第7話:美桜と日和

 

「みおまたねー」

「ちひろ、部活がんばってねー。ばいばーい」

 

 朝方は元気がないように見えたが、体育の授業が楽しかったのか、給食が美味しかったのか、放課後に近づくにつれ元気を取り戻したちひろと別れて自分は図書室に向かう。

 

 最近、用事がないときは必ず来ている図書室の個人机は、読書用というよりはもっぱら勉強用に設置されているようで、利用者は受験を控える3年生がほとんど。

 1・2年生は、いつも同じようなメンバーだった。

 …………話したことないけど。

 

 今日はまだスペースに余裕があるようで安心した。

 

 席が決まっているわけではないけど、習慣のようにいつもの席に座る。

 暗黙の了解のようで、自分もいつもいる人が座っている席をなんとなく覚えており、そこには座らないようにしている。


 友達といるわけでもない。

 誰かと話するわけでもない。


 ただこのいつもの席が、自分の数少ない居場所だと感じている。

 

(さーてやるぞー!)

 

 不思議と前向きな気持ちになり、教科書、ノート、参考書、筆箱、スマホを並べ、イアホンをして勉強をスタートする。

 今日の数学でいまいちわからなかった部分があるので、まずは動画サイトで何か参考になる動画がないかを確認して、めぼしいものをピックアップすることから始めた。


 わかりやすい動画があったので、視聴後、イアホンを外して早速宿題にとりかかる。

 多分これでなんとかなるだろう。

 

 便利だなーと改めて思う。

 もちろん先生に聞くこともできるが、自分の担当の数学教師は恐ろしく説明が下手くそで「こんなところもわからいの?」というような雰囲気をひしひしと感じてしまうため、苦手だった。

 そもそも、うまく質問できる自信もない。

 

 さあ宿題やるぞ! と思っていた矢先……。


「あ、ここいいか……な」

 

 集中していたため、誰かが近づいてきたことにも気が付かず、話しかけられたのが自分だと気がつくまでに一瞬間が空いてしまった。

 

「あ、はぃ……」

 

 応答と共にそちらを向いた瞬間、思いもしなかった人物がそこにいて、声も体も、私のすべての機能が停止した。

 

(え……まずい。……どうしたら……えっと……)

 

 かろうじて生きていた頭で、必死に状況を整理しようとするが、いきなりのことだったので、まったく役に立たない。

 

(……っツ、何か喋らないと、何か…………普段このような時何を言うのか。何を、何を、えーっと)

 

「別に!」


 かろうじて出た言葉がこれだった。

 自分でも意味が分からない返事だったと思う。

 ただ、この時には本当にそれしか言葉がでなかった。

 

 今更、私の目の前にる生徒の名前が出てくる。

『青井 日和』がなぜここにいるのだろうか。

 

 学校の図書室は生徒みんなの場所なので誰でも自由に利用できる。

 当然、彼女にも利用する権利がある。

 ただ、自分の居場所に予想もしなかった人物がいきなり紛れこんできたことに焦ってしまい、結果、よくわからない返事をしてしまった。


(「別に」って、なんだそれ!)

 

 やっちゃった…………。

 今から「ダメ」って言おうか、いや、そんなこと言ったら完全に終わり。

 意味不明。

 私はそんなことをしたいんじゃない。

 

 てか、なんで今日に限ってここに来るの? しかもよりによって隣の席に!

 

 もしかしてたまたま? 青井にとって私の印象は良いわけないし、たまたま空いてた席に来たら隣に私がいたってこと? そんな偶然ある?

 

 あるからここにいるのか! そうかそうか、って、別に「座っていいか」なんて許可取る必要ないでしょ!

 いやいや、そうじゃない。

 親切心で許可をとったのか。

 そうかそうか。

 いまから謝ってみる?

 無理無理! 逆に謝るのも謎でしょ。

 ぶっちゃけありえない…………てか、青井、何、普通に座ってんの? ひょっとして、めちゃくや強メンタル?

 

 頭の中はぐちゃぐちゃ。

 わけがわからず、これはもう勉強どころではない。

 

(……………………帰ろう)


 ひっちゃかめちゃかになった脳内会議を強制終了させ、片付けをはじめる。

 色々限界だった。


 こっちが片付けを始めても、逃げるように、できるだけ静かに席を離れた時も、青井はこちらに気が付かない。

 気付かれてまた何か話しかけられないかとヒヤヒヤしたが、少し拍子抜けした。

 

 図書室を後にして玄関に向かう。

 まだ校内にはそこそこの生徒が残っているようで、吹奏楽部の金管楽器の音が聞こえるし、校庭では陸上部がそれぞれの種目の練習をしている声が聞こえる。

 ちひろを待つことも考えたが、部活が終わる時間まではまだ少しかかるし、特にやることもないので、おとなしく帰宅することにした。

 

 

「なんだかなぁー」


 家に帰り、自室に戻っても、頭から離れない。

 

  

 

 中学は別、高校でたまたま一緒のクラスになっただけの関係。


 それだけ。

 

 それだけなのに、なぜ私はそこまで彼女のことが嫌いなんだろ……。

 これまでそんなこと考えてもいなかった。

 

 私は友達が少ない。

 ただ、彼女は周りにはいつも誰かいる。

 だからそれを羨ましいと感じている?

