第26話 全方位、異形


 ――最初に刻哉たちの前へ進み出てきたのは、一頭の熊型モンスターだった。

 体高、約二メートルのフォレストベア。


 刻哉は目を細める。いせストで見た個体と色や雰囲気が違う。

 約十メートル先に現れたそいつは、いせスト動画よりもずいぶんと鈍重な動きをしていた。全身がどす黒く、ところどころ、肉の裂けたような傷があった。目は、死んだ魚のように混濁している。

 奴が歩を進めるたびに、嫌な臭いが噴き上がるようだ。


 そんな異形のフォレストベアが一頭――その後ろから二頭目。さらに両サイドから三頭、四頭……それから、後ろにも。


 次いで、フォレストベアを追いかけるように別のモンスターも現れる。

 フォレストウルフ。いせストでは初期パーティ用の雑魚的扱いだった狼型モンスター。

 大きさは中型犬くらいだろうか。

 黒い。まるで返り血を全身に浴びて、長い時間が経ったような見た目だ。

 ウルフの名を冠したとは思えないほど、のっそりと歩いている。ほとんど這うように。

 果たして刻哉たちを視認しているのかどうか。顔は明後日の方向を向きながらも、行く手はしっかり阻んでいる。

 フォレストウルフの数は、とっさには数えられないほど。異形の熊より、ずっと多い。


 最後に姿を現したモンスター。刻哉たちを挟撃するように川の両岸に数体、並ぶ。

 木のモンスター、トレント。

 刻哉は直感的に「こいつらが一番ヤバい」と思った。

 トレントは枯れ木の化け物のような外見をしている。葉っぱの類いはない――ハズなのだが。

 今、刻哉たちの前に現れた彼らは、まるで柳の枝のようなものをいくつもぶら下げていた。


「――ぅぷ」


 隣で、リコッタが口元を抑える。言葉が通じない刻哉にもわかる、不快さ由来の嘔吐えずき。


 柳の枝ようだと思っていたもの――それは、グズグズに崩れたスライムの成れの果てだった。

 いや、『成れの果て』は適当な表現じゃない。

 トレントの漆黒の枝から、スライムが徐々に徐々ににじみ出してきている。

 溢れたスライムが腐ったチーズのように垂れ下がり、地面に落ちてぐずりと溜まり、それをさらに、トレントの根が吸い取る。

 熊や狼とは比較にならないほどの臭気をまき散らしていた。


「スライムを養分とするトレント、トレントから発生するスライム……ひどい絵面だ」


 もしいせスト動画でリアルに再現されていたら、視聴者はトラウマものだろう。


 おそらく、このおぞましい負のサイクルが、森全体を狂わせている。


 そして今、刻哉たちはその狂ったモンスターたち全種類に包囲されている。


 ドラゴンすら切り裂く刻哉のナイフ擬きは、リコッタに与えた分を含めても両手で数えられる程度の数――のみ。

 三百六十度、全方位を埋めるモンスター。

 控えめに言って、絶望の三歩先。

 いせストプレイヤーなら、早々にデスワープを待つ。


「トキヤさん。どうしますか」


 ――と、フィステラがたずねてきたのが合図となった。


 正面と後方から、同時にフォレストウルフの群れが襲いかかってくる。

 骨折した足を無理矢理引きずるようなおぼつかなさで、右へ左へよろめきながら這い寄ってきた。迫るスピードよりもその姿そのものが恐ろしい。あの刻哉が息を呑んで気圧されるほどに。


 リコッタが吠えた。

 腰から金色に輝くナイフ擬きを抜き放った獣人少女は、真っ直ぐに正面のフォレストウルフに斬りかかる。


 一閃。

 目にも留まらぬ速さ。

 ゲーム画面ならば、間違いなく必殺技のバレットタイム――スローで格好良く『決まる』ところだ。


 そのとおり。一匹のフォレストウルフを美しく両断する。

 刻哉の打った武器は、ドラゴンすらも容易く切り裂く。貫く。


 同時に――。

 甲高い金属音がして、リコッタの手から武器が消失した。


 リコッタが眉間に皺を寄せる。

 刻哉の打った武器は、ドラゴンすら容易く切り裂く。代わりに、たった一撃しか保たない。


 見た目からして明らかに正気を失ったフォレストウルフとフォレストベアたちに、同胞の死は羽虫ほどの驚きしか与えない。


 わかっていた、とばかりリコッタが二本目を構える。

 あと何本、彼女は持っている? あと何回、彼女は攻撃を仕掛けられる?

 あとどのくらいで、彼女は万策尽きる?


 刻哉は、自分の分の武器を手に取った。


「フィステラさん、リコッタにトレントを狙えと伝えて。右手、左岸方向」

「え? あの、それは――」

「頼んだよ」


 刻哉は駆け出した。上流から見て左側、刻哉の立ち位置から見て右手側。

 岩場で少し盛り上がったところを這い上がる。

 腕で身体を持ち上げた、その数十センチ先にトレントがいた。

 普通なら、悲鳴を上げるところだろう。平和な日本で生まれ育った普通の成人男子なら。


 刻哉は、慣れ親しんだ超集中状態ゾーンに入っていた。


 トレントは動く木。しかも、気色の悪い水音を立ててスライムを吐き出す、おぞましい見た目だ。


 刻哉は思った。遅い。アダマントドラゴンよりずっと遅い。

 トレントの枝をまとめて斬るイメージで、ナイフ擬きを振るう。


 刃が輝いた。

 ナイフが太刀に変わったように、本来あり得ないほどのリーチで切り払った。

 目の前にいたトレントだけでなく、隣にいた別のモンスターもまとめてほふる。


 甲高い金属音。ナイフ擬きが砕けると同時に、べしゃりべしゃりとトレントの枝が落ちた。


 刻哉は次のナイフ擬きを取り出そうとして、手を止める。

 川を見下ろすと、リコッタが果敢にフォレストベアに斬りかかっている。身につけたナイフ擬きは、あと二本。


「フィステラさん!!」


 刻哉は、この異世界に来て初めてじゃないかと思えるほど大声を出した。

 精霊少女に指示をしてから、確かに三十秒と経っていない。

 何かをすには、短い。

 ましてや反発する相手を説得するには、あまりに短い。


 フィステラは刻哉の声を受けて、さらに必死にリコッタへ呼びかけた。しかし、絶望を目前にして興奮状態になっているのか、リコッタの猛攻は止まらなかった。

 異世界の言語は刻哉にわからない。フィステラの口からは、悲痛であることだけがひしひしと伝わる異世界語が吐き出されていた。


 リコッタの手が、残ったナイフ擬きに伸びる。


 そのとき。

 獣人少女が対峙していたモンスターは、ぐらり、とバランスを崩した。

 

 

 


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