第58話 何かが飽和する街

 エイルアースが報告書を書き終えて、3日が経った。

 その間にヴェノムたちは何軒かの貴族の家を回り、エイルアースもスラム街を調べたが、特に違法な奴隷は見当たらなかった。

 街で聞いても、


「最近は明らかにヤバい奴隷が減った」

「少し前にスラム街で騒動があって、奴隷が大量に保護された。超☆会議もあって、きっと帝国議会が治安維持のために手を入れたのだろう」


 という評判が日に日に集まるだけ。

 そしてヴェノムたちが泊まったホテルに、


『【チャンピオンバース】における、【決闘】の日付と時刻がきまりました。ルールは試合前までに係員、または本部まで双方の合意のもとお伝え下さい。指定がない場合、【何でもあり】となります』


 という手紙が来た。そして書かれている時刻は明日の、5試合目。

 ――その日の、メインイベントのタイミングだった。


「結局、何もありませんでしたね」

「まあ空振りもあるさ、ガンビットもスラム街を見て回るらしいけど、アイツが心配してるようなことは何もなかったよ」


 元々はガンビットの新しい仲間、クーラを悪徳奴隷商人から助けたことで帝都がさらに混乱していないか調べたいという話だったが、どうやら問題は無かったようだ。


「何よりだな、そもそも帝国法が機能していれば、ガンビット殿の言ったようなことは起こらない。悪はいつまでも栄えないということだな、ワハハ」


 上機嫌にスカーレットも言うが、そこに否定材料はなにもなかった。


「となると、明日の決闘ってどうしますか? ヴェノムさん」

「どうって……ええと確か……」


 ガサガサと紙を広げれば、先程の知らせの紙にルールが書かれている。


「うん、やっぱ【何でもあり】ならアイテムの使用も自由らしいな。で、もちろん殺しは禁止、と。

 明日になればあの闘技場の近くに市場が立つらしいから、そこで薬草くらい買えるだろ。持ってきた薬草もあるし、盗賊たちからぶんどったのもあるし」

「……勝ちたい、ですか?」

「いや別に? 負けてもソマリ氏に金払うだけだし、八百長貴族様の被害者を倒してもスッキリしねぇよ。引き分けにするのがベストかなー」

「私もそう思う。ここ数日、この国の貴族を見て回ったが……どいつもこいつもフヌケばかりだ。特にジャック達を倒せと、彼らの事情を知りながら言うのは何なんだ! いくら何でも外道がそろいすぎている!」


 ジャックが明らかな八百長試合で没落したのは、他の貴族も気づいている言い回しだった。

 しかしそれに続く言葉は、『騙される方が悪い』、『真の強者はそんなものに負けない』、『没落してもまた這い上がれば良い』などと、まるで負けた側が悪く、八百長試合には敢えて触れない言い回しばかり。少なからずヴェノム達も腹は立ったが、それは態度に出さずに違法奴隷探しを済ませて行った。


「八百長など、戦うものの誇りを汚す行為だ! そのことに一人くらいいかれ、権力の犬どもめが!」

「……正直、腹は立ちましたよね。ジャックさんたちが可哀想で……」

「まぁでも……配信者やってりゃ、いつかは報われるんじゃないかな」


 怒りと悲しみをあらわにする2名を見て、ヴェノムは言った。


「えっ」

「報われる……ですか?」

「腐った果実は、腐った部分を切り落としても元には戻らないんだよ。俺はギルドに恨みも何もないけど、だからってギルドには戻らない。

 だからあいつらも内心、そうなんじゃないかな。あいつらが今更、貴族に戻るとは思えなかった。でもそういうもんなんだよアレは」

「ヴェノムさん……」

「……ま、それも生き方だろう。しかし勧善懲悪と言うなら、あの誇りを忘れた貴族どもはどうにかしてやりたい!」

「ははは、そんな……」


 ――その瞬間、ひゅう、と冷たい風が吹いたような不安が、ヴェノムを襲った。


「……ん? どうしたヴェノム」

「いや……良いんだ。どうせ今日は……」

「ヴェノムさん?」

「すまん、何でも無い。ただこれからちょっとした調合をするから、先に寝ててくれないか?」

「構わないが……いつも通り私のベッドで扉を塞ぐからな。忘れてもらっては困るが私はお前たちの護衛だぞ」

「分かってる分かってる」


 そしてヴェノムが何やら薬草の調合をして、その日は全員が明日に備えて眠りについた。しかし深夜にむくりと起きたその影が、ヴェノムのベッドに近づいて、


「……起きよ、ヴェノム」


 馬乗りになって、白い髪をなびかせながら言った。


「久しぶりだな……マサラ。スカーレットは?」

「寝かせた。依代のフリをして薬を飲ませてな。もちろん依代も意識はない」

「そうかい。で?」

「話がある。聞け」


 月明かりが差し込むホテルの一室に、マサラの声以外の音はない。


「なぁお主らに、この街は……まともに見えるか?」

「……うん?」

「手短に言うぞ。この街の、魔力の流れがおかしい」

「おかしい、って……」

「上手く言えんが、こう……細い糸のように、あちこちに漂っておる」

「……なんだそれ、ただの『飽和』じゃねぇか」

「ほうわ?」

「魔力の濃度が濃いとたまにあるんだよ……そう言えばお前古い悪魔だったな、だから知らないのか」

「ま、まあそうなるな」

「?」


 割りと失礼なことを言ったつもりだったが、以外にもマサラはすぐ認めた。


「知れておる現象なら良い。大方、配信ばかりで街に魔珠が溢れておるからじゃろうな」

「だと思うよ。明日からは祭りだろ?どうせどんどん消費されるよ」

「そうか、ならば良い……それだけじゃ。すまなんだな」

「ん? いや、まぁ……うん、良いや。もう寝ろよ。俺も寝るから」

「ああ。ではな」


 そう言って、マサラは窓の外の月に目を向けた。

 その様子を少し不思議がったが、眠さもあってヴェノムはまた布団を被る。


「……これが、知れておるのか。わからんもんよの」


 窓の外をマサラの目で見ると、星明かりよりも明るく光る魔力の『糸』が、街中を覆い尽くさんばかりにたゆたっていた。

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