【短編】「生まれ変わったら、来世で一緒になろう」という約束をしたみたいですが、今生で私があなたを愛することはありません。時効です、時効

遠堂 沙弥

第1話

「ジェシカ姫、不甲斐ない私を許しておくれ……」

「いいえ、何をおっしゃいますの。私はあなたに出会えて、とても幸せでした」


 運命はとても残酷でした。

 私は西の国メスベルクの姫として生まれ、そして彼……私の愛しいアーサー様は敵国である東の国、オストリアの王子としてお生まれになったのです。


 *** 


 私がお付きの騎士と共に、清めの泉へ出掛けていた時のこと。

 清めの泉の周りには、それはとても美しい花が咲いていたのです。

 その花の名は「姫清(ひめさや)か」といって、とても愛らしい花びらは朝露を浴びると、キラキラと光輝いて神々しくさえ思えました。

 その花を摘みに清めの泉へ行った時、あの方と出会ったのです。

 蜂蜜のような美しい黄金色の髪、宝石のようにまばゆいエメラルドグリーンの瞳、意思が強そうな端正な顔立ち。白馬に乗った彼が、まさか敵国の王子だなんて……その時は露とも思いませんでした。 

 狩りの最中だという彼に、護衛の騎士が私を守ろうとするけれど、全く敵意がなくーーむしろ彼は素敵な笑顔でとても好意的で。その時すでに、私と彼は一目で恋に落ちていたのです。


 だけどやはり、運命は残酷でした。

 互いの国の勢力争いが激化して、戦争へと発展。

 武力はあちらの方が圧倒的に上でした。敗走を迫られ、私はお付きの騎士と共に城から逃げました。

 しかし追手はすぐそこまで迫っていて、最後に逃げ延びた場所が清めの泉だと、その時は何もかもを失ったというショックで、すぐには気付けませんでした。

 だけどすぐさま敵の騎士に追いつかれて、目の前で恐ろしい光景が……。

 敵国の騎士が、私をずっと側で守ってくれていた騎士を斬り倒し、迫ってくる。

 せめて最期にあの方に……。

 アーサー様に会いたかったと願うと……、突然私を襲おうとした騎士が短い悲鳴を上げて、倒れました。何事かと思うと、敵の背後にはアーサー様が。

 アーサー様はお父上と共に我が城に攻め入っていて、その間も目を盗んでは私のことを探していたと教えてくれました。祖国を裏切ってまで、私と共に逃げようと……駆け落ちしようと思って、探してくれていたのだと。

 私は自分を最期まで守ってくれた騎士に別れの挨拶を告げ、アーサー様と手を取り合ってその場を去ろうとした時。ーー彼は、殺されたのです。

 事もあろうか、アーサー様の実の父上様に。


「お前か、我が息子を篭絡(ろうらく)した売女は……」


 私は恐怖と絶望で、体が動かなかった。

 そして反論する間もなく斬り付けられ、アーサー様の隣に倒れました。

 父上様は去っていき、後に残された私達に雨がポツポツと降り注ぐ。

 私達はまだ息がありました。かろうじて、あと数分の命の灯火ーー。


「ジェシカ姫、不甲斐ない私を許しておくれ……」

「いいえ、何をおっしゃいますの。私はあなたに出会えて、とても幸せでした」


 ほんの数回の逢瀬ですら、私達は永遠のように思えた。

 朝露を浴びた姫清かがキラキラと、幻想的に光り輝くように見えて、あぁ……幻が見えるということはもうすぐ事切れてしまうのね、と察します。

 アーサー様が私の手を握り、涙ながらに声をかけてくださいました。


「ジェシカ姫、……愛してる。この気持ちは、永遠に変わらない。だから、今度生まれ変わったら……今度こそ、一緒になろう……」

「はい……、私も同じ気持ちでございます……。愛しております……、アーサー様……」


 ***


 という夢を見て、思い出したわけだけど。

 自分のこととはいえ、にわかには信じられないわよね。

 私は起き抜け一番にそう思った。


 ここは北の国ノストブルグ、下級貴族の娘として生まれた私はこれまで何の問題もなく過ごしてきた。

 ごく一般的に言われる貴族令嬢の過ごし方とは少々違うところがあるとすれば、今の私は魔術にハマってる。

 生まれた時から魔術の才に恵まれていたらしく、幼くして中級の魔術を扱える程の魔力と器用さを兼ね備えていたらしいから、ハマらないわけがない。

 それからはごく一般的な教養や教育の他に、宮廷魔術士に弟子入りして魔術の研鑽(けんさん)の日々。

 普通の友達なんて出来やしなかったけど、私は全く気にしない。魔術の研究の方が大事だし、大好きだから。

 まぁそんな私を見かねて、っていうのもあるんだけど。今の私は別に孤独というわけじゃないわ。

 以前、両親と「貧しい子供達に温かい食事を」みたいな慈善活動を行う為に、貧民街を訪れたの。

 私は特にそういうのには興味なかったんだけど、彼等の暮らしや環境を見ていたら「これも魔術でなんとかならないものか」という意欲がむくむくと湧き上がるので、そういった別の目的でよく同行していた。


