魔王の娘の話


 この世界には、魔王という存在が時たま出現する。 

 魔王というからには魔族の王なわけで、絶大な魔力をもって見境もなく暴れまくる。



 魔王自体は単独だ。この時点では、言うなれば一体のイカレポンチに過ぎない。

 しかし魔王を魔王たらしめる特質として“狂奔”というものがある。平たく言えば、周囲の他の魔族も次々とイカレポンチにしてしまう能力らしい。

 それもイカレポンチになった魔族から他の魔族へと流行り病のように次々と伝播してくって話だからタチが悪すぎる。

 

 こうなってしまうと人類側も一大事だ。この時ばかりは国々も一丸となって、暴れまくる魔族たちの盾となる。

 そうやって各国の軍が連携して狂った魔族ども押さえ込んでいる間に、選び抜かれた精鋭たちが敵陣深く切り込んでいく。彼らは人類の剣と化して魔王の喉元へと迫るのだ。

 

 そして魔王を討ち斃せし者こそ『勇者』と呼ばれ称えられるわけだが―――。

 





「失礼だが、貴殿たちの認識は間違っているぞ」


 俺たちの目前でダークエルフが静かに口を開く。 

 彼女はロロスロウと名乗った。

 どうか『ロロ』と呼んでくれ、とか言っていたっけな。


 そんなロロは、今は皮鎧も脱いで丈の短いチェニック一枚の姿だ。

 露出度から言えば下着も同然で、こすり合わせるようにした太腿がムチムチと肉感を主張していた。

 加えて胸元にはデカくて深い谷間が覗く。

 これで腰はキュッと引き締まった柳腰ってだけでも大概だ。

 トドメとばかりに秀麗な顔の半分を覆うように流された銀色の美髪。

 なんとも悩まし気な表情を浮かべて俺たちの前にひざまづく姿は、ぶっちゃけエロい。


「つッ!?」


 振り返ればミトランシェが俺の背中をつねっていた。エルフであるうちの女房殿がすこぶる嫉妬深いのは言わずもがなだが、尋問している間くらい勘弁してもらえんかね?


「ごほんッ!」


 今度は誰だ咳払いしやがったのは? と視線を巡らせば、俺が見い出したるは貴顕の顔付き。


 大聖皇国第八王位継承者、クラウディア・ディスノッケン・エルトリート殿下。

 

 クラーラと勝手に俺が愛称で呼んでいる殿下サマは、金色の瞳を細め、視線にたっぷりと棘を込めて俺を射る。


「夫婦で惚気るなら別の場所でして欲しいのだけれど?」


 何もそんな言い方しなくてもいいじゃねえかよ、と口の中で小さくブツブツと呟いて、俺はその場から引き下がる。替わりにロロの前に向かって歩を進めたその殿下サマだ。

 

 クラウディア殿下が足を動かすたびに空気は張りつめる。

 原因は、彼女の斜め後方に付き従う騎士だ。腰の剣の柄に手を掛けており、いざとなれば狼藉者を瞬時に斬り伏せる間合いを維持している。

 半板金の鎧に真紅のガーヴを纏った宮廷騎士ことメッツァー・ランドルフは、鋭すぎる眼差しを油断なくダークエルフへと注いでいた。

 顎髭を生やした精悍な顔立ちに過日の酒精の名残は見られない。

 反面その頬にくっきりと青タンが出来ているのは、なんとも締まらなくて笑えてくる、とくらあ。


 ニヤニヤと眺めているとジロリと睨み返された。慌てて口を押えれば、おう、痛ててて……! 俺の殴られたアゴもガクガクで、こいつは全て前日の産物である。




『魔王の娘を俺の店で引き受けろってのはどういう了見だ!?』

『知るかッ! オレもこの書状の内容をいま初めて読んだんだぞ!』

『嘘つきやがれ! そんな厄ネタを知らぬも案山子もねえだろうがッ!』

『おまえこそワケのわからんことッ!』




 盛大に揉み合った挙句、どうやら殴り合いになったらしい。

 気づいたときには俺もメッツァーも揃って酔っ払って床に転がっていた。

 泥酔した過程の記憶はすっぱりと抜け落ちていて、互いの身体についた傷跡に関しては各々で推測するしかなかったという次第だ。



 まあ、現役の宮廷騎士サマ相手に遅れを取らなかったみたいだから、俺の地力もなかなかのもんかな? ってな風に自画自賛して痛むアゴを摩っていると、クラウディア殿下による尋問が開始されていた。



