第2話 巡り合う
そのお店は丘の上にあった。
黒っぽい木の板の外壁のその店の横には、大きな木が立っていて駐車場に覆いかぶさって影を作っている。
キィ、と音を立ててドアを開けて3人で中に入る。ひんやりとした店内、大きな窓からは外のテラスに出れるようになっている。オレンジ色に灯った小さな電球は店内をぼんやりと照らし、その窓から見える海の景色を静香の目に飛び込ませた。なんて綺麗な青、店内がうす暗いのでより一層美しく見える。
店内に面して配置されたキッチンカウンターには、上品にいけられたお花や、瓶の中にはいくつかのスパイス、コーヒー豆がそこを彩っていた。こちらに気づいた店員さんはコーヒーを淹れながら、
「いらっしゃいませ。おぉ、誠一さんじゃないですか!」と言った。どうやら父の知り合いのようだ。
「いつから来られてたんです?」
「あぁ、今さっき着いたとこだよ。家の掃除とかしてもらって悪かったね」
「いやいや、いつも綺麗にしておられるのですぐに終わりましたよ」カウンターから出てきながら爽やかな笑顔で言う。普段使っていないのにプールが綺麗だったのはこの人のおかげなんだ。
「奥平さん、ありがとうございます。いつもすみません」と母も頭を下げてお礼を言っている。3人とも仲が良かったのか。
するとお父さんが私の背中を押して、
「今日は私の娘も連れてきたよ。会ったことないよね?」と紹介してくれる。
「えぇ、初めましてです。ここのお店と君のお家の掃除を時々させてもらってます、奥平です」と爽やかな笑顔は私にも向けられる。会釈をしながら、手はきちんと前で組まれていて、その少し黒く焼けた二の腕からは、健康的な生活をうかがえた。
突然頭を下げられたので慌てて、
「静香と申します。お掃除、ありがとうございます。すごくピカピカでした」とドギマギしながら答えた。
「いやぁ、落ち着いてて、しっかりした娘さんですね」と言われお父さんは嬉しそうににっこりと笑う。
「奥平くん、今コーヒーを淹れてたんじゃないのかい?」私たちのことはいいから、と喋るお父さんの言葉も聞く前に、
「あぁ! そうでした! うっかりしてました。そうそう、私の甥のためのコーヒーなんですよ、今あそこのテラスで本を読んでいるでしょう?」と言われて見てみると、白いTシャツの人が椅子に座っていた。
「おぉ、そうなのかい。挨拶しておこう、私たちもテラスでご飯を食べようか?」と聞いてきたので、お母さんは景色もいいですしね、と快諾していた。私も、まぁいくつか席もあるし離れたとこだったら気は遣わないでいいかな、と思っていた。
テーブルは横並びに4つ配置してあって、その人物は右手の一番端に座っていたので、左の一番端の席を取ってしまおうと先にテラスへのドアをくぐる。席に行く前にチラとその人物の顔をうかがうと、ドキン、と鼓動が大きくなった。
一瞬、時が止まったように感じる。
あの人だ、あの坂道を登っていた青年、
美しくハッキリとした横顔はあのときすれ違った彼の顔だとすぐにわかった。
あぁ、なんてこと。
たまたま入った店にいるなんて。
服装が違うからすぐに彼だとは気づかなかったのだ。
両親は、あらーいい景色ねぇ、そうだなぁ。なんてのんきに話をしながら荷物を置いている。
両親が、はじめまして、おじさんにはお世話になってます、とにこやかに話をしているのを遠くに感じていた。
はじめまして、優木と言います。今高校に通っています、と自己紹介する彼のこともぼんやりと聞きながら、優木さんって言うのね、高校生なんだ、私も名前を言わなきゃ、でも顔が赤くなってないかしら、と頭はぐるぐると回っていた。
私もモジモジしながら、目も合わせず挨拶をした。
みんなで少し話をしたら席について、注文もお父さんがおまかせでいいかな、とメニューを渡しながら奥平さんに言ったので。あれよあれよと料理が運ばれてきた。
「うーん、美味しいね」
「さすが、奥平さんは腕がいいですね。お掃除といいお料理といい、人間が現れてますわ、おほほ」なんて2人は楽しそうに食事を満喫していた。
私はもちろん顔は笑っているが、内心はドキドキで何度も海の方を見て気を紛らわそうとした。あんなに私の心を晴れやかにした景色も、今はただそちらが一番心が落ち着くからという理由で見るだけの風景になってしまった。
お父さんは席の離れた彼に向かって何か言葉を交わしたりしていて、彼の視線はこちらに注がれるわけで、やめてお父さん! 食事が喉を通らなくなっちゃう! と味もわからぬままなんとか食事は終わった。
食後のコーヒーを飲む両親、私はミックスジュースにしてその甘さに力が抜けて、景色を楽しむ余裕がやっとでてきた。