 そこで出会った一人の少年、名前はマルク。

 マルクは生まれてすぐ捨てられて、孤児院で育ったんだけど。

 アホな王様がその孤児院を廃業寸前まで追い込んで、孤児院にいた子供達は家なき子となった。

 こうして慈善活動をする貴族の道楽で得られる食べ物、衣類、そういったもので食い繋いできた子供の一人が、このマルクだった。

 たまたま、本当にたまたまなんだと思う。

 マルクの雰囲気を、私は見逃さなかった。どこかこう、惹かれるものがあるというか。気になるというか。

 いつも興味なさそうに参加していた私が、そのマルクにだけ興味を示した……ただそれだけの理由で、両親はなんと彼を養子にしたの。

 薄汚れていた彼は、屋敷に帰って使用人の手で綺麗にしてもらったら、これがまた普通に美少年だった。

 そしてそのままマルクは私の義弟、そして現在では私の魔術の弟子として話し相手に不足することはなくなった。


「エミリア、今日はなんだか浮かない顔だけど。何かあった?」

「別に? それよりそこのマンドラゴラの浅漬けが入った瓶を取って」


 魔術の研究に、魔法植物は欠かせない。

 薬草の他に毒草とかもある。もちろん王国許可済みだ。申告しなかったら違法薬物所持で捕まる。

 私がマンドラゴラの浅漬けを眺めながら、どの部分から切り落としてやろうかと思索していると、マルクが遠慮したような気弱な声で話しかけてきた。


「そっか、それじゃあ……お父様のご判断に同意なんだね」

「何が?」

「いや、だから……ノストブルグ王子であるエルヴィン様との婚約だよ」


 私はカチャーンと、マンドラゴラの入った瓶を落としてしまう。

 まだ生きてたマンドラゴラが、絶え絶えに這いずって逃げようとしているところ、足で踏んづけて阻止する。

 ノストブルグの王子の顔を思い出した途端、全ての記憶が統合した。

 頭の中で駆け巡る記憶の数々、エミリアとしては身に覚えがないはずなのに、自分が姫だった頃の記憶が走馬灯のように次々と流れ込んで来て、私はその情報量の多さに思わず膝をついた。


「エミリア!? 大丈夫!?」

「……思い出した。そうだわ、あの王子が……アーサー?」

「え? いやだから、エルヴィン様だよ」


 ***


 、エミリア・ゴッドフレイ。

 新たに蘇った記憶、ジェシカ・メスベルクーー西の国メスベルクの、……百年前のお姫様。

 そしてメスベルク侵略を成功させて、まんまと支配下に置いた東の国オストリア。

 結局、北と南の圧力を受けて西の国は健在ということになったけど、今も西は東に逆らえない主従関係だ。

 その東の国の……百年前の王子アーサーが、今ではこの国の王子として生まれ変わっているなんて。


 そう、私の前世は西の国メスベルクのジェシカ姫。

 事切れる寸前の記憶も、ある。

 心の底から愛していた男との、永遠の誓いーー。


「まじかー」


 私は作業机に突っ伏した。

 机の上は瓶だの本だのが所狭しと置かれている、そのわずかなスペースに器用に突っ伏すのが私の特技。

 そんなことはどうでもいい。

 私が? エルヴィン王子と婚約?

 多分、私は前世の記憶が蘇ったばかりで、ジェシカの感情まではそう簡単に引き継がれていないと見える。

 もしもっと前から覚醒していて、ジェシカの想いを一つ残らず受け止めていたとしたらーー。

 ゾッとした。

 まさかジェシカの感情そのままに、アーサーへの想いを貫くの?

 アーサーの生まれ変わりであるエルヴィン王子を、好きになっちゃうってこと?

 私は首を大きく左右にぶんぶん振った。


「っざけんな!」


 思わず本音の口調が出てしまい、後ろで作業をしていたマルクが飛び上がる程に驚いている。

 これはこれで滑稽だから眺めていればよかった。


「ど、どうしたの急に? 闇リアが出てたよ?」

「っさい! 今ここにはあんたしかいないから、別にいいの! そんなことより!」


 めんどくさっ!

 前世の記憶を思い出した瞬間に抱いた私の感情は、それ一択だった。

 魔術士だから転生とか、そういう現象を信じないわけじゃない。

 神秘的だなーとか、ロマンだなーとか、そんな感じで受け止めるけど。

 いざ自分のこととなったら、なんか「前世の記憶とか気持ち悪っ!」てなる。

 私はエミリア、魔術大好きオタク女子なのよ?

 今は魔術をぶっ放したいとか、魔術の研究とか発見とか、そういうのが一番楽しい時期なの!

 異性との恋愛なんて全く興味なかったのに。

 いや、それより何より……。

 情報があまりに矢継ぎ早に入ってきたものだから、一番肝心なことを忘れていた。


「いや、私がエルヴィン王子との婚約ってどういうことなの!?」


 ***


「ずっと会いたかったよ! 愛しのジェシカ! いや、今はエミリア嬢か」


 私が応接室に入るなり、その男は酔いしれるように満面の笑みを浮かべて、両手を広げて出迎えた。

 時を遡ること数分前ーー、私はあの後すぐ父に説明義務を求めようと駆けつける。

 だけど今は応接室で客人と話をしているということなので出直そうとしたら、メイドが父の許可は下りているから入ってもいいそうなので、なんかよくわからないけど私は応接室へ向かう。

 ドアをノックして声を掛け中に入ると、まぁ現在に至る。

 私が驚きと呆れのあまり固まっていると、二人の男はすでに出来上がっていた。

 お酒という意味ではなく、ノリ的な意味で。


「今まで男なんて二の次、魔術が好き! と言っていたお前が。縁談を半ば諦めていたところに、まさかこんなイケメン王子を射止めるなんて。一体どういう魔法を使ったらそんな幸運が訪れるのか、教えて欲しいものだな」


