第2話
俺はある月曜日。京吾君が喜びそうなゲームのソフトやお菓子などを持って、叔母さんの家を訪問した。京吾君とはほとんどしゃべったことがないが、昔、その家に母親に連れられて来た時、公園で一緒に外で遊んだことがある。彼は体力がなくてちょっと走っただけで息切れしてしまい、驚いた記憶がある。でも、まつげが長くて、女の子のようにかわいくて、ドキドキした思い出がある。
彼の家は茶色い木造の平屋だった。いかにも貧しそうな住まいだったが、家賃が二万円台と格安で、ちょっとした庭があった。俺が昔遊びに行った時と比べて、かなり古くなっていた。
部屋の中は散らかり放題のゴミ屋敷。足の踏み場もないような状態なのに、客が来ても片付ける気もなかったようだった。長く住んでいるせいで、壁紙は茶色く変色し、とてつもなくヤニ臭かった。俺は非喫煙者だから、その臭いで吐きそうだった。
久しぶりに会った京吾君は、昔の面影はなくきもくなっていた。髪は母親が刈っているらしく、坊主頭だった。まるで刑務所に入っている囚人のようだった。それでも、色白でほっそりしていて、よく見るときれいな顔をしていた。
「京吾君。お母さんが入院するから一緒に東京に行こう」俺はいい人ぶって声を掛けた。京吾君は首を振った。今までどこにも行ったことがないというのだから不安なのは当然だろう。
「東京に行ったら好きな所に連れて行ってあげるよ」
「ほんとう?」
「うん。どこがいいかな?」
「秋葉!」京吾君は目を輝かせて叫んだ。
俺は驚いた。普通に喋れるんだ。
「いいよ」
俺はすぐに承諾した。それからは母親が「お前は東京に行くんだよ」と言うと「うん」と素直に従った。京吾君も秋葉に行ってみたいという気持ちには勝てなかったようだ。
今回の訪問はすべて自腹だった。自分の交通費だけでなく、京吾君の分も払ってもらえそうになかった。数千円でもくださいと言える雰囲気ではない。
多分だけど、京吾君はもう家に戻ることはないだろう。叔母さんは生活保護を受けているから、これから叔母さんのことは役所の人が手続きしてくれることになる。病気のせいで息子にまで手が回らないのは明らかだ。彼の荷物は、俺たちが東京に着く頃に実家から届くことになっている。それに、住民票も叔母さんが転出届けをもらって来ており、うちの住所に移すことになっていた。
二度目に地元に行った時は、彼を引き取る日だった。彼は母親に連れられて、駅までやって来た。着ていた服はいつ買ったのかと思うくらいダサかった。そして、親子二人ともヤニ臭かった。きっと母親のたばこのせいだろう。服も色あせていて薄汚れてもいた。長いこと洗っていないのかもしれない。
彼が着ていたのは、ピンクのポロシャツにストーンウォッシュの幅広のジーンズ。東京に着いたら、まず服を買ってやろう。頭の中でいろいろと考えた。どうしたらもっと垢抜けるかな。肌が白くて若く見えるから、俺みたいなおじさんぽい服じゃなくて、若々しい格好をさせようかな。
「何か食べたいものある?」俺は優しく声を掛けた。
「うん」
京吾君は頷いた。母親は何も持たせなかったらしい。具合が悪いのだから当然だろうが、俺はちょっと叔母さんの常識のなさにがっかりした。俺は駅の売店で好きなものを買ってやることにした。
「じゃあ、買いに行こうか」
京吾君は先に歩いて行ってしまった。すると母親は「じゃあ、よろしくね」と、息子を俺に引き渡してからすぐに帰ってしまった。京吾君は売店に気を取られて、母親のことを忘れてしまったようだった。
俺はそこからスマホのビデオ録画を始めた。京吾君は店の通路を何度も行ったり来たりしていた。お土産物屋さんがよほど珍しいらしい。地方の中堅都市のJRの駅だから、駅弁などもそれなりに売っていたし、日本中どこでも買えそうなお土産がたくさん並べられていた。欲しい物は取りあえず何でも買ってやった。
