第56話
翌朝、俺はいつもより少し早めに学校に到着した。お行儀よくチャリを押しながら、校舎へ向かう。
前回の停学明けのときも思ったが、久しぶりだと変な緊張感がある。
俺といえば立て続けにそこそこの騒ぎを起こした身だ。噂が回り回って、それなりの有名人になっているかもしれない。
そんな人間が久方ぶりに姿を現せば、いっせいに後ろゆびさされるのではないか? 黄色い声援を浴びるのではないか? ファンレターもらうのではないか?
などと様々に思いを巡らせつつ、例によって何事もないまま下駄箱までやってきた。
残念ながら現実は思ったより塩対応なのはわかりきったことだ。
下駄箱の扉を開けると、足元にぽとりとなにかが落ちた。
俺は戦慄する。
もしかしてこれは……いわゆるラブレター的ななにかかもしれない。
いわゆる悪名は無名に勝るというやつで、頭のおかしいやつに頭のおかしいファンがつく、というのは実際あるのかも。
落ちた物体を拾い上げる。
手に取ったのはゴムが入っている箱だった。薄さは0.01ミリらしい。
箱にビニールがかかっていて、新品の未開封のようだ。
他に手紙らしきものは見当たらなかった。俺はゴムの箱を下駄箱の中に戻した。なにも見なかったことにして上履きを取り出し、扉を閉めた。
かかとのない上履きを床に落とそうとする間際、針のようなものが一瞬光ったのが見えた。上履きを裏返す。
「あらら」
底から画鋲が刺さっていた。左右の上履きのど真ん中に一本ずつ。針の先が表から頭を出している。
よほど気がそれてないかぎり、これを踏みつけることはないだろう。普通は履く前に気づく。
本気で怪我をさせてやろう、という意図はなさそうだ。それにしてもずいぶん古典的な手法を使う。
俺は画鋲を抜き取ると、正面つきあたりの掲示板にぶっ刺して、教室に向かった。
「ナイト~課題手伝ってくれよ~~」
教室の自分の席につくなり、半泣きのスマ彦がプリントの束を持ってやってきた。
課題とは停学中に出された課題のことだ。
昨日学校に呼ばれたときに、このアホはほとんど手を付けずに「こんなの終わるわけないじゃないっすか、半端ない量じゃないっすかこれ~」と田波に冗談交じりの口調でいったら、「……は?」と真顔で返されたらしい。
「あの目絶対人◯してるよ~」
「だからなめないほうがいいっていっただろ」
勝手に人の机にプリントをのっけてくる。
俺は使いそうな教科書類はきっちり持ち帰ったので、カバンが重い。中身を取り出して机の中に入れようとすると、奥からお菓子のゴミだとか空の弁当トレーなんかが出てきた。
「なんだよこれめっちゃゴミ入ってんだけど。俺の机ゴミ箱かよ」
さらに『消防士募集中!』と書かれたチラシが数枚入っている。また消火器をぶちまけたおかげか、消防士だとかって陰でいじられているらしい。
以前の騎士ガン◯ムプラモのことを思い出して、スマ彦に聞く。
「これ入れたの誰だよ。またお前か?」
「違うわ。オレだって今日久しぶりに教室来たんだからな」
「お前の机は?」
「別に大丈夫だけど? そんなゴミ箱にされてねえよ」
ピンポイントに俺だけ狙われているらしい。
顔を上げて、教室の中をぐるりと見渡す。
近くの席に俺たちの会話は聞こえているだろうが、周りは静かな連中ばかりだ。うつむいてスマホを触っていたり漫画を広げていたりと、我関せずを貫いている。
ちょうど前の入口から入ってきた男子と目があったが、すぐ焦ったように目を伏せられた。
このクラスはわりとおとなしめなやつらが多い。
同級生とは直接も揉めた記憶がないので、やるとしてもおそらくお暇な上級生の先輩方だろう。
「まだ恨み買ってる感じ? いいね~。バイオレンスな香りがするねぇ」
スマ彦はなにやら楽しそうに言うが、なにも面白いことはない。課題をするのかと思ったら、いつの間にかスマホを触っている。
「そういえばあれ、どうなった? ミキの噂」
「ん~? わかんねえけど、ミキちゃんを信じる派が圧倒的に多いんじゃね? おい、そんなことよりすげえぞ。あのゴリラがタチバナミキにコクったらしい」
「マジ?」
「あっさり振られて泣いてたらしい」
あのゴリラとは前回最後にバトったうちの一人らしい。どっちかまでは知らん。
スマ彦は情報源であるスマホをいじくり回す。指使いが異様に早くてキモい。