 なんだこいつ。

 娘のことそんな風に思ってたの? まぁ何一つ間違ってはいないけど、惚れ薬なんて作ってねぇわ。

 私がスン……とした表情で立ち尽くしていると、エルヴィン王子が父に告げる。


「失礼ですが、お嬢さんとお話したいことがあるので。少し席を外してもらってもよろしいでしょうか」

「いいともいいとも。ここから先は若い者同士、ごゆっくりな」


 私にウィンクしながら出て行くな。

 というか大切な年頃の一人娘を、若い男と二人きりにするのやめろ。

 出て行く寸前まで父を睨みつけたけど、鈍い父親はきっと私が照れていると思っていることだろう。

 でもこれでようやく話が進む。とりあえずこのまま立ちっぱなしというわけにもいかないので、私はさっきまで父が座っていた肘掛け椅子に腰掛けて、エルヴィン王子と対面した。

 蜂蜜みたいな黄金色の綺麗な髪、エメラルドグリーンの瞳……というアーサーの特徴はないけれど、それでも端正な顔立ちをしている部分は同じだ。

 チョコレートのような濃い茶色の髪、スカイブルーの瞳、白い肌、長身でスマート。どうりで女子からの人気が高いわけだ。彼とは会話をしたことないから内面まではわからないけれど、外見は完璧といったところだろう。


 それに引き換え私は、ボサボサに乱れた多毛で癖毛の髪を左右分けて三つ編みしなければ、この爆発頭はまず落ち着かない。

 加えて魔術の研究で目を酷使したせいで視力が落ちたから、瓶底とまではいかないけど分厚いレンズの眼鏡。

 研究に夢中で食事を忘れがちなものだから、ガリガリに痩せ細っている。スレンダーというべきか。違うか。

 体型がスリムなだけで、身長はとても低い。加えて童顔。

 十六歳だというのに、未だに十二歳位に思われることもしばしば。


 そんな「外見だけは超絶イケメン完璧王子」が、こんな「ダサくて頭でっかちな冴えない童顔」のどこを気に入って、婚約なんぞ。いや、違う。この婚約に「エミリア」は関係ないのか……。


 私と二人きりになってやっと話が始まるのかと思いきや。私がこれだけの思考を巡らせるには十分な時間が流れる位、相手は肘掛け椅子に座った私の姿を、頭から足の先までニヤニヤと舐めるように眺めていて非常に気持ち悪い。

 気が済んだのか、ふっと微笑みをこぼすと信じられない言葉を口にする。


「愛しのジェシカ姫にやっと会えたと思ったんだけど。やっぱりどれだけじっくり見ても、外見はジェシカ姫の足元にも及ばないな」


 はぁ? 何言ってんだこいつ。


「いや、だけど大切なのはその魂だよな。永遠の愛を、それこそ来世には必ず一緒になろうって誓い合った仲なんだ。君の今の姿がどうであれ、僕は構わないよ。本来は美人が好みなんだが、可愛い系も大好きさ」


 どこから目線だ。いや、王子様目線か。

 それでも失礼過ぎて引きつり笑いが止まらない。

 あー、早く帰りたーい。ここが私の家なんだけどー。


「アーサーとしての記憶が蘇った時、僕はすぐに君のことを探し回った。色んな女性に声をかけて、とても苦労したんだよ。まさかこんなところにいるなんて! こんな冴えな……愛らしい女の子に転生しているなんて、全く思わなかったよ」

「はぁ……」


 これが私の精一杯。

 好みのタイプじゃないんなら、無理して私と婚約なんてしないで好みの女性と一緒になれば?

 そんな私の心の声なんてお構いなしに、話は勝手に進んで行く。

 仮にも相手はこの国の王子様。どこまではっきり言ったらいいのか、私もその境界線をはかりかねる。


「そういうことだから、ジェシカ! いや、エミリア! 僕達は今生でようやく結ばれる! 前世の約束を果たす時だ! さぁ、存分に君の愛を僕に注ぎたまえ!」


 めんどくせー。

 アーサーってこんな面倒臭い男だったか?

 言うても出会って数回しか会ってないんでしょ。

 そりゃ相手のこと、ほとんど知らないも同然よね。

 前世の私は男を見る目がないというか、免疫がないというか、一目惚れってそういうものなのかな。

 自分のことなのに、なぜか他人事のように思えてしまう。

 私が単純に男に興味がないだけだから、そんな風に達観した考えになってしまうんだろうか?

 とにかくまずはこの男を落ち着かせないと、まともに話が進まない。そう思った私は、片手を前にして遮ってエルヴィンの勢いを中断させる。


「まずは落ち着きましょう。お互い、前世の記憶が蘇って混乱しているでしょうから。実を言うと私は今朝、ジェシカとしての記憶を思い出したばかりなんです。えっと、エルヴィン王子はいつ頃思い出したんです?」

「僕は二年ほど前からだろうか。ある時から同じ女性が出て来る夢を何度も見るようになって、不思議に思っていたんだが。それが現実味を帯びてきて、色々と調べていたら文献に出てきたんだ。僕と君の……アーサーとジェシカの悲恋物語が。それで確信した。僕がアーサーの生まれ変わりで、君との愛を貫く為に記憶を思い出したんだと」