「では、当方の認識の齟齬とは何か?」


 物言いこそ固いが、品位を感じさせる声音だ。なによりその凛とした横顔に、俺は彼女が改めて国を治める皇族の一員であることを思い知っている。


 相対したダークエルフことロロは臆することなく口を開く。


「……失礼ながら『人族』は、『魔族』に対し偏見が多すぎる。人族は、我々を一括りで怪物の集団か蛮族と思ってはいるのではないか?」


 魔族と言えば、ベルファスト大陸と海峡を隔てた北の大地に生息する異形の連中。

 人知を超えた権能を振るい、人類へと仇を成す危険な存在。


 街や村の往来で適当に訊ねれば、十人中十人はそう答えるはずだ。 


 俺とてむかし冒険者稼業をしていたころ、魔族と直接会った経験があった。

 実際に戦ったやつは意味不明なほど手強く、逆にしっかりとコミニュケーションが成立して友好的なやつもいた。

 姿形や能力に個体差があるんだろう、って勝手に解釈していたけれど、連中が北の大地でどんな暮らしをしているかなんて考えたこともない。


「我々とて始終諍いを繰り返しているわけではない。地を耕し糧を作り、子を育み住処を建て、氏族の話し合いよって物事を定める。街の造りも暮らしぶりも、人族のものと大差ないと思うぞ」


 おいおい本当マブかよ、それ。

 てっきり毎日天下一武〇会みたいなものを催して、優勝したヤツが賞品総取り、俺の命令を聞けガハハハみたいな蛮族スタイルかと思ってたわ。

 

 こっそりとクラウディア殿下の表情を窺った。

 まるで驚く素振りも見せない様子に確信を抱く。彼女は既にこの情報を知っていたのだ、と。

 となれば、いまここで改めてロロに説明させた理由はなんだ? 

 そんなの決まっている。全て俺に聞かせるためだ。


「貴殿らにとって、魔王の存在そのものに含むところが大きいのだろうが……」


 物憂げな表情を浮かべるロロ。

 

 一言に魔族といっても、内陸の街や村で暮らす人間が実際に出会う機会なんてほとんどない。

 なのに魔族が恐怖の対象として市井に膾炙している要因は、ロロが指摘した通り“魔王”の存在が大きいのだろう。

 

 魔王は数十年に一度の間隔で現れると言われており、その被害は多くの歴史書に記されていた。

 200年ほど前の魔王戦役の記録によれば、魔族たちにベルファスト大陸の中央部まで攻め込まれ、途上にあった国は全て消滅、大幅な地図の刷新が行われたとか。

 

「人族にとって魔王は天敵だと思う。だがしかし、魔王の出現は、魔族全体にとっても避け得ぬ厄災であり、宿痾しゅくあなのだ」


 ロロの真面目腐った物言い。


 『厄災』という表現もたいがい物騒だが、『宿痾』とは確かどうしても治せない病のことを意味するんじゃなかったか? 

 言われてみれば、魔王の出現は疫病のようなものかも知れない。同時に彼女の口にしたのは、単に病気のことを指しているだけではなさそうだ。


「私たちとしても、好んで人類と敵対しようなどとは考えていない」


「っていうと何か? そもそもの魔王戦役も、魔王の特質である“狂奔”にそそのかされる格好で、半ば無理やり人類との戦争になっているって意味か?」


 クラウディアを差し置いて驚く俺を見て、ロロは大きく頷いた。


「その通りだ。なぜなら―――【魔王】は【魔族】には殺せない」


 少なからず衝撃を受ける俺だったが、考えてみればそれも道理か。


「なるほど。殺そうと近づこうとした魔族は、下手をすれば自身も狂奔の能力に飲まれるってことか」


 まさにミイラとりがミイラとりになるってのを地で行く寸法ってことだろ?


