第27話 一触即発
いやいやいや……待て待て、少し落ち着こう。
すぅー……はぁー……すぅー……はぁー…………。
大きく深呼吸をして、鞄の中身をもう一度丹念に調べる。
――ない。旅立ちの時にマリーに持たせてもらった路銀が入った財布がない。
心臓がいつになく鼓動している。視野が猛烈に狭くなってきて、指数関数的に増大する焦りの影響で体が震えてきた。お世辞でもなんでもなく、全身をじっとりとした冷や汗が伝う。
アユムのあまりの変容に、受付のお姉さんは只ならぬものを感じた。
「キミ、大丈夫? すごく顔色悪いけど……」
青年はすっかり顔面蒼白だった。震える口で彼はその事実を口にした。
「財布なくしちゃったみたいです……ハハ……」
焦点の合わない瞳で虚空を見つめて空笑いする様子は、まるで幽鬼のようだった。
「それは災難だったわね。一応、遺失物係に届いてないか確認してみるわ。キミの財布って何か、特徴はある?」
アユムはお姉さんに落とした財布の特徴を伝える。
列車が止まる程の濃霧の中、わざわざ落ちている財布を届けてくれる人がいるだろうか。
それはあまりに楽観的過ぎる期待なのではないか。
一体なぜ……いつ、落としたんだ?
ニバタウンに入ってからの自分の行動を思い返してみても、財布を出したのなんて、駅の券売機で切符を買おうとした一回きりだ。まさかあの時に……でも、あの時はしっかり鞄にしまったはずだ。落としてはない……はず。
そうしている間に、お姉さんが小走りに戻って来た。
「アユムくん! ラッキーよ! キミの財布を拾ってくれた人が届けに来てくれたの」
地獄に仏。渡りに船。
アユムは絶望の沼から救い出されるような気持ちだった。ちょっと嬉し泣きしちゃいそうだった。
「この人が見つけてくれたの。良かったわねー、ホントに」
お姉さんと一緒にやって来たのはアユムと同じくらいの年頃に見える少女だ。腰まで届くほどの長い三つ編みと、マンガみたいなグルグル瓶底メガネが目を引く少女である。
少女が持っている財布はまごうことなきアユムの財布だった。
本当に……本当に助かった。アユムには少女が女神みたいに見えた、
彼女は財布を渡しながら、ぽつりとつぶやいた。
「そのぅ……勘違いしないでほしいんだけど、私はこれを道で拾っただけだから。ノービスランクの操獣士タグがついてたから届けてあげようと思って」
「……? ホントありがとうございました! せめてお名前を……ってあれ? ちょっと待って……え、嘘だろ……? おかしいな……そんなことって……」
財布を拾ってくれた少女に最大限のお礼を言うつもりのアユムだったが、そんな場合ではなかった。
財布にはマリーから渡された十分な路銀が入っていたはずだが、僅かばかりの小銭を残して、ほとんどのお金が残っていなかった。札は一枚もない。文字通り
「な、なんで……お金がないんだ……!?」
「知らないわよ。たぶん、その財布スった人が根こそぎ取ってったんでしょ」
見知らぬ土地で有り金をスられ、今日の晩ご飯すら心配になるこの状況。自分の身に起きた不幸を受け入れられず、途方に暮れてしまう人もいるだろう。
しかしアユムの場合は違った。
彼の心の中では、財布をスった犯人に対する憎しみの黒い炎が燃えたぎり獄炎と化そうとしていた。アユムの気持ちは悲しみを感じる方向ではなく、犯人を見つけ出し自らの手でメッタメタのギッタギタにしてやる方向へと
濃霧が発生しているこの状況では、犯人捜しも難しくなる。まずは霧の原因を突き止め、すぐに犯人を見つけ出してやる。見つけ出したその後は……フフッ、フフフフフフッ。
彼の表情の豹変ぶりに、傍で見ていた少女と受付のお姉さんは思わず顔が引きつった。
「ちょ……大丈夫?」
「これが大丈夫なわけあるか! 犯人の野郎、血祭りにしてやる!」
