最低限文化的生活6

 それからの経過は目まぐるしく植物はどんどんと育った。植えた香草と根菜はみるみると育ち収穫手前の状態となる。花をつければ味も香りも落ちてしまうためその辺りの見極めは重要。つぶさに観察を続けなければいけない緊張感。農作業も楽ではない。




「わざわざ育てなくたって、採りにいけばいいだろう」




 カオ様の威光を借りてもそう口にする者は絶えなかった。効率と管理の面を考えればどれだけの利点があるか分かるのだがそういう輩には何を言っても無駄である。これは知能レベルの高低ではなく、新しいものを許容できるかどうかの問題だ。

 このように、今も昔も価値観をアップデートできない人間は存在するわけだが、勿論その逆もいる。例えばエーラなどは全肯定だったし、子供を統率するニーラッドも「仕事がやりやすくなる」とたどたどしく賛同してくれた。また、意外なのはムシュリタも理解を示した事だった。




「男がやる事じゃないが、食事の量が増えそうだ。食えない奴も食わせられるようになるかもしれない」




 あくまで男は狩りをすべきという信条は曲げなかったが、共同共生には賛成のようだった。

 彼は傲慢で自尊心の高い人間だったが誇りを持っていた。弱者を見捨てたり蔑ろにしないその気位は美点であるだろう。なにかとうるさいのが玉に瑕ではあったが。



 このように賛否が分かれた俺の農業だったが、不思議なものでいよいよ収穫となると反対派、賛成派問わず集まって来て見物するのだった。




「どうだムシク。上手く育ったか?」


「待っていてくれ。今からそれを確認するんだ」




 急かされながら香草を一枚もぎる。見た目は良好。手にした瞬間に伝わる瑞々しさ。葉の厚さも申し分ない。鼻を近づけるとしっかりと芳醇な香りが鼻腔に広がる(収穫前から香っていたので匂いの質については分かっていた)。少し千切って噛めば、苦味の中に酸味があり豊かな味わいが確かに感じられたる。


 ……ここまで書くと大変すばらしいでき栄えのように思えるが、別段そういうわけではなかった。群生地から採ってきたものと比較して変わったところはない。ごく普通の香草である。それは芋類も同じで、ごく普通の芋。変わり映えしない、変哲のない芋であった。


 だがそれでいい。それがいい。目的は品種改良や品質向上ではない。既存クオリティの食材が生産可能であるかどうかの確認である。その点でいえば十分過ぎる成果。幾つか枯れてしまっていたが生きている幹の方が多い。いつもの味がより手軽に手に入る。これは革命といって差し支えないだろう。




「どうだ、ムシク」




 いつの間にかやってきていたカオ様の問に「成功です」と伝えると、神妙そうに「ふむ」と一声落とし、幹や茎。土の状態を調べていた。




「よろしい。ムシクは今後、これを仕事にしろ。まだ子供だが、今日から大人として扱う。育てる場所を拡張し、必要なら人を使えるようにするから、何かあれば私に言ってこい」


「はい。承知いたしました」


「いいか皆。ムシクはこれまでにない事をやっている。それは群れ存続のうえで必要な事だ。各々思う事はあるだろうが、今は黙って見守ってやってほしい。これは私の意見だが、反対するものはいるか?」



「……」




 声はなかった。反対する明確な理由もない。感情論や慣習に則ったお気持ち表明は集団討論の中で無意味であり効果がないと分かっているのだ。こうした社会的な秩序と規範が原始の時代に暗黙の了解として形成されているというのは少し面白かった。社会性というのは情念の類から生じるものなのかもしれない。




「カオ様。よろしいでしょうか」


「なんだエーラ」


「私、ムシクのお手伝いしたのですけれど、よろしいでしょうか?」




 エーラの申し出により緊張感が走る。男共の殺気が一様に増し、俺に向けられた。「まさかお前最初からこうなる事を想定していたのか」「狩りができないからカオ様を謀って仕組んだのか?」「そんな真似は許されない」。口には出さないが、そんな罵声を浴びせられているような気になった。酷い話だ。とんだ誤解だというのに。




「分かった。エーラ。お前は今後、ムシクと一緒に仕事をしろ。ムシクの言う事を聞くように」


「はい。分かりました。ありがとうございます」




 冗談じゃない。本気で殺されかねないぞこれは。





 いつの時代も恋慕情愛は人間関係をややこしくするものだ。嫉妬や羨望というのは動物的な感情のようでもあり人間的な感情のようでもある。理知でも感情でも解決できないこの問題は非常にやっかい。エーラがこの調子であるのならば今後の身の振り方を考えなくてはならないだろうと思案。副次的に生じたデメリットとリスク。解決策は浮かばずその場で頭を抱えたい衝動をぐっと堪える。




「エーラが手伝うなら俺も手伝う」




 直後にそう言ったのはムシュリタである。




「馬鹿を言うな。お前は一番の狩り手だ」


「だから、狩りもやって、ムシクの仕事も手伝うんだ。それなら文句ないでしょう」


「できるのか?」


「できる」


「……」




 ムシュリタの申し出にカオ様は悩んでいるようだった。疲労の蓄積や、仕事量の増加による狩りの準備不足の発生を懸念しているのだろう。この時代に過労働による作業効率低下について明文化されたデータはないが、経験則で理解していてもおかしくはない。


 しかしこのムシュリタの参加要望は俺にとって天恵であり望むところであった。対外的に見ればエーラと二人きりで仕事を進めるより健全だなと思われるだろうし、もしかしたらエーラも一緒に仕事をするうちにムシュリタに発情するかもしれないと考えたからだ。そうなれば精神的な圧力から解放される。願ってもない事である。




「カオ様。私からもよろしくお願いいたします。狩りに支障が出ないよう十分気を付けますので」


「……」




 俺の言葉にカオ様はまだ考えている素振りを見せたが、一間を開けて、ようやく口を開いた。




「分かった。ムシク。お前に任せる」


「ありがとうございます」




 喜ぶムシュリタ。対照的にエーラは不機嫌そうな顔をしていた。しかし個人の感情など知った事ではない。大切なのはどうやって仕事をやりやすくするのか。それだけである。


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