第64回 ヒビ

※リューナ視点です。




「リューナ殿、これは内密にしていただきたいのですか」


 元老院の一人が私に話しかけてきました。

 理由も、内容も、聞かなくてもわかります。


 何故ならここは皇帝の執務室。

 私が、ナーサの代わりに各国への書状を書いているのですから。


「なんでしょう」


「シーナ様のご意向通り、ナーサ様が皇帝でいい。しかし、それは成人になってからでもいい。それまではあなたが皇帝になるべきです」


「ダメです」


「ではなぜ彼女はここにいない!!」


「でも、ダメです。私はあくまで教育係。そこがブレたら、姉上様の理想が大きくズレていく」


 完璧な器でも一つ小さなヒビが入れば、一気に脆くなる。

 だから、決して皇帝になるわけにはいかないのです。


「……なら、しっかりと教育していただきたい」


「申し訳ございません」


 元老院が去っていく。

 筆を置き、一息つく。

 いくらカローが超大国とはいえ、書状一枚の文章を間違えただけで他国は牙を剥く。


 カローの平和が、私の肩に。


 重い。

 どんな巨石よりも遥かに。

 ナーサが耐えきれないのも無理はない。


「リューナさん……」


 ナーサが部屋に入ってきました。

 どうして私がいるのかという疑念、怒られるという恐怖が、その歪んだ顔に表れています。


「あの……」


「なにをしていたの」


「いや……」


「正直に答えて」


「……クレイピアと、夜遅くまで起きてしまって」


 椅子から立ち上がり、ゆっくりと近づく。

 こんなことするのは、何年ぶりだろうか。

 小さかった頃、ユーナと喧嘩したときに、一度だけ。


「あ、あの……」


「っ!!」


 ナーサの頬を叩いた。

 手のひらにピリピリと嫌な感触が残る。


「いい加減にしなさい!! あなた最近変よ!? どうしてそんな不真面目になってしまったの?」


「だ、だって」


「だって? まだ言い訳をするつもり? あなたは皇帝。皇帝としての職務を全うできないなら、クレイピアとは会うことを禁ずるわ」


 涙を浮かべていたナーサの瞳が、鋭い熱を帯びました。


「リューナさんにそんな権利はない!! 一番偉いのはこの私だ!!」


「ならその自覚を持ちなさい」


「くっ!!」


 ナーサが逃げ出す。

 いくら皇帝の重圧が苦しいとはいえ、昔といまではまるで別人のよう。

 私の教育が、間違っていたのでしょうか。


 アオコさんは大丈夫だと言ってくれた。

 けど……。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 ※ナーサ視点です。


 走って、走って、走り続けた。

 街外れの小さな家を目指して。


「クレイピア!!」


「ナーサ? お仕事はどうしたの??」


 なにも言わずに抱きしめる。

 クレイピアも何かを察したように、それ以上言葉を口にせず私の頭を撫でてくれた。


 この家に、クレイピアは一人で暮らしている。

 かなり不用心だけど、この辺一帯は湖の国出身ばかりが住んでいて、みんな協力しあって生きているらしい。


「好きで皇帝になったわけじゃないのに、どうして怒られなくちゃいけないんだ」


「そうだね」


「どうせ私はシーナ母さんより弱くて、頭も悪くて、スキルだって下位互換だ」


「泣かないで。ナーサはシーナ皇帝よりも、ずっとずっと優しいんだから」


「クレイピア……」


 あぁクレイピア。

 私の天使。

 私の唯一の癒やし。


 リューナさんも、アオコさんも、誰も私の苦しみなんか理解しくれない。

 クレイピアだけだ。

 彼女さえいてくれたら、もうなにもいらない。


「ほら、こっちに来て。楽しいこと、しよう」


「うん……」


 吸い込まれるように、私は家の奥へと進んでいった。

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