「然り」とロロは肯定。


「だからこそ、魔王が出現した際には人類の力が必要となる。貴殿たちは【勇者】と呼んでいるそうだが…」

 

「………」


 おいおい、訊いておいて何だか、随分ととんでもない話になって来てねえか?


 魔族としては人類と敵対するつもりはない。

 しかし突然出現する魔王のおかげで、人類に牙を剥かねばならぬ。

 そして魔王を討てるのは、人類の力―――すなわち勇者のみ。


 歪んだ三すくみというか、なんというか。

 


 だがこの時点では目の前のダークエルフが一方的に語っているだけ。迂闊に鵜呑みにすることは出来無い。

 しかし。

 

「個人的な意見となりますが、我々人類にとっても魔族との戦いに益は無いと断定できます」

 

 クラウディアの厳かな発言。

 しかしそれを耳にしたロロの返答は妙に歯切れが悪いもの。


「その意見には魔族も総意を持って賛同を示す、と思う…」

 

「なんだァ? やっぱ魔族の中には主戦派もいるってことか?」


「レン。それは私たち側も同じことよ」


 俺のまぜっかえしに応じるクラウディア。


「アルメニア聖堂教会の根源派なんて、『魔族はすべからく絶滅すべし』と教義に掲げているし……」


 溜息をつきたそうな表情を浮かべるクラウディアに、なるほどと俺も同意する。

 

 宗教が生まれればその教義の解釈から宗派が生じる。これは当然のことだ。

 そんな中には、時勢の流れで柔軟に変化していく一派もあれば、頑なに原典や教義を墨守する一派もいる。

 元を辿れば同門の連中が、教義の解釈で対立するのは良く聞く話だ。

 いわゆる原理主義者と称される一派が過激な主張と行動に走るのは、この世界でも一緒なのか。  

 

「そんで? 魔王の娘ってやつは何なんだ?」


 あまり宗教談義に関わりたくない俺は本題へ斬り込むことにする。


 単純に魔王の娘を預かれって言われてもなあ。

 そもそもの魔王は世襲制なのか?

 もしそうならば、親が“魔王”として覚醒したその瞬間に、その娘も真っ先に狂奔に呑み込まれていなければ筋が通らない。

 

 俺としては当たり前の疑問を口にしたつもりだった。

 なのにロロが席を蹴立てるような勢いで叫んだことに驚く。 


「我が主君は先代魔王と何も関係がない!すべては言いがかりだ! なのに! それなのに皆が! 皆で寄ってたかって……!」


 跪いている格好から腰を浮かしかけたものだから、メッツァーも咄嗟に剣を抜きかけている。

 ハッとした表情で自分の醜態に気づいたロロは、謝罪するように再び膝を突いて深く頭を垂れた。

 そんな彼女曰く。

 

 魔族たちの間でも魔王の存在は、いわば天災と同義に捉えられている。

 だからといって魔族たちもただ手をこまねいていたわけじゃない。

 昔から対策を講じてきており、長年の研究を重ねた結果、次代の魔王に覚醒しそうな人物を絞り込めるまでになってきている。

 なんでも魔族の十五氏族と呼ばれる、特に古い血族の家系に魔王に覚醒する確率が高いとか。

 

 なので被害を抑えるためにも、因子の濃い人物を僻地に隔離したりといった対策が行われている。

 しかし昨今は、魔王が出現した際のリスクを天秤にかけ、疑わしい人物を覚醒する前に抹殺してしまえ、という過激派の意見が台頭してきているという。

 

 魔族の中でも十五氏族は古い伝統と血統に裏打ちされた保守派だ。

 そして比較的新しい血統の氏族で構成される開明派。

 元から勢力争いをしていた二つの派閥において、次世代魔王の覚醒問題は絶好の火種となった。

 結果、次の魔王の覚醒を阻むとの建前のもと、半ば公然とした暗殺行為すら横行しているのが魔族社会の現状らしい。

 