 エルヴィン王子の話に齟齬はない。

 確かに、二人の悲恋物語は今も語り継がれている。美しい悲劇の恋物語として。

 それに触発されて妄想と現実の区別がついていない……と思われたらそれまでだけど。あまりに鮮明すぎる記憶に……、これをただの妄想だと断じることが出来ない。

 何より今でも肌で感じる程に、清めの泉の雰囲気をよく思い出せるから。

 澄んだ空気、姫清かの香りーー。

 当然、エミリアとしての私は清めの泉に足を踏み入れたことがない。

 あそこは今では禁足の地となっているから。絶滅危惧種となった姫清かの存続の為に、国同士で定めた法律がある。

 だから間違ってあそこに足を踏み入れることなんてあり得ない。

 それはわかった。お互いがアーサーとジェシカの生まれ変わりであることはわかった。

 だけど問題はそこじゃない。そこなんだろうけど、そこじゃない。


「申し訳ありませんが、エルヴィン王子。あなたがおっしゃったことは、私も全て事実だと思っています。だけどまさか、前世の時に交わした約束を今になって果たそうなんて、本気で考えてないですよね?」

「本気だとも!」


 うっそ。

 やばい、この人は話が通じない系の人種かもしれない。


「ちょっと待ってください。とにかく落ち着いてください。さっきも言いましたけど、私は今朝思い出したばかりでまだ前世のことを全て受け入れるには、その……まだ少し時間がかかるんです。仮に私が未だに前世の記憶を思い出してなかったら、どうするつもりだったんですか」


 まずはそれが知りたい。

 相手は前世の記憶があるのだから、ジェシカの生まれ変わりである私に結婚を迫るのは、まぁ百歩譲ってわかるとしよう。

 だけどもしここで私が全く何も知らない状態で、いきなり婚約話を持ちかけて、疑問に思われるとは考えなかったのか?

 あるいは断られるとか、そう思わなかったのだろうか。そこは私も疑問だった。だって前世の記憶があろうとなかろうと、今の私の最適解は「お断りします」なんだから。

 だけどそんな私の考えなんてなんのその、さらに向こう側にあるような未知の回答が返ってきた。


「君が僕からの申し出を断るわけがないだろう。逆に問おう、僕にどこか不満要素があるのかい?」


 あるわ。さっきから不満要素しか出て来ないわよ。

 過剰なまでの自信家、王子という身分でチヤホヤされて育てられたら、人ってこうなるの?

 仮に私がジェシカとしての感情そのまま残ってたとしても、アーサーに恋焦がれる熱情を抱いていたとしても、それはかつてのアーサー王子に対してのみの感情であって、決して目の前にいるエルヴィン王子などではない。

 私が呆気に取られていて、これに対抗する為のお断りの言い訳を必死で試行錯誤している間。エルヴィン王子はどんな区切りがついたのか、突然膝を叩いて一人勝手に納得する。


「よし、今日のところはお暇するとしよう」

「え? あ、はい」

「君は僕への愛情が蘇ったばかりで、まだ気持ちの整理がついていないと見える。わかるよ、僕も最初は混乱した。当時付き合っていた彼女と朝を迎えた時に、君との永遠の愛を思い出したんだ。そりゃ混乱する。わかるよ、エミリア嬢」


 は? 今なんて?

 聞き逃したというか、聞き間違えたかもしれないというか。

 なんか不穏というか不審というか、そういった類のことがさらりとセリフの中に出てきたような気がしたけれど。

 王子は滑らかな口調で散々喋り倒したらさっさと立ち上がり、そそくさと退室して行った。

 えっと、今……めちゃくちゃ気持ち悪いこと言いませんでした?

 

 ***


 それからというもの、私の日常は荒れた。

 研究開発の徹夜明けに「デートしよう」と突然現れて、私を外へと連れ出すエルヴィン王子。

 貴族学校でも必要以上に私にべったり、周囲の王子ファンが阿鼻叫喚の悲鳴を上げ、それでも気にする様子がないエルヴィン王子。

 一番不可解なのが、トリプルデートというもの。

 普通これ、カップル同士が一緒にデートを楽しむという意味だったはず。少なくとも魔術研究ばかりで世俗に疎い私でも、その程度の知識はあるはずだった。

 だけどエルヴィン王子の言うトリプルデートは、さらに私の予想の次元を超える。

 エルヴィン王子一人に対して、私とあともう二人の女性……彼女?

 私が知ってるトリプルデートではなかった。というか、彼女の存在というものが不可解だった。

 その他にも、婚約を申し出ている癖にエルヴィン王子は自分がモテることを理由に、女性遊びが盛んだ。

 私は別に彼に対する感情はこれっぽっちもなかったから、傷付いたり嫉妬したりなんていう拗らせたような展開にまでは至らなかったんだけど。

 それについて聞いても、エルヴィンは自分でもお気に入りであろう満面の笑みで答える。


「君が嫉妬するのはよくわかるけど、他の女性達が僕を放っておかないのもまた事実。そして僕はこの国の王子として、国民の期待に応えなければいけないんだ。ただの下級貴族である君には理解し難いことだろうけど、これでも僕の心は君だけなんだよ? その証拠に、他の女性は遊びで付き合っているだけだけど、君のことは本気だから、ほら。君に対して手を出したりしないだろう。誠実に接している証拠だ」


