34. 健二くんと椎菜先輩

「まさかこんなすぐに連絡をくれるとは思ってもみなかったよ」

 火曜日の放課後、俺は椎菜しいな先輩と再び喫茶店を訪れていた。

「自分のことですもん。そんなに時間をかけてられないですよ」

「いくら私に会いたかったからって中途半端な答えだったら容赦ようしゃしないからね」

 言葉とは裏腹に椎菜先輩は笑顔だった。


「それで赤嶺あかみね健二けんじくん、君は一体どういう人間だったのかな?」

「一言で言えば、無自覚に他人へ責任を押し付けていた最低なやつですね」

「自分のこととは言え言い過ぎじゃないかな?」

 想像していた答えと違ったのか、椎菜先輩は苦笑いしている。

「ですね。けど事実なんで仕方ないですよ」

 椎菜先輩の答えはともかく、俺がそういう人間だという事実には変わりないのだ。


 それから俺は財津ざいつ御手洗みたらい、そして中学時代の同級生と話して気づいた自分の姿を椎菜先輩に伝えた。

「中学時代の野球部の時も、高1の冬に財津を助けたことも、この間椎菜先輩に相談したことも、全部俺が俺のために勝手にやってたことなんですよ。でもその理由を無意識に他人へ押し付けてた。だからうまくいかない時に他人へ怒りをぶつけようとしてたんです。でも本当の理由は俺自身にしかないから、結局振り上げた拳の下ろす先が見つからなかった」


「じゃあ君はこの間話してくれた相談相手とのいざこざはどうすることのしたの?」

「そこはちょっと迷ってます。俺がやりたいようにやって、うまくいきかけているその人の関係を壊すのって、やっぱりひとりよがりじゃないですか。だからこのまま距離を置いてその人の成功を見守るのが1番なのかなって」

「そっか、でも健二くんは今のままじゃダメだって思ってるんだよね?」

「まあ、そうですね……それが正解だって自信はないですけど」

「そっか……話がちょっとそれちゃうけど、ちょっと私の話もきいてくれないかな?」

 そう言った椎菜先輩の顔にいつもの余裕はなかった。


「私は健二くんに謝らなきゃいけないことが3つもあるんだ」

「心当たりが全然ないんですけどなんのことですか?」

「1つ目は3年前のこと。初めて会った君に私は偉そうなことを色々と話したよね……おぼえてる?」

「忘れもしませんよ。その時のアドバイスがあったから今日までなんとかやってこれたんじゃないですか」

「そうだよね。そう思ってくれているよね。でも、あれは私にとっては自分をすごそうな人に見せるための練習でしかなかったんだよ」

 いつも自信に満ちた口調の椎菜先輩だが、この時ばかりは不安や後悔、謝罪の感情で弱々しくなっていた。


「見せ方の話をしたよね? あの練習台に出会ったばかりで私のことを知らない君は、とても好都合だったんだよ。失敗しても2度と会うこともないだろうし。だから先輩風を吹かせて同級生が言わないようなことをさかしらぶって話した。それでまんまといたいけな中学3年生を1人だましきったわけだ。だからあの日の言葉は私が私のために吐いた言葉でしかないんだよ……ごめんね」


「そんなこと、気にしないでくださいよ。椎菜先輩のあの日話してくれた言葉にどれほどの意味がこもっていたかは確かにわかりません。でも、あの日の言葉があったから俺は辛い中学2年の夏を乗り越えることができたんですよ。感謝こそすれ、謝ってもらうようなことは何もないです」

 それでも謝りたかったのは多分、昨日電話口で謝罪してきた"そいつ"と一緒であり、1日かけて自分探しをした俺とも同じだったのだろう。椎菜先輩もまた、自分の行動に対して納得したかったのだ。


「2つ目は、君が入学してきた時から今日にいたるまで。君が他人を拒絶するような"エセ文学少年"の態度を見せていたのに私はそれを肯定こうていしてた」

 この謝罪は完全に予想外だった。

 むしろ椎菜先輩が"エセ文学少年"としてのあり方へ否定的な感情を持っていたことにショックを受ける。


「誰とも関わらずにいるなんて、そんなことがいつまでもうまくいくわけじゃないのにそれを無責任に肯定した。私が卒業した後、君はひとりぼっちになっちゃうのにね。それに、私はやっぱり人と関わって相手のことを見てから、その人が付き合うべき人間かどうか判断するべきだと思っているのに、君にとって理想の先輩として見られるのが気持ちよくて、私は自己保身に走ってたんだよ」