「……姫は全てを奪われた。城も領地も、父君も母君も、名誉も誇りすらも!!」


 ロロが銀髪を揺らしながら訴える。唇を噛みしめた紫色の瞳には涙と悔しさが滲む。

 

「―――なるほど。ってことは、目的は亡命ってことか」


 ここまで語られて筋書きが読めないほど俺もボンクラじゃねえ。

 だいたい話は大聖皇国にドライゼンと国絡みなんだ。

 おそらく地元では身を隠せる場所がなくなって、国外へ助けを求めるしかなくなったってことだろう。

 

 違うかい? と俺が目線で訊ねると、ロロは悲壮な表情でうべなった。

  

 人族との確執を弁えた上で、主君の身を護るための手段。

 果たしてその選択は正しいのか?

 きっと彼女は今も自問自答を繰り返しているはずだ。

 

 ……だからって、そんな縋るような目で見てくるのはよせよ。反則だぜ。


「ともあれ、その潜伏先に俺の店を選ばれた理由を、ぜひ殿下サマにお伺いしたいもんだが」


 くるりと身体を返し、クラウディア皇女殿下へ向かって尋ねる。

 無礼を咎められない替わりに、殿下の表情も声音も気安いものへと変化していた。


「それは様々な理由があるわ。まず第一に、これはドライゼンの―――いえ、アルディーン殿下からの非公式な依頼であるということ」


「つまり亡命自体があの伊達な王子様の差し金ってことかい」


 西国一の麒麟児と名高いアルディーン・ノツァグライラ・ドライゼン。

 はっきりいってあの御仁が浪花節で魔族の姫さんに手を差し伸べたなんて考えられねえ。

 きっと何かしらの旨味や見返りがあるに決まっている。それこそが政治ってもんだろ?

 だいたい人族の国は魔族との国交など樹立していないのだから、亡命という表現からしておかしいぜ。 

 

 そこまで考えを及ばして俺は頭を振った。

 しょせん俺は一介の市民だ。単なる娼館の親仁だ。

 そんな政治や国の思惑に関わるなんざ御免被りたい。


 しかしながら、個人的にはアルディーン殿下に借りが無いわけでもなかった。辺境都市カナルタインで処刑寸前の俺を助命するために骨を折って貰ったからな。


 加えて、大聖皇国皇族のクラウディア殿下の頼みというなら突っぱねもするが、クラーラとしての頼みであるならば、俺も無碍にするつもりはない。


 だからこそ、話を聞く場をわざわざ俺の店に設けたわけだが。


「取り合えずアルディーン殿下への借りや、クラーラ、おめえさんへの義理は置いておくさ。

 その上で俺の店を選んだ理由ってやつを詳しく教えてくれ」


 俺がそう水を向けるとクラウディア殿下はわずかに口ごもる。


「……かの姫君を匿うだけなら大聖皇国内にはいくらでも場所があるわ。けれど、万が一にも、彼女が魔王に覚醒する可能性も否定できない」


 次代の魔王覚醒者として殺されそうになったところを逃げ出してくる以上、その可能性はもちろんある。単なる難癖でそう呼ばれているなら、仮にも魔王の娘なんて呼ぶのかって話だ。

 

 そんでもし、街中でその魔王とやらに覚醒したらどうなる?

 周囲に魔族がいなければ〝狂奔〟の能力は発揮できない。しかし、魔王一体だけでも相当な被害が出ることは想像に難くない。



「その点、レンの近くには抑止力が存在する」


 クラウディア殿下は、まるで町娘のような仕草で指折り数え始めた。

 

「まず先代の魔王を討った【勇者】アレス様がいるでしょう?」

 