 仮にアーサーへの愛情が蘇っていたとしても、こいつはない。

 この男がどうすれば私のことを諦めて、婚約解消してくれるのか。私の頭の中は、初めて魔術のこと以外で支配されていった。


 ***


「迷惑なら、国王陛下に直訴したらいいんじゃないの?」


 私がエルヴィンに振り回され、いつもイライラカリカリしているところを見せてしまってたせいか。

 見かねたマルクが、そうアドバイスしてきた。

 私もそれは当然真っ先に考えたことだけど、厳格な王の風格とは裏腹に、息子であるエルヴィン王子にはめちゃくちゃ甘いと、宮廷魔術士の師匠が言っていたことを思い出す。

 それに今の私は、国王という存在がどうにも苦手だ。

 ジェシカの記憶が蘇る。目の前で息子すら手にかけた、支配欲にまみれた国の王の姿というものを。


「そうね、それで解決するとは到底思えないけど。そうするしか逃れる手立ては無しかも……」


 頼りになるのかならないのか、マルクが一緒について行くと言い出した。

 いつも引っ込み思案で気弱な義弟が、珍しい。それほど私のことを心配してくれているということだろうか。

 私はいつもの魔術士用のローブを纏い、手にはマジックワンド……はどうせ武器と見なされて衛兵に取られるだろうから、持っていくことをやめる。


「エミリア、どうしてそんな格好で? 国王陛下に失礼だよ」

「わざとよ。息子が是非とも婚約者に……って言ってるどこぞの貴族令嬢が、こんな格好で来てみなさいよ。愛想を尽かして、逆に息子を説得してくれるようになるかもしれないでしょ?」

「さすがエミリア、自分の目的の為なら例え自らの痴態を晒すことになろうとも、それすら顧みない強靭な精神力」


 あんたも大概のこと言ってくれるわね。と、それはそうと。


「そういうマルクこそ、なんで腰に剣なんかぶら下げてるのよ。武器は謁見前にどうせ没収されるって言ってるでしょ。てゆうか、なんで剣? あんた、魔術士目指してたんじゃないの?」

「見せかけでも、強くしておかないとって思って。俺みたいなひ弱な男が、こんな剣を振れるわけないでしょ」


 マルクは義弟だけど、実は私と同い年だ。

 養子として迎える時、兄より弟の方が何かと都合がいい、ということで両親が設定したみたい。

 まぁ初めて会った時から、マルクのことは年下の弟みたいな感じだからどうでもいいんだけど。


「国王も王子も、私のことは考え直して欲しいところね……」


 そして私は事情を知らないマルクがいることなどお構いなしに、ぼそりと呟いた。


「百年前の約束なんて、そんなもん時効でしょ。時効」


 ***


 国王との謁見の順番が回ってくる間、私は師匠である宮廷魔術士の元へ挨拶に行った。

 師匠と会うのは二年ぶりだろうか。あまり変わり映えしてなくて、二年なんてほんの数日にさえ感じる。

 初老でモノクルをかけた男性が、私の師匠であるクリフトだ。

 なよっとしていて頼りなさげだけど、この国の魔術機関を統べるトップ……と紹介されれば、その凄さがわかる。


「お久しぶりです、師匠。元気そうで」

「聞きましたよ、エミリア。王子との婚約おめでとう」


 私はあからさまに嫌な顔をする。

 それを察した師匠が、含みのある微笑みを浮かべると、お茶菓子の用意をするから腰掛けるよう促した。

 私とマルクはその辺にあった適当な椅子に腰掛けて、師匠がお茶を淹れてくれる。


「全く、どういう了見だか知らないけど。私みたいな色気のない女の何が良くて、婚約なんてしようとしたのかしら。あの王子なら、頭とお尻が軽そうな女はたくさん引っかかると思うのに」

「言葉が過ぎますよ、エミリア。仮にもここは王城内。どこで誰が聞いているのか、わからない」


 そういう聡いところは相変わらずといったところだろう。

 私は面白くなさそうに、味気ないお茶をぐびっと一気飲みする。

 そして師匠の研究室内の壁に、古文書の写しが飾られているのでそれをふと目にした。


「そういえば、今やっとわかったかも。この古文書の写し、確かエリクシルを示しているのよね?」

「世界中の錬金術師や魔術士が、喉から手が出るほど欲しがっている幻の霊石。それを手にした者は不老不死を得るとも、絶大な魔力を有するとも聞きます。それが何か?」


 古文書には、沈みかけている太陽を背にお城が描かれている。

 そしてそのお城の前には湖と、愛らしい形をした花。そして一人の女性の姿。

 女性は王冠をかぶっていて、かざした手には霊石ーーエリクシルが光り輝いている……という描写。


 あぁ、なんてことだろう。

 この古文書の意味だけは、わかったかもしれない。


「沈んだ太陽がある方角にある城、つまりメスベルク城……。そして湖は、今では禁足の地となっている清めの泉、その周囲には絶滅危惧種の姫清か。エリクシルを両手に掲げているのは、メスベルク姫……」

「これは百年以上前の古文書だが、文献によればメスベルク国の王族の中で生まれた女の子だけが、代々このエリクシルを生成する魔術を受け継ぐことが出来る、とあったね」


 私は、息を呑んだ。

 でもこれはあくまで「メスベルクの血筋の女の子」の話だ。

 私はれっきとしたノストブルグ出身、メスベルク王家ゆかりとされる「輝く金色の髪」をしていない。

 肉体が違えば、魔力の質も異なるはず。

 だから今の私にエリクシルを生成する技術は、魔術は扱えない。ーー残念!