彼がコーヒーを飲んで本を読んでいる姿をみると、ミックスジュースなんて子どもっぽかったかしら、カフェオレとかの方が良かったかしら、と今になって後悔してしまう。
冷たさが心地よく体を溶かしていると、お父さんが彼のところに近づいて何を読んでいるんだい? と聞いている。後ろから覗き込んで、英語の本じゃないか! と驚いている。ん、やな予感。
「静香、ちょっとこっちに来てみなさい! 優木くんは英語の本を読んでいるぞ!」と手招きするお父さんは珍しく興奮していた。
ほーそうか、海外にも行きたいのかこんな難しいの読んでいるのか、と感心している父と、にこやかに話す彼。私が近づくとちょうど奥平さんも同じタイミングで彼のところにクッキーを持ってきて、
「なんです? お嬢さんも英語が得意なんですか?」と奥平さんが聞いた。
「うん、中学で学んでいることはだいたいわかっているみたいでね、将来のためにそれ以上のことを今から1人で学ぼうとしてるみたいで。ただなあ?」とそれ以上は言わずに私に振ってきた。
私はただ頷いただけだったが奥平さんは察したらしくうんうんと頷きながら、
「だったら優木に習ってみたらいかがです?」と言ってきた。それの意味するところはわかっているが、ただ赤くなってうつむくことしか出来ない。
「どうだ優木、こっちにしばらくいるつもりなんだろ?」
「ええ、僕でお役に立つのであればもちろん。どうかな、静香ちゃん?」
「あ、はい。私ももちろん、えぇ」と私がモニョモニョ言ってると、
「よし、決まりだね。じゃあちょっと外を歩かない? 少しお話ししよう」と優木さんは言ってきた。おういいじゃないか、とお父さんも奥平さんも言っている。奥平さんが裏手にある神社はどうだ? と勧めてくれたので私たちはそこに行くことになった。私としては、へ? へ? と思う間に全てが決まっていって焦っていた。
振り向くと母も不安そうな顔をしている。ちょうど出て行く時に母はスマホを持たせてくれた。
「使い方はわかるね?」と私に顔を近づけて囁いてくるので、
「うん、大丈夫。彼足悪いみたいだし、走ったらなんとかなるよ」と少し笑いながら伝えた。
さすがにお父さんもそんな様子が伝わったのか、
「じゃあ、1時間後にはここに戻ってきてもらおうかな。私たちもゆっくりして待っているよ」と釘を刺してくれた。
彼は椅子にかけてある青いシャツを羽織ってから、2、3冊の本を抱えて外に向かう。私も走ってドアのとこに向かう。
彼は左に曲がって坂を登っていく。駐車場の奥には森が広がっていて、木の生えていないところは光がさしていて鳥居が見えた。彼は振り向くことなくそこに向かう。
やっぱり足が悪いんだな、今でも少し片方に体重をかけたような歩き方をしている。そんな彼が階段を上がって行くのは見ていてなんだか不安になったので、
「その本持ちますよ。足、怪我してるんですよね?」と聞いてみた。すると彼は振り向いて、へぇ、ちゃんと喋れるじゃん、と口元に笑みを浮かべながら言ってきた。
「ありがとう、じゃあ僕の手も引いてくれる?」と急に言われたので、え? とキョトンとしていると、
「だって僕足を怪我してるんだよ?」と当たり前のように言ってきた。
私は男の子と手を繋いだことなんてないと悟られたくないと思って、彼の横を通り過ぎてから本をもらい、当たり前のように手を差し出した。
彼はその手を優しく握ってきたけど、あ、手汗大丈夫かな。と今になって心配になってくる。
ん、と彼が促してきたので歩き出したけど、片手には本を3冊、もう片方の手は彼が握っていて、こんなふうに誰かの手を引いたことなんてなかったから、こんなんでいいのかな? と思いながら彼の方を向くように体を斜めにして登っていく。
ぎこちないね、と見上げて笑いながら言っている彼も、手には意外にもしっかりと力がかかっていて、結構ひどいのかなと心配になってくる。
「君、よく見たら綺麗な顔してるね」登りながら彼は急にそんなことを言ってきた。
「えぇ! そ、そんなことないです!」明らかに顔が赤くなるのを感じながら手に持った本で顔を隠そうとする。
「あれ? 言われない? 周りの男の子からそうやって。そういえばきみ中学生
?」
「は、はい。そうです。」
そう答えたときに階段を登りきったことに気づかなかったので足を踏み出してしまい体重を崩してしまった。
「おっと! あぶない!」
グイと手を引かれて彼の顔が目の前に。
「うん、綺麗な口元してるね。さわってもいい?」彼はそう聞いてきて、ええ! と私が両手で顔を本で隠しながら驚くと、
「はっはっは、冗談だよ。からかっただけ」といいながら神社の右手の方に歩いて行く。
な、なんなの。胸の前で本を抱えながら俯いて、私はお堂の左側に歩いて行った。まるで何かにはじかれたように。
