波打つ針の声

月見里

第1話 はじまり

  随分と遠くまで来てしまった。スマホのGPS機能で自分の居場所を確認したら、もといたショッピングモールから二キロも離れている。


 東京まで電車で一時間、北関東の郊外に新しく出来たショッピングモールで、本当なら咲子は家族みんなで買い物をしているはずだった。


 それなのに、受験生として一年、ほぼ買い物にも人混みにも近づかなかったことが災いしてか、お店に入って三十分、咲子は突然のめまいを起こした。雑貨屋さんに入ることも、洋服を試着することもなく、仕方なくひとり店を出て、まわりを探索することにしたのだ。


 去年の今頃、高速道路のサービスエリアが出来たことで、この街は大型店舗が次々と出来るようになり、受験期の前と後で、同じ場所とは思えないくらい、景色が変わっていった。


何もなかった山は開かれ、広い道路が整備され、今ここには市営バスが走っている。


行けるところまで行ってみようと、咲子は歩いた。


だんだん身体が温かくなって、ブラウスの袖をまくろうと、立ち止まったとき、妙に緑色のわっさわっさしたなにかが視界に入った。


目を細めると、森である。前まで山だったからなんとも思わない光景に少しは安心すると思ったのに、不自然だ。さらに目をじっと凝らすとなにかが隠れて立っていた。


ベージュ色の太い建物。


森の緑より頭一個分出たとんがり屋根。


たぶんこれのせいだ。存在感を全力で消そうとするその建物がなんとなく気になり、咲子は足をはやめた。

 

 ちょうど追い風が吹いてきて、押されるように咲子は夢中で駆けだした。その爽やかな風だこと。スニーカーのつま先に力が入る。夢中で走った。


ところが突然ポケットの中のスマホが鳴った。母だ、電話を取る。通話ボタンを押した瞬間に母の大きな声が出てきた。


「咲子、どこにいるの?買い物終わったからもう帰るって。この後道が混んでくるからなるべくはやく駐車場に戻ってきなさい」


今行く、と言おうとして電話は切れた。咲子の今までのわくわくも切れた。母はせっかちだ。仕方がない。今日は諦めよう。


残念だけど、来週にでもひとりでまたここに来よう。バスが走っているはずだ。


 来週は入学式。したがって高校生。また三年間自他共に認める「八方美人の野中さん」になるなんて憂鬱で仕方ない。


 隣町にある私立風波高校。この学校へ通うことが咲子を変えることになるなんて、まだ誰も知りえないことである。

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