あなたに、ごあいさつ!

石衣くもん

おかえり、ときめき。


 ときめきを感じなくなった。

 毎日毎日、仕事に追われ、ヘトヘトになって家に帰って、飯食って寝て起きて、そしてまた仕事へ。こんなクソみたいなルーティーンで、ときめきを感じる方が難しいか。


 心臓がぎゅうと、掴まれたみたいに締め付けられ、頬が赤く熱くなるようなドキドキ、それがときめき。

 例えば初めて男の人とキスしたあの緊張や、初めて同性である女性とキスした恥じらいと興奮。


 その両方を乗り越え、なんなら幾度となく多種多様な口付けを熟してきた自分に、ときめき、なんて可愛らしいものは、もはや必要ないと。


「むしろ爛れた厭らしいだけのキスがしたい」


 そう宣ったらしい。へべれけに酔ったこの口は。

 いや、まあ、確かにそれは紛れもない本心であり、嘘ではない。ただ、胸の奥底に隠して出てこないようにしていた、所謂欲望というやつだ。


 その欲望を叩きつけた相手は、ルームシェアをしているうちの一人、小雀かりんちゃん。まだ二十代前半だが、仕事もバリバリ頑張っている、かりんなんて可愛らしい名前に反してクールなしっかり者キャラだ。

 

 この子ちょっと気になるなー、可愛いなー、多分ノンケじゃなくて自分と同族、つまりは女の人が好きなんだろうなー、上手く口説き落としたいなーなんて思っている相手と二人きりで、酩酊するまで飲んだなら、秘めやかな欲望が顔を出してしまっても、致し方ない気もする。気もするのだが。


 だがしかし、もう少しこう、口説くにはどうしようかできたんじゃない?


「むしろ爛れた厭らしいだけのキスがしたい」

 

って。エロ親父じゃん。いや、エロババアか。いくら年上とはいえ、なんていうか、エロババア度が過ぎないか。言い分がもう、ムードもへったくれもないじゃん。何なの、本性はおじさんなの? だから女の子が好きなの、私は。

 

 そんなことを二日酔いの頭で考えつつ、隣でニヒルな笑みを崩さない彼女を見詰めた。


「いやあ、噂で白鳥さんは性欲がお強いとは聞いてましたけど。まさかここまでとはびっくりです」

「うん、ごめん、私もびっくりしてる」


 肩口の歯形や、鎖骨の鬱血は自分が付けたのかな、とか、破れたストッキングが落ちてて、かりんちゃんの手首にちょっと擦れたような痕があるけど、そんなバイオレンスなプレイに興じたのかな、とか。


「お、怒ってる、よね?」

「まさか! 男連れ込むより危なくないし、処理もできるし、一石二鳥でしょ? お互いに」


 手を出された年下女子は、手を出した自分に清々しいほどの笑顔を向けて、


「それより昨日は終わってそのまま寝はったでしょ? お風呂どうぞ。まだ誰も帰ってないみたいですし」


と、先にシャワーを浴びることをすすめてきた。


 ふと、彼女の顔を見ると、メイクが落ちきっていないため、まだこの子も昨日したままの状態なのだとわかった。しかしながら、気持ちの整理をするため、罪悪感と申し訳なさを背負いつつ、ありがたく先に使わせてもらおうと立ち上がる。せめてこの重たい気持ちを騙して立て直さなくてはと、渾身の微笑を浮かべて


「なんだったら、一緒に入ろうか」


と、再びエロ親父発言をかました。もちろん、これにはあっけらかんと

 

「一石二鳥!」

 

と言ってた彼女も、さすがに呆れて「嫌です」と言うだろうと、突っ込みを待った。待ったのだが。


「っっ、け、結構です!」


 顔を真っ赤にして布団に潜り込む彼女に、唖然。

 

「なんでよ、もっといやらしいことしたじゃん」


なんて、ポロリと本音が零れたら、すかさず。


「ほ、ほんまは、めっちゃ緊張して、白鳥さんむちゃくちゃするし、でもときめきとかいらんくて爛れた方がいいって言わはったから、ちゃんと爛れた淫乱ビッチ風に振る舞ってみたけど、もう無理!」


 恥ずかしい、と顔を見せない彼女に思い抱いた感情は。


「……おかえり、ときめき」

「……なんか言わはりました?」


 ぴょこ、と目までを布団から出して、こちらを潤む眼で見詰めてくる、あざと可愛い彼女に、あえなく心臓がぎゅうと、掴まれたみたいに締め付けられたのだった。

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