酔っ払いと酒
窓から差し込んだ暖かな陽の光でパチリと目を覚ます。まだぼやけたままの目を擦りながら、体を起こした。目覚まし時計の針を確認すると6と7の間を指していた。
「まだ6時半か、眠いな……」
重い体を引きずって、湯川が昨日眠りについたリビングへと向かった。湯川曰く、意外とあいつは朝に弱いタイプらしい。毎回ギリギリで間に合っているので遅刻自体はあまりしないそうだが……
その話からまだすやすやとソファーで眠っているのと思ったのだが、リビングの扉を開けると既にソファーはもぬけの殻だった。
キョロキョロと軽く辺りを見回してみると、昨日無造作に床に置かれていた鞄も無くなっていた。
「帰ったのか? あいつ……なんか用事でもあったのかね」
あいつの性格的に、何も言わずにささっと一人で帰るのは違和感があるが……
まあ、急用でもできたのだろう。僕はそう結論づけて、さっさと朝支度に取り掛かることにした。
しかし、また何かが引っかかってピタリと動きを止める。洗面所に向かおうとした足をもう一度リビングへと向け、誰もいなくなったソファーを見る。
「何か、忘れてるような……?」
そんな思いは、すぐに朝の陽光に焼かれて消えていった。
────────
さて、散々中学時代に毎日図書館へと押しかけてだる絡みをしていた湯川だが、大学では形こそ変わったものの、結局本質は変わらず同じようなことが続いている。
まず、大学に入ってから僕はそこまで本を読まなくなった。まあ、理由は色々あるのだが、一番は中高ずっと読書をしていたおかげで純粋に読書に対する熱が大分落ち着いたせいだ。
まあ、もちろん休日に一冊読むぐらいはしているのだが、中高のように放課後も図書室で読み耽るようなことがなくなった。
その結果湯川との交流は、図書室でのだる絡みから、強制的な一緒の昼食へと進化を遂げた。進化論もびっくりのヘンテコな変化である。
そして、これに加えて今日からは家への突撃が加わったことで、結果的に湯川との交流の時間は倍増レベルとなること間違いなしだ。かくもこの世は無情である。
しかし、湯川は僕もこればかりは認めざるを得ないぐらいには普通に美少女であるため、周りからはこれが非常に羨ましいものに見えるらしい。
「いいご身分だよな〜? リア充様はさぁ〜?」
そのうちの一人が、隣の席に座りながら怨嗟の声を撒き散らしている、ギザギザ金髪頭で、首には変なドクロのアクセサリーを身につけている男──
「リア充ねぇ……リアルが充実してるって意味なら、まあそれなりだとは思うけど」
「あぁん!? あの湯川さんと毎日昼食を共にしておきながら、それなりだと? なんて贅沢な野郎なんだ……」
「あの湯川さんって……」
迫真の表情で叫ぶオダナガに思わず面食らう。まだ大学に入って大して経ってないというのに、もう噂になっていたのだろうか……
「どうせこれから今日も湯川さんと昼食に行くんじゃねえのかぁ? だか、俺の目の黒いうちはそんなことは──」
「かーなーたーくーんー?」
なぜか少しだけ苛立ちが混じった声が聞こえて、後ろから首へ抱き締めるように手が回された。ふにゃりと、後頭部にやわらかい感触が伝わる。……どうやらお出ましのようだ。
「公共の場で人に抱きつくんじゃない」
「奏多くんがこんな可愛い女の子との約束を忘れてるからでしょー?」
「別に忘れていたわけじゃ──」
「んーー? 何か言ったかなあ?」
「……ナニモイッテナイデス」
何か湯川の機嫌が悪いんだが……いつもこいつが怒る原因は皆目見当がつかない。こういう時は大人しく嵐が過ぎるのを待つのが一番だ。
「コロッ、コロス……ヒナタ、コロスゼッタイ。マッサツ……リアジュウ、ボクメツ」
何か隣で人を殺すようプログラムされた悲しき機械みたいになっている奴もいるけどこれは無視しよう。
