魔王の娘たちの話 後編
田舎の村ならいざ知らず、ちょっとした都会には、同じ職種の組合が多数存在する。
同業者同士で、価格やら仕入れ先やら商品やら営業時間帯やらの対応を統一して、ある程度のルールを敷いておかないと、真っ当な商売が出来なくなるからだ。
そりゃあ人気のある店と不人気な店は出るだろうが、最低限、その職種に対する信頼の担保を維持しなければならないという話である。
例えば、『この街の料理屋はどこもサービスが悪くて不味い』『この街の道具屋はアフターサービスが全然ない』と一括りにレッテルを貼られちゃ、待ってる先は共倒れだ。
もちろんここヒエロの街にも様々な組合が存在する。
娼館や、風俗業の組合も存在していたが、だからといって商工組合や冒険者組合みたいに、デン! と本部みたいなデカい建物はない。
会合の場は各娼館の持ち回りだ。
今日も今日とて近隣の娼館主が集められた場所は、ヒエロの老舗で一、二を争う【紫の夜明け亭】。
暫定ながら組合の議長を務めるジェスタ爺さんの店だ。
集められた時間は昼を少し回った頃。夕方から営業を開始する娼館であるから、店主が店を抜け出して自由に動ける時間はこの時くらいしかないわけで。
「こちらへどうぞ」
見習いの少女に案内されたのは二階にある大部屋だ。
俺が席に着くと、向いの席で【綺羅星花壇】の娼館主であるヨームが片手を上げて挨拶をくれる。
他にも同席しているのは、【宵待ち亭】の亭主や、【秘密の鍵屋】の店主など、皆顔見知りばかりだ。
腰を落ち着けて上座を見れば、議長であるジェスタ爺さんが小柄な体躯を席に納めようとしていた。椅子を引いてやっているのが、彼の秘蔵っ子にして若番頭のマイネールである。
「みな、忙しいところ集まってくれて礼をいう」
時候の挨拶も何もなく、ジェスタ爺さんが口火を切った。
「ああ、その通りだぜ。こちとら忙して仕方ねえんだ。とっとと要件を済ませて一刻も早く店へ戻りたいんだよ」
さっそく軽口が飛ぶ。
基本的に娼館の親仁たちってのは人相が悪いのが相場だ。そこに濁声が加われば、まるでヤクザみたいに迫力満点。
だが、部屋の中の誰も動じた様子は見せない。この程度で臆するような半築者は、この界隈では生きては行けないからだ。
ジェスタ爺さんも、皺に埋もれた細い目を開いて声の方をチラリと見たが、それだけだ。
何事もなかったように淡々と続きを口にする。
「耳が早いものは知っているかもしらんが、トラン領での内戦が先週終結したとの一報が入った」
半瞬ほど遅れて場が騒めいた。
トラン領とは、南西にあるバラード連邦に隣接する、大聖皇国の領地である。
そこの領主と、バラード連邦の端っ子にある土地の領主が、自領の縄張りを巡って小競り合いを繰り広げているってのは、ここ最近のちょっとしたニュースだった。
もちろん俺も注意を払っていたので覚えがある。
地方のささやかな小競り合いから、国同士の大きな戦さに発展するってのは良く聞く話だからな。
「で? 結局、どっちが勝ったんだ? うちの方か? それともあっちか?」
娼館主を代表するように訊ねたのはヨームのやつだ。
「無事、トラン領のガスパール子爵が快勝されました」
答えたのはジェスタ爺ではなく、彼の隣に立ったままのマイネール。木で鼻を括ったようなぶっきらぼうを絵に描いたジェスタ爺さんと打って変わって、柔和な物腰で態度も声も穏やかだ。にも関わらず、ジェスタ爺さんと同じ存在感があるのはさすがである。
「自前の兵を使うのではなく、傭兵団を雇って対処されたようですね」
説明の続きに、俺たちは揃って天を仰ぐ。
「マジかよ」
「どこの傭兵団が活躍したんだ?」
急に騒々しくなった室内で、飄々と俺に向かって訊ねてくるやつがいる。
「旦那、内戦が無事終わってこっちが勝ったんでしょ? なのになんでみんなして不安がっているんです?」
俺の隣にいるサイベージだ。
本来は娼館主しか入れない部屋に、俺の付き人でしかないコイツがいつの間にか座席を確保しているのは大いなる不思議である。
「そりゃおめえ、こっち側が勝ったことが問題なのさ。傭兵どもを雇って連中が手柄を立てりゃ、領主も褒美を弾まにゃならねえからなあ」