 俺の娼館で女を知り、魔王を討ったのちに一晩の相手となったその看板娘を娶ったアレスは、確かにヒエロ近郊に居を構えていた。

 ドライゼンの処刑場に先陣を切って助けに来てくれたのもありがたい話だが、最近も産まれた娘を連れては夫婦二人でたびたび顔を見せに来てくれている。


「それに」


 殿下の視線は、俺と隣にいるミトランシェへも向けられている。


 女房殿に関しては、クラーラに同調するのもやぶさかではない。あのクソデカい魔法の大剣と血涙石から削り出されあらゆる魔法を受け付けないとされる【黒王の鎧】。

 どちらも伝説級のシロモノだ。これを纏ったミトランシェが本気を出せばべらぼうに強いのは間違いねえ。

 

 かくいう俺も、手で触れただけで相手の命を奪うという特殊な能力を持っている。こっちは魔王に通じるかどうかはわからないし、おいそれと試すつもりもないが、クラーラとメッツァーしか知らない俺の力を頼みにするのは分からなくもなかった。

 

 つまりは、その魔王の娘とやらが万が一にも【魔王】に覚醒したときに、真っ先に斃せる面子がここには顔を揃えているということか。

 俺が納得する素振りを見せる前で、なぜかクラウディア殿下は口籠っている。

 見事な化粧が施された頬をほんのりと赤く染め、彼女は言う。

 


「そしてもう一つの理由は―――」






 

 俺が承諾したことにより、クラウディア殿下はドライゼンに『受け入れよろし』との密書を送ることを決めた。

 そんなんだったらボルドに持たせてやれば良かったんじゃねえのか? と疑問に思ったが、彼自身もアルディーン王子のシンパと見做されている可能性が高いそうだ。

 あくまでクラウディアとアルディーンの両殿下の密約である以上、さらに厳重かつ極秘な方法で連絡を取るという。

 首尾よくいけば、例のお姫さまとやらは、一月と掛からず大聖皇国はここヒエロの街でやって来られるらしい。

 そしてロロスロウこと『ロロ』も、そのまま俺の店で面倒を見ることとなった。


「万が一、こちらの裏切りや不義が生じた場合、如何様に処されても構わない」


 要は人質ってヤツだろう。


「私の身は御身に委ねる。抱くなり牛馬の如く扱うなり、好きにしてくれ」


 豊満な胸を持ち上げて流し目で見て来る仕草に俺は思わず生唾を飲み込み、隣で表情に出さずキレたのはミトランシェだ。


 無言でポカポカと背中を叩いてくる女房殿は、どうやら俺の浮気を疑っているよう。

 いくら説得しても折れないミトランシェに閉口した俺は、ロロの身柄を離れの部屋に軟禁状態にすることを提案し納得してもらう。

 その世話役をミトランシェ自身が申し出てきたのは、彼女の嫉妬深さの表れか、それとも俺に信用がないせいか?


 というわけで、今日も今日とて女房殿は、腕いっぱいにデカい籠を抱えて厨房から離れへと向かっている。運んでいるのはおそらくロロの食事だろう――と思ったのだが、籠に山盛りされている未熟なヒュレオの実に俺は目を剥く。


「おいおい、そんなモンを食べさせて大丈夫なのかよ?」


 妖精族の好物と言えば、果物や山菜といったもの。

 別に連中も肉を喰わないわけではないのだが、なんでも一人前に働けるようになって最初にする仕事が森に入ってのそれら果実や野菜の採取なんだと。

 森の恵み=ソウルフードってヤツなんだろうが、熟しきってないヒュレオの実ってのはおそろしく酸っぱい。いくらエルフだってまともに食べれば口を曲げたくなるシロモノだぜ?

 それをそんなに抱えてどうするってんだ。まさかと思うが、ロロに無理やり食わせる拷問じみたことをしているんじゃあるまいな?