「ユニオンの受付で堂々と殺害予告するのはやめてもらえるかな」
「……まぁ心中察するけど、一つ提案があるわ」
憎しみのあまり何かのモンスターに変異しかねないアユムを見ていられなくなったのか、少女がため息をつきながら提案を持ちかける。
「さっきこのお姉さんに聞いたんだけど、キミ、緊急クエストの霧の調査をするつもりなのよね?」
「……そうだよ。けど、もう契約金も払えないし、どうしたもんかな」
「そこで提案なんだけど、キミ、私の助手として調査を手伝ってくれない?」
「助手……?」
「ああ、申し遅れたわね。これ、私のライセンスカード」
そう言って少女は自分のライセンスカードをアユムに見せる。
セピリア・ヴィオラートと書かれた名前の横には、星が三つついている。
星の数は操獣士としての格を示す。三ツ星はシルバーランク。ノービスランクのアユムよりも二階級も上の操獣士である。
「私はセピリア・ヴィオラート。この町の霧の調査をするためにやって来た、ユニオンの特命操獣士よ」
えへんと胸を張って言うセピリアは、操獣士ランクもアユムより二階級上ということもあって、いつの間にやら先輩風を吹かせまくっていた。
「アユムくん、だっけ。キミ、現金スられて、クエストの契約金も払えないんでしょ? 私の助手になるのは願ってもない提案じゃないかしら?」
せっかくマリーとの修行を終えて一人旅をしているっていうのに、ここにきての助手ムーブに納得しない気持ちはある。しかし背に腹は代えられない。なにしろ、アユムは素寒貧。今日の宿のあてすらない状況なのだ。ユニオンでも操獣士に宿泊設備を提供しているが、一般的なホテル等と比べて破格の安さではあるが、もちろんタダではない。今のアユムには彼女の提案に乗る以外の選択肢は残されていなかったのである。
「……わかった。俺はアユムでいい。よろしく」
ひとまず共通の目的を持つことになった二人は握手を交わす。
「それで、俺は何をすればいい? どうすれば犯人のヤロウを血祭りにあげられる?」
「キミの場合、まずは冷静さを取り戻すことから始めないとね。なんか先が思いやられるなぁ……」
「あのセピリアさん。……わかってると思うけど、今回のクエストの受注条件は」
「ああ安心して。彼、アユムくんを入れてメンバーは三人集まってるわ」
「三人? 何の話?」
セピリアと受付嬢の話をぽかんとして聞いていたアユムを見て、セピリアは頭を抱えた。
「キミねぇ、そういうところよ」
「だから、何が?」
「自分が受けるクエストの詳細くらい、ちゃんと確認しとけって話よ」
そう言われて、アユムは掲示板に張り出されていたクエスト表に改めて目を通す。
緊急クエスト『ニバタウンの霧の発生原因調査』には契約金200ルッツの他に、受注条件が一つ付されていた。操獣士ランクがシルバー以下の場合、三人以上で申請すること」
セピリアはともかく、ノービスランクのアユムを入れた場合はこの受注制限のせいで二人だけでは足りないため、もう一人操獣士が必要だったのだ。
「三人以上? なんで霧の調査でそんな人数が必要なんだ?」
「うーん、本部からの指令だから受付の私としてはなんとも……。ただユニオンとしても、こんなに長い濃霧はあまり例がないし、もしも強力なレムレスによるものだったら……と考えると、どうしても慎重になってしまうのよ、きっと」
「そういうこと。だからメンバーがもう一人必要なんだけど、そこに関しては解決済みよ。…………ちょっと、だんまりコーヒー飲んでないで、早く出てきなさいよ」
すると、あからさまに不満そうなため息をつきながら、一人の青年が受付の方に歩いてきた。青年は鋭い目つきでアユムをジロリと睨み付ける。見た目の年齢はアユムと同じくらいに見える。男性にしては長めの茶髪で、ミディアムロングと言うには少し短いくらい。身に着けている爽やかな青のパーカーに反して、初対面の人間に対してこれでもかというほど不遜な態度である。
