神学校へ4

 ズィーボルトは俺以外の人間にも概ね好意的に招き入れられ、俺と同様の品評がなされていた。端的にいえば、変わり者だが面白い貴族様である。




「面と向かって“庶民”なんて言われちまって最初は気に食わねぇと思ったけど、存外いい奴だよあの人。別段何かしてくるわけでもないし、それどころか、この前仕事まで手伝ってくれたぜ。しかも筋がよくってさ。貴族の道楽かもしれねぇけど、こっちに得があるんなら結構な事だよ。給料はきっちり受け取っていったんだけども、俺は嫌いじゃないぜ」


「うちも、最近家にガタがきてるなーなんて言ってたら次の日に突然あの人がやって来てさ、脆い部分全部直してくれたんだよ。なんなら前より頑丈になったくらいさ。金払うよっていったら遠慮なくもっていったけども」




 ズィーボルトは好奇心が強くなにかと首を突っ込んでいたのだが、その特徴的な語りと能力の高さ。そして厳格な金銭感覚が皆のイメージする貴族像とかけ離れており、そのギャップが好感度へと繋がったわけである。また、後年、自著の中で「庶民の感性というのは下品なもので私には理解しがたい。相互理解は不可能であり、寄り付かぬ方が賢明だろう」と記していたのだが、これはご愛嬌というかお約束のようなものであり、多くの人間が本心だと思っていなかった。というのも、彼は終生に渡って貧民層に寄付などを行っており、実際に炊き出しや被災地における現場の統制、医療行為などを取り仕切っていたからである。諸学百般に秀で、芸術、建築、医療手術まで収めている彼はまさに万物の天才であり、その才能を人々のために用いる聖人であった。

 一方で彼に対して懐疑的な見方をする者もいた。それは俺の周りにおいても例外なく、彼にをもってして「傲慢な貴族」と批判するのだった。その急先鋒が、かのエッケハルト・フライホルツである。

 エッケハルト・フライホルツはジィーボルトのキャラクターを許容する事ができず「差別主義者」と公に罵った。ハト派の平等主義者である彼にとって平民と貴族とを明確に区別し、あたかも貴族が優位であるというようなズィーボルトの物言いは我慢ならなかったのだろう。往来で会えば挨拶もなく辻説法を吹っ掛け、お得意の戯言を吐きかけるのだった。そのおかげで何度か授業の時間が短縮されるという被害が発生している。職務放棄も甚だしい。

 エッケハルト・フライホルツの言い分は単調で、人々を庶民と蔑むのはやめろという主張であった。彼は脳に花が咲いているばかりかユーモアも欠落しており、表面的な事象でしか物事を語れなかった。彼以外の人間がジィーボルトについてどのように思っているかなど関係なく、ただ差別的であるから改めろと糾弾。道徳教科書に掲載されるような言葉を並べ、善悪を説かんとしていた。

 ある日、ズィーボルトはこれを一通り聞き、エッケハルト・フライホルツにこう言ったそうである。



「なるほど差別。それで、君と同じ意見の人間が君意外にどれ程いるのか。少なくとも私は、この辺りの庶民とは良好な関係を築いてきたつもりだが……もしかしたら君は、君の意見を通すために“差別”といったありもしない罪と、“被差別者”という存在しない被害弱者を妄想の中に生み出しているのではないかね」



 これを聞いた瞬間、エッケハルト・フライホルツは激怒したそうだ。普段温厚なあの教員が聞いた事もない奇声をあげて叫んだのである。不明瞭で要領を得なかったが、ところどころ聞き取れる内容から、強い批判と誹謗中傷であるのは明白で、理解できる部分だけ並べてみると、理知からかけ離れた、感情のみの酷い言葉の羅列だったという。これを何故俺が知っているかというと、エッケハルト・フライホルツの声があまりに大きく、辺り一帯に住んでいる人間全員の耳に入っていたからである(翌日は当然どこもかしこもその話でもちきりだった)。



 それからエッケハルト・フライホルツはズィーボルトと顔を合わせる度に難癖をつけて、最終的に奇声を発して逃げ帰るというのが恒例となっていた。必然周りの人間はエッケハルト・フライホルツを冷視、あるいは嘲笑するようになり評判を落としていく事となる。それでもなおエッケハルト・フライホルツはズィーボルトに食って掛かっていったのだから狂犬そのものである。そして、エッケハルト・フライホルツはとうとう俺の扱いについても口を出すようになっていった。




「ズィーボルトさん。貴方はオリバー・ロルフに勉学を教えているようですが、今すぐおやめになってください。子供の人生は大人のエゴのためにあるわけじゃない。彼には確かに才能がありますが、だからといってそれだけのために生きるなど狂気の沙汰だ。子供のうちは大いに遊ぶ事も大切です。貴方にはそれが分からないのか」




 横でそれを聞いた時、「俺をエゴのために利用しているのは間違いなくお前だぞ」と横槍を入れたくなったが神学校への推薦は未だエッケハルト・フライホルツの判断により取り消しができる状態であるため、奴の心証を悪くするわけにはいず黙っていた。また、ズィーボルトが上手く反論してくれるだろうという確信もあった。そんな無茶苦茶な話があるかと一蹴し、いつのもの如くあの情けない奇声を発せさせてやれと期待していた。

 だが、ズィーボルトはこちらの予想を裏切る返答を述べた。


「それは一理ある。よろしい、少し考えてみるか」


 



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