行人は斯く道を進む
第一話 はじまり
「おはよう」
その声をきっかけに、意識が覚醒した。
ずきりと頭が痛む。五感以外から脳に情報を流し込まれているような不快感に、思わず歯を食いしばった。数秒ほど耐えていると痛みが薄れてきたので、大きく息を吐き出して何度か瞬きをする。
焦点の合った目の前には、少女が立っていた。反射的に左手を握り込む。
ピピッ、と機械的な音が鳴り、紫色のカーソルとともに彼女の名前が表示された──アリス。
「気分はどうかしら。一応、バグデータと記憶はリセットしたと思うのだけれど」
「……ん?」
「
「……お前は?」
「私はアリス。情熱を称えるもの、そして……ぶっちゃけて言ってしまえば、この世界のモデレーターよ」
「モデレーター……」
「ええ。主にバグ報告を担当しているわ。なので、ログイン早々バグを三つほど引き起こした貴方の監視をするように言われたの」
と、言われても。
レイアース──リアルネームを
薄い青色を基調とする軍服に、髪色に合わせたネクタイ、それからおそらく非表示になっているリバーシブルのマントに王冠。
──「帝王」レイアース・ヒュドールが、そこにはいた。
「本来はストーリー進行によって出会うことになっているのだけれど、あまりにもバグが多いものだから、そこまでのチュートリアルを全部飛ばして私がここに派遣されたってわけ。一応フラグの成立位置は調整済みだから安心して」
「……ちょっと待ってくれ」
まだ現状をインストールしきっていないのだ、こっちは。
聞き覚えのあるゲーム用語が目の前の人物からするすると飛び出してきた事態に驚きつつも、零は冷静に言葉を選んで質問した。
「質問一、この
「『セプテントリオン2』よ」
「質問二、前作と繋がっている要素を教えてくれ」
「UIとシステムはほぼ一緒、後は『七大罪』くらいかしら。マップもストーリーも一新されているわ」
「質問三、めちゃくちゃメタいこと言ってるけど大丈夫なのか?」
「大丈夫。会話すべてがログに記録されてるわけじゃあないし、何より私はモデレーターだもの。そこらの心無きと一緒にされちゃあ困るわ」
「オーケー、おかげで大体わかった。感謝する」
さて、現状を整理すると次の通りだ。
自分は、とりあえず原因や理由などは置いておくとして、どうやらかつてやり込んでいたVRMMOこと「セプテントリオン」の続編の世界に入り込んだらしい。
そして、おそらくはそのデータのためにバグが発生し、今後の対策として目の前の
前作と同じように空中に四角を作るように指を動かすと、軽やかな鈴の音を立ててメインメニューが現れる。その中から「ステータス」を選ぶと、左隣にステータス画面が表示された。
──────
レイアース・ヒュドール
未選択
Exp:0
HP:175/175
MP:300/300
SP:250/250
STR:50
VIT:50
INT:100
RES:100
AGI:100
DEX:100
LUC:60
<スキル>
職業スキル
汎用スキル(空きスロット:2)
魔術
・熱魔術(未開放)
称号
・怠惰の帝王 ★11
装備
・帝王の王冠+50 [
・帝王の正装(上下)+50 [PM](UR)(未開放)(譲渡不可)
・帝王の改造軍靴+50 [PM](UR)(未開放)(譲渡不可)
セット効果
・帝王の証(未開放)
<アクセサリー>
・不死鳥の蒼魂(UR)(未開放)(譲渡不可)
・帝王のマント[PM](UR)(未開放)(譲渡不可)(非表示)
・ハルトのお守り+10(
・帝王の玉座[PM](UR)(未開放)
──────
装備欄に並ぶその三文字をなぞりながら呟く。
「『未開放』、ね」
「彼曰く、『最初から
「間違いないな」
称号の効果が適用されているのはデメリットも含んでいるからだろう。特に序盤のHP減少は中々痛い。
……というかこれって実質装備縛りでは。現在の
とりあえず名前の下、未選択だった職業欄を開いて魔法使いに就職、続けてスキルの空きスロットも埋めて、雀の涙ほどの追加ステータスを手に入れる。
「……四桁あったステータスが、
「貴方の場合、幸運値が不足分を補って余り有るでしょう」
「否定はしない」
この
ステータス欄を閉じてマップを開くと、真ん中に噴水のようなシンボルがぽつんと一つだけある、簡素な地図が表示された。
「ええと、アリスって言ったっけ」
「何かしら」
「前の感じで行くと……そこにある場違いな噴水がファストトラベルで、ここの周囲が初心者用のチュートリアルエリアって感じで合ってるか?」
「合ってるわよ。
「オッケー、それじゃあ……三時間で戻って来る」
「ええ、わかったわ。いってらっしゃい、気をつけてね」
さて、経験値と強化素材を集めに行きますか。
前作と同じなら、チュートリアルエリアの経験値効率は世界で一番高いはずだ。
★
同時刻、世界の中心にて。
レイアースの様子が、数えきれないほどのモニターの中のひとつに映し出されていた。
「『怠惰』も動き出したか。よかったー……」
ひとりの青年が、そのモニターを見ていた。彼は椅子の背にもたれかかって大きく息をついた。心底安堵したような息だった。
「ったく、テクスチャバグはさておき、装備の不具合まで起こるとは……アイツ、俺の想像をどのくらい超えれば気が済むんだ? いやまあ、確認を怠った俺が悪いんだけども」
ぶつぶつ言いながら、青年は指をくるりと回す。すると空間が円状に切り取られ、カパリと穴が空いた。その穴の中に腕を突っ込み、なめらかプリンを取り出した。
机の引き出しを開けてスプーンを取り、指先でくるくると回しながら、彼は続けた。その目は忙しなく動き、モニター──世界の様子を休むことなく監視している。
「『七大罪』は今のところ問題なし、進行クエストについてはフラグの位置を動かして対処済み、バグ発生メールも不具合報告も通報も未だ報告なし……うん、今のところ仕事はなし!」
この
椅子に全体重を預け、行儀悪く足を組みながら、大きく口を開けてプリンにかぶりつく。その様子を咎める人は誰もいない。
ここは世界の中心、誰も行き着くことのない隔絶された小さな部屋。
部屋の中には、数え切れないほどのモニターと、右の壁に沿って置かれた長机、それから一脚の椅子だけ。
窓もドアもない部屋で、彼は今日も
世界をゲームとして成り立たせるために。
「三日三晩不具合と格闘した後のスイーツは格別だな……って、ん?」
ビーッ、と。
思わず顔をしかめてしまうような警告音が鳴って、正面の一番大きなモニターの映像が切り替わる。
そこに映っていたのは、男女ふたりずつの四人組だった。そのうちの一人は見覚えのある顔で、彼は眉をひそめてプリンを机に置いた。スプーンを咥えたまま机に手をかざし、キーボードを浮かび上がらせる。
手元を見ることなくキーを押し込み、ログを遡って当時の状況を確認する。
「まだ半分しか食ってないのに……」
口は文句を垂れ流しているが、指は正確に新規メール作成のコマンドを打った。
不具合やバグの修正はすぐさましなければならない。不本意だが、プリンは後でも食える。
世界でただひとり……否、ただ一柱の運営は、今日も今日とて対応に追われる。
全ては、一番小さなモニターに映る、未だ目を覚まさない彼女のために。
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