 

 私はそもそも人付き合いがそこまで得意じゃないので、常に近くに誰かがいるのは正直、鬱陶しいのではないかと思う。

 

 私だって友達も少ないだけでいないわけじゃない。

 ちひろは、ずっと同じクラスだし友達だろう。

 うん。その他は……いな、いな?

 

 一人が好きなことは自覚してたが、ぼっちだったとは…………!

 クラスメイトとは簡単な挨拶はするし、これまであまりないが、遊びに誘われれば、内心渋々であるけどよっぽどのことがない限り行く。

 

 ただ、自分から誰かに積極的に話しかけることはないし、遊びに誘うこともない。

 そうか、いままでまったく気が付いていなかったのが不思議だけど、私、友達少いないのか!

 

 まぁ、それはいい(よくないけど)。

 

 青井の件だ。

 

 彼女は友達が多い。

 常に誰かがそばにいる。

 物腰も柔らかく、話し方もおっとりしている。

 ただ、何かを頑張っている様子はない。

 

 テスト前でも、勉強は最低限しかしていないという話をいつもしている。

 こっちは必死にやっているのに……。

 

 何かを真剣に取り組んでいる様子も、ない。

 彼女も帰宅部だ。

 成績は聞いたことはないが、悪くはないだろう。

 テスト返しの時や、順位が記載された用紙を配られた時などは、彼女の周りでワイワイやっているのを何度も見ている。

 

 青井の勉強があまり得意でない友達からは「日和はなんでそんなにいいんだよー。勉強していないって言ってたじゃん。くそー」と、悔しがられているし、勉強ができる友達からは「頭いいんだから、もっと頑張ればいいじゃん」といった話しが聞こえてくる。

 

 本人は「たまたまだし、そんなにがんばってもしょうがないから……」とか言っている。

 

「なにそれ?」

 

 もっと頑張ればもっと上にいけるのに、なぜやらないのだろう。

 なぜそんなにやらなくても、そこそこできるのだろう。

 

 八つ当たりなのはわかっているが、自分との差に我慢できず、より一層、彼女の行動から目が離せなくなってしまった。

 

(いいなー青井は。みんなから愛されて、居場所もたくさんあって)


 青井から目が離せなくなっているは認める。

 だって私はあの子が嫌いだから。

 


 

「いってきます」

「ご飯いらないの?」

「時間ないからいい」

 

 昨日は図書室から逃げるように帰り、家に帰ったあとも勉強は思うように捗らず、ご飯を食べている時も、お風呂に入っているときも、寝ようとした時も、青井のことばかり考えてしまい、結局寝つけたのは明け方になってからだった。

 

 そして、案の定寝坊。

 秋晴れの太陽が憎い。

 

 中学から若干遠くなったけど、高校も徒歩圏内。

 重い頭と冴えない顔で歩き出す。

 これも全部、青井が悪い。

 

(いいかげん切り替えないと本気でマズイ……)

 

 頭ではわかっているけど、気になり始めるとなかなか気持ちの切り替えが難しい性格で、しかも悪い方、悪い方に考えがちというオマケつき。

 今回もなんらかしらの答えや割り切りができない限り、このモヤモヤはしばらく続いてしまいそうだった。

 

「って、走らないと間に合わないじゃん!」

 

 こんな時、自転車があればいいのだけど、あいにく昔乗っていたものはブレーキが壊れていて、修理や買いかえの機会も逃してしまっている。

 基本帰宅部なので自転車はいらないし、どこか遠出をする予定もない。

 

 全盛期よりだいぶ体力は落ちたが、まだ、軽いランニング程度であればそこそこの距離を走ることができるし、学校までは徒歩20分。走れば10分もかからない。

 

「持久力だけが取り柄だった元ソフトテニス部員を舐めるなー!」

 

 誰に言うわけでもなくモヤモヤを振り切るように走り出した。


 

「おはよー」

「あ、みお、おはよー!」

 

 もう少しで学校というところで、思いがけなく昨日、私の唯一の友達認定をされたちひろが歩いていたので声をかけた。

 

「みお、なんで走ってるの?」

「学校遅れそうだったから……てか、ちひろは余裕だね!」

「この時間だったらまだ間に合うよ」

 

 ちひろは普段は余裕を持って学校にくるタイプたが、時たま、本当にギリギリな時間に登校してくる。

 今もなんだか余裕がある様子。

 ちひろも一緒ならなんとかなるかと、ジョギングでの登校を終了して並んで歩く。

 

「ちひろ、今日はギリギリじゃん。なにかあったの?」

「えーっっと……ヒミツ?」

 

 なぜ疑問系?

