第7話 マリーの研究
聞こえてくる音で、アユムもようやくルビー:カーバンクルのことに思い至って、急いでコーヒーを飲み干し、マリーに続いて外へ出てくる。
「お前、ルビー:カーバンクル! 無事だったんだな!」
「やっと出てきたよー。ったく、ずっと無視しやがって」
「家の中にいたからよく聞こえなくて。ていうか、お前、なんで閉じ込められてるんだ?」
「よく聞いてくれた! ……この女! アユム、このクソ女がオレを閉じ込めたんだ! 助けてくれよぉ! 開けてくれたら、何でもするから!」
ルビー:カーバンクルは言動こそ元気だったが、鳥かごによく似た、黒い
ルビー:カーバンクルを檻に拘束した張本人……マリーは冷たい目でルビー:カーバンクルを見下ろして言い捨てた。
「少し黙っててくれる?」
「ま、マリー……? その、カーバンクルの拘束を解いてやってくれないか。悪い奴じゃないんだ?」
「……それはできない相談よ。拘束を解いたとたん、この子はどこかへ逃げ去ってしまう。私としては貴重な研究サンプルを逃すわけにはいかないの。イクシリアが《
「本当か! さっき、話があるって言ってたのは、このこと?」
「ええ、そうね。アユムくん、私の研究を手伝う気はない?」
「マリーの研究を? そもそもマリーって何の研究をしてるの?」
マリーはなぜか一瞬言葉に詰まった顔をしたが、すぐにこほんと咳ばらいをして続ける。
「その……レムレスに関する伝承の研究をしてるわ。学会には認められてないけど」
「ふ~ん……」
「ま、とにかく。キミの話を聞いていて思ったんだけど、アユムくん。キミは何らかの事件に巻き込まれたんじゃないかしら。少なくともその可能性が高いと私は思う」
レムレスに関する知識はおろか、日常的な常識のほとんども忘れてしまうほどの記憶喪失など、そうそう起こるものではない。アユムは何かの事件に巻き込まれ、その時のショックで記憶をなくしてしまった。そして同時に、絶滅していたはずのレムレス、ルビー:カーバンクルの発見。この二つを偶然と片付けるのには疑問が残る。しかもカーバンクルの方はどこでどうやって習得したのかわからないが、人間と会話ができる非常識な能力を持っているとくれば、背後に何らかの大きな事件が関与しているのではないか、とマリーは考えた。
「記憶喪失のキミに、言葉を話すカーバンクル。しかもカーバンクルの方もどこで目覚めたのかよく覚えていない……偶然にしてはできすぎている」
「こいつがあまりに普通に話すから、気にしてなかったけど、レムレスは普通、人間の言葉を話せないのか?」
「……そうね。ある種の高位のレムレスはテレパシーのような力で意思を伝えるという伝承もあるけれど、実際に確認されたケースはないわ。カーバンクル君みたいに
「そうなれば、オレも世界の大スターってこと?」
「どちらかといえばスターというより、実験用モルモットになる可能性が高いわ」
「カーバンクル、スターを目指すのはやめとけ」
「冗談はこの位にして……私の考えが正しければ、事件を起こした犯人は今も、君たちを探しているはず。森で出会ったギアノロイドも様子がおかしかったし」
「ギアノロイドって……俺たちを襲ってきたやつだよな? マリーとイクシリアが助けてくれたけど、あいつは死んだのか?」
「レムレスは人間が思っているよりずっと頑丈よ。あの程度じゃ死なないわ。ただ体力が低下して、姿を消しているだけ。だから死ぬ、というより、いなくなった、という表現が正しいかもね」
マリーの説明によれば、レムレスの体は目に見えない魔素で構成されているため、戦闘などでエネルギーを消費し、危険な状態になったレムレスは、自分の体を魔力化して姿を隠すのだという。これを魔子化というらしい。魔子化によってエネルギーの消費を抑え、回復状態に入る。その後大気中にある魔素を少しずつ吸収してエネルギーを蓄え、一定以上の魔力が貯まるとまた元の姿で現われるのだとか。
マリーは森で戦ったギアノロイドのことを思い出しながら、深く息をはく。ギアノロイドは本来大人しい性格のレムレスだ。むやみやたらに暴れ回ったりはしない。決められたテリトリーを機械的に巡回しているのが普通で、敵を執念深く追いかけたりはしないのだ。あれははっきり言って暴走に近い状態だったし、そもそも黒の樹海のような森林地帯にギアノロイドがいたこと自体疑問だ。彼らは基本的に寂れた工場跡地や砂漠地帯など、乾いた土地で見かける事が多い。
