その名シーン、未完なり。

五日市カガミ

第1話 磯山貴子の脚本


「何から何まで口出して文句言って、いい加減にしてくんないっ?!」


「親なんだから当たり前でしょ!文句じゃなくてアンタを心配してるから言ってんのよ!」


「親なんだから?!一回も親になってくれなんて頼んでないっしょ!ほっといてよ!!」


「ちょっと貴子、待ちなさいよ!貴子!」


「うるさいっ!もうこんな家出てく!!」


もう知らない。絶対に帰らない、こんな家。

私だってもう18なのに、あれもダメこれもダメって。私のこと縛り付けて、ホント最低!

お母さんなんて今の若者のこと何にも分かってないくせに、分かったフリして。

私にだって夢もあれば希望もあるってこと、全くわかってないんだから。


もう絶対、帰らないから!


*

*

*

*




空はこれ以上ないほど澄み切っていて、雲のカケラすら見当たらない。

朝の情報番組のお天気コーナーも、心なしかいつもより元気があった気がする。

通り過ぎる住宅地のベランダはヒラヒラと風になびく洗濯物で埋め尽くされており、なぜだか鯉のぼりを彷彿とさせた。


青井智幸は、ふと洗面所のカゴに山を作っている自身の服を思い出し、出勤前に洗濯物を片付けておけばよかったと少し後悔した。実家の母は毎朝洗濯物を干していた記憶があるが、一人暮らしを始めてみると、毎朝なんてとんでもない。洗濯なんてせいぜい週に2日程度だ。

何せ起きるのは出発の30分前なので、どう逆算しても50分はかかるこのタスクは朝やることが不可能。それに加えて干す、という作業も加わるので1時間弱はかかってしまう。もちろん、早く起きるというのは選択肢に無い。

智幸の出勤時刻は世間的には全く早くないのだが、その分遅くまで仕事をするので致し方ないのだ。


別に今夜仕事から帰ったらやればいいんだから、と少し言い訳めいたことを思いながら歩き慣れた道を進む。今日は快晴で、過ごしやすい1日なるでしょう、と満面の笑顔で言っていたあのアナウンサーに、チェッと小さな舌打ちをした。



ガラガラとシャッターを開けて、カバンから銀色の鍵を出しドアを開ける。ギッと小さく軋む音がした後、カランコロンとベルがレトロな音をたてた。隙間から体を滑り込ませ、閉まるのに少し時間がかかるそのドアを後ろ手でそっと押しながら左手を少し伸ばし電気のスイッチを付ける。ほぼ毎日同じ動作をしているせいか、何も考えずとも体が動く。


私物の鞄をキッチン脇にある棚の下の段に入れ、代わりにそこに入っていた黒いエプロンをつける。パンっと前を一度はたき、よしっと気合を入れた。



智幸が働くここ、“かすみ亭”はこの街にもう20年近くある喫茶店だ。世の中には有名なコーヒーのチェーン店がひしめきあい、なんちゃらラテやらなんちゃらチーノが毎シーズン話題になるが、かすみ亭ではホットのブレンドコーヒー、アイスコーヒー、紅茶やココアなどのオーソドックスなものしか置いていない。

お店自体も最先端な店構え、というのからは程遠いが、赤い煉瓦を基調とした外観に暖色の室内灯、歪みガラスのついた出窓がどこか懐かしいアンティークな雰囲気を醸しており、智幸は好きだった。

5人がけのバーカウンターからは、店長が好きで集めているアンティークカップのコレクションを見ることができるし、たまに地元の常連が書いた絵を壁に飾ったりすることもある。

智幸も店長も、あまりおしゃべりな方ではないが、このアンティークカップ達と、これまた店長の趣味で店内に流れているクラッシック音楽だけで、お店の客はそれぞれの時間を楽しんでいくのだ。