「前はそんなあっさり振るとか、しなかったらしいからさ。なんか姫界隈がまた揺れてるらしいぜ」
昨日のミキの発言は冗談ではなかったらしい。新しい姫はなあなあにせずガッツリ振っていくスタイルのようだ。にしてもやっぱり大丈夫かあいつ。
スマ彦はスマホから視線を上げると、疑わしげな目を向けてくる。
「お前……実はほんとにデキてんじゃねえだろうな?」
「だからそれはないって」
「まあ、デキてるならデキてるで別にいいけどさ」
「いいんかよ」
「そんなことよりレイナちゃんだよ。お前、ほんとにあのあとすぐ別れたん? 連絡先とか聞いてない?」
連絡先は知らないし交換もしていない。
ただどこの学校かは知っているから出向いていって探せば会えないこともないだろうが、俺がそんなことをする理由はない。
「知らんっての。てかしつこいなお前」
「いやいや、だってめっちゃかわいかったじゃんあの子。オレめっちゃタイプだわ」
「お前ああいうのが好みなん?」
もともとこいつは学園の姫にはやけに冷静な目線だった。
好みのタイプが違ったらしい。レイナとあの二人ではたしかにタイプがまるで違う。
「……それにさ、ちょっと頼んだらやらせてくれそうじゃね?」
「お前最悪だな」
「まぁそれは冗談だって。てかさ、あの子めっちゃお前に矢印出てなかった? どういう関係なんだよ?」
「べつにたいしたことじゃねーよ」
そんな大げさな縁があったとか、たいそうな話じゃない。
でもまぁ案外そんなものなのかもな。
見た目だけで惚れた、とか推す、とかいうやつも世の中にはごまんといるし。それに比べたら理由があるだけまだマシに思える。
「でも知り合いなんだろ? やっぱカレシとかいんのかな?」
「さあね」
しつこい質問攻めを避けるように俺は席を立った。
向かう先は便所だ。廊下に出てつきあたりを曲がると、角で大きい影とぶつかりそうになった。
「おう」
増田が俺を見て足を止めた。寝間着と見間違えるようなクソダサスウェットを着ている。
「どうだ、久しぶりの学校は」
「先生、僕いじめを受けています」
「いきなりかよ。自業自得だろ、我慢しろ」
「それ先生が絶対言っちゃいけないやつじゃん」
いつもどおりのやりとりをする。
笑いながらすれ違おうとすると、増田が行く手をふさいできた。
「なんだよ、なにされたんだよ」
「え? あー……下駄箱に薄いゴムが入ってたんですが」
「なんだそりゃ? 誰かが間違えて入れたんじゃねえのか」
「間違えてでも入れます?」
「まぁよかったじゃねえかよ、水入れて膨らませて遊べるだろ」
「犯人見つけたらボコボコにしていいっすか」
「だからそれはやめろっての」
増田は眉を寄せながら頭をかいた。なんと言葉をかけるべきか、少し迷っているようだ。
そのとき俺の背後から女子生徒の声がした。
「先生おはようございまーす! ちょうどよかった、ちょっと相談があって……」
「ん? なんだ」
ふたりの女子生徒が増田に群がっていく。
昔は女子生徒にモテモテ、は嘘ではないらしい。今もそれなりに頼られているようだ。
俺がざっくばらんにこんな話をできるのは増田だけかもしれないが、増田が面倒を見なきゃならないのは俺ひとりじゃない。
邪魔をしないように脇を通り抜ける。
「おい星」
呼び止められた。首だけ振り向く。
「はい?」
「勝手に先走んなよ。動く前にまずオレに言え」
増田の目はぶれ一つなかった。
まるで人の心の内を見透かしているかのような目だ。
「いいんすか? また残業増えても」
「まぁいいよ、仕事人間だからな」
ばしん、と俺の背中を叩いてくる。
でかい手でアホみたいな力で叩きやがって。今はオレもずいぶん丸くなったとかなんとかカッコつけてたが、本当かどうかは知らん。
けれどそうやって言われると、逆に相談しにくくなる。難しいお年頃ってわけだ。
てかさすがにこれ以上迷惑かけるわけにはいかね―だろ。冗談抜きで。
増田と別れ、トイレで用を足す。
ドアを開けて外に出たとたん、どこぞから視線を感じた。
視線を返すと、ささっと影が動いて、廊下の角に引っ込んだ。
「はぁ……」
聞こえはしないだろうけど、わざとらしくため息をついてみせた。
あれもいい加減なんとかしないとな。
俺は教室に戻った。
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