 全くわからなかったけど、別にそこまで興味があるわけでもないので黙って……。

 

(ダメだダメだ。こんなんだから友達が少ないんだ)

 

 信号がちょうど赤になったので、立ち止まりちひろの方を向く。

 

「何で秘密なの?教えてよ」

「えー、みお口堅いっけ?」

「か、堅いよ堅い、ちひろの秘密を教える友達もいないし……」

 

 言っていて悲しくなったので、後半は小声になってしまう。

 

「そっかー」

 

(ナチュラルにひどいな、こいつ)

 

 私の口が堅いということに同意したのか、私に友達がいないということに同意したのか、もしかして両方?

 どちらかわからないけど、ネガティブに考えがちな性格は本当に嫌になる。

 やはり無理はするものじゃないな。と後悔していると、キキーっというブレーキ音とともに隣に自転車が止まった。

 

「あ、あおい! おはよー!」


 いきなりちひろが隣で挨拶をしたので、ビクッとして私も自転車に乗っている人の方に視線を送る。

 

「おふぁよー。寝坊しちゃった」

 

 眠そうな声で青井があくびまじりに挨拶を返する。

 

(マジか! どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう。気まずい、なんて言えば……)

 

「風間さんもおはよー。昨日はありがとねー」

 

「っツ――」

 

 先手を取られた。しかも昨日のことを話題に出すな!

 

「え、みお、あおいと昨日何かあったの?」

 

(どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう)

 

「ねーねーみお、何があったのー?ねーねー」

 

 好奇心モンスターが興味津々で話しかけくる。もうだめだ……。

 

「お、お、おはようございますっ」

 

 とりあえず挨拶を返したが、また悪態をつかれると予想していのだろうか、まさか私から挨拶を返されるとは思っていなかったらしく、青井が大きく目を見開いてこっちを見ていた。

 

(そんなに私が挨拶返すのがおかしいのかっ!)

 

 もはや指摘されるまでもなく、顔まで真っ赤で変な汗までかいている。

 

「ふふ、なんで敬語なの」

 

 びっくりのあとは、同級生にもかかわらず、敬語で挨拶されたことが可笑しいらしく、笑いまじりで返された。

 

(そんなのこっちが聞きたいよ!このあとどうしよう……気まずい、気まずい……)

 

 この世の終わりが来たと思っていたが、信号が赤から青にかわり「お先にー」という声とともに、自転車で青井は行ってしまった。

 

「はぁぁぁぁぁ〜〜」

 

 誰に隠すことなく、特大のため息が出る。疑いなく安堵のため息だ……。

 

「あおいまたね〜」

 

 ちひろの問いかけに、青は振り返ることなく手をヒラヒラと返す。

 

(余裕な感じがムカつく!)

 

「で、みお!あおいと何があったの?」

「えっと……秘密」

「えー! けちーー」

 

 頬を膨らませて抗議するちひろ。ただ、昨日の出来事を赤裸々に話すわけにはいかない。こっちは、昨日からそのことで眠れないほどにモンモンとしてる。

 

「ほら、遅れるよ!」

「はぐらかすな〜!」

 

 いよいよ遅れそうなので、ちひろに声をかけて歩き出す。


 朝からすごく疲れた。やっぱり私は……。

 

(私は青井 日和が嫌い……なのかな?)



 

「づがれだーーーーー」

 

 放課後、図書館のいつもの席に着席するなり、声が漏れる。

 

 今日は朝から最悪だったけど、そのあとも散々だった。

 

 ちひろは相変わらず何があったかしつこく質問してくるし(あのテンションで「ねーねー」と話しかけられる声が頭から離れない。

 このままじゃ夢にまで出てきそうだ。勘弁してほしい)

 そして、青井 日和!

