の事をずっと見ていらしたので、興味がお有りなのかと思いまして」


「いや、別に」


 特に何かが気になったわけでは無いのでそう答えた。



 印象的な瞳と黒髪に一房の銀髪を持った少女は誰かに声を掛けられた様で、いつの間にか集団の中へと消えていった。




 ギレアスはまだ帰ってこない。


 薄く焼いたパンのような物に野菜と塩漬けのハムを挟んで昼食を取る。


 幸いにローザの魔法で火の心配が無い僕らは簡単にお茶も飲むことが出来た。


 旅をする上でこれはかなりの得だ。


 薪はかさばるから数は積めない。そこで普段は現地調達することになるのだけれど、しめった枝に火を付けるのに時間が掛かってしまうのだ。



 食後のお茶を楽しんでいると声が聞こえた。


「ちっ! 峠越えの前にロマリカに会うなんてツイてねえ!」


 そう言った男は下卑た笑いを浮かべている。


 ん? こいつはたしか、商人を護衛していた男たちだったはず。


 ツイて無いって、縁起が悪いって事か? いくら流浪の民だからって馬鹿にしすぎだろうと思った。



 けれど、少し腹を立てたところで勘違いしている事に気が付いた。


「ああ、あいつらを抱くには銅貨で安いしな」


「まったくだ。仕事が無けりゃここで野営でもして、しっぽりと楽しみたいところだぜ」「おいおい、どうせ後でたっぷりと楽しめるんだって! おっと! いけねえ! おい! 行くぞ」


 僕たちに聞こえているのを気付いたのか、罰の悪そうな態度で仲間に声を掛けた。


「へへへ、子供に聞かせる話じゃ無かったな。すまんすまん、気を悪くせんといてくれ」


 顔をしかめるローザを見て品の無い笑いを浮かべると悪びれず立ち去った。



 なるほど、要するに春を売っているということか。


 それにしてもローザを見る目つきは気に入らなかった。


 商隊の護衛で無かったら、正直旅の友としてはご遠慮したい連中だ。



「あいつら、ロマリカの民をなんだと思っておるのか! 穢れを払う為に苦労をしておるというのに!」


 イネスは今にも男たちに飛びかかろうとしている。どうやらロマリカの民に同情しているようにも見える。


 怒るイネスをなだめながら、あの少女もそうなのかと思ったら悲しくなった。





 出発直前に帰ってきたギレアスは荷物の中から槍を取り出すと刃先を確かめている。


「ここから先は、ちょっとだけ気を付けてくれ」などと珍しい事を言っている。


 ふむ、気を引き締めよう。


「ふふふ、なに! アレスに何かあれば我が守ってやろう」


 うんうん、確かにイネスの魔法は凄いもんな。


 それでも、ちみっこのイネスに言われるとイラッとするわ!