視線を上げるとお堂が目に飛び込んできて、それ自体もその周辺も綺麗に掃除されていたが、一番私の目を引くのは左奥の森。きちんと手入れされた森なのか優しく光がさして森全体が黄緑色にどこまでも光って見える。
結構奥行きのある森なのかな、と先ほどの動揺もどこにいったのやら見とれていた。彼はどこにいったのかとキョロキョロ探すと、お堂の右手にあるベンチに深く座って空を眺めていた。
「足、大丈夫ですか?」と聞くと、
「うん、足はね。ただ、運動不足ってやつだな」と身を起こしながら言った。なんで怪我したんだろう、と思っていると、
「高校でサッカーをやってるんだけど、ちょうど先週肉離れを起こしてね。部活は休めって言われてどうしようもないからここにきたんだよ」
この辺りに住んでるのかな? そう思っていると、
「そういえばさっきは大丈夫だった? 足痛めてないか?」とこちらを向いて聞いてくれた。
「え? えぇ、大丈夫でした。ありがとうございます」
先ほどの私のことお構い無しの発言からは打って変わって優しい言葉にキョトンとした。それがくすぐったくて膝の上に置いた本に視線を落とすと、私の肩まで伸びた髪はサラサラと頬を隠すように流れてきた。
視界に入った毛先に、手が伸びてくる。
体は硬直する。もちろん、それは彼の手。
はわわわわ。ゆっくりと彼の方に顔を向ける。きっと顔は赤いし目は見開いて口はわなないていた。
「綺麗な髪をしてるね」と私の耳に髪をかけながらそう言ってきた。う、あ、はいぃ。そう言うのがやっとだった。まさにされるがまま。
「で、僕に英語を教えて欲しいんだって?」と彼は私に体を向けたままそう聞いてくる。彼の手は私の耳元で止まったままだ。
「え、えっと、はい」と彼の手をくすぐったく思いながら彼の目を盗み見てそう呟く。
「うん、でもまずは君の動機を聞こうかな。なんで喋れるようになりたいの?」と彼は私に聞いてくる。どのくらい喋れるの? ではなく動機をまず聞くことに知性を感じながらも、なんで私の耳元に手は添えられているんだろう、と戸惑っていた。
「えっと、海外に行って、ううん、私キャビンアテンダントになりたいんです。そうして世界の人と出会って、旅行にも行って、きっと私たちとは全く違う世界で育ってきた人たちが何を思っているのか。どんな世界がそこに広がっているのかを見たいんです。海外という、目で見える世界とその人たちの心の中に広がっている世界に触れてみたいというか」言いながら私は自分が落ち着いてきたのを感じる。いつもの私に戻ってきた。
「うんうん、なるほどね」と彼は言った。
「じゃあ、会話がしたいんだね。わかった、と言っても英語を理解するには結局アプローチは一緒だよ。とにかく喋ることだ」
「単語を覚えるのも大事ですよね?」私の疑問をぶつけると、
「うん、それは大事、とってもね。でも、日本語で伝えたい気持ちが浮かんできたとして、これを伝えるには英語だとどうするのか、その疑問はもっと重要だよ。疑問が浮かぶからやろうという気になるんだ」
「あ、確かにそうです。私とにかく単語とか文法とか覚えようとしてたんですけどどんどんやる気がなくなっていったというか」
「はぁ、君はとことんバカだね」と冗談っぽくいうから私は、
「ちょっとなんですか、人が必死にやってるのに。ていうかいつまで耳に指かけてるんですか!」と笑いながらつっこんだ。
彼は指を引っ込めながら、
「ははは、ごめんね。でもやっと君が出てきたね」と言われた。はて。
「うんうん、とにかくわかったよ。君のことがね。えっと、勉強ね。まあでも君がどこまで話せるのかは知っておきたいかな。今日これからでもいいけど、どうする?」と聞いてきた。
「あ、えっとじゃあ、よろしくお願いします」と頭を下げると、
「うん、場所だけど君の家に行ってもいい? その方がご両親も安心するでしょ」と言われた。
よし決まりだね、と私たちはお店に戻ることにした。
私が歩き出そうとすると、はい、と言われたので振り返ると彼は手を差し出していた。手を貸してくれということらしい。少し戸惑いながらも彼に近づいて手を差し伸べる。
彼は立ち上がると、さぁ戻ろっか、と言って私の頭をポンっと撫でた。
恥ずかしくて、うつむいて上目遣いで彼を見る。
「はっはっは、可愛いね」といいながら彼はポケットに手を入れて歩きだす。
でもきっとその手は階段を降りる時も私の手を求めるんだろう。
彼に会えるのか、そう思いながら窓の外を眺めていた私は、すでに彼のことがわかるようになっていて、知らない人と心の距離を縮める楽しさを感じていた。
その近づいた分の距離、それが何をもたらすのかを知ることもなく。
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