「……とりあえず、あまり虐めたり無茶なことはするんじゃねえぞ?」


 怖い怖い女房殿は、ことが女絡みだとなおのことおっかない。

 せいぜいそう進言することしか出来ない俺に、ミトランシェは不思議そうに首を捻っている。それでも間もなくコクンと頷いてくれた様子から、どうにか了承してくれたようだ。

  

 にしても、一度くらいはロロの様子を見に行ったほうが良いかも知れん。

 部屋に籠っているのはともかく、ほぼ24時間ミトランシェに見張られているんだ。

 明け方に人目に触れないよう温泉こそ使わせているが、ストレスは相当なもんだろう。


 そんな風にロロを気を掛けつつ、クラウディア殿下から連絡が来たのは一月も経たない三週間後だ。

 内容としては、一両日中に到着するってんだから忙しない話である。

 それとも、ドライゼンをよほど切羽詰まった状態で出国しなければならなかったのかも知れない。









 空は晴れ上がっているのに、妙に生ぬるい風が吹き抜ける昼下がりだった。

 込み始めた大通りを抜けて、俺の店の前に辿り着く二つの小柄な人影がある。

 どちらもフードを目深に被っていて表情は窺えない。

 人影の片方が一歩前に踏み出して、店先で待ち構える俺の前にくる。 


「えーと、『ソガノスケロク』です。遊びにきました?」


 挨拶を受けてニッコリとし、慇懃に頭を下げる俺。この世界で意味が通らない符丁は、目の前の客が間違いなく待ち人である証拠となる。


「はいはい、揚巻さんも首を長くしてお待ちですよ。ささ、店前でもなんですから、どうぞ中へ……」

 

 俺は二人を店の中へと誘う。

 そのまま三階にある支配人室へと向かうワケだが、通路でや階段で擦れ違う娘たちは特に俺たちを気に留める素振りも見せない。

 無遠慮に客人を眺めるのは無礼千万と仕込んでいたし、自分でいうのもなんだが、最近はこの手の訳あり客ばっかり迎え入れている気がするぜ。

 

 支配人室にはミトランシェが待ち構えていた。アゴをしゃくると、俺たちと入れ違いで彼女は部屋を出ていく。それから間もなくミトランシェが連れてきたのは、こちらもフードを目深に被った人物でロロだ。

 

「姫さま……!」


 感極まった声を上げるロロに、ソファーに座していた先客たちはフードを捲り上げる。

 片方はまだ幼い顔つきの愛らしい少女だ。

 もう一人の人物の方は、真っ白な髪をひっつめにし、顔全体に深い皺を刻んだ小さな老婆だった。

 ロロも交えて三人がひとしきり再会を喜んだあと。


「イーヴ・ラディム・サロリオンである! こたびの受け入れに心から感謝するのじゃ!」」


 少女が慎ましやかな胸を張るように宣言する。


「そしてこちらは、侍女のタメラじゃ!」


 彼女の背後に控えていた老婆は、柔らかい仕草で頭を下げてきた。

 

 なるほどなるほど。『じゃろう』の役割言葉を使うお姫さんと、その身の回りの世話をする従者が一人。それに護衛のロロを加えて、こちらが魔王の娘さまとその御一行ってことかい。


「おっと挨拶が遅れました。当館の主、尾妻連太郎と申しやす。

 このたびは合縁奇縁相成りまして、当方でそちら様の面倒を見る運びとなりやした。

 なにかと不便をおかけするやもしれませんが、どうぞごゆるりとご滞在下さいな」


 俺の口上を受けて、イーヴと名乗った少女を先頭に三人組は揃ってポカンとした表情を浮かべる。

 どうやら『合縁奇縁』なんて表現はこっちの世界では通じなかったようだ。

 俺が頭を掻いていると、ゴホンと咳払いをし少女はこう言ってきた。


「こ、こちらこそ貴殿の、いや、オズマ殿の寛大な心遣いに感謝させて頂くのじゃ。今は何も報いる術はないのじゃが―――」


「おおっと、その先は言いっこなしでお願いしやす。心配しなくても、ちゃーんと報酬は頂いていますんでね」


 笑みを浮かべて見せる俺だったが、言ったことは嘘ではない。

 クラウディア殿下からは既にたんまりと金貨を頂戴していた。これが前払い分だって言うんだから剛毅な話だ。同時にその金額に見合うだけの厄ネタであることも間違いないのだが。

 

