第8話 白の本

「生態研究といえばだ。アユム。お前あの変な本はどうしたんだ? あの本、テキトーな記述だけどオレたちのこと書いてあっただろ?」


 ルビー:カーバンクルが言っているのは、森で拾った不思議な白い本だ。騒動の中でアユムはすっかり存在を忘れてしまっていたが、確かにあの本があればマリーの研究の手伝いにも役立つかもしれない。


「白い本……? ああ、イトミクが大事そうに持っていたけど……何も書いてなかったわよ? 一応、キミの荷物だと思って取ってあるけど」


 気絶したアユムにかわってマリーが保管していてくれたらしい。マリーは家の中に戻って白紙のページだけの本を持ってきてアユムに手渡す。

 彼女から本を受け取り、アユムは本のページを確かめる。記述があるのはイトミクとルビー:カーバンクル、ギアノロイド。イクシリアのページも追記されていた。どうやらアユムが出会ったレムレスについての記述が加筆されていくみたいだ。だが、ページの記述の量には差があり、イトミクの記述は性格や主な生息地、好物などまで解説されている一方、イクシリアやギアノロイドは体の大きさや重さくらいしかろくに記述がない。


「おおページが増えてる。ふーん、イクシリアもイトミクと同じ念属性を持っている、と。ルビー:カーバンクルは無属性。特徴ないのかお前」


 本の記述を読み上げながらカーバンクルと話すアユムを見ていてマリーは驚愕する。彼が本当に記憶喪失なのかを疑ってしまうほど、彼の説明するレムレスの属性は正しかったからだ。実際イクシリアは念・影属性であり、イトミクと同じく念属性を有している。カーバンクルに至っては目撃例がほとんどないから、属性も不明だったのだが……。


「ちょっと待って。その本には何も書いていなかったはずよ? アユムくん、君は何をしたの?」


「……特に何もしてないよ? ほとんど白いページばっかりだけど、たまに文字が書いてあるページがあるんだよ。変な本だろ?」


「文字って……キミ、これ読めるの?」


「え……? うん、そうだけど。マリーには読めないの?」


「時間を書ければ多少解読はできるかもしれないけど……すらすら読めるキミの方がどうかしてると思うわ」


 マリー自身も特別語学に堪能なわけではないが、本に書かれているのはとっかかりすら掴めそうにない文字列だった。文字の形はクナンシティの辺りに点在する遺跡群に時折描かれている古代文字と似通っているようにも見えるが、専門家でない彼女にわかるのはその程度のことだった。そんなよくわからない文字をすらすら読めてしまうアユムの方がどうかしているのである。


 だが、一番疑問なのは彼が持っていた本である。


 マリーには読めないが、レムレスの属性・生態についてある程度の記述がされているらしい。大半のページは白紙なのに、数ページだけ、レムレスのことについてある程度くわしい情報が記述されている。それぞれの記述にはばらつきがある様で、ギアノロイドの説明はあっさりしているのに、イトミクについては好物まで記述されているらしい。誰が何のために作ったのか不明だし、使われている文字の感じから、遺跡などで稀に見つかるアーティファクトの一種なのかもしれないが……マリーはある可能性を頭に思い浮かべる。


「アユムくん、ちょっとその本貸してくれる? ……わりと分厚いのに記述があるのは四ページだけ?」


「そうだね。順番もよくわかんないな。ルビー:カーバンクルに、イトミク、イクシリア、ギアノロイド……」


「……もしかすると、この本はアユムくんが出会ったレムレスのことが記述されるのかもしれないわ。そして、私の仮説が正しければ……試す価値はありそうね」


 不敵に笑いながらそこはかとなくマッドな顔をしているマリーを見て、アユムはなんだか嫌な予感がした。そしてアユム以上に嫌な予感を敏感に感じ取ったカーバンクルがこっそり気配を消して屋根の上に飛んでいこうとしたところ……。


