【続】娼館オズマ

鳥なんこつ

冒険者が娼婦になる話 前編

 俺の見つめる先で、なにやら細長い金属の破片が宙を舞っている。

 一本一本がまるでナイフみたいに輝き、それが扇状に広がって展開する様は、まんま阿弥陀様の後光のようだ。


 テーブルにつき、大道芸よろしく金属諸々を宙に浮かべている見目麗しい妖精族エルフが一人。

 俗にエルフは、若い容姿のままン百年以上は生きるといわれている。まるで少女のような外見だが、実年齢は俺も知らない。

 一応、俺の女房ということなっている彼女の名はミトランシェという。


「……おい、そんな物騒なモン、そろそろ仕舞ってくれねえか?」


 そういうと、小さな顎がコクンと動く。

 するとどうだ。宙に浮かんでいた破片は見る見る組み合わさり、一本の長大な剣となる。

 その大剣には見覚えがあった。

 西国のドライゼン領、辺境都市カナルタインへと殴りこんできた彼女が引っ提げていたもの。

 

 ミトランシェは大剣となったそれを持ち、ちっこい手で上下に振っている。

 あんなデカいものを軽々と動かす様子より、それをあやつる彼女が小首を傾げている方が俺は気になった。


 なんだろう、まるでバイクのセルは回っているのだがエンジンがかからない感じ?

 ……我ながら自分でも良く分からない表現なのだが、そう見えたのだから仕方ない。


 ふう、と小さな溜息をついたあと、ミトランシェは大剣をぱっと手放す。

 宙に浮いた大剣は、まるで魔法のように勝手に飛んで壁際の定位置に収まる。

 実際に精霊魔法でも行使した結果だろう。


「……しっかし……」


 俺は室内を見回す。

 壁一面にかけられた大剣はともかく、その隣には交差した弓と矢。

 やたらと古そうな民芸品みたいなものやタペストリーも飾られていて、トドメとばかりに神棚の下で異常な存在感を示している漆黒の輝きを放つ鎧が一式。

 血涙石と呼ばれる希少な輝石から削り出された『黒王の鎧』。天地を焦がす大魔法が平然と行使されていた超古代に作られたとされるいわくつきの逸品は、あらゆる魔法を受け付けない伝説の『魔術師殺し』でもある。

 こいつも、女房が俺を助けに来てくれたときに纏っていた代物だ。

 

 故郷である翡翠族の村へ帰ること拒み、娼館へと居着いてしまった彼女は、こうやって支配人室にまで私物を配置するようになってしまっていた。

 仮初にも夫婦だからと言われちゃあ返す言葉もないが、あの盛大な救出劇ももう一年も前か……。


 トントン、とドアがノックされる音。

 すわ待ちかねた知らせか、と腰を浮かしかける俺に、ドアを開けて現れたのは全く別の人物。


「ミトさん、いる?」


 もはやうちの看板娼婦といっても差し支えのないクエスティンだった。

 最初は遠巻きにしておっかながられていたミトランシェだったが、ここは好奇心旺盛な女の職場。

 一年も経てば娼婦たちもすっかり付き合い方を覚え、特にネイブやレネットあたりなんぞ、髪を結い上げたり化粧を施したりと甲斐甲斐しい。

 わけてもクエスティンは元々下働きの娘の衣装を繕ったりするのが趣味だったのだが、いまや「ミトさんミトさん」と、仕立て直した衣服をミトランシェに着せることを専らの楽しみとしていた。


 そしてミトランシェの方も、そんな風に娘たちの相手をするのが満更でもないらしい。許可を求めるように視線を向けてきたので俺が頷くと、クエスティンについて支配人室を出ていく。

 二人の後ろ姿はまるで娘と母親だぜ。敢えてどっちがどっちとか言わねえけどよ。


 誰もいなくなった支配人室で俺はまた腕を組む。

 ミトランシェがいなくなると、ますます部屋の中が殺伐と見えてきて困る。


 ……神棚に供えた護身刀にその下に鎧って、まんまスジものの事務所みてえだよな。

 

 すると、またしてもドアをノックする音。


「旦那」


 顔を出したのは、予想通りのサイベージ。


「おう、それでどうなった?」


 尋ねると、黒衣の影から一人の少女が現れて俺を見た。

 

 

「はは……どうかよろしくお願いする、ぜ……?」







 ぞんざいな口調で挨拶をかましてきた娘の名前はチャス。

 大聖皇国一帯を根城にする女冒険者だ。

 自身で徒党も率いていて冒険者界隈でも有名な彼女が、なぜに娼館うちに来たのか?

