第8話 クエスト その2 シカ


「あ、あに。あれ……」

 

 なっちゃんが指差した先に視線を向けると、豆粒ほどの大きさの四足歩行の動物が見える。

 クエストの説明を受け、街の外、指定の場所の近くまで来た時だった。

 

 ちなみに、オレは靴下だけ生活からどうにか脱却していた。パスタさんがクエストの前金を工面してくれたのだ。

 地面と足裏に存在する数センチの厚みをこれほど心強く感じる事は、きっと後にも先にも無いだろう。あって欲しくない。靴下で石踏むと本当に痛いんだ。

 

 人差し指と親指で小さな丸を作り、その円をなっちゃんが差す方向へ向ける。

 その中央をのぞき込むと、かろうじて獣の輪郭を確認出来た。

 

「うーむ。まずいのぉ……。あいつ、ワシより強くね?」

 

 なっちゃんが良く解らないことを隣で言っているが黙殺する。オレもその漫画好きだけどな。

 ……いや、こうやると少しだけ遠くが見やすくなるのは本当なんだって。真似してるとかそういうんじゃないから!


「……確かにシカだ。良く見つけたね。あれ」

 

 夜中に暗い場所でゲームばかりやっていたなっちゃんの目は、お世辞にも良いとは言えなかったはずだが。

 これも超人の力なのだろうか? オレよりも遥かに高い視力を持つようになったらしい。

 

「ん。角生えてるからたぶん♂。一匹だけ」

 

 左手の親指を突き上げるなっちゃん。

 なんか表現が気になるが突っ込まないぞ。

 

「聞いてた通りだな。でもあのサイズなら日本の鹿と大して変わらないよな? わざわざ人を呼んで退治するほどか?」

 

 話しながら、シカへ近づいていく。説明の通り、どうやら畑の野菜を荒らしているようだ。

 野生のシカなら、人間が近づいたのを知った時点で逃げそうなものだが。それならそれで、構わないか。

 

「あにぃ~……。やっぱやめない~?」

 

 オレの後ろを、文句言いながらもぽてぽてと歩いてついてくるなっちゃん。

 

「あれ見ろって。どう考えても危なくなんかないだろ」

 

「それめっちゃフラグ」

 

 んなこたぁないって!

 

 結論から言うと、シカは全く逃げなかった。

 オレ達が、シカからほんの十数メートルという距離まで近づいてきたにも関わらず。だ。

 その口元はムシャムシャと、そんな擬音が聞こえてきそうな形で動いている。

 レタス? キャベツ? のような野菜を食べているようだ。

 黒い真珠のような、ある意味でつぶらな瞳は、何を考えているのかさっぱりわからない。

 端的に言って、ふてぶてしいシカである。農家の方が育てた食物を、我が物顔で食べ漁り、その討伐依頼を受けてきた人間が目の前に居るというのに、一瞥すらくれずに食事を続けているのだから。

 うーん。これは鹿鍋不可避。捌ける気しないけど。


「よし。行け! なっちゃん号!」

 

「えええええええ!?」

 

 右手の人差し指をシカに向ける。

 

「それはおかしおかしいおかしいとき!」

 

 三段活用ね。


「なんでわたしが行くのあにが受けたんだからあにが行くのがしかるべきでしょ! おかしいひどいおーぼーで切ないドメスティックばいおれんす!」

 

「ほら。なっちゃん丈夫だし?」

 

 街を出てここへ至るまでの道中。超人5の力とやらを色々と試してみたが、ハッキリ言ってとんでもなかった。

 

 思い切りジャンプをしてみてくれと言ったら、飛び上がってから五秒ぐらい降りてこないし。

 (タワーマンションを飛び越えるぐらいの跳躍力があるんじゃないか?)

 地面を程々の力で殴ってみてくれといったら、数メートルにわたって亀裂が入るし。

 (全力で殴ったら大地が真っ二つに割れるんじゃないか?)

 ここまでやったというのに、当のなっちゃん本人には、骨折や、ましてや傷のひとつすらも出来ていなかった。

 この様子だと本当に溶岩の中でも泳げるんじゃないだろうか。パスタさん曰く『超人とはそういうモノ』だという事だし。


「ほっぺたはぷよぷよなのにな~」

 

 言いながら、なっちゃんの頬を引っ張る。

 

「にゃにすりゅかー!」

 

 バシンッ!

 悪戯していて、なっちゃんに腕にはたかれた。

 

「……あ、肩脱臼したかも」

 

「えええええええ!!?」

 

「これダメだわ。動けね。いててててて……」

 

「ご、ごめごめごめごめ! 待って待ってほんとごめん! ごめんなさい!」

 

 なっちゃんが両手を合わせて半泣きで頭を下げる。

 まあ、もちろん嘘である。それなりに痛くはあるが。

 

「じゃ、じゃあ。オレ動けないから、悪いけどなっちゃん。アイツとっつかまえに行ってくれるか……?」

 

「ぐ、ぐぬぅぅ……」

 

 口をへの字に曲げながらも、渋々といった体でなっちゃんが前に出る。


「よ、よし……。そーっと……。そーっと……」

 

「ふれー。ふれー。なーつーみー」

 

 両手を構えながら、ジリジリとシカとの距離を詰めるなっちゃん。

 下を向いて野菜を食べていたシカの動きが、そのままの状態で止まった。耳を澄まして周囲の音を聞き取ろうとしているのかもしれない。

 シカとなっちゃんとの距離は五メートル程度。この距離なら、なっちゃんの跳躍力であれば余裕で捕まえられる……!

 

「んっっ……!」

 

 なっちゃんが跳んだ。

 疾風迅雷。目にも止まらぬ速さでシカへと肉薄し――。


 ズボッ! っと、なんだか間抜けな音を出して、なっちゃんはシカを通り抜けたはるか先の畑へ突っ込んだ。


 うーん。おもちゃの車に乗っていた小学生が、いきなりレーシングカー乗っても流石に上手くは操作出来ないかー。

 身体能力だけが抜群に上がっても、当の本人がまだまだ動かし方に慣れていない。少しずつ慣らしていくしかないな。

 斜めに突き刺さったままのなっちゃんは、そのままの姿勢で足をバタバタさせている。まあ、あの様子なら大丈夫だろう。


 

「さて」

 

 どうしたものかと、シカに目をやると。

 シカが、黒い瞳を向けて真っすぐにオレを見ていた。

 なっちゃんが跳んできた事で、やっとこちらを認識したらしい。

 そう、突き刺さったなっちゃんではなく、なっちゃんが跳んできた方向に居たオレを、超スピードで何かを打ち出してきた敵として認識したようだ。


 

「な……」

 

 燃え盛るような赤い瞳に、盛り上がるほどの筋肉を持った雄鹿が、まるで闘牛の様な鼻息を繰り返しながら、敵意を持った視線をこちらへ向けていた。

 シカは明らかに大きくなっていた。どうやら怒りに応じて筋肉を隆起させる能力でもあるらしい。

 シカなんて優しい表現していたけど、これは本当に闘牛かそれ以上のサイズがあるんじゃないか……?

 いやそもそも、コイツもしかしてモンスター……?


 オレはやっと思い出した。

 なんなら、日本に居た際に奈良で見たシカさんと同じぐらいでカワイイ~★みたいに思っていたが。

 そうだった。ここは異世界だった。

 

 眼前に迫る突進してくるシカを見ながら、まだまだ考えが甘かったことを改めて認識させられたオレだった。

 

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