「ええと、それがどうして問題になるってんです?」
ここ大聖皇国は内陸に位置するヒエロでは、冒険者ばかりで傭兵はあまり見かけることはない。
それはそうだろう。傭兵が働くのは戦場ってのが相場は決まっているから、基本的にやつらは世情が不安定な国や、国境地帯とかで活動している。
そこいらへんの道理はサイベージの野郎も心得ているだろうが、俺は説明を続けた。
「つまりだ。一仕事終えて実入りが悪かった傭兵連中は他の戦場へと流れるだろう。けれど懐が暖かくなった連中はどうする?」
「そりゃあ酒場を貸し切っての戦勝会で乱痴気騒ぎってヤツでしょ」
サイベージの答えは正しい。
しかし今回の場合、勝利したのは端っこの領地とはいえ大聖皇国側で、この国には大陸一の色街と言われる、ここヒエロがあるわけで。
「……ああ、なるほど。ご褒美をもらって懐が潤った傭兵団のみなさんは、おのぼりさんよろしくヒエロまで来るってことなんですね?」
その通りだと頷く。
もちろん色街としては、わざわざ遠方から足を運んでくれる客なんてありがたい話だ。
歓迎するのもやぶさかではない。やぶさかではないんだけどな……。
「サイベージよ、おめえがこの街に居着く前の話だ。そん時も戦さで勝って浮かれた傭兵団が大挙してヒエロに来たことがあってな。人死にが出てるんだよ」
俺は意識して声を潜める。
あの時も発端は地方の小競り合いだったと思う。
それがやたらと長引いて、こりゃヤバイことになるんじゃと大聖皇国本国も干渉するか否かと検討を始めたころ。
敵味方が睨みあう戦場で、その均衡を崩したのがその傭兵団だった。
まさに蟻の一穴って感じで、そこから雪崩れをうつように進軍した領主軍は、電撃的な勝利を収める。
勝敗の帰趨を決定づけたこの活躍に、雇い主である地方領主は大層喜んだ。
褒美を奮発してもらい、連中ははるばるとヒエロまでやってきた。
各々が自分の好みの娘のいる娼館へと散らばってしばらく滞在。文字通りの酒池肉林を決め込んだ。
そりゃあ金払いは良かったさ。それこそ湯水のようにばら撒いて使ってくれたからな。
けれど、お世辞にも行儀は良いと連中ではなかった。
金に飽かせてさんざん好き勝手しくさって―――殺された娼婦は四人。
数人がかりで三日三晩嬲り尽くしただけでも大概だが、止めようとした店主の頭もかち割ったってんだからタチが悪すぎる。
雇い主だった地方領主の威光もあって、本来街を守るべき官憲たちの動きも鈍くなる。
娼館の関係者や巻き添えを食った客なども含めて、死人が両手で数えきれなくなってきた頃、ようやく傭兵団は街を出ていった。
娼婦を殺された店主はおかみに訴え出るも、スズメの涙ほどの見舞金をもらっただけで、連中にはなんらお咎めなしってんだから開いた口が塞がらない話だ。
「かれこれ数年以上も昔のことだが、この街じゃあ一種のタブーというか、トラウマになってるのさ」
なので今日の緊急会合のキモは、今回もやってくるかも知れない傭兵団にどう対処するかってことだろう。
「そんなもん、街へ入れるまでもねえ。全員追い返せばいいじゃねえか」
【宵待ち亭】の亭主であるエンツォが吐き捨てるように言う。
一理ある意見だ。いや、ここに集まった店主たちの本音はまさにその通りに違いない。
「それが出来れば苦労せん。やつらはおそらく領主の紹介状も持ってくるだろうからな」
ジェスタ爺さんが溜息をつきたそうな表情を見せた。
紹介状ってのは、要は領主さまがケツを持ってくれるって証明書みたいなもんだ。
何かあった時の代金の請求や文句はぶつける相手がいるのはありがたいが、現場で売れっ子の娼婦を害されては全然割りに合わない。
だからといって紹介状を無碍にして利用を断れば、地方とはいえ貴族の面子を潰すことになる。
第一に、俺たちの商売は、客商売だ。
客が来てもらわなきゃ話にならない一方で、何ら問題を起こしていない客を問題を起こしそうだから出禁にします、では道理が通らないわけで。
かく言う俺も「客であれば魔王でも歓待してみせる」なんて啖呵を切っちまっているしなあ。