「どうして急に古文書の話に興味を? ノストブルグ人にはエリクシルを生成することが出来ないと悟ってからは、おとぎ話として一切興味を示さなかったのに」

「うわぁ、闇リアらしい」

「マルクうっさい」


 私は信じてもらえないことを前提に、師匠に事の顛末を話して聞かせた。

 メスベルク国最後の姫であるジェシカが、私の前世であること。

 そしてエルヴィン王子が、オストリア国の王子であること。

 かつて二人は愛し合い、メスベルク王族滅亡のきっかけとなる侵略戦争の最中、二人は清めの泉でオストリア国王に斬り殺されたこと。

 そして今、お互い前世の記憶を取り戻していて、死ぬ間際に交わした約束を果たそうと、エルヴィン王子から婚約の申し出を受けていること。


 師匠は顔色が真っ青になっていた。口元に手を当てて、思索に耽っている様子だ。

 それからハッとしたと思ったら、急に立ち上がって椅子が倒れる。私もマルクも仰天して口をつぐんだ。

 バサバサと本やら巻物やら引っ張り出して、ようやく目当ての物が見つかったようで息を吐く。


「師匠、どうしたんですか?」

「二年前……、ちょうど君が自立してここを去った後のことだ。エルヴィン王子がね、ここを訪れたんだよ。普段、魔術に興味がないあの王子がだ」


 確かに、そのことは何も知らないし聞いていない。

 私は自分の閃きと可能性に全てを懸けたくなって、ここで学べることは大体学んだと言って師匠の元から勝手に卒業を宣言したんだ。

 思えば勝手な弟子だと思う。いきなり押しかけて、絞れる知識を全て絞り尽くして、これ以上何も絞れないと悟ったらそのまま捨ててどこかへ行ってしまうなんて。

 なんか自分で言ってて、自分が最低に思えてきた。若気の至りで周りが見えていなかった証拠だ。


「あー、なんかすみません。勝手に出て行って」

「いや……、むしろそれが正解だったのかもしれない。あのままここに滞在していたら、遅かれ早かれだが君はその時点で王子と鉢合わせていただろうから」


 ん? 師匠の様子が不穏だ。

 私はなんだか緊張して、怖くなってきた。


「王子はやたらメスベルク伝承について教えろと、詰め寄って来たことがあってね。知る限りのことを教えたけれど、肝心なことがわからないままだ、とかなんとか言ってて。その時の私には何のことだかわからなかったんだが。エミリア、君の話で合点がいったよ」


 師匠は私を見た。私はその目を見て、危機感を覚える。

 その目は恐怖に満ちた色をしていたから。師匠がこんな目をしたことなんて、私が死霊術に手を出そうとして慌てて制止した時以来の目だった。


「アーサー王子とジェシカ姫のおとぎ話、これには続きがある」


 今も戯曲などで語り継げられる、王子と姫の悲恋物語。

 その続きなんて、聞いたことがない。

 絵本でも舞台でも、二人が「永遠の愛を誓って来世こそ一緒になろう」と約束を交わして、天に召される場面で終焉だ。


「その場に居合わせた姫の護衛騎士、彼にはまだ息があって……その続きが記されている日誌が発見されていた」

「えっ!? それって、結構すごい発見じゃないの! なんで黙ってたんですか、師匠」


 乱雑なテーブルに置かれたコップの水を飲んで、一息ついてから声を押し殺すように話し続ける師匠。


「……言えるものか。ここでは誰が聞いているかわからないって、話しただろう。護衛騎士の日誌には、こう記されていたんだ。ところどころ字がかすんで消えかかっていたり、破損部分もあったが」


『オストリア王の一撃の元、私が守るべきジェシカ姫は生き絶えた。守れなかった。その悔恨だけが残っている。しかしこれだけは後世に残しておかなくてはならない。私は見た。ジェシカ姫との愛を誓っていたはずのアーサー王子は、父王に殺されたと見せかけて、実は生きていたのだ。彼は姫様の亡骸を探っている様子で、どこにもないと叫びながら大いに悔しがっていた姿が、今でも目に焼き付いている。アーサー王子のその顔は、まさに悪魔のそれだった。私もまた瀕死の重症だったが故、姫様の亡骸を冒涜する輩を許せなかったが……何も出来なかった。ただ最後に、王子の言葉だけはこの耳に届いていた』


 私は愕然としていた。

 当たり前のことだけど、自分が死んだ後の展開なんて……知る術がない。

 そして師匠は、深刻な面持ちでこう続けた。


『エリクシルを自らの魂に込めたまま逝ったのならば、転生した後に必ずこの手で奪い取ってみせる』


 背筋がゾッとした。みるみる私の体から血の気が引いていく。

 高名な魔術士などでは、よく聞く話だった。


『肉体が朽ちてしまえば、何一つとしてあの世に持って行くことなど不可能だが。魔力自体、あるいは魔力の込められた品物ならば、その魂に込めてあの世に持ち込むことは不可能ではない。現に、かの悪名高き黒魔術士サリエリは、自らの魔力と数々の魔具を魂にありったけ詰め込んで、転生してなお黒魔術士サリエリと名乗って悪行の限りを尽くしていた』


 そう、高い魔力さえあれば……それは一国の姫でも不可能ではない、ということ?