 言ってしまえば借金が原因である。


 

 チャスは幼いうちに母親を亡くし、孤児院に引き取られた。

 そこから冒険者として独り立ちするまで、院長のリンダ婆に偉く可愛がられたらしい。

 本人もそのことを恩義に思い、ギルドの依頼を達成するたびにマメマメしく挨拶に立ち寄っては冒険者としての稼ぎもかなり寄付していたようだ。

 

 ところがそのリンダが、寄る年波のせいかしばし病床に就くことに。

 その間、代理で孤児院の差配をしたのは甥っ子のグレイ。

 何をイカれたのかこの男、院の金を使い込んだ挙句、土地の権利書までかけてギャンブルに挑み、大敗。どうにかリンダが復帰した頃には多額の借金だけを残してとんずらと来たもんだ。


 このままでは孤児院が立ち行かぬ、と嘆くリンダに、当然とばかりに援助を申し出るチャス。

 あたしが冒険者としてガンガン稼いでくるから院長は心配しなくていいよ―――っていったかどうかは定かじゃあねえが、とにかく地道にでも借金を返して行こうってことで、どうにか話は一旦はまとまる方向へ。

 

 そこに災難が重なった。

 チャスの率いる徒党の金庫番であるトロメロが、徒党の共有金の使い込みだけでは飽き足らず、徒党名義で個人的な借金もしていたことが判明。

 当の本人は失踪してしまい、徒党宛ての借金であるならば、それは主宰であるチャスが責任を取らなきゃどうしようもない。

 どうにかしようと奔走してみるも返済の目途は立たず、結局徒党は解散。泣く泣く自慢の武具やなけなしの財産を処分するも、まだまだ返済にはほど遠い。

 

 孤児院のこともどうしよう、と途方にくれていたチャスに、借金の整理に名乗り出たのがサイベージも口にしたラブラック商会だ。

 チャス自身の借金と孤児院の借金も一本化して、誰かこの債権を引き受ける人はいませんかと競売が催されたのが今日さっき。

 一発入札で俺が一番高値を付けたらしく、晴れてチャスの身柄を預かることになったというのが大まかな流れ。


「ラブラック商会の若旦那は平静は装っていましたけどね、ありゃ内心穏やかではない感じでしたよ?」


 俺の代理ってことで競売に参加させたサイベージが言う。


「けっ。てめえの目論見をご破算にされたんだから、当然だろうな」


 俺はうそぶく。

 そんな風に俺たちがヒソヒソと顔を突き合わせている横で、当の本人は勧めてもいないのにソファーに勝手に腰を下ろして「うわ、すげえフカフカ……!」なんて驚いてやがる。

 

 ……ったく、てめえの身の上に起きた災難も知らねえで呑気なもんだぜ。まさに知らぬが仏ってやつか?

 

 この世界でも、身の丈を越えた借金を背負った連中の末路は決まっている。

 男はどこかの鉱山に放り込まれて強制労働。女はそこの飯場の飯炊き兼男どもの慰め役だ。

 どっちも娑婆へ戻れることはほとんどない。

  

 だが、何事にも例外はあるもんで、借金を作ったのが腕っこきの冒険者とか傭兵であった場合、商家が借金ごと買い上げてお抱えの冒険者や専属の護衛にしたりといったケースが存在する。

 見た目さえ良ければ、野郎だったらお貴族のマダムに買い上げられたり、女は娼館で引き取られたりってな具合もあった。


 そしてこのチャスという娘、若くして“赤兎せきと”という二つ名を継ぎ、剣の腕は折り紙つき。加えて、その容色が冒険者にしては図抜けていた。

 燃えるような赤髪に鳶色の瞳。雪兎のように肌が白く艶やかで、そのくせに身体自体はバキバキに鍛えられている。

 愛用のチェストプレートから綺麗に割れた腹筋とへそを剥き出しに歩く姿は、さぞかし同業者の野郎どもの目の毒だったろうぜ。

 

 そんな彼女は、商会と娼館、双方の御眼鏡に叶うわけだが―――。

  

「おい、チャスさんよ。てめえの身の上がどういうことになったのか、キチっと理解できてるのかい?」


 赤髪の娘の対面に座り、ドスを効かせた声で言う。

 

「……あたしは借金のかたにオズマの旦那に買われたってことだろう?

