第7話 ルーカス王との初対面


 十日が過ぎて、ほぼ絶食させられたシンディは、本当にやつれきって王宮のシンシアの部屋に戻された。


 そこは想像以上に贅沢できらびやかな部屋だった。

 天蓋付きのベッドは十人ほど並んで眠れそうで、ゴールドが好きだったのか、ベッドの縁取りもソファも壁紙もゴールドが散りばめられている。


 なんとも落ち着かない部屋だった。


 ただ大きな窓から入る日差しは温かく、鳥のさえずりが心地よかった。


「シンシア様……。なんとおいたわしい。こんなにお痩せになって」


 ヒルミは真っ先に部屋にやってきて涙ぐんだ。


「ヒルミ……」


 シンディはかすれた声で呼び、ヒルミの手を握りしめた。


「まあ……声まで掠れて……弱々しくなられて、どれほど不安だったことでしょう」


「ここは……どこ? お父様は……?」

「まあ! 記憶まで曖昧あいまいになっておられるのですね。お父上様はここにはおられません。シンシア様はラムーザに嫁いで来られたのですよ」


「私が……ラムーザに?」


 シンディはアーサーと取り決めていたように、記憶が混乱しているように演じた。

 これで多少知らないことがあっても誤魔化せる。


「そうですよ。ああ、嫌なことは忘れてしまわれたのでしょうね。お可哀そうに」


「頭がぼんやりして……いろいろ思い出せないの。ごめんなさい、ヒルミ」

「いいのですよ。私が思い出せるようにお手伝いします。まずはたくさん召し上がってくださいませ。シンシア様の大好きな砂糖菓子を用意させますわ」


「ありがとう、ヒルミ」


 本当はできれば普通の食事が食べたかったのだが、我慢するしかない。


「ここからは私達がお世話をしますわ。シリ、あなたはもう下がりなさい」


 ヒルミは部屋の隅に控えるシリに命じた。

 もうお役御免ごめんだと追い払いたいのだろう。

 けれど、それは困る。

 シリはシンディにとって唯一そばに置ける味方なのだ。


「待って……。その人は……私を一生懸命看病してくれたの。彼女のおかげで私は助かったのよ。彼女を侍女の一人として側に置いてもいいと思っているの」


 か細い声で、シンディは告げた。

 ヒルミは驚いたように目を見開いた。


「で、ですが……あれほどこの者を嫌っておいでだったのに……」


「死にかけてみて……彼女に酷いことをしてしまったと悔やんだの。深く反省するから、この命をお助けくださいと神様に誓ったの。彼女を追い払ってしまったら、神様との誓いを破ることになってしまうわ。だから、どうかお願い。彼女を側に置いて、ヒルミ」


 シリと二人で考えたシナリオだ。

 グラハム国では神様の誓いという言葉は、何よりも強い効力を持つはずだった。


「も、もちろん……シンシア様がお望みならば、私が反対することではございませんが……」


 ヒルミは戸惑いながらも、仕方なく認めてくれた。


 ほっとしたのもつかの間、部屋の外から声がかかった。


「ルーカス陛下のおなりでございます」


 はっとして、ヒルミとシリをはじめ、侍女達が部屋の隅に下がった。


(いよいよ陛下と初対面だわ)


 シリからは、ともかく無言で目をそらすか、悪態をつけば大丈夫と言われているが、これがなかなか難しい。


 シンディは他人に対してそんな態度をとることなどない。

 まして相手は国王なのだ。

 本当ならひれ伏して言葉を発することも許されない人だというのに。


 ともかく、しばらくは病人らしく無言でいればいいという話だ。そうしよう。


 やがてベッドの中で祈るように待つシンディのもとに、黒髪の男性が現れた。


 音楽会で遠目には見ているが、近くで見るのは初めてだった。


 爽やかになびく肩までの黒髪に、燃えるような赤い瞳の若々しい青年だった。

 黒地に赤いラインの入った長ジャケットに、黒いマントを翻して歩いてくる。


(あれ……。思ったよりもかっこいい……)


 シンシア王妃が毛嫌いするぐらいだから、もっと嫌みなブ男なのかと想像していたが、村娘のシンディが見たことのない美男子だった。


(この人が王様なの?)