「ま、まあ、来る連中が以前と同じような輩とは限りませんし……」
オドオドとそう口にしたのは【秘密の鍵屋】の店主であるオーモンド。
振り返ってみると、以前に騒動を起こした傭兵団の連中は、腕っぷしは強いが、山賊上がりや半グレ上がりも多いアウトロー集団だったと聞く。
確かに傭兵稼業をしている人間を、一律に野獣の群れみたいに見做すのも偏見だろう。
こちらも一理ある意見だと思う。
「バカかおめえ。店に入れて行儀も道理も弁えないクソ野郎だったらどうするつもりだってんだ!」
「い、いや、ですからね! そんなこと言ったら一見の客も全て断ることになるじゃないですか!」
喧々諤々の議論が交わされた。
口調は荒いが、みながみなてめえの店を必死で守ろうとする気概が伝わってくる。
「いっそのこと、どこか店を一軒だけに絞ってそこを利用してもらうのはどお?」
荒くれ野郎どもの中で、場違いなほど澄んだ女の声が響く。
ふーっと銀煙管から煙を吐き出すのは、【幻翆苑】の女主人マリエだ。
この提案に、場は一瞬静まり返る。
つまりは被害担当としての一軒を選び、その店だけを傭兵団専用にして宛がうってことか。
そうすれば他の店は通常通りに営業出来るし、最悪な事態が起きたとしても影響はその一軒で納められるってのは、なるほど、道理だ。
「けれどあたしの店はお断りよ? うちの子は手弱女ばかりだからね」
ばっか、マリエ、おめえ余計なことを……!
この付け足しに、他の店主たちが一斉にいきり立ったのはさもありなん。
「てめえ、ふざけんな! なに勝手にイチ抜けかまそうとしてやがる!?」
「うっさいわね! こちとらお大尽さまはともかく、ケダモノ連中に奉仕できるように仕込んじゃいないのよ!」
大の男数人に詰め寄られ、それでも一向に引かないマリエだったが、
「みな、落ち着けぃ」
ジェスタ爺さんの声は、決して大きなものではなかった。
それでも誰も彼も顔を見合わせ、気圧されたように自席へと戻る。
「幻翆苑の物言いは、案としては検討に値するやもしれん。一人だけ蚊帳の外に居ようとするのは感心せんがな」
言われて、プイとそっぽを向くマリエ。
「本日の集まりは、あくまで先触れでしかない。
みなはみなで先ほどの提案を含めて吟味し、三日後、この場所に同じ時間に集って意見を持ち寄って欲しい。
ワシもこちらへ向かう傭兵団に関しての調べを続けておく」
ジェスタ爺さんがよっこらしょ、と席を立てば、今日の会合は終わりだ。
元々の場所が爺さんの店だから、誰も居残ることはなく三々五々に部屋を出ていく。
「ったく、冗談じゃねえぞ」
ヨームたちもブツブツ言っていて、河岸を変えてもう少し話をしねえか? という誘いを丁重に断る。
サイベージを伴って店を出れば、前方にいるマリエが俺に気づいて振り返った。
おまえなあ、もちっと言葉を選べよ、と俺が呆れ顔をして見せると、ベーっと思い切り舌を出していきやがったぜ、アイツ。
ったく、我が娘ながら図太いというかなんというか。
ハーフエルフであるマリエとの親子関係は周囲に秘密していたから、往来で叱りつけるわけにもいかない。
一度、二人っきりでひざ詰めで説教してやらにゃならんかもな。
サイベージと肩を並べて自分の店へと戻る道すがら。
「にしても、以前来た傭兵団の方たちって、今はどうしているんでしょうね?」
「さあなぁ」
ダンジョンなどを探索する冒険者の死亡率は高いが、傭兵の死亡率はそれに輪をかけて高い。
おもに戦場が活動拠点である傭兵は、そこで人同士で殺し合っているんだから当然だな。
やつらは人殺しのプロだ。怪物を殺すのと、同じ人間を殺すのでは、何もかもが違う。
かかるストレスは冒険者の比ではなく、精神を病むものも多いという。
小さな傭兵団なんかは負け戦で全滅することも珍しくないそうだ。
人員が足りなきゃ解散、他の傭兵団と吸収合併ってのも良くある話で、今度ヒエロに来る傭兵団の中に、先年も利用した連中がいる可能性も―――あるには、あるか。
「まあ、風の噂じゃあ、トマスの野郎が、身代を売り払ってケジメを付けさせたって話だが」