 もっとも、考えてみれば何かが出来るわけじゃない。だってローザもイネスも魔法なら僕以上なのだから。




 いつも軽口を叩いて余裕のギレアスが無口だ。時折、馬に鞭をくれながら馬車を進めていく。


「確かにこれは難所だ。ちょっと怖いかも」


 切り立った岩山は馬車のすれ違いが出来ないほど狭い。ところどころ崩れているのを見ても油断すると転げ落ちてしまいそうだ。



 そして、上から下りてくる馬車があれば、所々に設けられている待避所──すれ違える所まで──下がらなければならないと思う。



 これは怖い。



 どうか前から馬車が来ませんようにと祈りながら、人が歩くよりも遅い速度で隊列は進んで行った。



 後ろを振り返るとどうやらさっきのロマリカの民もついて来るようだった。



 集団の中の少女はローブを被りなおしながら笑っていたんだ。


 どんどんと登ると景色が変わってきた。


 植生の変化に気がつき、生まれて初めてみる世界に心が躍る。見るもの全てが新しく変化にとんでいて、新鮮な毎日は旅の疲れも感じないほどだ。



 切り立った北側とは違い緩やかな尾根に変わった事で、歩みの遅い隊列ながら日が傾きかける前には水場を備えた露営場所に着く事が出来たのだ。


 それでも人が歩く速度より遅いのは・・・・・・まぁ仕方が無いか。



「お疲れでしょう」


 ローザに声を掛けられるまで気が付かなかった。馬車のたびというのは結構身体にきたりする。


 凝り固まった身体をほぐすように伸びをしながらイネスと辺りを散策する事にした。



 忙しそうに働く人々、誰も彼もが今夜の準備に追われている。


 たぶん僕みたいにノンビリしている者はいないだろう。



 この旅も含めてだが、僕は驚くほどに物事を知らない事に気づいた。いや何も知ろうとしてない事に今更ながら気付いたのだ。



 学問については問題無い。


 五歳になって突然記憶が蘇ってから字や計算なんかは苦労した覚えが無かったからだ。


 もっとも、これは当たり前で違う世界とはいえ高校生までの記憶を持っているのだから、出来て当たり前とさえ思う。


 日本で受けた義務教育という物の凄さを感じるほどだ。



 けれど、誰もが知っているような知識──生きて行くために必要な知識──に目を向ければ無知もいい所なのだ。


 正直、誰かの助けを得なければ生きることもままならない。



 そんな事を考えながら歩いていると騒がしい声がする。



「悪いが井戸は使わせられねえ」


 どうも水場で騒ぎが起きているらしい。


 何人かの男たちとロマリカの民が揉めているみたいだ。


「そんな! 水場はここにしか無いんだ」


「あんたたちは悪いが後にしてくれ」


 いかにも荒くれ者と言った風貌の男たち。


 聞けば調理の水を汲み、汗を流した後、馬の世話をするまで待てと言っているのだ。


 露営で水の確保は最初にする事で、煮炊きをするのにも水がなければ何も出来ない。



「もうすぐ日が暮れるじゃないか! べつに横で水を汲んでも問題無いだろう?」


 水場は石で組まれてたっぷりと蓄えられている。もともと数人が使えるように作ってあるから邪魔になるような事も無いのに意地悪だな。



「うるせぇ! 俺たちはサーム教徒だ。ロマリカが使った水なんて使いたくないからな、へへへ」


 この男たちの言い分を聞いて猛烈に腹が立った。


 差別蔑視、民族対立など何処にでもある。


 正直に言って僕がどうこう出来る問題でも無いだろう。


 でもこれは僕の論理感では許せなかった。


 宗教が違うから水を使うな? ふざけるな!



 僕はロマリカのお姉さんが持つ手桶をひったくり「じゃ、僕はロマリカの民じゃないから問題ないですね?」と水を汲んだ。


 一瞬何がおきたかポカンとする連中を尻目にイネスが「うむ、道理じゃな」と別の手桶で汲み出した。


 それにローザからはローズウッドの当主として『民に公平であれ』と常々言われている。


 ロマリカは僕の民では無いけど、いざとなれば伝家の宝刀もあるし。なんとかなるだろう。



「さっ、次は誰の?」


 こういう時は勢いでさっさと終わらせてしまうに限る。


「ほらほらアレスが言っておろうぞ、早くしないと日が暮れて難儀するぞ」


 途端につぎつぎと差し出される入れ物に水を汲んでいると。



「ふ、ふざけるんじゃねー!」


 顔を真っ赤にした男達が叫び始めた。


「誰が! 汲んで良いと言った!」


 うん、どうやら怒ってるみたいだ。


 もっとも当てこすりで、最初から喧嘩を売ってるんだから当然だね。



「なんでしょうか?」


「てめえ! 俺たちの話を聞いて無かったのか!」


「ああ、ロマリカに対する嫌がらせですか?」


「なっ! なんだと!」


「僕達は、こんな理由も無い理不尽を見逃す気は無いので」


 となりでイネスがうんうんと頷いている。


「こっ! このヤロウ!」


 はぁ? 引っ込みが付かなくなったのか、今にも殴りだしそうな勢いだ。



 でもさ、周りに注意しないと。



「断っておきますが『ローズウッド』の名に誓ってロマリカの民を保護しますよ」



「うるせぇ! なにが! ローズウッドだ!」


 キレて僕に殴りかかろうとした瞬間。



「おい!」


 ギレアスがこぶしを振りぬいた。


 バカなやつだ。後ろに注意しないと駄目だよ。



 これが伝家の宝刀。



「どうも。喧嘩を売るなら買いますよ」


 ドヤ顔で言い切るけど、もちろん買うのはギレアスだ。


「まったく坊主ときたら、誰に似たのかね」


 まったく嫌そうに見えないのがギレアスらしくて笑ってしまう。


 あっというまに殴り飛ばして「手ごたえも無い。またつまらん者を殴ってしまった」なんて何処かで聞いたセリフで締めくくった。



 基本的にギレアスは他人の揉め事等に手を出すことは無い。今回でも最初から僕らの傍にいたのに危害を加えられるまで動こうとしなかったくらいだ。


 でも僕が保護と言った瞬間にロマリカの民への嫌がらせはギレアスの問題になるのだ。なぜならローズウッドが誓ったことは、必ず守られなければならないから。



 あれ? いやこの場合はどうなるの? 方便だよね? ・・・・・・。うん、でもギレアスは多分そうすると思う。




「まあ、ローズウッドが保護すると言った以上、今後はロマリカについては俺が相手になってやる」


 ほら、やっぱりだ。そう高らかに宣言した顔は嬉しそうだった。



 でもギレアス。どんだけ揉め事が好きなの?



「くくく、おい坊主。かまわんから、もう二つ三つ適当に喧嘩売って来い。血が騒いでしょうがない。」


 などとぶつぶつ言っているけど無視する事にしよう。





 日が落ちて僕たちの夕食は賑やかになった。


 僕の宣言を受けてロマリカの民が合流したのだ。


 いまはローザとイネスが食事を振舞っている。


 ローザいわく「アレス様が保護すると言いましたので」と嬉々として世話をしているのは何でだろう?


 ロマリカの民はみんなで固まって食事を楽しそうにしていた。


 口々に僕に感謝する言葉を受けて恥かしさが増す。



 理由は分っていた。


 僕の力では無いからだ。



 偉そうに言ったところでギレアスがいなければさっきの揉め事もどうなっていたか。



 僕は旅に出て守られていることを実感していた。


 今回の旅にしてもそうだ。


 わざわざスヴェアまで出掛けているのも、僕が作った精霊石──中身は使用済みの魔石──が引き起こした事が発端じゃ無いか。


 それを値段も決められない自分は、苦し紛れの時間稼ぎで旅に出ている。


 これでは駄目だ。ただ流されているだけだ。



 人族にもエルフからも仲間と認められないのかも知れないとか、隔離された不思議な生き物なのかも知れないなんて、この際置いておこう。



 イジケテばかりでは駄目なのだから。



 この世界の事を何も知らないって事は、知れば良いって事だ。


 そして明日からはもう少しこの世界の事を知って行こうと思った。

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