 今さら逃げも隠れもしないよ。煮るなり焼くなり好きにしてくれ」


 半ばやけくそ気味の開き直りとも思える態度だったが、その度胸だけは買ってやる。

 まあ、この齢で徒党を率いていたのだから、度胸が良くなきゃ務まらない話か。


「なるほど。てめえの身の上を弁えているなら上等だ………………って褒めてやりたいところだが、その言動が気に入らねえ。

 仮にもケツを拭ってもらった相手に、しっかりと礼儀と敬意を持つってのが筋ってもんだぜ。違うか?」


「……わかったよ。じゃなくて、えーと…………。

 このたびはあたしの借金を引き受けてくださって、ありがとうございました!!」


 一生懸命頭を捻くり回し、赤髪を下げてくるチャス。

 それから上目遣いで俺の顔色を窺ってきた。

  

「ところで、娼婦の仕事はいつから……?」


「………………」


 俺は黙ってチャスを見つめる。

  

「わ、分かってるよ、あたしはガサツだし、礼儀作法もさっぱりだから、娼婦のための修行も必要だってことくらい……!!」


 ……こうやって泡喰っている分には、本当に年頃の娘にしか見えないんだがなあ。

 

 まあ、それはともかくとしてだ。

 

「おめえ、本当に娼婦の仕事がどんなもんか分かっているのか? 言っておくが、なまじ齢を喰ってからの修行はつれえぞ? 内容だって今までの冒険者稼業と丸っきり別もんだぜ?」


「……覚悟はしているさ」


 チャスは背筋を伸ばし、ぐっと顎を引く。

 鳶色の瞳の奥には強い意思を伺わせていて―――懐かしさに俺の頬は綻ぶ。


 なるほどなるほど。

 この佇まいと顔つきは、確かにアイツと瓜二つだわな。


「そうか。そっちも弁えてるってんならあ、それでいい」


 俺はゆっくりとチャスに向かって手を伸ばす。

 僅かに肩を震わせて目を瞑るチャスに構わず、その赤髪に手を突っ込んで盛大にかいぐり回してやった。

 

「なーに真面目なツラしてんだよ、二代目ッ」


「なななッ!?」


「端からおめえみたいな蓮っ葉に、娼婦の仕事なんぞ期待してねえよ」


「……え?」

 

 あからさまに困惑している風のチャスに、俺はニヤリと告げた。


「おめえの仕事は店の用心棒兼雑用だな。それでもしっかりと礼儀作法を覚えてもらうから気合い入れろよ?」









 娼館を利用する客ダネにも因るが、客絡みのトラブルは枚挙に暇がない。

 酔っ払って暴れるのが町人ならいざ知らず、怪物専門の冒険者と来た日にゃあ人間台風みたいなもんだ。

 そんなデカい騒ぎを起こした面子は利用不可の廻状が娼館の間でやり取りされることになる。

 だからといって事前に起きていない騒ぎは、予防は出来ても完全に防ぐことは不可能だろう。

 

 ってなわけで娼館は各々で自衛策を持つ。

 衛兵へ袖の下を渡す。ヤバそうなやつらは出禁にする。一見さんお断り。

 腕っぷしの強い店員を仕込んでいるところも多いが、最たるものは用心棒を雇うってヤツだな。

 まあ用心棒もピンキリで、暴れた客に逆にコテンパンにされる笑い話にも事欠かない。

 そういう意味においては、チャスをうちの店の用心棒に据えるってのは我ながら妙手だと思う。

 チャスの腕っぷしは御墨つきなわけだし、そしてなにより―――。


「なんだ赤兎、本当にこの店に勤めることになったんか?」


 夕暮れ時。

 店の看板の前で佇んでいるチャスに声をかけたのは、かつての馴染みの冒険者連中だ。

 

「ああ、そうだよ。ここは飯も美味いし女の子はみんな綺麗さ。なにより風呂が最高だぜ!」


 威勢よく言い返すチャスに、俺はあちゃあと天を仰ぐ。

 そりゃあ店の目玉は風呂だが、最高だって褒めるべきは娘の方だろ?

