第一章 第二話
元々、千秋とは幼馴染の様な関係性だった。二歳差だったので妹の様に思っていたが、同じ大学に進学して来るとは思わなかった。
「ただいま」と言っても、家にいれば真っ先に駆け寄ってくる千秋は出てこなかった。代わりにクリームシチューのとろける様な甘い香りが俺を出迎える。
最近買った青いスニーカーを脱いで、リビングに上がればクリーム色のエプロンを着た千秋がキッチンで料理をしていた。
「あ、夕ちゃん。おかえりなさい」
「ただいま。これ、お土産のプリン」
「わあ。ありがとう。私の好きなやつだよね」
「たまたま安売りしてたからついでに」
ついでだと言っているのに、ニコニコと嬉しそうに笑って千秋はプリンを冷蔵庫に入れる。
「じゃあ、今日のデザートだね。映画をみながら食べようか?」
頷けばさらに機嫌が良くなって、千秋はキッチンに戻っていった。
何を思うわけでも無く、なんとなく手を洗いながらキッチンで料理をしている千秋の後ろ姿を眺めていた。
たばこを吸うために鍋を煮詰めているそばで、火を付けた。青白い煙と鍋から上がる白くて甘い煙が換気扇に巻き上げられて消えて行った。
ふと、隣を見れば真剣な表情をしながら包丁で食材を切っていた。その指の数々は傷だらけだ。その傷は料理をしていて傷付いたわけでは無く、自傷行為で自らの指をかんだものだ。今はすっかりしなくなったが、この傷はしばらく残るだろう。
美しく彩られたネイルを見て、残った傷が少し残念に思った。
「もう少しでご飯だから、机に食器並べるの手伝ってね」
俺は「ん」と頷いて机の上に広がった小説や漫画の本を一か所にまとめて机の下に置き、それから食器棚から取り出したスプーンやフォークが一まとめになった箱と小皿を並べた。
「「いただきます」」
二人で一緒に手を合わせて、スプーンで掬ったクリームシチューを口の中に放り込んだ。千秋とは「美味しい?」「うん。旨い」「そっか。よかった」とだけ言葉を交わし、それからは無言でクリームシチューを口に運んだ。
夕食の後は二人で食器を片付けると、部屋を暗くしてサブスクを繋げたテレビで今日見る映画を選んだ。
今日見る映画は高校生の男女が部活と恋愛の間で揺れ動く心模様を鮮明に映像化した、青春映画だ。
今日買ってきたプリンと、元々あったポップコーンを開けて映画を楽しんだ。
薄暗い部屋で二人掛けのソファに座っているため、必然的に距離は近い。お互いの肩がぶつかり、途中で不安そうに彷徨っていた千秋の指を絡めとる。
映画は一時間半ほどで終了し、何とも言えないラストシーンを想いながら風呂に入る支度をした。
両腕を上げた千秋が待機していたので、お望み通り上着を脱がしてやる。最初は苦労していたが今では慣れたもので、ブラの金具は簡単に外した。下着をするりと脱がせて、手を引いて浴室に入った。
ちょうどいい温度になった事を確認して温水で軽く背中を流してやると、千秋のために用意した固形石鹸を泡立てて、たっぷりと泡が乗った掌で千秋の柔肌を硝子細工に触れる様に優しく撫でた。
本当は何年もバットしか握っていなかった厚く固いだけの掌よりも、優しい触り心地のスポンジか何かで洗ってやりたいのだが千秋に固く断られた。曰く「夕ちゃんを感じられるから」だそうだ。
こんな掌の何が良いのか、さっぱりわからないがそういうのならば最大の注意を払って、千秋の柔肌を泡で包み込む様に撫でる。
千秋の全身が泡で包まれた事を確認すると、今度は全身の泡を濯いだ。丁寧に、丁寧に流す。全身から泡が流れた事を確認すると今度は頭だ。
髪が痛まない様に女性の髪に優しいシャンプーで洗う。こうしていると犬を洗っている様だが、実際は犬よりも気を使った。
確かに暴れはしないから幾分かマシだが、本人があまり気にしていないのに俺が気になって千秋の髪を丁寧に洗っているのが原因だ。
束にならない様に、絡まらない様に、ゆっくりと髪を撫でる様に洗い流して終わりだ。千秋を浴槽に入れて、今度は自分の番だ。
俺の髪や肌など今更どうでも良いし、この固く分厚い掌で適当に力強く洗った。千秋の髪と身体を洗った時よりも二割くらいの時間で身体を洗い終えた。
俺が浴槽に入ると、流石に二人分なので浴槽から一気にお湯が溢れた。まあどうせ二人でしか入らないのだから後腐れは無い。
蛇口がある方の壁に腰を下ろしたのだが、千秋はわざわざ移動して俺の股の間に入り、後頭部を俺の胸元に置く様にして背中を預けた。
二人で何か会話をするわけでも無くお湯によって上がるお互いの体温を感じながら、過ぎ行くこの時間に身を任せた。
少しして水面が静止した事が分かった。お湯から上がる煙で濁って見えた水面が鏡の様に反射してこの世を映し出す。
蛇口から滴り落ちる水滴が波紋を広げ、水面に映る愚かな男女の姿を歪める。それをかき消す様に千秋が動いた。
「上がろうよ、のぼせちゃう」
「そうだな」
浴室に溜まった湯の蒸気が漏れて、一時的に洗面所は真っ白な世界に代わる。だが浴室の換気扇を付けていればすぐに元に戻るだろう。
タオルなどを収納している棚を開き、ふんわりとした肌触りのバスタオルで千秋の柔肌に付いた水滴を拭った。
濡れた髪を拭き取るために撫でれば、千秋は気持ちよさそうに目を細める。それからドライヤーで頭をじっくりと乾かして、オイルを塗れば手入れは終わりだ。
俺の分も合わせて、風呂に入るだけで二時間も使ってしまった。現在の時刻は二十三時を過ぎていて、もう少しすれば日を跨ぐ。
ダブルベッドに二人で横になり、アラームをセットして瞼を閉じた。すると胸の内側で目を閉じていたはずの千秋の唇から「ぃゃ」とか細い声が聞こえた。
二日連続か。まあ、こういう日もあるだろう。冷静に次に起こる出来事を察知した。
「嫌、嫌なの……! いやぁああああ!」
恐怖に染まった千秋の唇を塞ぎ、同意も取らずに千秋の上着を脱がした。
「夕ちゃん」
「抱くぞ」
「うん」
背中に鋭い爪を突き立てられる。鎖骨付近を噛まれ、痛みのあまりに苦悶の声を上げた。
しかし、表情を歪めた俺に気付いていない千秋は、鋭い歯を立て続けている。
これもいつもの事だ。興奮状態の千秋は自分が何をしているのか、冷静に考える事が出来ずにいる。
ただ俺もそれを拒むつもりはない。拒んでしまえば、夕の溜まった黒い感情の行き先はどこに行ってしまうのだろう。
俺は何も考えずに、ただ愛しい千秋の髪を撫でながら行為を続けた。
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