カウンセリング5
ネストに忍び込んだ時よりも薬を売買した時の方が恐怖の度合いが強かった。既に中毒となっているとはいえ、人間を廃人にしかねない違法な薬物を売り渡したのだ。罪悪感に苛まれないはずがない。誰かを不幸にしてしまったという念が、俺の中に生まれていた。自身が助かりたいからそうしたんじゃないのかと、自責、嫌悪する。
いやしかし、ネストのためには……
言い聞かせるようにしてベッドの中で丸くなる。暗闇の中で一人、己が肩を抱いた。眠れぬ夜は過ぎ、気が付けば朝だった。
ハリスのカウンセリングがあったのはその日だった。リビングに行くと、母親役の女から「行きますよ」との一言。「どこへ」と返すと、「軍病院。カウンセリングをするから」との答え。もっと早くに教えてくれと言えば、「あんた昨日話す時間なんてなかったじゃない」という、ぐうの音も出ない正論にて沈黙。黙って余所行き支度をして家を出た。
移動にはタクシーを使った。「仕事休んだんだからね」と文句を言う母親の横に座り、俺はずっと沈んでいた。
マイサイクリンは既に服用済みだった。心なしか気分が悪かった。副作用か、もしかしたらノセボ効果かもしれなかったし、単純に心労がたたっただけなのかもと意思錯綜。まとまらない思考の中、窓の外を見る。移り変わる景色は画一的で灰色。無機質なロンデムの市中がずっと繰り返される。
いつの間にか、俺はエニスの風景を思い出していた。生まれ落ちた、自然しかない集落。シュトルドガルドの街並み。二度と戻れない世界、時間。哀愁、懐郷。日本にいた頃よりも想いが強く、焦がれていた。アンバニサルで罪を犯した事が、人を見殺しにした事が、一人で背負い目的を達成しなければならない事が、俺の心を弱くさせ、過去の充実と安心を欲していた。
惰弱だな。
俺は自嘲して落涙を堪えた。泣いている場合ではない。甘ったれていたところで誰も助けてはくれない。瞼を閉じてから眉間に指して切り替える。とにかく今は感傷していても仕方がない。目の前の問題について、全知全能をもって挑まねばならないのだ。それが罪への償いであり、死者への償いでもある。
やるべき事を……やらねばならぬ事を……
失敗も頓挫も許されない。志半ばで倒れるなどあってはならない。上手く機能しない脳を働かせ、感情を整理。相変わらず気分は悪いままで情緒も不安定。僅かに残った理知と信念を礎にして、俺は正気に踏みとどまっていた。
「到着しました」
目的地に到着。場所は軍病院西方第二支部。外部について、どこが異なるかと問われると返答しかねるが、普通の病院と違って物々しく、威圧感があった。
「すみません。ハリスさんに呼ばれてきたのですが」
受付。母親役の人間が対応をする。
「はい。こちらのタブレットに必要事項のご入力をお願いします」
「はい……はい、入れました」
「ありがとうございます。アシモフさんですね。確認とれました。それでは、中に入ってから真っ直ぐお進みいただいて、エレベーターで三階にお上がりください。それと、院内ではこちらのストラップをお掛けになってください」
「分かりました。ありがとうございます」
受付を済ませ中に入ってしまうとこれはもう違いは明白だった。そこかしこに軍人が闊歩しているのである。視界に映る人間全員が自分を狙っているようで、落ち着かない。軽度のせん妄状態であると自覚できていたから取り乱す事はなかったが、潜在意識にある恐怖の感情を無理やり刺激されているかのような感覚が続いて、背筋の寒気が止まらなかった。
「あんた、大丈夫? 顔色悪いけど」
「軍人が怖いんだ」
適当な言い訳を述べて歩く。母親役の人間もさすがに心配そうにしていたが、平静に努めていると「こんなものかと」いわんばかりに興味を示さなくなった。些か薄情ではないかと思いはしたものの、これについては普段の俺の言動が悪いため彼女を責める気はない。子供を演じられず、申し訳なかった。
子供らしくいられなかったのはエニスでもそうだった。あまり話もしなかったし、子供じみた態度も取らなかったと記憶している。
あそこの母親役の人間にも悪い事をした。俺は転生する事によって、一人の女の幸せを奪っている。不可抗力ではあるものの、やるせない思いだ。そういえば日本にいた時もそこまで子供然とした立ち振る舞いはできていなかったと思う。共働きの両親とはあまり会話がなく、まっとうな親子の生活というものを経験していなかった。ホームドラマに出てくるような生活をしていたら、母親役の女達とはまた変わった関係性を築けていたかもしれない。
「やぁ、こんにちは。遠路はるばるご苦労様です」
受付から連絡があったのだろう。三階について待合室に移動すると、そこには既に、ハリスが待っていた。
「本日はよろしくお願いします」
「はい。こちらこそよろしくお願いします……ピエタ君、どうだい。変わりはないかい?」
「はい。特に問題はないです」
膝を折って語りかけるハリスの視線を避けてそう答える。本当は問題だらけだが、それを悟られるわけにはいかない。
「結構。健康なのはいい事だ」
「健康なので、帰宅してもいいでしょうか」
「君は面白いね。コメディアンの才能があるかもしれない。でも、残念ながら検査はしないと。知らず知らずのうちに、異常が発生しているかもしれないからね」
「そうですか」
せん妄からくる強い恐怖と不安を無理やり抑えて、いつも通りであるように見せた。震えを抑えるのは大変に難儀である。できれば、二度と経験したくない。
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