 あれほど言い含めたのに、さっそく言う順番間違えてやがるぜ、まったく。


「ってことは、おまえにも相手してもらえんのか!?」


 興奮し歯を剥き出しにしてくる冒険者の頭を、チャスは持った木刀で小突く。


「あたしの仕事はここの用心棒! 娼婦とは違うんだよッ!」


「……っつう~。でもよ、その格好……」


 頭を押さえながら冒険者の指さしたチャスの格好は、肩から胸元まで見える上着に、ヒラヒラのついたスカート。いわゆる娘っ子らしい格好だ。

 もっとも似合っているかと言えば疑問符がつく。

 着慣れてない上に化粧も馴染んでないもんだから、馬子にも衣裳ってよりは服に着られている感じか?

 服の提供は例によってクエスティン。

 もっとも普段の鎧に皮ズボン姿のチャスしか知らねえ冒険者連中にとっちゃ、青天の霹靂みたいに新鮮だろう。

 物珍しさもあって、ついつい店に立ち寄って眺めてみたくなるってやつだぜ。


 そんな風に微笑ましく支配人室から見下ろす俺の隣でぼやく黒衣の野郎。


「旦那……、あたしは用心棒じゃなかったんで?」 

 

「あん? そもそもおめえを雇った覚えなんぞないってぇの」


 おまけに如何にも腕が立ちそうな客が暴れた時は、さっさと尻捲って雲隠れしちまうだろうがてめえは。 

 なにやら軽くショックを受けているらしいサイベージを余所に、俺はチャスの様子を統括する。


「まあ、ていのいい用心棒兼客寄せパンダってヤツだな」

 

 パンダってなんですか旦那? とか訊いてくるサイベージを無視し、俺は自分の考えに自画自賛。

 完全に日が暮れたら食堂の仕事も手伝わせるわけで、予想通りチャスを目当ての客で盛況だ。

 そもそも見た目が良い女ってのはいるだけで客人の目を楽しませてくれるし、用心棒役にしても華がある。

 

「はいよ、ビール四丁ッ!」


 チャスも店前でブラブラと客引きの真似事をしているよりか、身体を動かす仕事の方が性にあっているらしい。馴れないスカートを翻し、小気味よく働く。

 空いた食器を下げるとき、皿やテーブルの上にいくばくかの小銭が置かれているのは心付け、いわゆるチップってやつだ。これも積もりも積もりゃ、いくらかは借金返済の足しになるはずだ。


 と、チャスを俺の娼館に雇い入れてあっと言う間の一週間。

 もともとすっぱりとした性格のチャスは店の娘たちと打ち解けるのも早かった。

 食堂ではコック長である六腕巨人族ヘカトンケイルのゲンシュリオンにも気に入られたようだ。

 ただ、指導役としたハーフリング娘の給仕長であるメンメには、事あるごとに注意されるのが苦手らしい。

 

 それでもどうにか仕事にも慣れてきた様子なので、頭を捻って別の稼がせ方も模索する。

 いっそステージにでも立たせてみるか。もっと綺麗な衣装を着せて、踊りとはいかなくても剣舞とかさせてみるのどうだろう? 相手役はサイベージにでもさせてよ。

 