カランコロン、とベルがなる。


「おはよう。」

「あ、おはようございまーす。」


黒い長袖にラフなジーンズを履いたその人は、この店の店長、ヨリさんだ。彼は10時半を少し過ぎた頃に大量のコーヒー豆を背負って出勤してくる。


「今日はどこ産ですか?」

「コスタリカとエルサルバドルだよ。コクがあって酸味が少ないし、牛乳との相性もいいんだよ。ユキみたいに牛乳どばどば入れる人にもおすすめ。」


ユキ、こと智幸はコーヒーが好きではあるものの、ブラックでは飲めない。牛乳飲んでんの?コーヒー飲んでるの?と聞かれるほどに牛乳を入れて飲むのだ。


豆を挽くブーンという音と、コポコポとお湯がわく音が室内を満たす。香ばしい匂いと窓から入る眩しい外の光で、何故だか外界と切り離された空間にいるようだ。



智幸はドアにかかったコルク製のプレートをひっくり返す。

太陽がちょうど頭のてっぺんに来る12時。今日もかすみ亭は静かに、穏やかに開店した。


*

*

だんだんと大きく膨らむ自分の影を見ながら、貴子は深くため息をついた。

もう何度目かもわからないオーディションの不合格通知、先行きの分からない不安がどっと肩にのしかかり更に影を濃くしているようだった。


「やめるも勇気、か。勝手なこと言うよね、ホント。」


最近審査員に言われた言葉だった。遠回しなようだが、かなり直球にキミはこの業界に向いていない、と示唆されたのだ。


だが今更どうしろと言うのだろう。大学に行ってやり直すのか?そして卒業して会社に勤めるのか?それとも今掛け持ちしているバイト先のどこかに、正社員として雇ってもらうべきなのか?


人通りが少ないとはいえ、他にも通行人がいるのに、顔が歪むのを止められない。目の前がじわじわとボヤけ、鼻がツンとしてきた。

だがそのツン、としかけた鼻にフと深い香りが入ってくる。


「コーヒーかな…」


香りを頼りに歩くと、赤い煉瓦の小さなお店があった。窓から覗くと灯りがついていることや、人が中にいることがわかるが、ガラスが微妙に反射してよく見えない。

だがドアにかかったボードは”OPEN“と書いてあるし、コーヒーの香りもここから漂っているようだ。

なぜだか少し緊張しながらも、貴子はエイヤっとドアを開けた。



「いらっしゃいませ。」


「あ、あの1人なんですけど…」


「お好きな席はどうぞ。」


彼はここのマスターだろうか。にこやかに笑いかけられ、貴子は少しホッとする。一見さんお断り、ということはないだろうがチェーンのコーヒーショップにしか行ったことのない貴子には入りずらい空気があった。