「チッ……」
「いきなり舌打ちしない!」
「うるせーな。受付で騒いでるお前らと一緒にされたくないんだよ」
「……このクソ生意気な男はギルバート・リングライト。アユムくんと同じ、ノービスランクの操獣士よ」
彼もまた電車の運休で足止めを食らってしまい、クエストを受けるためユニオンを訪れたそうだ。一人では緊急クエストを受注できないため、受付で受注手続きをしていたセピリアと組むことにしたらしい。
なんにせよ同じノービス操獣士同士、仲良くしようと思ってアユムは笑顔で声をかける。
「ギルバートか。俺はアユムでいい。よろしく」
言って握手を求めたアユムだったが、ギルバートの方はポッケに手を突っ込んだままである。アユムとしては歩み寄ったつもりだったが、思った以上にギルバートは癖のある人物らしい。
「ちょっと、握手くらいしなさいよ!」
「なんで?」
「なんで? じゃないわよ! 一緒にクエスト受注するチームなんだから」
「……わからない女だな。俺はなぜ、こんなちんけなヤツと組む必要がある?」
「ちんけって……俺のこと?」
「他に誰がいる?」
見えない火花がアユムとギルバートの間でぶつかっていた。
「三人じゃないと受けられないというから、仕方なくお前と組んだが、いくらなんでもこんなザコは願い下げだ。俺一人でやった方がマシなくらいだぜ」
「言わせておけば、随分な自信じゃないか」
「当たり前だ。さっきからそこで聞いてれば、ユニオンにレムレス召喚して入ってくるのに飽き足らず、クエストすら理解してない非常識さ。財布スられる間抜けは願い下げだ」
完全に言われっぱなしのアユムだったが、すべて事実なので反論の余地はない。
財布をスられたのだって、知らない土地で油断していた自分が悪いのだ。
これからチームを組むってのに、最初からこの調子じゃ調査どころではない。セピリアは頭を抱えながら、二人に忠言する。
「あのね、いい加減にしてもらえる? 喧嘩してる場合じゃないし」
「さっきから難癖付けてくるのはこいつだろ!」
「ザコにザコと言って何が悪い? 大体、契約してるのはイトミクって……笑わせる」
「……どういう意味だ?」
「本当に知らないようだから教えてやるよ。レムレスには種類ごとに能力の強弱がある。ステータスと言ってもいい。イトミクはほとんどすべての能力値が平均以下。強みと言えばせいぜい感知能力が少しあるくらいで、深化したところでたかがしれてる。そんなヤツと契約するなんて、余程のバカくらいだろ」
「仮にお前が言う通りだとしても、能力不足なら鍛えてやれば……」
「悪いけど、レムレスの育成はそんなに甘くない。夢を見るのはやめた方がいい。今からでも遅くない。別のレムレスと契約することをすすめるよ」
鼻で笑うギルバートだったが、そこはアユムも聞き逃せない。イトミクの強さは契約主であるアユムが一番わかっている。イトミクは、決して弱くない。
自分の契約レムレス、仲間を笑われて黙っていられるほどアユムは大人にはなれない。
「……試してみるか?」
一触即発の空気の中、先に口を開いたのはギルバートの方だった。
「お前が言う、イトミクの強さがどれほどのものか。この俺が相手してやるよ」
「……その減らず口、後悔することになるぞ」
「お前の方がな」
「ふん。決まりだ。おい受付、バトルコート借りるぞ」
「ちょっと二人とも! 調査はどうするの!?」
セピリアの言葉は無視して、バトルコートに向かうアユムとギルバート。
いきなりクエストどころではなくなってしまい、セピリアは今更ながらに人選ミスったと思い、後悔し始めていた。
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