 うん、こいつは見栄えしそうだ。

 もちろんチャスにはステージに上がることに四の五と言わせねえよ。

 きっちりと借金分は働いて稼いでもらうぜ―――。


 ってなことを考えた翌日。

 俺は、昼間から食堂に新しいテーブルを搬入する作業を監督していた。

 部屋の隅には真っ二つに割れたテーブル。昨晩、給仕中に尻を撫でられて激昂したチャスが、助平な冒険者をぶん投げてぶっ壊したシロモノだ。

 この代金は借金に上乗せだからな、とチャスに睨みを利かせていると、食堂に一人の若い男が駆けこんで来る。   

 白い法衣の裾を棚引かせた、なかなかの男前だ。


「チャス……!!」


 男は声を上げ、それに気づいたチャスも彼の名を呼ぶ。


「ヨルグ……!!」


 見つめ合う二人に、なんだかよく分からないが場の空気がガラリと変わったような気がする。

 

 ……いや、こいつは気のせいじゃないな。

 いつの間にか吹抜けの二階には、うちの店の娘どもが鈴なりだ。

 みんな揃って興味津々の目で息をひそめていやがる。

 

「なにをやっているんだ、チャス! 君がこんなところで働くなんて……!」


 ヨルグと呼ばれた男が思い切り悲壮な顔で嘆いた。


「な、なんだよ。おまえこそ、何の用だよ……?」


 チャスが珍しく狼狽している。

 そんな彼女の横で、俺はヨルグという名前に聞き覚えがあったことを思い出す。

 確かチャスの率いる徒党の副長を務めていたやつじゃあなかったか?


「用事だって? 君がここに居る理由を聞きに来たに決まっているじゃないか! 聖都から戻ってくれば徒党は解散しているし、君は冒険者を辞めたっていうし……!」


「……っ。それは……ッ!!」


「とりあえず、こんなところは出よう!」


 チャスに近づくヨルグ。

 しかし、差し伸べた手を躱される。


「チャス……?」


 不思議そうな顔で再度伸ばした手を、今度は俺が空中で引っ掴む。


「誰ですか、あなたは!?」


「これは申し遅れやした。この店の主である尾妻連太郎と申しやす」


「そうか、あなたが……!」


 敵意剥き出しの視線を送ってくるヨルグを、俺は涼しい顔で受け流して、


「先ほどから聞いていれば、こんな店こんな店と、ずいぶんと高慢な物言いでござんすねぇ」


「こ、こんな店はこんな店でしょう! そもそも春を売って金に換える職業など……!」


 このヨルグって野郎、元は貧乏貴族の三男坊。

 家督を継げない貴族の次男三男が市井へ出て冒険者になるのは良くある話だが、聖職者って職級クラスを得て、回復魔法を習得したヨルグは大したもんだ。

 当然彼もこの国の国教であるアルメニア聖堂教会に属しているはずで、だからこそ娼館の在り方に目くじらを立てるのも理解出来る。

 宗教界隈の坊主どもが、ことあるごとに娼館は不徳の温床とチクチク攻撃してきやがるのはこっちの世界も同じだ。そのくせ、裏ではせっせと衆道に励んでいる野郎も多いってんだから、たまったもんじゃないぜ。


 と、話が逸れた。


「なるほど。ヨルグさんがそう考えなさるのはそちらの勝手。

 ですがね、世の中の多くの男がそういう店を必要としているってことを否定なさるのは頂けませんね」


 人間である以上、睡眠欲、食欲、性欲の三大欲求からは逃れられない。中でも一番強いのは睡眠欲と言われちゃいるが、俺は性欲が一番強いと思っている。

 というのも、人間に限らず生物の根っこにある衝動ってのは、次の世代に命を繋ぐことだ。実際に肉体が命の危機を感じたとき、男だったら瀕死の状況でも射精してしまうと聞いたことがある。

 そして、こと冒険者稼業が幅を利かせるこの世界。命がけの冒険から帰ってきた荒くれ者どもの昂ぶり方は、元居た世界の日本の比じゃないだろうぜ。


「ですがっ……! そのようないかがわしい店など……!」


 あくまでヨルグは寄せた眉根を崩さない。

 潔癖というか世間知らずというか。

 

「では、そんな店が商売として成立しているってことが、なにより必要とされている証拠ってことにゃなりませんか?」

 