 引き受けておいてなんだが、かなりの面倒ごとの予感がする。

 なので。


「おい、サイベージ」


「はいはい、旦那、なんの御用でしょう?」


 痩身の首の上にはなんとも図太そうな顔つき。まるで闇夜のカラスのような黒衣を愛用するこの野郎に、俺はそっけないほどの声で命令する。


「こちらの御一行はしばらくウチの店に滞在して頂くんだが、その間の客人の面倒をお前が引き受けてくれや」


「はいはい、旦那の仰せならよろこんで……って、ちょいと待って下さいよ、旦那!?」


 珍しく悲鳴じみた声を上げるサイベージ。 


「いくらなんでも……」とブツブツ言い始めた野郎の首根っこを抱え込むようにして俺は叱りつける。


「四の五の抜かしてんじゃねえよ。だいたいおめえ、ちびっこい子供とご老体にゃあ妙に親切じゃねえか」


「そうは言いますがね! だからって魔族の方のお相手というのは、その……」


 客人に聞かせるわけには行かないので、ほぼ無声音でのやりとりとなる。


「―――やはり、我々の来訪は迷惑じゃったのかのう……」


 振り返れば、イーヴはしょんぼりとした表情でうなだれていた。

 俺はすかさずサイベージの野郎をずずいと前に押し出しながら「いやいやそんなことはありやせんよ」と声を張る。


「こいつはサイベージって言うんですがね、胡散臭いナリはしていますが、何かと気が利いて便利なやつですんで。何か困り事や頼み事があれば、滞在中なんなりと使ってやって下さい」


 この期に及んでも、旦那、と胡乱な目をしていたサイベージだったが、ようやく覚悟を決めたらしい。


「お初にお目にかかります、お嬢さまがた。今しがたご紹介に預かりましたサイベージと申します。以後お見知りおきを」


 そういってイーヴの手を取ると、わざとらしくその甲に唇を落としている。何とも気障ったらしい真似なのに妙に堂に入っているってんだから、つくづく如才のない野郎だ。

 けれどそんなヘラヘラとした言動に輪をかけて中身は面倒くさいってんだから恐れいる。


 要は俺は、面倒な相手を面倒くさい野郎に押し付けたわけだ。

 毒を持って毒を制するって言い方も変な話だが、いつの間にか俺の店に居座って、俺の命を虎視眈々と狙っていた野郎をここまで重用すること自体、よほどヘンテコな話かも知れない。

 

  

 とまあ、魔王の娘さん改め姫さん御一行の面倒はサイベージに任せ、俺も俺の仕事をしなければならない。

 そんで姫さん御一行の方も、折を見てサイベージと街の見物に繰り出しているようだ。


 大陸一の歓楽街を称するここヒエロは、露天の数だけでも半端ない。加えて雑多な人種が終日行き交っているわけだから、潜伏先としては意外と悪くない選択かも知れない。むろんよからぬ輩が紛れ込む危険性も高くなるが、護衛のロロは精霊魔法が使えるしサイベージの野郎の勘もモノを言うだろう。


 それに何も姫さんたちもいつまでもヒエロにいる予定ではない。亡命したからといって一か所に留まり続ければ危険性も高くなる。


 次は南のエルロッカか、西のバラード連邦か。いっそ東方国へでも行きましょか。って俺が鼻歌を口ずさむ具合で、次の行先に対してクラウディア殿下も腐心しているらしい。

 

「今日は、大通りの露天から噴水広場まで散策してきましてね」


 世話を押し付けてこの方、毎晩律儀に俺に報告を上げてくるサイベージがいる。


「そうかい。まあ姫さん一行も退屈してねえようで結構だ。他に不自由してそうなとこは何もないかい?」


 潜伏先に選ばれた俺の店は娼館で、一般の宿泊施設とは造りが違う。まあ、普通の宿にはない豪勢な風呂場はあったが、至らない面もあるだろう。

 亡命先で贅沢させるなんて、との見解もあるだろうが、俺が引き受けた以上、最低限のもてなしはするつもりだ。

 