「よし。弟子兼助手になったアユムくん。手始めに私の実験に付き合ってもらうわよ」


「実験?」


「そこのこっそり隠れているつもりのカーバンクル! 出てきなさい!」


 ひぃっ! とばかりに体をびくりとさせるルビー:カーバンクル。マリーはアユムたちに何の実験をさせるつもりなのだろうか。


「私の仮説を検証するため、アユムくんにはそこのカーバンクルと契約してもらう」


 すると、カーバンクルが屋根の上から降りてきて、不遜ふそんな態度で鼻息を鳴らす。


「はん。冗談はよせよ。なんでオレがそんな面倒なことに付き合わなきゃいけないんだ。くだらない実験は人間たちで勝手にやってくれ。オレは忙しいんだ」


 あからさまにやる気のないルビー:カーバンクルに対し、マリーは張り付いた笑顔でクスと笑ってつぶやいた。


「ふぅ~ん……そういうコト言っていいのかなぁ…………? 森でキミを助けてあげたの誰だっけかなぁ……」


「オ、オレは助けてくれなんて頼んだ覚えはない! お前らが勝手に助けたんだろ!」


「ふ~ん。泣きべそかいて逃げ回ってたくせにぃ~」


「は、はぁっ!? 泣きべそなんかかいてねぇし! デタラメ言うんじゃねぇ!」


 苦し紛れにそう言ったルビー:カーバンクルだったが、彼はすぐに後悔することになる。

 マリーはにやりと楽しげに笑った。


「そこまで言うならやってもらいましょうか……。――召喚」


 マリーが腰の結晶石に触れて祝詞をつぶやく。

 召喚の言葉をトリガーに結晶石が砕け、中に封印されていたレムレスが顕現けんげんする。


 現れたレムレスを見てルビー:カーバンクルは戦慄する。アユムもまた背筋がぞくりとするのを感じた。マリーが結晶石から召喚したのは、全身を鋼鉄で覆っている恐竜のような見た目の機獣型レムレス。そう……黒の樹海でさんざん大変な目に遭わされた、あのギアノロイドだったのである!


「な、なんでギアノロイドがこんなところに!?」


「言ってなかったわね。実はあの後、森で契約したのよ。暴走することはないから安心しなさい」


 ギアノロイドの目は緑色だ。森で襲われた時とは違って暴走状態ではないらしいが、全身の歯車が高速回転していることから、かなり好戦的な状態なことが窺える。アユムの持っていた本の情報によるとギアノロイドは歯車の回転数で喜怒哀楽を示すらしいのだ。

 冷静にギアノロイドを観察するアユムとは違って、ルビー:カーバンクルの顔色は真っ青になって尻尾はすっかり丸まっていた。黒の樹海での出来事はかなりトラウマになってしまっているみたいで、ガチビビリの様相である。


「倒せるんでしょ、ギアノロイドを一人で。やってみなさいよ、ほら」


 怖い。マリーがなんかめっちゃ怖い。傍で見ているアユムですらこんなに怖いのだ。

 ギアノロイドと相対しているルビー:カーバンクルは、蛇に睨まれたカエルのごとく、恐怖で身動きすら取れずにいた。彼のギブアップはもの凄く早かった。


「わ、わかったよ! 練習相手になればいいんだろ!わかったから! オレが悪かったから! もう早くソイツを閉まってくれェ!」


 あっさり降伏したルビー:カーバンクルを見て、マリーはにやりとほくそ笑む。まるで悪役のような笑みである。


「なんだつまらないわね。じゃ、解いていいわよ」


 マリーがつぶやいた瞬間ギアノロイドの姿が蜃気楼しんきろうのようにぐにゃりと折れ曲がって霧散してしまった。アユムにもルビー:カーバンクルにも何が起きたのかわからなかった。


 ギアノロイドが消えたと同時に、何かがマリーの横にすっと現われる。

 

 アユムは自分とルビー:カーバンクルがマリーにまんまとめられていたことを理解した。イクシリアの幻を見せる能力についてはアユムも身をもって体験していた。現実そっくりの幻を見破るのは容易ではない。


「なるほど……さっきのギアノロイドは、イクシリアが生み出した幻だったのか」


「そういうこと。幻惑はこの子の得意分野なのよ。さぁて……カーバンクルくん? 練習相手になってもらえるかしら?」

「き、汚いぞ、お前ッ!」


「言い訳がましいわねー。ま、イクシリアと戦うっていうなら、相手になるわよ?」


 ルビー:カーバンクルが往生際悪く、文句を言っている間、アユムは本のページをちらと確認する。イクシリアのページには僅かだが解説文が記述されている。


『名称:イクシリア。分類:亜人種。属性:念・影。すさまじいサイコパワーで作りだした夢幻に包まれるうち、相手は眠るようにやられてしまうのだ』


 イトミクと比べると解説も随分あっさりしているが、本の解説を読む限り、イクシリアの幻惑能力はかなり強力なものらしい。少なくとも幻のギアノロイドにすっかりビビり倒していたルビー:カーバンクルが戦って勝てる相手ではない。


「やめとけルビー:カーバンクル。下手したら……消されるぞ」


「やぁねぇ、そんな物騒なことしないわよ。……今は、ね。まあカーバンクル君の態度次第かもね~」


 イクシリアはルビー:カーバンクルを一瞥し、契約主に似た悪役のような笑みを浮かべる。

 その瞬間、全身に凍り付くような悪寒が走り、ルビー:カーバンクルは抵抗することをやめた。この女には逆らわない方がいい、と本能で感じたのだ。


 かくしてルビー:カーバンクルも半強制的に参加する羽目になり、アユムの特訓も兼ねたマリーの実験が始まった。

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