 俺は、噛んで含めるように語りかける。


「腹が減るから飯屋がある。

 物が入用だから道具屋がある。

 怪物退治が必要だから冒険者がいる。

 ようは需要と供給ですよ。

 必要だからこそ、商売として成り立つんですぜ?」


 神妙に聞いていたヨルグだったが、益々眉根を寄せると、


「……つまり、必要悪だと?」


 その答えは、少しばかり俺の琴線に触れた。


「ええ、そういうことですよ。昔からこういう店を悪所っていうでしょ? 子供なんかがみだりに近づいちゃあいけません」


 この若者の真っすぐすぎる回答に、俺は思ったより微笑ましい気分になっていたらしい。気づけばヨルグが顔を真っ赤にして睨んでくる。

 おっと、別におまえさんを子供扱いして笑ったわけじゃねえってばよ。


「僕は……ッ!」


 大声を上げかけるヨルグの肩を押さえ、俺は文字通りの肩透かし。


「まあ、込み入った話は部屋ですることにしましょうか。どうやら誤解もあるようですしね」







 

 支配人室へと河岸を変え、ヨルグにソファーを勧める。

 対面には俺とチャスが並んで座った

 もちろんお茶もなしで、俺はチャスに起こった身の上を滔々を話してきかせた。

 聞きながら口を挟みたくてウズウズしている風のヨルグだったが、結局黙って聞き終える。

 それから深々と溜息をつくと、やおらソファーから立ち上がって俺に頭を下げてきた。


「申し訳ありません。言葉が過ぎました……!!」


 またしてもこの若者を見直す俺がいる。

 真っすぐに自分の非を認めて素直に謝罪できる人間ってのは、いるようで早々いないもんだ。


「それどころか、チャスに良くしてくださっているようで……」


 そのヨルグの言もよっくと理解出来た。

 つまり彼は、チャスが娼婦として働かせられていると早合点したに違いない。


「そ、そうさ。あたしはこの店の用心棒に雇われたんだからなッ!」


 腕組みして偉そうに踏ん反りかえるチャスだったが、そんなヒラヒラした服を着て言っても説得力に欠けるぜ?


「それより、なんでおまえがあたしの身の上を心配してんだよ?」


 その上で、この物言いである。

 言われた方のヨルグは、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしたのも一瞬、盛大に言い返す。


「そ、そんなの君が徒党のリーダーだからに決まっているだろ! 副長の僕に相談もなしで解散とか、あんまりじゃないか!」


「っても、おまえは聖都で試験を受けなきゃなんねーって抜けたじゃん」


「それは実家からの命令で仕方なくって説明しただろ!? 資格を取得したらすぐに戻るって話したよね?」


「……ふーん、そうだっけ?」


 しれっと横を向くチャス。


「……っ! 君はいっつもそうだ! 副長の僕に断りなくさっさと決めて相談もしなくて……!」


 ヨルグは捲し立てるが、チャスの態度は暖簾に腕押し。

 どうやらこの二人の間にも、色々と事情があった様子。

 隣で聞いていた俺が、俺なりに事情を纏めてみれば―――。

 

 まずヨルグは、回復魔法を行使できる聖職者であり、聖堂教会に属している。

 冒険者として積んできた実績を認められ、聖都ロノキアの聖堂教会の本部で昇格試験を受けられることに。

 実家からの命令もあり、渋々ヨルグは徒党を一時脱退しロノキアへ。

 都合半年にも及ぶ実地試験をこなしている最中に、チャスの借金が原因で徒党は解散。

 ようやく試験を終え、ロノキアから戻ってくる道中でチャスが娼館に引き取られたという情報を得たヨルグが、結果として俺のところに怒鳴り込んでくる格好になったと。

 

