第10話 始まりの追憶 6
最初にけたたましい鐘の音が街の至る所で響いた。
次いで結界が破られた。魔物を退ける最も重要な結界を突破する……つまりそれほどの、過去に無い強大な魔物の襲撃。
結界を破ったドラゴンらしき姿をした魔物は、その勢いのまま街の中央へ。結界の心臓たる魔道具ごと破壊の限りを尽くす。もう結界は再起動出来ない。
そして大量の魔物が街の壁を壊し雪崩れ込んだ。
運良く街の門の近くに居て、更に運良く戦いを搔い潜って、小さく弱いが結界に護られた魔動車で早々に逃げ出せた人はまさしく幸運だ。
車の結界は強力ではないが、突破出来る魔物が複数居るとは思えない。
結界の上から車を横転させられたりしなければ、なんとか逃げ果せただろう。
不幸だったのは、街の中央付近に居た者。大切な人を、もしくは他人を見捨てられず残った者。逃げるには間に合わず戦火に巻き込まれた者。
そうして襲撃から大した時間も経たない間に、安全だった筈の街は地獄へ変わった。
周囲を、街の被害を考える余裕など誰一人無い。
幸せだった筈の家を魔物ごと攻撃する。手遅れに見える者を切り捨てる。手負いの味方ごと焼き払う。
混乱と恐怖、絶望の坩堝。
他人を蹴落とし利用してでも逃げようとする者が居る。子を護って無惨に息絶える者が居る。無謀にも戦い挑み潰される者が居る。戦いの流れ弾で吹き飛ぶ者が居る。
放心した者は次の瞬間には消えている。
ただ目の前の敵に向けた魔法も、近くの者同士の魔法が干渉し合い予想外の被害へと変わる。
氷や石が生えて地形が変わり、雷が辺りを感電させ、火は風に煽られ街が燃える。
勇みよく切り込めば、後ろから味方の攻撃が飛んでくる。
全ての者がそうとは言わないが……連携など、意思疎通など、そんな余裕すら無い。
人が減るほどに多少なりとも危険も減るのは何の皮肉か。
それでも皆必死に生き残ろうと、戦おうと動き続ける。
最早この世とは思いたくない、阿鼻叫喚の地獄の中で……
こんなことになるなんて思わなかった。
こんな悲劇なんて想像もしなかった。
前世とは根本的に違うんだと痛感した。
不思議なことに溢れて、楽しくて、幸せで、皆笑ってたのに。
曖昧な知識だけで、具体的に知らなかっただけで、体感していないだけで。少なくとも自分の周りでは見ていなかっただけで。
大人達が守ってくれていた。ここは安全だって思い込んでた。
いや、きっと私だけじゃない。皆安全だと思ってた。誰も予想しなかった。
そういうものだと思ってたんだ。
崩れた家。燃える街。
耳を通り過ぎる悲鳴。必死に戦う人達。襲う魔物。響く雄たけび。
吹き飛ばされて踏み潰されて食い千切られて……殺し殺され、地獄のような光景。
途中まで両親と一緒にいたが、お父さんは他の人達と少し離れたところで戦っている。
お母さんは私を比較的安全な所――家の中へ押し込め、周囲で戦い守ってくれている。
こんなことが起こるなんて。
経験してないのにどこか知ったつもりになっていた魔物の恐怖。筆舌に尽くし難い周りの状況。
外よりマシなだけで、家の中だろうと安全じゃないと言うのに。何をしていいのか、何をするべきなのか分からない。
震える体を抱きしめて泣きそうになりながら、纏まらない思考のまま蹲る。
ゾクリ――と、言い様のない感覚が背中を走る。
振り返った窓の外。最初に見た空の……轟音と共に黒い大きな物が見えた。
慣れ親しんだ……崩れた家の中で、目の前の恐怖から少しでも逃げるように這いずる。
巨大な狼のような魔物――さっき家を吹き飛ばしたのとは別の魔物だ。
瓦礫にやられたのか何なのか脚が動かない。崩れた時に体中傷だらけだ。
近いのか遠いのか……お母さんの呼ぶ声がする。
恐怖、混乱、痛み。
身を護る為の、こういう時こそ使うべき障壁すら忘れ……腕だけで這う私の背に突き立てられる爪。漏れ出る悲鳴。迫る絶望の口が開く。
死にたくない。まだ生きたい。せっかく生まれ変わったのに、こんな悲劇で終わりたくない。でも――
風。突風。暗い暗い絶望が吹き飛んだ。
「シア!」
私の名前を叫びながら、必死な顔で走ってくる。
「……お母、さんっ……」
溢れる涙を抑えることも出来ず抱かれたまましがみつく。
「この街はもうダメ……厳しい事だけど、今動ける人だけを護りながら逃げるわよ」
私を温かい治癒の光に包み、血と泥に塗れた、美しい顔を歪ませながら言う。
「皆戦いながら北門の方へ向かってる。他の門はもう崩れて車も残って無いみたい」
私の背中と脚の治療は時間がかかりそうで、ある程度で止めて移動することにしたようだ。
私を抱えたまま走り出す。治療の為でもじっとしていられない。
さっきの魔物は吹き飛ばしただけだし、他にもまだまだ沢山居るんだ。
「魔動車なら結界があるし、外に出たところで安全にはならないけど……少なくともここで戦い続けるよりは生き残れる可能性がある」
街を捨てて逃げるのはもう仕方ない。
知り合いも友達もどうなってしまったか分からないし、想像したくもないけど……家族が居ればまだ……いや、お父さんがまだどこかで戦っている筈だ。
北門を目指すにしてもまずはお父さんと合流しないと……
「お父さん……は……?」
「っ――」
答えは無かった。
安否が分からないだけなら口を噤む必要は無い。きっとそういう事だ。
なんてことだ……私はまた親を……もはや感情がごちゃ混ぜすぎて、逆に落ち着いているくらいだ。
幸せで楽しくて満ち足りた2度目の人生だったはずなのに、どうして――
そんな思考は轟音と残骸と共に吹っ飛ぶ。真っ黒な絶望が戻ってきた。
いや、更に増えている。今度は巨大な熊のような魔物。
私を抱えたお母さんの背後に追いすがるそれらは、あっという間に距離を詰めてくる。
巻き起こる風。
衝撃破を伴うそれはまたもや狼のような魔物を退けるも、もう1匹は未だ迫り人など簡単に引き裂くだろう爪を――
また風が吹いた。恐ろしく鋭い風の刃で、振りかぶられた腕を切り落とす。
だけど痛みなんて無いのか、あってもお構いなしに殺意のままに動くのか……ほんの一瞬怯んだだけで、残った片腕を振るう。
反撃を諦め魔力障壁で防ぐ――いや防ぎきれない。
強烈な一撃で障壁を突破されてしまうけど、威力は和らげた。それでも大きな爪と腕で勢いのまま2人一緒に地面に転がされる。
転がりながらも反撃。今度は腕だけじゃなく、いくつにも別れ落ちていく。
長期間を空けて急な全力での戦闘。お母さんは酷く疲労して、もう魔力もかなり少なくなってるんだ。最も大事な護りさえ弱まる程に……
しかも抱えた私を護る為に、お母さんは攻撃を背中で受けて血が溢れている。
そして吹き飛ばされた先の1体が、再度追いつく。
私を食い損ね、2回もやられた事に激怒でもしているのか……今までにない速さで、地面に転がった私達を襲う。
お母さんの障壁はさっき打ち砕かれ消えた。
もう一度障壁を作り出すまではどうしても多少の間が出来てしまう。
間に合わない。
きっと数秒後に私たちは、そこらに転がるモノのうちの1つになるか……奴の腹の中だ。
なら私が――やるしかない。
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