普通、野生のレムレスが何も無く暴走状態になったりはしない。裏で糸を引いている人間が必ずいるはずだ。そいつらの狙いも現時点では不明確だけど、不穏なものを感じる。アユムとルビー:カーバンクルを
「君たちを襲った人物をこのまま捨ておくわけにはいかないわ。けれど、調査に連れて行くにはカーバンクルくんは圧倒的に力不足。はっきり言って足手まといよ。うるさいし」
「人のことを偉そうに。ま、愚かな人類に天才たるオレの本質が見えないのも仕方ないか」
やたら上から目線でかっこつけるカーバンクル。檻の中で粋がっている彼はひどくシュールだったが、口にするとまたうるさくなりそうなので、アユムは黙っておくことにした。
マリーの額にうっすら怒筋が浮かんでいるのを横目で見て、アユムは自分の判断が正しかったのだと胸を撫でおろす。
「ごらんの通りよ。こんなの連れてたら、悪目立ちすること請け合い。調査なんてやってられないわ……そこで。アユムくんには私の研究を手伝ってほしい。カーバンクルくんと一緒に旅をして、彼の生態記録を取ってほしいの」
「なんでオレがこいつと旅しなきゃならないんだ!」
「それはこっちの台詞だ! クソ犬!」
「ふふふ。二人の相性はぴったりのようね。イトミクにあんなに懐かれてるんですもの。キミにはレムレスに好かれる才能があるんだと思う」
「別にオレはこいつのこと好きじゃないぞ。きもちわりぃ」
「こっちこそ願い下げだ!」
ガキンチョみたいな口げんかをする二人を見ているとマリーは微笑ましくなってくる。出会って間もないレムレスに懐かれたり、あんな風に口げんかなんて普通はできない。それはアユムの天性のものなんだとマリーは思う。そんな彼だからこそ、調査の協力を提案したのだ。
「真面目な話、キミたち二人……特にカーバンクルくんのことを狙っている奴がいる以上、一所に留まるのは危険よ。この場所もいずれ特定されるでしょう。それに足手まといさえいなければ、私の調査スピードも上がる。ついでにアユムくんが生態記録を取ってくれれば、私の学会での評価もうなぎのぼり。人間の言葉を話すレムレスなんて貴重なサンプルを独占研究できるこのチャンス、絶対逃すわけにはいかないのよっ!」
「ほとんど私利私欲!?」
「それにいろんな土地を旅するうち、アユムくんの記憶も思い出すかもしれないし。私もキミのことを知ってる人を探してみるけど、記憶って何がきっかけで戻るかわからないけど、ただ家に閉じ籠ってるよりは早いと思うわよ」
確かに彼女の言う通りこのままじっとしていても記憶が戻るとも限らない。それなら自分から積極的に動いた方が自分が何者だったのかわかる可能性は高まる、か……。
「まあ強制はしないけど、どうする……? もし、嫌ならここにいても構わないわ。まぁ自分の食い
そんなマリーの言葉に悩む時間は必要なかった。アユムの心はすでに決まっていたのだ。
「いいよ。マリー研究を手伝う。手伝わせてください!」
「本当に? 私の調査研究は結構ハードだけど」
「大丈夫。それに、自分でも不思議だけど、少しワクワクしてるんだよね。旅をした記憶もないんだけど、イトミクやルビー:カーバンクルみたいなレムレスは俺が知らないだけでいっぱいいるんだろ。そいつらをこの目で見てみたい」
「ふーん。男の子っぽいわね。けど、いいと思うわよ、そういうの」
マリーは声を出さずに静かに笑う。なんだか昔の自分を見ているようで不思議と嬉しかったのだ。
「じゃあ決まりね。これからアユムくんは私の弟子兼助手ということで」
マリーは結晶石からイクシリアを召喚し、ぱちりと指パッチンをして合図する。
すると、ルビー:カーバンクルの周りを覆っていた黒い檻上の物体が消えた。
ようやく自由の身になったルビー:カーバンクルは思い切り背伸びしてからぐーっと羽を伸ばし、ふよふよと飛行する。
「いや~これがシャバの空気か~!」
可愛い顔に似つかわしくないコメントである。彼の言動についても今後教育が必要だとマリーは決意した。
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