「お部屋については特には。お風呂には偉く感激されていたようですけどね」


 部屋は、下働きの娘たちの暮らす一棟の、続きの二部屋をあてがっていた。ベッドも内装もはっきりいって粗末なもんだが、文句がないってんならそれでいいか。風呂に関しては言うまでもない。


「にしても、サイベージ。おめえ少し痩せたか?」


「そうですか?」


 不思議そうに首を捻るサイベージは元々からして痩身だ。しかしその顔付きがどことなく細く、加えて目の下の隈も濃くなっているように見受けられる。


「むしろ、最近は夜もしっかり眠れているんですけどね」


「そうなのか?」


「ええ、朝まで夢も見ずにぐっすりと」


 笑うサイベージに、その時の俺も納得して頷く。


 ところが、そこから更に数日も経過したころには、サイベージの野郎の顔色は益々悪くなっていた。

 これには店の娘たちも心配そうに俺のところへ陳情に来る。


「支配人さん、先生(サイベージのことだ)どうしちゃったの? すごいフラフラして歩いてて、見ていて危なっかしいんだけど」


 サマンサとアリンとニースが雁首揃えて言って来た。


「そうかい? アイツに聞けば夜は良く眠れているって言っていたぜ?」


「でも、ここしばらく、サイベージさんは誰の部屋にも泊まってないみたいだし……」


 サイベージの野郎が、毎晩手透きの娼婦の部屋へしけこんで寝床替わりにしていることは知っていた。それが最近は娘たちの誰のところにも訪れてない、と。


「わかったわかった。心配してやってくれてありがとよ。俺からもいっぺん問い質してやるさ」


 そういって娘たちを下がらせたあと。


 例によって定時報告に来たサイベージの姿は、目も落ちくぼんで頬もこけて、まるで骸骨みたいな人相になっていた。うん、こりゃ娘たちも心配するわ。


「おめえ、毎朝鏡は見てないのか? ひどい面構えになっているぞ?」


「そうですか? むしろ身体は軽くて調子は良いくらいなんですが……」


 そうは言うが、まるで吹けば飛ぶように思えるほど痩せて見える外見に、俺もさすがにヤバイと見定める。


「ちょいと姫さん一行を呼んで来てくれ」


「はあ……」


 サイベージが呼びに行き、三人は目深にフードを被って支配人室までやってきた。


「オズマ殿、何用かの?」


 フードを捲り上げ、イーヴが幼い容貌を晒す。


「もしや次の我らの行先が定まったのだろうか?」


 フードを脱ぐなり腰まである長い銀髪を翻してはロロ。


「いえいえ、生憎とそういうお話じゃございません」


 俺は首を振ると、じっとフード姿の人物へと視線を注ぐ。今、この部屋でフードを被ったままなのは、お付きの侍女である老婆のタメラだけだ。


「あれ? タメラさん、ひょっとしてどこか具合でも悪いんですか?」


 てめえの方がよっぽど具合が悪そうな面体でサイベージが訊ねる。


 しかしタメラは答えなかった。フードを捲るのを躊躇する彼女の様子に、俺は深々と溜息をつくと、言った。


「そこなタメラさんが、サイベージ、おめえの面相が変わってしまった理由さ」


「……はい? え、どういうことです?」


 困惑するサイベージの目前で、ゆっくりとタメラの被っていたフードが下ろされる。現れた顔に、サイベージは目を見開き、俺だって驚いたさ。


 そこにいたのは白髪と皺だらけの老婆ではく、黝い髪に瑞々しい肌を持つ美しい少女だったのだから。


「誰ですか?」


 サイベージがポツリと言ったのもむべなるかな。


「俺たちが初めてあったときのタメラさん本人には違いないだろう」


 俺は答える。


「けれど、本当はこっちが本物の姫さんってことだろう? なあ、イーヴ・ラディム・サロリオンさんよ?」


 俺の問い掛けに、タメラ改めイーヴはバツの悪そうな笑みを浮かべていた。


 彼女こそ魔王の形質を継ぐ魔族の一人にして、紛れもなくサキュバスの一族の姫君だった。


   

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