トマスって誰ですか? と尋ねてくるサイベージに、例の頭をかち割られた娼館の親仁だよ、と説明する。
あの時に一番被害が大きかったのは、文句なしでトマスの店だった。
なにせ一番人気と二番人気の娘をまとめて嬲り殺されたんだからな。
俺も急を聞いて駆け付けたんだが、頭を覆った包帯を真っ赤に染めながら、トマスは娘たちの遺体に縋りついて号泣していた。
この理不尽に、さすがに政庁に訴えるも、加害者連中はまるでお咎めなしってのはさっきも説明した通りだ。
あんときはジェスタ爺さんも気を使ってよ、俺らも俺らで見舞金を出来るだけ包んだもんだが―――トマスのやつ、店を閉めちまった。
残っていた娘たちは方々の娼館で引き取られたが、トマスは街を出てったきりで、行き先は杳として知れない。
たまたま俺だけがトマスが出ていこうとしているのを見つけて餞別を持たせたもんだが、そん時アイツはこう言っていた。
『娘たちの無念を晴らしてやる』ってな。
俺が話し終えると、サイベージは何だか首を捻っている。
それからやつはおかしなことを訊いて来た。
「旦那、そのトマスさんって、もしかして禿頭の小太りの方ですか? そんで右の二の腕に刀傷のある」
「おう、その通りだ……って、なんでてめえがトマスの容貌を知っているんだ?」
「じゃあ、あの時の依頼者がそうだったんですねえ」
「はあ!? おいおい、そいつはどういうこった!?」
「いえね、どこぞの傭兵団の誰それを、コレしてくれって」
そういってサイベージは、親指で首を掻っ切るポーズをする。
「……まさか、おめえ、連中を
娼館でうつつを抜かしている風に見えるサイベージだが、その正体は伝説の傭兵、もしくは暗殺者と呼ばれる【アルクダの黒鳥】だ。
金次第でどんな困難な依頼も請け負う凄腕って話なのだが……。
俺の質問にサイベージは答えない。
むしろ人懐っこい笑みを浮かべてやつは言う。
「思えば、それがあたしがヒエロに来る理由になったんですね。いやはや、世の中何が切っ掛けになるか分からないもんです」
うむうむと一人満足げに頷くサイベージの野郎に、俺はそれ以上の追及を止めた。
誰にだって触れられたくない過去があるだろう。
そんな浪花節な感情は別にして、コイツの過去を掘り起こしても返ってヤブヘビになる予感しかしねえよ。
「それよか旦那。さっきの会合でのマリエさんの提案ですけどね」
「どっか一つの娼館がぜんぶ引き受けろってやつか? なんだ? それでうちの店に引きこんで、俺とおめえで利用しにきた傭兵団を皆殺しにしようってか?」
「物騒な話はよしてくださいな。あたしゃ暴力は苦手でして」
「心にもないことを言ってんじゃねえよ」
サイベージをジト目で睨めば、やつは平然と俺を見返してニタリと笑う。
「もう、旦那もお人が悪い。とっくにあたしと似たことを考えてらっしゃるんでしょ?」
「……ああ、そうだよこんちくしょう。ったく、おめえに腹を読まれるたあ、俺も焼きが回ったもんだ」
バリバリと頭を掻く。
マリエの提案は、確かに合理的である。
実践すれば被害は最小限に収められるだろう。
けれど実態はババ抜きと同じで、ババを引かされた方はたまったもんじゃないってのがこの話のミソだ。
俺だってもちろんババなんぞ引きたくない。
うちに娘たちには、ある程度の荒くれものなら捌けるくらいには仕込んじゃいたが、万が一の事態と天秤にかける気はさらさらなかった。
余所の店の店主も、俺と同じことを考えているのは間違いない。
そんなの、普通の娼館にとって、当たり前のことだ。
―――けれど今、俺の娼館にサキュバスの姫さまがいるのは、どう考えても普通じゃないわけで。
「ともあれ、相談してみなきゃ始まらねえよ」
サイベージが言った通り、俺の頭の中にぼんやりと絵図面が浮かんでいる。
そいつをくっきりと補強しながら、俺は店への帰りを急ぐ。
店へと戻り、一旦落ち着いてから姫さまを呼び出す俺。
そんで呼び出された姫さまはというと―――ガクガクと生まれたての小鹿の様に震えていた。
「や、やはりわたくしは処されてしまうのでしょうか……?」
いやいや、なんでそうなる?
相変わらず被害妄想が激しいというかなんというか。
「きっと姫さまにとって、旦那は魔王みたいにおっかないんでしょうねえ」
隣でニヤニヤしているサイベージを睨んで黙らせてから、俺はかくかくしかじかと事情を説明。
その上で考えていた計画も説明し、姫さまに向かって頭を下げる。
「そういうことで、どうか一つ、姫さまにはご協力……いやさ、検討だけでもしていただけないかと」
すると、さして考える風でもなく姫さまは頷いた。
「分かりました。わたくしが力になれるのであれば……」
そう言ってもらえて素直にホッとした。同時に、たぶん引き受けてくれるだろうって算盤も弾いていた。
サキュバスにとって男の精気が大好物ってんなら、こんなの入れ食い食べ放題ってやつだからな。
「それは姫さまに危害は及ばないのだろうな……?」
付き添いのロロが、相変わらずのムチムチの胸の前で腕を組みながら苦言を呈す。
「そこはそれ、ロロ、あんたにもお力添えを願うぜ」
かくして計画は完成した。
そして三日後の会合にて。
今度やってくる傭兵団は全員俺の店で面倒を見る、と宣言すると、大層驚かれた。
他の店の店主たちからはもれなく感謝されたわけだが、こいつは一つ貸しだぜ、と精々恩を売っておく。
そんでやってきた傭兵たちってのが、これが絵に描いたように野卑な連中だった。
今回の勝利に貢献した傭兵団の中で、特に活躍した猛者たちを連れてきたとのことだったが、そんな情報は正直どうでも良い。
みながみな地方からの長旅で疲れているかと思いきや、ギンギンに目を血走らせてやがる。
道々でヒエロで女を抱くのが楽しみ楽しみで、一滴も精を漏らさなかった、って自慢されてもなあ。
それでもこちとら客商売だ。
本日はようこそいらっしゃいましたありがとうございます、と如才なく頭を下げて、まずは汚れた装備一式をはぎ取って浴場へとご案内。
大浴場に目を見張ってくれたことは嬉しかったが、身体をよくよく洗いもせずに湯船に入ろうとするのには閉口した。
それでもどうにか全員を洗い立て湯船に入れると 待ちきれずに膨らませた股間を浮上させて互いに笑い合ってるんだからタチが悪いや。
ったく貸し切りじゃなかったら他の客に迷惑千万ってやつだぜ。
そいつらを宥めすかしてようやく食堂まで案内すれば、揃いも揃ったりザフロン傭兵団総勢20余名。
うちに在籍している娘たちを総動員すればどうにか対応できる人数だ。
まずは自慢の飯を振舞い、娼婦たちも酒の酌をしたり話し相手をする。
髭面の蓬髪で鼻息も荒く今にも襲い掛かりそうな野郎ども相手に、酌する娘たちも生きた心地がしなかっただろうぜ。
実は仕込みはここから始まっていた。
俺が食堂の隅から見守っていれば、豪快に酒を呷っていた連中が、次々とテーブルへと突っ伏す。
ついで紫色のモヤみたいなもの降りて来て、男たちの頭あたりを包む。
これはロロが使う魔法で、精神を司る精霊に訴えて深い眠りへと誘ってくれる効果があると言う。
酒に入れた眠り薬と合わされば、たとえぶん殴っても朝まで目を覚まさないと太鼓判を押してくれた。
さて、ここからが大仕事だ。
完全に寝こけた連中を、食堂に隣接した大部屋へと運ぶ。
サイベージと二人して死体みたいに男たちを並べたあと、食堂で不安げな娘たちに、しばらく大部屋には入ってくるなよと念を押して扉を閉ざす。
そうしておいてから、いよいよイーヴ姫の御出陣だ。
「ここで眠っているみなさんの精気を頂いて、夢を見せればいいのですか?」
「ええ。それぞれで相手が違う夢って具合なんですが、出来ますかい?」