 涼やかで聡明そうな顔だが、確かに一国を統べるにはまだ若すぎる気がする。

 日々の重責に疲れたような憂いのようなものを感じた。


 ルーカス王の後ろには二人の側近が付き従い、その一人はアーサーだった。

 離宮にいる時よりも、きちんとした身なりをしている。王宮服なのだろう。


 ベッドの側まで来ると、ルーカス王はちらりとシンディを見た。


(うわ……。どうしよう。思ったより好みのタイプだわ)


 想定外なことにドギマギしてしまう。


 妻の快復に喜んでキスでもされたらどうしようと、焦ったシンディだったが……。

 そんな心配は無用だった。


 ルーカスは控えめに言っても、ベッド全体が凍り付くほど冷ややかな目をしている。

 そしてすぐに目をそらすと、式次第を読み上げるように平坦な声で告げた。


「熱病と聞いて心配致しました。無事回復されてなによりです。何かお困りのことがございましたら、なんなりとお申し付けください。尽力致しましょう」


「……」


 無言を返せばいいと言われたが、言われなくとも返す言葉もなかった。


 これが夫婦の会話なのだろうか。

 他人行儀どころか、これほど心のこもらない言葉を聞いたのは初めてだ。


 シンディが何も答えずにいると、いつものことなのか「では」と言って立ち去ろうとした。


 しかし、そのルーカスをヒルミが呼び止めた。


「お待ちくださいませ、陛下!」


 その声はすでに非難を含んでいる。

 ルーカスは面倒そうな表情を隠そうともせず応じた。


「なんだ、ヒルミ」


「シンシア様はこの通りまだお体が弱っておいでで何もお話しできないようでございますが、そのお心の内は、このヒルミがよく分かっております。大切なシンシア様が熱病の危険にさらされたこと、長い隔離と闘病に苦しまれたこと、グラハムからの侍女二人の命を奪われたこと。お国の父王様にご報告させて頂きます。どれほどお怒りになられるか、ご覚悟くださいませ」


「……」


 ルーカス王は脅し文句のようなヒルミの言葉に眉間を寄せた。


 そのまま、寝ているシンディにさっきより更に冷ややかな視線を向ける。

 シンディがヒルミに言わせたのだと思ったのだろう。


(違う。私はそんなこと全然言ってないのに……)


 ベッドの中のシンディは冷や汗が吹き出そうだった。


 反論したのは王の後ろに控えていたアーサーだ。


「恐れながら、熱病を持ち込んだのは裏庭の森に入り込んでサルに噛まれたグラハム国の侍女でございます。我らの医師が気付かなければ、ヒルミ殿をはじめ侍女の皆様全員がうつっていたものと思われます。被害を最小にとどめ、王妃様だけでもお救いできた努力を認めて頂きたい」


「……」


 今度はヒルミがむっとアーサーを睨み返した。そしてさらに反論する。


「王宮の森にサルなどが住んでいるからですわ。そんな危険な動物は、今すぐすべて駆除してくださいませ」


 無茶なことを言う。


「サルはラムーザ国では神聖な動物です。それはできません」


「神聖ですって? シンシア様を危険にさらした害獣ですわ! それでは誰が今回の責任をとるつもりですの?」


「責任とは?」


「もちろん王妃様の命が危険にさらされたのです。死罪ですわ。王妃様の諸事を取り仕切るあなたが責任を取られますか? アーサー様」


 すごい人だ。

 ただの侍女ではない。

 王やアーサーを相手にこれだけ言ってのけるのだから、相当な曲者だ。

 グラハム国王の愛人と聞いたが、彼女の言葉で王が自在に動くかのような口ぶりだ。


「私を死罪にすればお気が済むのですか?」


 アーサーは毅然と答える。

 それは困る。

 アーサーに死なれてしまっては、誰が影武者のシンディを守ってくれるのか。


 何か反論して助け船を出すべきなのかと思ったが、それを食い止めるようにシリが側にきてシンディの手を握りしめた。


「皆様、病み上がりのシンシア様がおびえておいででございます。どうか今のところは、責任の所在よりもシンシア様のご快復を第一にお考えくださいませ」


 シリの言葉にルーカス王がほっとしてうなずいた。


「確かに。王妃はずいぶん弱々しくなっていつもの元気がないように見える。今はそのことに言及すべき時ではないな、ヒルミよ」


 ヒルミは悔しそうにシリをキッとにらみつけながらも答えた。


「はい……。配慮に欠けておりました。申し訳ございません、陛下」


 一応、王に対する敬意はかろうじて持っているらしい。


 とにかく、冷え冷えとした空気の中、初めての対面はこうして無事に終わった。



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