全部で八千円くらいになってしまったが、ここでケチケチしても仕方ない。彼にはこれからやってもらうことがあったからだ。
「今からケイ君を連れて電車に乗りま~す。ここはJR〇〇線の〇〇という駅です。僕が生まれたのもこの辺です」
俺はスマホをインカメラにして自分の動画も撮影した。
彼は在来線の電車の中ではしゃいでうるさかった。向かいに座った親子連れが、俺たちのことをジロジロ見ていた。いい年をして恥ずかしいが、話すことが子どもみたいなので、知的障害のある人だと思われているだろう。
「今どこ走ってるの?」
俺はスマホで日本地図を見せてやった。
「あ、これ地図でしょ。知ってるよ」
どや顔で京吾君が言った。学校に行っていないのだから、知らないことも多いだろう。
「そう、そう。今はJRのここの線を走ってて、大体、〇〇駅というところだよ」
「へえ。そっか。僕は、電車に乗るの初めてなんだ」
まるで自慢しているようだった。俺は怒らずに付き合った。
「もうすぐ新幹線に乗り換えるよ」
「すごい!新幹線に乗るんだね」
「うん。新幹線は早いから、きっと楽しいよ」
まるで、幼稚園くらいの子どもと話しているみたいだった。
気が付くと俺は京吾君と手をつないでいた。
「お父さんみたい」
「はは。そうだね」
俺は父親と手なんか繋いだ記憶はない。母親だってそうだ。
「手がおっきいね」
俺たちは手を重ねて大きさを比べた。彼の手は本当に小さかった。
「腕相撲しよう」
「あとでね」
喋り出すと止まらなかった。どうやら母親も彼にはほとんど話しかけて来なかったらしい。彼が長い間孤独だったことが、わずかな時間一緒にいただけでも伝わって来た。
新幹線に乗ってから、俺はまた撮影をした。
「ケイ君。新幹線どう?」インタビュー風に尋ねる。
「うん、すごくかっこいいね!プラレールみたいだね!」
「はは、プラレールの方が真似してるんだよ」
プラレールは俺が子どもの頃からあったみたいだけど、俺は持っていなかった。昔は今の子どもみたいにおもちゃをたくさん買ってもらえなかったからだ。
京吾君はずっと起きていた。俺は疲れていて眠かったけど付き合った。あまりに純粋だから怒ったりしたらかわいそうだからだ。
「しー。眠たい人もいるから小さな声で話そうね」
「うん」
京吾はすぐに静かになった。意外といい子だし、馬鹿ではないと思った。会話もちゃんと通じている。
「みんなどこに行くのかな?」
「東京だからディズニーランドかな?」
「ディズニーランド近い?」
「うん。行きたい?」
「うん!行きたい!」
ディズニーは高いから日帰りしよう…。俺は考えていた。今は収入が減っているから、正直言ってきついのだが、ディズニーに連れて行って動画を作ったらバズるかもしれない。
俺はまた撮影を始めた。
「スマホかっこいいね」
「うん。13になってから重いんだよね。でも、画面が大きくなったんだよ」
今はiPhone14シリーズが最新だけど、俺のは1年前に購入した13だった。それでYouTube動画を撮っている。
京吾君が立ち上がってきょろきょろしていた。
「人がいっぱいいるね」
「うん。何列あるかな?数えてみようか」
「僕、計算できないよ」
「じゃあ、横は何席あるかな」
京吾君は指で「1、2、3、4、5」と数え始めた。
「そうだ、5だよ」
「できた!すごいでしょ」
「うん。じゃあ、指は何本あるか数えてみようか」
「1、2、3、4…」
俺たちはしばらく数字を数えていたと思う。京吾が無邪気でかわいかった。色白で笑顔がかわいい。もともとイケメンだから、見ていて飽きない。長年、日に当たっていないから透き通るように肌が白くて、四十歳にはとても見えない。もしかしたらイケるんじゃないか。俺は確信めいたものを感じ始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます