第40話

「ちぃーッス」

「失礼します」


 第五機動部浅利隊の格納庫に健と美琴が入室する。


 目の前の長机にはリンと奈子、そして隊長の瑪瑙が座っていた。


 瑪瑙と奈子は意気揚々と話しているが、リンはどこを見るでもなく無表情でただジッと壁を見ている。


 どれもいつも通りの光景だ。


「朝比は?」

「講義、行った」

「それってあれだよな『整備科のための特別講義』ってやつ?」


 コクン、とリンは頷く。


「でも、アイツってパイロット科だろ?」

「……誘われてた」

「誘われてたって……」


 なるほど、と思いながら健は空いている座席に座る。美琴も隣に座り自らの機構人のデータが入った『メモリー』をまるで子どものように手で弄ぶ。。


「なあ美琴、新任教師の名前知ってっか?」

「東雲琴音でしょ? 確か東雲くんのお姉さんだったと思うよ」

「マジで⁉ すんごい美人だったよな」


 健の軽率な言葉が美琴を不快にさせたのか暗い笑みを浮かべる。


 しかし、健からはただ笑っているようにしか見えない。早朝の鬼畜マラソンの際に一度だけ見ただけで、「すんごい美人だったよな」と興奮気味に言っている。


 ただそれだけだ。


 健康的な男子高校生としては申し分ない反応なのだろうが、女子高生として美琴はあまりいい気分にはなれない。


 朝比と同様に健も健で鈍感らしい。


「ここにも美人がいっぱい居るでしょ。今だって目の前に」

「……」

「なんで何も言わないのよ‼」

「だって今更だろ。俺が小学生の時に月に上がってからずっと一緒にいるんだから。それくらい知ってるよ。お前は美人で可愛いよ」


 健は当たり前のように言った。しかも、それはどこか呆れたようにも見えた。


 だが、美琴には効果抜群だったらしく、顔を真っ赤にして俯いてしまった。その動き僅か一秒。


 ほぼ一瞬だ。


 そんな反応を二人の先輩がニヤけ顔で見ていた。明らかに楽しんでいる仕草だ。


「盛りだな」

「ですなぁ。ぐふっぐふふふふぅ」

「笑わないで下さい!」


 久しく見ていなかった美琴の楽しそうな笑み。狭間学園の宇宙科にスカウトされたのが中学生になったばかりの時。瑪瑙の考えたものよりかは軽い訓練だったが、その全てを完璧にこなしていた健と美琴の二人はその若さ故に本場の軍人には不人気だった。結果的に陰湿な嫌がらせを受けることになった。


 しかし、それでも二人は気にすることなく成果を上げていき、いつしか首席クラスにまで上り詰めていた。


 こうなってしまってから二人は余り笑わなくなった。


 首席クラスだから、と言ってしまえばそうなのだろうが、今は学生だ。小学校以来の楽しい学生生活に浮かれてしまっているのだろう。でも、それでいいんだ。


 健は美琴の笑顔を見る度に自身の心の中の闇が晴れていくのを感じた。


「失礼する!」

「こ、こんにちは」


 と声がした途端に格納庫の扉が開かれる。


 そこには一番下っ端の朝比がひょこっと顔を覗かせ、その背後には姉である琴音が仁王立ちしていた。


「この前はすまなかったな、整備長殿!」


 琴音が大声で言ったせいで朝比は驚き、リンの背後に隠れる。


 しかし、リンはいつも通り興味が無いようで無表情のまま壁を見ている。


「リン?」


 呼ばれて目だけがこちらに向いている。それだけで口を開こうとはしない。


「何かあったの?」


 朝比が問うが、リンは首を左右に振るだけでやはり口を開こうとしない。朝比はもしかすると嫌われてしまったんじゃないか、と不安になってしまう。


「最近教室以外は一緒にいないから、何かあったのかなって思ったんだけど……そっか、何も無いんだ」


 リンはコクンと頷く。しかし、心の中にもやもやするものを感じた。それが何なのかリンには分からない。分かろうとは思わなかったが、分かりたいとは思った。そんなことを考え始めたのは大演習大会が始まってすぐだ。


 戦闘を重ねていくに連れて朝比は急激に強くなっていった。リンが援護をして朝比が突っ込む、そんな形だった。そう、これは過去形だ。今になっては援護無しでも朝比は向かってくる弾丸を避けて突っ込んでいく。


 役目を失った自分は朝比の傍にいてもいいのだろうか。


 朝比を守ることが出来ない自分は存在していいのだろうか。


 朝比が話し掛けてくれても何も応えない。応えても片言で上手く伝わらない。そんな自分が憎くて悔しくて哀れで仕方がない。でも、そんな自分にいつも太陽のような笑顔を向けてくれる朝比のことがとてもとても……。


 この先の言葉が見つからない。


 多分これが答えだ。それなのに分からない。


 リンの表情が暗くなる。彼女のそんな仕草に気付く者はいなかった。


☆☆☆☆☆☆


「第五機動部浅利隊、隊長・浅利瑪瑙!」

「な、なんだよ」


 珍しく、いや、初めて瑪瑙が臆しているのを見た。


 恐るべし東雲姉っ! と心の中で隊員達が叫んだ。


「すまんがそこの不出来な弟とアオノを貸してほしい。出来れば専用機を持っている南雲くんと北上さんもお願いしたいのだが」

「いや、あのですね、私等は一応ここを守護する部隊でして、その為の訓練があるんでそれはちょっと無理かと……」

「そうか。なら、第五機動部浅利隊に頼みたい。来週の火曜と木曜から行おうと思っている『実技補習』なのだが、余りに希望数が多いため私一人では捌ききれないのだ。よって部隊の中で一番の戦力と聞いた君達に頼みたい」


 健はあからさまに嫌そうな顔をしていた。もちろん瑪瑙もだが、琴音の目は本気だった。


 本気で生徒の為を思って言っているのだ。そうと分かってしまえば断る訳にはいかない。しかし、その決定権は隊長である瑪瑙には無い。それを持っているのは理事長である藤堂とうどう静香しずかだ。


 だが、本当のところどうなのだろうか。


 静香は今、第五機動部浅利隊の隊員で、つまり瑪瑙の部下だ。


「お姉ちゃん、それは藤堂先輩に聞かないと」

「ああ、それなら先程許可を貰ったぞ。あとは隊長である浅利さんの答え次第だ」

「さ、流石だね」


 顎が外れているんじゃないかと思うくらい瑪瑙の口はパッカリと開いていた。まさにガーンだ。


「分かったよ。やってやる。だがな、こっちの命令は最優先させてもらうぞ」

「ありがとう感謝する!」


 投げやり気味に瑪瑙が言うと琴音が瑪瑙の手を握り、ブンブンと上下に勢い良く振り回す。もうされるがままの瑪瑙が可愛く見えてしまう程、琴音の恐ろしさ、いや、カリスマ性を目の当たりにしてしまう浅利隊の面々であった。


 ちなみにこの場に中等部の南雲麻衣がいなかったのが幸いだった。もしいたなら今の朝比のように完全に怯えきっているだろう。それをなだめるために朝比の頭を撫でるリンは、どこか嬉しそうだった。

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