「え、待って? それじゃあアーサーは? エルヴィン王子は……私(ジェシカ)のことは、最初からどうでもいいと?」


 そう言った矢先だった。

 私の目の前にいた師匠が、突然苦痛に歪んだ表情をしたかと思ったら、口から血を吐いて……倒れてしまう。

 何が何だかわからないまま、私は慌てて師匠に駆け寄って状態を確認する。

 師匠の口から独特の臭いがして察した。恐らく師匠がさっき飲んだ水、あるいはコップに毒が……。


「どこで誰が聞いているかわからない……。自分で何度も言っておいて、呆れるよね」


 ドキリとして振り向くと、入り口には邪悪な微笑みを浮かべたエルヴィン王子が立っていた。

 私は彼の登場に確かに驚いていたけれど、そんなことどうでもいい。早く師匠に解毒魔法をかけないと助からないと思って、師匠の背中に手を当てて魔法をかけようとした瞬間。

 エルヴィンが鞭を振るって阻止しようとしたその時、私の隣にいたマルクが腰に帯びていた剣でそれを弾いた。


「マルク!?」

「なんだお前は? 僕はジェシカに用があるんだ。部外者は引っ込んでいろ」


 私を守るように、マルクが私の前に立って壁となる。


 ーー私はその背中を知っている。


 だけど今は、師匠の身と今の状況が問題だ。相手はこの国の王子、下手な真似は出来ない。

 王子もそれをわかっていてか、勝ち誇ったような笑みを浮かべたままペラペラと喋り出した。


「アーサーの時にエリクシルを手にしたかったが、ジェシカのやつ。エリクシルは永遠の愛を誓い合った者にしか与えないとかほざきやがって。そのせいでアーサーはエリクシルすら入手出来ない無能だと罵られ、オストリア王から蔑まされてきた! だけど今はそんなことどうでもいい。清めの泉と姫清か、そして恵みの雨の効果が重なれば奇跡の力を行使出来ると知ってた俺は、すぐさまお前の後を追った! お前が死んだ後、その場にいた部下に俺を殺させて、泉と花の力で追いかけることに成功した」


 あの後、すぐに……?

 エリクシル欲しさに、自分の死を即断出来る目の前の男が、とても恐ろしく映った。

 

「転生してもすぐに記憶が戻らなかったのは誤算だったが、記憶を取り戻してからは事が順調に進んだよ。エリクシルの研究、そして清めの泉や姫清かに詳しい魔術士が、自分のすぐ側にいたからな。ある程度情報を引き出して、僕に不利な証拠を見つけたら処分するつもりでいたが。まさかジェシカ、君がここに来ているなんて思わなかったよ」


 愚か者を見つめるような歪んだ表情で、私に手を差し伸べる。

 こんな時、魔術士の武器となるマジックワンドを持って来れば良かったと後悔した。

 魔術の才があるとか言って持てはやされようとも、結局のところ魔術士は魔力を放つ為の媒体となる魔法石を装着させた武器がなければ、下級魔法すら放つことが出来ない。


「さぁ、そこにいる魔術士の命を助けたくばエリクシルを渡せ」

「そんなこと急に言われても、出し方なんてわからないんですけど?」


 無駄とはわかっていても挑発する。

 だってとにかく腹が立つ。いっそこの場で殺された方が清々するかもしれない。

 

「知らないフリをしても無駄だぞ。魔術士ならわかっているはずだ。魔法を放つ時と同じ感覚、クリフトはそう言っていた。それとも本当に初めて知ったか? だが魔術士としてこれだけ言われれば、さすがにわかるだろう。それともそれすら拒むと言うのなら、最終手段に出るしかない」

「は? 最終手段?」


 呆れ返るような表情で腕を組むエルヴィンだけど、呆れ返ってるのはこっちよ。

 あんたの長話に付き合っている暇はないから! 早く師匠に解毒魔法かけたいのよ、こっちは!


「エリクシルは愛の結晶でもある。僕がなぜわざわざ婚約者として、君を招こうとしたか……まだ気付かないか? 今の君は前世の記憶が蘇っているから関係ないが、君がずっとこのまま……前世の記憶を取り戻さないかもしれないと、そうなったら僕がどうしたらいいのか。賢しい君ならわかるはずだ」

「ちょ……、もしかして……。何も知らない私と結婚して、初夜にエリクシルを生成させる手筈だった……?」


 全身に鳥肌が立つ。

 やっぱりこの男、生理的に無理なやつだ!


「クリフトに教わった文献にも書かれていたから確かだ。エリクシルは永遠の愛を誓い、愛し合った時に生成することも出来ると。だから君がどんなに拒絶しようとも、僕からは逃れられない。君(エリクシル)は僕の物だ!」


 エルヴィンが声高々にそう宣言したと思った矢先、ひゅっという音がしたかと思うと「それ」はエルヴィンの頬を切り付け、壁に突き刺さっていた。ーー果物ナイフだ。


「さっきから黙って聞いていれば……。こともあろうにお前は、エミリアのことを物扱いだと? なんとも度し難い男だな!」

「なんだお前は!? ジェシカの何なんだ!?」


 目にも止まらぬ速さでナイフを投げられ、頬から血を流しているエルヴィン。

 マルクの動きに恐れ慄いている。


「ジェシカ姫の、ということであれば……。守るべき主君を守り切れなかった、不甲斐ない騎士……とでも言っておこうか」


 やっぱり……っ!

 あの時、マルクが私を守ろうとしたあの背中。

 忘れるはずもない。あの頼もしい背中は、私をずっと守り続けてくれた近衛騎士オースティン!


「でも今は、魔術と研究に日常生活を蝕まれた、ワガママ魔術士エミリアの弟子だけどね」


 マルク……、この状況でそういうこと言うな。

 すっかり形勢逆転となった今、マルクがエルヴィンに剣を突きつけている間に私は師匠に解毒魔法を施す。

 そうこうしている内に、不在だった私以外の師匠の弟子が戻って来た。

 何事かと騒いでいる中やっと喋れるところまで回復した師匠が、事情を弟子達に説明。その間にマルクが他の弟子と共にエルヴィンを縛り上げ、彼等は王子を連れて国王と衛兵のところへ行ってしまった。


 静かになった魔術研究室で、やっと落ち着きを取り戻して一息ついたマルクがいつものほんわかとした表情に戻る。

 今気付いたけど、転生しても前世での雰囲気は持ち越すのかな、とふと思った。

 それ位、さっきのマルクは今まで見たことがない位、とても頼もしく見えたから。

 あれは間違いなく私の知っているマルクじゃなくて、ジェシカが知っているオースティンの姿だった。


「ごめんね、エミリア。びっくりしたろ」

「あー、まぁ、驚かなかったと言えば嘘になるわね。えと、マルクは前世の記憶……思い出してたの? いつから?」

「エミリアが貧民街に来る少し前から」

「早っ! まだ子供じゃない!」


 あれは多分、お互い六歳とか七歳位じゃなかった?