 うーむ。

 傍から見れば、ヨルグに何の連絡しなかったチャスに非があるのは明らかだ。

 なのに平然と耳穴をかっぽじっているチャスの様子に、さすがに俺もヨルグが気の毒になってきたぜ……。


「あー、ともあれチャスの身柄はうちで預かっていやす。コイツが今説明した通り、用心棒と雑用くらいで、嬢として働かせちゃいないんで―――」


 安心して下さい、って続けるのも変な話だよな。

 俺が言い淀んでいる間に、ヨルグはソファーへと座り直す。そうしてからテーブルに載せたのは懐から出した革袋。


「オズマさん」


 真剣な瞳が俺を見る。


「これが、僕の持つ全財産になります」


 革袋の中身がテーブルの上に広げられた。金貨が計20枚。

 まだ十代の身空の冒険者で、これだけ貯められりゃあ上等だろう。


「これでどうか、チャスを自由にしては頂けませんか?」


「………………」


「先ほどの無礼は改めて謝罪します! 足りなければ、実家に頼んでもう少しくらいならどうにか……!」


 俺の沈黙を、ヨルグは別方向に誤解したに違いない。苦笑いしながらはっきりと言い渡す。


「申し訳ないんですが、それは出来兼ねやす」


「ど、どうしてですか!?」


「単純に、負債額の桁が違うんでさあ。仮に肩代わりしようにも、それだけじゃあ、とても……」


「……ッ!」


 絶句するヨルグ。


「そーゆーわけだから、あたしはこの店で働いて地道に借金を返すことになったんだ。あんたの心配は余計なお世話なんだよ」


「……そんな」


 偉そうな態度で言ってのけるチャスだったが、だからってもう少し言い方ってもんがあるだろうに。ヨルグは本気でおまえの身を案じているんだぜ?  

 なのに雇い主の俺の方が居心地の悪い思いを味わうってのはなんなんだ。


「君は冒険者稼業に未練はないのかい?」


 絞り出すような声でヨルグが言う。


「……そりゃ、未練がないって言えば嘘になるけど」


「ならば、冒険者へと戻ろう! 大丈夫、僕その為に君を全力で支えるよ。

 二代目の赤兎せきととして、君の活躍はまだまだこれからで……!」


 ダン、とテーブルが音を立てる。

 チャスが拳を振りおろしていた。


「話を聞いてなかったのか!? それは無理だって言われただろ!?」


「でも……!」


「それに、もともとあたしには、その二つ名は重すぎたんだよ……」


「チャス!」


 チャスは項垂れた。もう、ヨルグに呼ばれても顔を上げようとはしない。

 

 ……ここまでか。

 そう判断した俺は、彼女を庇うように身を乗り出す。


「なんにせよ、うちの借金をどうにかしてもらわにゃあ冒険者へ返り咲かせるわけにもいきません。そちらも不本意かも知れませんが、ことは銭金の問題で心意気でどうにか出来る話ではないんでさあ。どうか了見しておくんなさい」


「………………」


 恨めし気な目で俺を見たヨルグだったが、歯を食いしばるようにして訊ねてくる。


「つまりは、借金さえどうにかすれば、チャスを解放出来るんですね……?」


 チャスの借金の総額は、一介の冒険者が用立てるのはまず不可能な額だ。だが俺はゆっくりと頷く。


「……分かりました」


 来た時の勢いとは真逆に、弱々しい足取りでヨルグは出て行く。

 支配人室には、俺とどこか所在なさげなチャスだけが残された。


「……いい男じゃねえか。本気でおまえのことを心配している」


 俺がそういうと、


「ああッ!? 知らねえよそんなこと!」


 一瞬で激するチャス。

 直後、俺に向かってタメ口をきいてしまったことに気づいて、大いに慌てている。


「あ、その………………スミマセン」


 しゅんとなる様子が面白かったのでここは咎めないでおこう。

 他にも色々と言いたいこともあったが、こっちも今は飲み込んでおくか。

 

 つーか。うん。この二人。

 ……青春だねぇ。

 そのうち、なんとかしてやるかな。うん。


 ―――などと考えていた俺ぁ、つくづく甘ちゃんとしか言いようがねえ。

 

 ここは異世界。

 元いた世界じゃあ太腿剥き出しでヘラヘラしているような女子学生と同じ齢でも、こっちじゃ立派な成人だ。

 そこに本人の預かり知らぬしがらみに大人の因業ってやつが加われば、『青春』なんて言葉、口が裂けても言えたもんじゃなかったってのにな。




 ヨルグが立ち去って、それから三日後。

 俺の娼館を尋ねてきたのはラブラック商会代表、ダイレム・ラブラック。

 恰幅の良い若旦那は、新たな借用書を携えて俺とチャスへと提案してきた。


「そこな娘を娼婦にしてはいかがでしょう?」




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