神学校へ6
春に咲く花が溌溂とした緑にすげ変わる頃になると、学校に通う高学年の人間は各々が目指す進路に向けて本格的に向き合い始めるようになる。
現実世界程発展もしておらず自由もない世界。大体の生徒は学者か技師になるための準備をしていった。俺の住んでいる集落から一日馬を走らせると小さな都市があり、そこへ働きに出る準備である。学者志望の生徒は書生と呼ばれ、主に政治や自然学に携わって金を得るために必要な教育を受けながら専門機関の下働きを行う事となり、技師を志望する生徒は工場に雇われ働き始める。ジャマニにおける第二次産業は設計、開発を行う一次工場と生産を行う二次工場に分かれており、学校を出た技師志望の人間は一次工場で働く事が多い。
それで俺はというと、そのいずれにも属さない進学の道に進むために勉学と受験対策を日々行っているのであった。知識を頭に詰め込みつつ時間をみて友人のハルトナーと走り回っては体力向上、健康状態の正常化を目指していた。運動など御免こうむりたかったものの目的のためにはと苦しみながら走り続ける毎日は、引き籠っている間にすっかりしぼんでしまった筋肉に僅かながらの隆起を生じさせ青白かった顔色に血色を彩らせた。目に見えて変わっていく自分の姿に、少しばかり感動を覚えていたのは事実である。そしてこの頃、生活リズムと体付き以外にも、もう一つ大きな変化があった。
「明日には妻と娘が到着するようだ。それと、娘の友人である男爵家のご息女もいらっしゃるようだから、粗相のないように」
エッケハルト・フライボルツとの諍があった際に宣言した通り、ジィーボルトの妻子が来訪日が決定。そして、おまけで貴族の娘一人が追加アサインされる事となったのだった。
このサプライズは俺の小心をざわつかせた。これまで貴族といったらズィーボルトとハルトナーしか付き合いがなかったからだ。どこからか嫁いできたであろう女性貴族と爵位持ちの貴族令嬢の応対方法など分かるはずもない。怖気づいた俺はハルトナーにマニュアルの作成を懇願したが「気にする事はないよ。同じ人間なのだから」と柔和に拒絶されたのであった。貴族と平民が同じ人間なわけがないだろうと食い下がるも聞く耳もたれず笑われる始末。何を言っても馬耳東風であり一向に俺の杞憂だという態度をとる。「それなら一緒に授業を受けてくれ」と交渉し、ズィーボルトご婦人ご息女のマナー講座への友情出席の約束を取り付けたのだった。
「君は本当に心配性というか、他人を信じられない質のようだね。もっと大きな心を持ったらどうだい」
普段俺のいう事に文句などをつけないハルトナーだったがこの時ばかりはあまりにしつこかったためか嫌味を述べてきたので、次のようなお返しをプレゼントした。
「そうはいってもね。こんな田舎で貴族様と出会う事なんてまずないんだよ。なるほど君は僕に対して友好的だよ。けれど、皆が皆そういうわけでもないのだから、不安にもなるさ。貴族の中にも悪人がいるというのは、君もよくご存じだろう」
この応酬によって俺とハルトナーの友情にひびが入る事はなかったが、彼が最後に言った一言が、今でも印象に残っている。
「なるほど。それは確かにそうだ。であれば、将来僕はそういう溝を取り除く貴族になるとするよ。一人の人間としてね」
ジィーボルト家のご家族とご息女のご友人であらせられる男爵家のお嬢様がいらっしゃったのは翌日の正午前だった。
頂点に上りつつある太陽がさぁ大地を熱してやるぞと意気込んでいる時間。俺は顔合わせと何かしらの手伝いをするためにズィーボルトが借り入れている屋敷にやってきてそわそわと木陰に隠れていた。
「君が緊張する理由は聞かせてもらって分かったけれども、硬くなり過ぎじゃないかい」
「言わないでくれハルトナー。僕はどうも権威主義的なところがあるんだ」
ハルトナーはまだ子供だったしジィーボルトは変人だったためコミュニケーションを取るうえで問題は発生しなかった。しかし今度は正真正銘の真っ当な貴族がやってくるのである。この日に聞いたのだが、ズィーボルトご婦人は遠方にある国フィレンチの貴族、ミィディッチ家の五女という話だった。このミィディッチ家は王族の血筋である。さすがに直系というわけではなく、枝分かれしたうちの一つらしいが、それでもやんごとなき血族である事には変わらず、これまでの人生の中で出会った人間の中でもっとも高貴な存在であった。上位人類、上級国民を目の当たりにするにあたって緊張しないわけもなく、恐れないわけもない。俺はハルトナーより一歩後ろに下がりこそこそと目立たない位置に立ち、肩を狭めて立つのがやっとであった。
「庶民ロルフ。そろそろやってくる頃だと思うのだが、なぜそんな隅にいるのだ。それでいて猫背でだらしがない。背筋を伸ばしなさい」
玄関から出てきたジィーボルトに咎められ無理に胸を張ると肺が張り裂けそうになって思わずむせ返ってしまい、ジィーボルトに溜息を吐かせた。
「ズィーボルトさん。いらっしゃいましたよ」
ハルトナーの声に反応すると、馬車が一台、二台と連なってやってくるのが見えた。見た事のない豪華な馬車を目で捉えた俺は呼吸困難となり、危うく窒息死するところであった。
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