だが、こいつの言うリア充がいわゆる彼女彼氏のことを言っているのなら……それは的外れとしか言いようがない。
何故ならば、恋愛感情の有無に関しては既に湯川に確認済みであるからだ。正直、あそこまで無理に僕につき纏ってきているということはコイツ僕に惚れてるんじゃね? と思ったことは一度ではなかった。まあ、その度現状を客観視してそんな訳がないと確認していたのだが、一度好奇心に耐えられず聞いてしまったことがある。
結果についてはお察しで、ふつうーにないと言われて。それなりに他人の言っていることの真偽や感情について鋭かった僕はそれが本心から出た言葉なんだろうなと分かってしまって。まあそりゃそうかと納得して終わった。
あくまで中学三年生の時の話ではあるが、そもそも高校時代は転校して学校が別になったから関わる機会も減っていたし、大学に入ってからのこの短い時間で何かが変わるとも思えない。となると、それは今も変わってないのだろう。
……それで、これは認めたくない話なのだが。
恐らく、いつかは湯川も大学で誰かに恋して、彼氏を作る時が来るのだろう。まあ先ほども話した通り湯川は引く手数多だ、一人ぐらいはお目に叶う奴がいるだろう。
となると、この憎たらしい関係は終わりを告げるわけで……
まあ、そのアレだ。非常に癪ではあるが、この関係が終わってしまうのが、ほんの少しだけ……寂しいような。
「おーい? どうしたの?」
ぼーっと湯川の事をじっと見つけて黙り込んでしまった僕に、少しだけ心配の色が混じった声がかかる。
「いや、何でもない。ただ、終わり良ければ全て良しだよなって思ってただけだ」
だから、その時が来た時は笑って見送るべきなのだろう。
「……どういうこと? ほ、本当に大丈夫? 読書のしすぎで頭変になっちゃったんじゃ……」
それはそれとして一発殴っとくか。
───────
それは、大学の課題を終わらせた後の帰り道のことだった。もう空は既に黒く染まっていたが、湯川に今日は家に来ないと約束させた安心と共に、自宅に向かっていた時のこと。
なんか変なのがいる。
僕が借りている『はいおく荘』──正直こんな名前をつけたやつの気が知れないが──の2階にある端の一室にたどり着くためには必ず通らなければいけない通路で、ドアにもたれかかって座って泣いている一人の女性を見つけた時の感想は、そんな物だった。
露出が多い服というわけでも無いのに着崩しているせいで、夜の空気にさらされている肌。そして両耳に一つずつ付いているピアス。身だしなみに関しても、泣いているという状況を考慮してもクシャクシャになった髪にダルダルの服からして良いということはまず無い。
そして何よりも、彼女のすぐ横に置かれている開封済みの発泡酒。
……さっきの発言は撤回したほうがいいかもしれない。変なやつというよりヤバいやつである。
引っ越した時に挨拶に行った時はあんなふうに見えなかったのに……あんなのが隣人なんて全く運がない。
さっさとスルーして自分の家に帰ろう。
酔っ払いの相手ほど面倒臭いものはないと言う、妙に説得力のある母の教えに従って、静かに彼女の前を通り過ぎようとした瞬間──
ぬるっと横から伸びてきた腕が、僕のふくらはぎをがっしりと掴んだ。突然片足に力が加わったことで、思わず転びそうになるが何とか耐える。
「な、何ですか……」
「なぁんですかあじゃあないよ〜僕と君の仲じゃあないか〜、あんなことやそんな事しといてさぁ。それで泣いている僕を無視しようなんて薄情な〜」
「いや、一回挨拶に行っただけですよね!?」
陰 キ ャ は に げ だ し た!
し か し 、 ま わ り こ ま れ て し ま っ た!
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