若干の気まずさを振り払うように(実際、それを感じてるのは貴子だけだったが)、角のテーブル席にまっすぐ向かう。少なくとも自分以外にも3人の客がいたことが救いだ。


バーカウンターに2人。真ん中3席をあけ、それぞれが端で本を読んだり、新聞を読んだり。もう1人は三つあるテーブル席の真ん中。こちらも本を読んでいる。


席に着くとすぐに、マッシュ頭のウェイターがやって来る。


「ご注文はいかがなさいますか?」

「えっと…ホットコーヒーで。」

「かしこまりました。」


ニコリ、そしてペコリと会釈しキッチンに足早に戻っていく。マスターらしき人がコーヒー豆を機械にガラガラといれ、スイッチを押すとブーンと機械音が聞こえてきた。


店内にかかるクラッシックになぜか調和するその機械音を頭の片隅に、貴子はぼんやりと記憶を巡らせた。



「今どこに住んでるのよ?大丈夫なの、色々と?」

「だーかーらー、大丈夫だって言ってんじゃん。もううざいよ何回も何回も。」

「あんなふうに出てって心配に決まってるじゃない!あんたがお金あるとも思えないし。ちゃんとご飯食べてるの?危ないことしてたりしないでしょうね?!」


フーッと息を吐く。頭に血が昇るのを少しでも遅くしようとしたがここ最近のストレスも積み重なった私は既に沸騰直前だ。


「うるさいな…なんなの?!自分の娘が信用できないわけ?!」

「信用するしないの話じゃないでしょう!アンタみたいな年頃の子がどんどん犯罪に巻き込まれてるのよ?!ドラッグとかにも手を出して!」

「知ったようなこと言わないでよ!テレビで見ただけのくせに…。説教するだけならもう電話かけてこないでくんない?!うざいんだよいつもいつも!!」

「ちょっと貴子…」

「娘のやること全部に文句言って!親失格でしょ!!」

「…。」

「大体親は子供の夢を応援するのが普通なんじゃないの?!なのにどうしてそんなふうにケチつけて来るわけ?!」

「…。」

「…なによ、急に黙り込んで。なんとか言ったら?!」

「…貴子。」

「はいはい、犯罪に手を染めるなとか言うんでしょまた、」

「貴子。」

「…だから、なに」

「…いつでも帰ってきていいんだからね、家に。本当はもう辛いんじゃない?」


ひゅっと自分が息を呑む声が響く。宇宙で一番待ってた、宇宙で一番聞きたくない言葉。


「貴子はこれと決めたら絶対に曲げないけど、でもそれが自分の首を絞めることもあるから…。」

「…。」

「だから…自分からは言い出しにくいだろうけど、いつでも帰ってきて、やり直したっていいんだからね、貴子。」

「…。」


涙が溢れるのは悔し涙か、寂しくてか、嬉しくてなのか。涙が熱すぎて頬が溶けそうだった。


でも認めたくない。負けたくない。私のカッコ悪いところなんて、親にでさえ見せたくない、見せられない。


「…うるさい」

「貴子…」

「うるさいんだよっ!もう2度と電話してくんな!縁切るから!!」


そう、これでいい。私は進むのみ。後になんか戻らない、家になんか…



「お待たせしました、ホットコーヒーです。」

「えっ」


かちゃ、と小さな音を立てて目の前に置かれたコーヒーからが貴子を現実に引き戻す。深いコーヒーの香りが自分を包む。


「あ、ありがとうございます…。」

「随分と深刻な顔で考え事されてましたね。携帯もいじらずに。」


お盆から手際良く角砂糖が入った器をテーブルに移動させ、ニコッと微笑むマスターが言う。


「ああ、まあ…はい。ちょっと色々あって。」

「そうですよね、色々ありますよね。」

「はい、へへ…なんかこう…ワッと全部来ちゃって、ハハハ、別に大したことじゃないんですけどね、全然…」


「後悔、されてるんですか?」


「へ?」


「後悔、されてるんですか?何かを。」


何を、とは聞かなかった。マスターは知っているんだな、と思った。


いやそんなことより、私は後悔しているのだろうか。家を出たことを。いや、そもそもこんな夢を追いかけたことを。それとも怒鳴ったことを?いや、あんな言い方したことを、それとも。


「…はい、そうですね。後悔、してます。」


口が勝手に紡いでいた。そうか、後悔していたのか、と脳が体に追いつく。もうどうしようもないけども。私は後悔しているのだ。


「もう、手遅れですけどね。いくら後悔したところで。ははっ」


乾いた笑い声は自分に対する皮肉のようだった。わざとらしくコーヒーカップを持ち上げ、フーフーと息を吹きかける。ずずっと啜ると香ばし香と滑らかなコーヒーが染み渡った。


「遅くなんかないですよ。」

「え?」


カップから顔をあげると優しい顔のマスターと目が合う。


そういえば、他のお客はいつ帰ったんだろう。

あまりにもぼーっとしすぎて、ドアのベルが鳴ったのにすら気づかなかった。


「全然、遅くなんかないです。もう一度、やり直してみればいいんですよ。」

「はは、言うのは簡単ですけどね…」

「いえ、簡単ですよ。」

「どうやって?家に帰れって?夢を諦めろって?仕事探せって?それとも…」

「いえ、お客さん。」

「なんですか…。」


「脚本を、書き直せばいいんです。」


「きゃ、きゃくほん…?」


キッチンの方に目をやると、店員の子がお皿をを拭いているのが見える。キュッキュッと、音が聞こえてきそうだ。


なんだか夢を見ているようだ。

この不思議な空間を、不思議と思わなくなってきている。


マスターの顔を見上げる。

優しい瞳はなぜだか寂しげに見えた。


「貴子さん。あなたが必要だったその一文を、脚本に足してみませんか?」








続く。













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