 十年前にすでにあの時の記憶を保持してたってこと?


「それは、辛かったでしょう……? 決して楽しいばかりの記憶じゃないもの。特に最後なんて……、子供が見て平気な光景じゃなかったろうし」

「まぁでも、楽しい記憶がほとんどだよ。それだけジェシカ姫とオースティンが、一緒に過ごした時間は長かったってことさ。あの欲張り王子なんかと違ってね」


 確かにそれは言えてる。

 オースティンはジェシカが六歳の時に近衛騎士兼、話し相手として任命されていた。

 年齢がさほど変わらない二人は、とても仲が良かった。姫と騎士、その身分の違いを除いては。

 それに比べてアーサーとは会って二〜三回程度、よく身を捧げようとしたな。


「前世の記憶があってもなくても、俺はエミリアと一緒に暮らせて毎日が嬉しくて楽しいよ。そりゃたまにオースティンの記憶が邪魔しに来るけどね。あいつ、堅物で真面目だから。ジェシカ姫を守れなかったって思いが強すぎて、死ぬまでずっと後悔してたんだ。オースティンもまた、清めの泉と姫清かの言い伝えを頼りに……またいつかどこかでジェシカ姫の魂に会えることを願って、清めの泉で最期を迎えた……。後半、ボケてたんだと思います。言い伝えを信じる程に、ジェシカ姫に再び会って……謝罪する為に」


 そうか、オースティンはそこまでジェシカのことを思っていてくれたんだ。

 前世の記憶とはいえ、彼との思い出もまた記憶として私の中で息づいている。

 マルクは知らないでしょう。

 ジェシカの初恋の相手が、まさかオースティンだったなんて。

 でもジェシカはアーサーを選んだ。彼に恋して、身を捧げる程に彼を愛した。死んでもなお、彼と来世で結ばれたいと強く願って……。


 もしかしたらこの三人が同じ時代に上手い具合に転生したのは、偶然じゃないのかもしれない。

 エリクシルの力で、また二人に会いたいと……。

 泉と、奇跡の花と、エリクシルという魔法石が織りなした奇跡。

 そして、百年前の決着はついた。

 

 ジェシカは愛しい恋人アーサーと、大切な近衛騎士オースティンと再会出来た。

 アーサーもまた、百年越しにその野望を露わにして、ついに終わりを告げた。

 そしてオースティンも、今度こそジェシカを……私(エミリア)を最後まで守り通した。


「エミリア、前世の記憶とかどうとか……俺は正直どうでもいいって思ってる。オースティンの無念を晴らす為に、こうして君に謝罪はするけど。俺は今まで通り、エミリアの義弟として……魔術の弟子として、側にいることを許してほしい。……今まで黙ってて、本当にごめんね。百年前、あなたを守ることが出来なくて……本当にすみませんでした」


 マルクの気持ちが、オースティンの気持ちが、痛い程伝わる。

 そうだね、彼等には彼等の人生があったように、今は私達の人生がある。

 振り回されるわけにいかないよね。

 その折り合いをつけることが出来なかったのが、エルヴィン……。あぁはならない為に、私達だけでも前世との折り合いをつけて、これからを生きていかなくちゃ。


「わかってる。その気持ちは十分に伝わってるから、もう泣かないで。わかってるから……」


 大切な人と、これからずっと生きていく。

 私達はきっともう大丈夫。

 ジェシカの魂も、オースティンの魂も、二人一緒に手を繋いで、これから先を見守っていて。

 

 ありがとうーー。


 ***


 懸念していたことは、解決した。

 王子のしでかした騒動は、クリフトが事細かく国王に伝え、それを涙ながらに聞いていたそうだ。

 子煩悩のアホ国王は今回のことで大いに反省し、これからは宰相達の話をよく聞き入れ、政治をしっかり行うことを約束した

 それは当然バカ息子のことがあってのこと。

 こんなところでバカ息子の暴走が功を奏すとは、誰も思わなかっただろう。私も思わなかった。


 そして私はというとーー。

 あれからジェシカの初恋相手オースティンの現在の姿であるマルクと、恋仲になるかと思えば大きな間違い。

 いつも通り、いいえ……それ以上に魔術の研究を手伝わせている。

 マルクがオースティンの剣気の才を引き継いでいることを知ってから、体力面での実験に遠慮がなくなった私。

 

 今になって気付いたことだけど、私の魔力の才能はエリクシルを生成出来るジェシカの魂が原因じゃないかと思い始めた。

 マルクがオースティンの能力を引き継いでいることが、何よりの証拠だ。

 だからといって争いの元になるであろうエリクシルを生成しようだなんて、今はもう思わない。

 事情を知らない頃の私なら、意気揚々として作ろうとしただろうけど。

 あれのせいであんな悲劇があったのだから、もう懲り懲りだ。


「さぁマルク! 次は空飛ぶ魔導装置で、どこまで飛んで行けるか実験よ!」

「闇リアあああ! ちくしょおおおお!」


 私達の場合、これはこれできっとハッピーエンドなんだと思う。

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【短編】「生まれ変わったら、来世で一緒になろう」という約束をしたみたいですが、今生で私があなたを愛することはありません。時効です、時効 遠堂 沙弥 @zanaha

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