「やってみます……」
姫さまが跪く。
ついで祈りを捧げるように手を組んで目を閉じた。
あれ? 相手の額に触れなきゃ駄目なんじゃなかったか? なんて目を見張っていると、なんか姫さまの全身から琥珀色の光が溢れた。
溢れた光の先端はまるでアメーバみたいに細く伸びて、それぞれが横になった野郎たちの額に触れた。
どうやら一対一でなく多数相手となるとやり方も違う様子。
こんなことも出来たのか、すげえや。
感心して見守っている俺だったが、思い返せばなんであのとき全力で部屋から逃げ出さなかったのか。
姫さまがじっと祈りを捧げるようにしていると、寝転がるむくつけき男たちの顔面が紅潮してくる。
続いて、やつらの酒と涎塗れの唇から漏れるよがり顔の気色悪さときたら、筆舌に尽くしがたい騒音だ。
しかも密閉空間での大合唱で、耳を押さえて悶絶する俺とサイベージの目前に、さらにとんでもない光景が。
横になった男たちの股間が、むくむくと隆起していく。
続いてそこから粥みたいな液体が、まるで噴水の如く吹き上げたのだからたまらない。
そして、飛んでいったものは落ちてくるのが道理だ。
「だ、旦那、傘、傘を……!
「てっめえふざけんな俺を盾にしてんじゃねえ!!」
まったく、いっそ地獄の方が清々しい光景に見えたに違いないぜ。
うげえうげえと盛大に吐き散らかしたい衝動を必死て抑える俺とサイベージの目の前で、
「これでよろしかったでしょうか……?」
大役を果たし終えたイーヴ姫が立ち上がっていた。
「え、ええ。ありがとうございました」
礼を言う俺に軽く頭を下げて姫さまは部屋を出ていったが、まるで酔っ払っているみたいに足元が覚束ないもの。
気持ちはわかる。この凄惨な光景は別にしても、いくら好物でも一気にドカ喰いすれば気持ち悪くなろうってもんだ。
ロロに支えられて姫さまが退場すれば、ここからが正念場だ。
大部屋の扉を開けて娘たちを招じ入れた途端、みんなして溢れる臭いと光景に絶句する。
「なにこれ……!?」
地獄へようこそ、って全然洒落になってねえよ。
換気をしつつ、 娘たちを差配して、精液塗れで転がる男どもの肌着を脱がせ、身体を拭いて清めていく。
新しい肌着に着替えさせてから、サイベージと力を合わせて男たちを一人一人娘たちの部屋へ運搬する重労働には、正直泣きたくなった。
男たちを運び終えて、痛む腰を摩りながら、汚れまくった大部屋の掃除もしなきゃならん。
どうにか一連の作業を終えたのはもう明け方近くで、徹夜と疲労で茫然とする俺に向かって、ザフロン傭兵団の団長殿はにこやかに挨拶してくれる。
「いやあ、素晴らしい店だなここは!」
掛け値なしの大絶賛。どうやら俺たちの苦労は報われたらしくてホッとする。
先日まで野獣のようだった他の団員どもも、まるで悟りを開いた坊さんみたいに大人しいのにはいっそ笑ってしまった。
イーヴ姫ことサキュバスの夢の中で、とことんまで搾り取られた結果だろう。そしてサキュバスに精気を吸われること自体、とてつもない快絶だという。
同時に、彼女の夢を操る力で、各々がうちの娘たちに一晩たっぷりと相手をしてもらったと信じ切っている。
目覚めたのが娼婦の部屋のベッドの上で、娘たちも揃って「夕べはとても楽しかったですね」「凄かったですね」と口裏を合わせれば、お釈迦様でも気づくめえよ。
これが俺の引いた図面の全容だ。
「支配人さん、本当にいいの?」
実にあっさりと傭兵団の連中が立ち去ったあと。
クエスティンたち娼婦一同が、不安そうに訴えてくる。
夜中に精液塗れの男たちの全身を清めるという酷な作業こそしたものの、彼女たちは娼婦としての仕事をしていない。
なのに朝になって目を覚ました男たちから口々に賞賛を受け、うんと心付けまで弾んてもらったのには、不思議を通り越していっそ気味が悪く思えたのかも知れないな。なんなら結婚して欲しいと口説かれた娘もいたらしいし。
「いいさ。黙って貰っておけ。だけど、こんなのこれっきりだからな?」
たまたま姫さまが俺の店に潜伏していて、偶然が重なった結果がこれだ。もちろん娘たちには姫さまの正体と手管は伏せてあるし、二度目はないと思っている。
「ついで今日は店は休みにするぜ。おめえたちものんびりするか、貰った金で遊びにでも行ってこいや」
喜んでいいのか戸惑いながら、娘たちは部屋へと引き上げていく。
どれ。俺も寝るか。もう眠くて仕方ねえや。
くたびれ果てた足を支配人室へと向けた時だった。
「オズマ殿!」
声をかけてきたのはロロ。
フードも被っていない切羽詰まった様子に、俺は目を見張る。
幸いなことに廊下に人目はなかったが、ダークエルフの彼女だ、見とがめられたらどんな騒ぎになることやら。
「おいおいどうしたんだ、そんなに慌てて?」
「すまない。ちょっと来てくれ……!」
半ば腕を引きずられるようにして俺が向かったのは、姫さまたちの寝泊まりしている部屋。
「姫さまのことで、お知らせしなければならないことがある」
部屋に入るなり、深刻な顔つきで訴えてくるロロ。
その姫さまはというと、うん? まだベッドで寝ているのか?
「どうした? ひょっとしてどっか具合でも悪いのか?」
「御身の目で確かめて欲しい」
言われて、姫さまのベッドの前まで来る。
すっぽりと毛布をかぶってまだ眠っているようだ。
こんもりと盛り上がった毛布に、ふと疑問に思う。
ん? それにしても姫さまはこんなに小さかったか?
「おーい、姫さま?」
返事はない。
「おーい、姫さま。まだねむってらっしゃるんで?」
やはり返事はなかった。
振り返り、ロロが頷くのを確認してから、俺は毛布を捲り上げる。
「………は?」
そこに、姫さまはいなかった。
いたのは小さい小さい赤ん坊。無邪気な笑みを浮かべては、きゃっきゃと手を動かしながら俺を見上げている。
「……おい、ロロ。こいつはいったい」
誰の子だ、と続けようとした俺の前で、ダークエルフはぴしゃりと断言する。
「姫さまだ」
「……冗談にしては笑えねえぜ?」
「その琥珀色の瞳は、姫さまで間違いない」
「おいおい、なにがどうなったら一晩で姫さまが赤ん坊になるってんだよ!?」
「わたしだって何が起きているのか分からない! しかし、思い当たる節はある!」
「なんだって? そいつはいったい……?」
言いさして、俺は固まる。
思い当たる節もへったくれもあるか。
俺は夕べ姫さまに何をさせた?
20人以上の野郎どもの精気を盛大に吸ってもらったじゃねえか。
サキュバスは、精気を吸っていないと老化してしまう、という姫さまの言葉を思い出す。
ならば、過剰に精気を吸ったサキュバスは―――。
「まさか、姫さまは若返ったっていうのか?」
ゴクリと唾を吞み込んでから俺。
「他に解釈の余地がなければ、おそらく」
深刻そうなロロの表情から、彼女も初めて遭遇する事態だと直感した。
「だからって、こりゃどうすりゃいいんだ?」
嘆いてしまう俺だったが、そう悲観するものでもないか。
精気を吸収しなければ老化するのであれば、このまま放ってけば成長する、というか元に戻るんじゃないのか?
「その可能性は高いと思う」
ロロも慎重に賛同してくれたことに胸を撫でおろす。
だったら何も焦る必要もなかったな。
そう笑おうとした矢先、唐突に姫さま、もとい赤ん坊が泣き出した。
「おいおい、いきなりどうしたんだ?」
抱き上げてあやしてみるが、まったく泣きやむ様子がない。
「……もしかして、普通に腹減ったのか、こりゃ」
「さすがにわたしも乳は出ないぞ」
そういってロロは豊満な胸を腕で隠すようにして、
「しかし、将来的に出せるようになるやもしれん。
どうかな、オズマ殿。姫さまが元に戻るまで一緒に育てるというのは……?」
一転、胸の谷間を強調するようにギュッと持ち上げて、チラチラと切れ長の目で俺を見て来るサマに、思う。
……初対面から引っ掛かってはいたが、ひょっとしてこのダークエルフは色ボケのきらいがあるんじゃねえの?
そしてそのタイミングで部屋のドアが勢いよく開く。
もう一人の従者であるタメラが戻ってきたのか、と思って振り返り、俺は凍りついた。
入口に立っていたのは、なんとエルフの女房であるミトランシェ。
俗に、エルフとダークエルフは犬猿の仲であると言われている。
まるでロロが俺を誘惑しているように見えるこの構図、果たして女房殿の目にはどう映っていたものか。
「……ひッ!?」
この悲鳴はロロが発したものか。
それとも思わず俺が漏らしてしまったものか。
こちらを睥睨するように冷たく目を光らせ、ついでガリリと噛んだのは手に持ったヒュレオの実だ。
まだ青い熟していない果実は、口が曲がりそうなほど酸っぱいはずだが、平然と咀嚼するトランシェには更に得体の知れない迫力を感じる。
唇の端の果汁を拭いながら、ミトランシェは俺の傍まで歩いてくる。
視線は俺と、俺が抱えた赤ん坊へと注がれていた。
「ちょ、お、落ち着いて聞いてくれ! こいつは姫さまが若返った結果でな……!?」
ほぼ反射的に言い訳を並べたてる俺。
「……赤ん坊は好きなの?」
ミトランシェの直球の質問。
一瞬だけ迷う。
ここで嫌いだ、と言えばどうなるだろうか、と。
いかに嫉妬深いエルフと言えど、まさか赤ん坊にまで危害は加えないだろうとは思うが……いや、そんな世迷言をこねくり回している以前に、答えなんか決まりきっているさ。
「ああ、好きだぜ。出来れば、マリエのやつもおめえと一緒に育てたかったよ」
かつての俺は、ミトランシェが妊娠したことは知らず別れている。
当然、産んだのだって知らされてなかった。
なのでマリエはだいぶ成長してから引き合わされていた。あなたの娘ですって、な。
本音を言ってしまえば、自分が子持ちだという実感はあまりなかったりする。
赤ん坊が好きだと答えたことは紛れもない本心というやつだ。
するとミトランシェは明るい笑みを浮かべてこう言った。
「良かった」
女房殿にしては、珍しく素直というか、清々しい笑顔を浮かべている。
それから彼女は、自身の小さな胸に片手を当て、その手を細い腰へと移動させた。
腹部を愛おしそうな顔付きで撫でながら、ミトランシェはしっかりと俺のことをを見据えてくる。
「子供が出来た」
「……ん?」
子供、って。
え?
それって、俺の、子供……?
目を見張り、ついで女房殿の腹を凝視。
腕の中の赤ん坊な姫さまは、ますます甲高い泣き声を上げていて困惑するしかない。
そんな俺を眺めつつ、またもや未熟なヒュレオの実を齧るミトランシェ。
……ああ、だから最近おまえはそんな口が曲がりそうなくらい酸っぱいものをバクバクと喰っていたんだな、って、情緒がおっつかえねよ!!
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