「なんというか……意外、ですね」

「信頼できる人間とだけ関わりたいって話してた中学3年生には、関わらなきゃ信頼できないよって言えたのにね。ここから数年関わり続けるとわかった途端とたんに自分の見せ方だけ考えるようになってた。私も健二くんのことを言えないくらい身勝手だよ」


 こうなってくると3つ目が怖い。

 椎菜先輩は俺のことをどう思っているのか。一体何を謝りたいのか。

 聞きたくないのに、椎菜先輩の口は俺の待ったも聞かずに動き出す。

「3つ目は、土曜日のこと。そんなとんでもなく自分勝手な人間なのに、健二くんに自分のことを知りなさいなんて偉そうなことを言った」


 こればかりは肩透かしを食らったという他ないだろう。

「まさかそのことを謝られるなんて思いもしませんでしたよ」

「ごめんね。しかも言ってしまえばあの行動もまた、私による私のための発言だったわけだよ」

「どういうことです?」

「ああ言ってしまえばきっとさとい健二くんは自分のあり方に気が付く。そうすれば私も今まで見たいな理想の椎菜先輩ではいられなくなるからね。私が先輩の皮を脱ぐために君にキツく当たった」

「でもおかげで俺もここ数年積み上がってたモヤモヤが晴れましたよ」

「それなら、先輩のしがいもあったかもね」

 椎菜先輩が笑う。それはいつもみたいに自信に満ちたものではなかったが、優しく親しみやすい暖かなものだった。


「さて、話を戻そうか」

「というと?」

「君がこれからどうするか。ここからは、君に良く見せるための三重野みえの椎菜しいなじゃなくて、素直で素敵な赤嶺健二くんに対して私がこうありたいと思う三重野椎菜として話をさせてもらうよ」

 言葉だけじゃ何がどう違うのかよくわからなかった。

 でも、どちらにしたって俺にとっては椎菜先輩だ。彼女のあり方が変わったとしても、俺の彼女に持っている憧れの形がそれに合わせて変わるだけで、憧れそのものは失われない。


「前に2人でコンビニ行った時に話したこと憶えてる?」

「椎菜先輩は虎よりうさぎ派」

「その通り。じゃなくて、そのもうちょっと前だよ。天秤てんびんがどうのって話」

「もちろん、そこもちゃんと憶えてますよ」

「健二くんがその人から相談を受けたのかわからないけど、本当に自己保身だけだったら関わらないって方を選べたはずなんだよ。だけど、それでも相談に乗って誰かを助けようとした。そこに自分の中でどんなみにくい理由があったとしても、誰かを助けるということを君は選んでいたんだ。本当にただ自己保身だけだったら間違いなく関わるべきじゃない。それでも選んだ。だから天秤はちゃんとその価値を示したんだよ。君は誰かのために行動できる人間だっていうことを」


「その時は……そうだったのかもしれませんけど、今回のは完全に俺のお節介せっかいですよ?」

「それでも、ここで距離をおけば君の安全はたもたれるのに、それでも関わろうとしている。これは3年間人との関わりを避けてきた君にとっては大きな決断だと思う。たとえそれが失敗に終わったとしても、私は君の意思を尊重したい」

「じゃあ頼まれてもいないのに首を突っ込むのが良いって椎菜先輩は思ってるんですか?」

「そうだね。多分、君に今まで見せていた椎菜先輩なら違うことを言ったと思うし、君が望む椎菜先輩ももっと気のいた言葉をかけてくれただろう。でも、さっき宣言せんげんした通り、私は君にありたい私でいることを決めたんだ。だからこれは完全な私のわがまま」


 そういうと椎菜先輩は席を立って俺の隣に座ってきた。

 そして椅子をゼロ距離まで近づける。椎菜先輩の吐息といきが耳に、髪が首元に触れてくすぐったい。

「私の独断どくだんで私は君の背中を押すことにするよ。君がこれから立ち止まったり迷った時には、君に似て利己的りこてきで人付き合いが苦手で、自分のことを周りの人間より賢いと思っている私が力になる。君は本当は自分以外の誰かのためになる行動を選べる人で、きっとそうやって頑張る姿が似合っている。それで失敗したり馬鹿にされたりしても私が君の味方になるよ」


 そこで言葉を区切ると椎菜先輩は小さな手のひらを俺の背中に優しく置いてきた。

「だから進めよ少年。どんな時だって私は君の先輩だから」

 俺にとってこれほど頼もしい言葉はなかった。

「ありがとうございます。おかげで選びたい答えを選べそうです」

「なら良かった。これくらいしなくちゃ、私を追ってここまできてくれた後輩へ面目めんぼくが立たない……ううん、違うね。こんな私をしたってくれる大切な君へ感謝の印だ」

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