 廊下ではぶつかりそうになるし、体育では危うくペアになりそうだったし(「ねーねー」攻撃を受けることがわかっていたが、ちひろとペアを組んで全力回避した)、おかげで一日中青井のことが頭から離れず、うっかり廊下で会うことも避けたかったので、より意識して彼女を目で追ってしまった。

 

(相変わらず友達いっぱいいるなー)

 

 相変わらず青井は、入れ替わり立ち代わり友達から話しかけられている。

 朝、時間がなくてコンビニでお昼ご飯を買うことができなかったので、学校の食堂に行った時も、彼女は他クラスを含む友達と楽しそうに食事をしていた。


 友達付き合いの良さなのか、よっぽど好かれる何かがあるのか私には分からないけど…………。

 


 

 放課後、いつものように図書室に来たが、うまく勉強に集中できない。

 友達が少ないことが明確になってしまった私は、正直少しうらやましいと感じている。

 ただ、もし私が青井だったら、常に誰かといるのは疲れてしまう。うんざりする。

 

 ただ、やっぱり友達との距離感が何かおかしい。

 あまり自分から友達に話題を振ることがないし、基本的に誰かが話しかけてそれに応えるだけ。

 他の人が話している間は、基本的にだまって相槌を返す程度。

 

「謎なんだよなー。なぞなぞ〜」

 

 謎な歌を歌っている場合じゃない。

 勉強がヤバいのだ。

 集中、集中!

 

「あの〜。ここいいですか〜」

「ひゃっっ!」

 

 変な声が漏れた。人間、本当にびっくりした時は、マジで飛び上がるのだとわかった。

 わかりたくなかった……

 

(こいつ、完全に楽しんでるな)

 

 青井は少し前傾姿勢で、覗き込むような仕草で問いかけてくる。

 からかっているのを隠そうともしていない。

 

「どーぞ」

 

 澄ました声と仕草で応えられたと思う。

 いつまでもキョドキョドした態度ではいられないのだ。

 私だってやる時はやる。

 少し胸を張って、ドヤ顔になっていたかもしれない。

 

 目を閉じながら答えたので、閉じた目を開くと、青井が声を出さずに爆笑していた。

 

(そーかそーか。いいかげんやっちまうか)


 ここが図書館だという分別ふんべつはあるようで、声にだしては笑わないものの、明らかに爆笑している。

 

 先ほどまでの余裕はどこへやら、たちまち自分の顔が赤くなっていくのを感じる。

 

「な、なにがそんなにおかしいんですかっ?」

 

 これはうまく聞けただろうか。

 

「は~、ごめんごめん。ありがと」

 

 笑いすぎて涙目になった目をこすりながら、青井が応える。

 

「で、何がそんなにおかしいんですか!」

 

 もはやムキになって聞く。

 どうなったっていい。

 

「だって、また敬語。私とあなた。同級生。風間さん。」

 

 自分と私を交互に指差して、そんなことを言う。

 

「同級生だからって、敬語で話しちゃいけない理由はないじゃないですか……ないでしょ?」

「確かにねー。でも、そんな人いなかったから新鮮なんだよねー。東京とかのお嬢様学校だと違うのかな。ごきげんよう。とか?」

 

 自分で言って、それもツボにハマったのか、また声にならない声で笑っている。

 

「そ、そんなこと知らないですよ。あなた、おかしいんじゃない?」

「確かにそうかもねー」

「あ、ここ座るね。いやーどーもどーも」

 

 着席した青井は、何事もなかったかのように座って小説を取り出した。

 

「勉強しないの?」

 

 これは自然に声が出た。

 

「あぁ、これ?続きが気になっちゃって」

 

 ブックカバーがかかっているので、何の小説かはわからない。

 

「別にここじゃなくも読めるし、わざわざ私の隣で読まなくてもいいんじゃない?」

「いやー最近、ここ気に入っちゃって。勉強もはかどったし……だめ?」

「だめ…………じゃない。そもそもそれを私は決める権利ないし」

「そっか、どーも」

 

 そう言うと、早速手にした小説を開いた。会話はもう終わりらしい。


 昨日は気になりすぎて帰っちゃったし、その後も勉強どころじゃなかった。流石に今日もそれではまずい。

 ガマンガマン…………集中。

 今日もドギマギしてしまうかとかと思ったら、自然と勉強に集中できた。

 もしかすると青井が隣にいるせいかもしれない。



 気がつけば、下校時刻まであと15分ほどで図書室にいる生徒もまばらになってきていた。

 

 隣の青井がまだ帰宅していないことは知っている。

 帰り支度をしていれば流石に気がつくし…………。

 ふと、伸びをするついでに隣に目をやると、青井が小説を手に大粒の涙をこぼして泣いていた。

 

「なっ、泣いてる?」

「あ、ごめんごめん。結構感動的な内容で泣いちゃった。みっともないところを見られた! めんごめんご」

「いや別に、謝ることじゃないけど……」

 

 あまりのことにびっくりして、思わず声をかけてしまった。


(涙を流す…………か…………)

 

 私は小説はおろか、最近テレビもまともに見ていないので、よく考えれば、泣くことはおろか本気で笑ったこともいつだったか思い出せない。

 

 青井は照れ隠しのように謝りつつ、涙を拭っていた。

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