止揚(アウフヘーベン)に向けて
第57話 アウフヘーベンの位置 1
2023年7月9日・日曜日。
昨日から、岡山市内は雨模様。
米河氏はストレスの軽減を期し、昨夕は行きつけの寿司店に出向いた。
帰宅後は、酒を一切飲んでいない。
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翌朝未明。かなりの雨が降っている模様。
夜中にうろつくようなことはない今般、彼はどこかの屋根の下にいる。
今日はそれが自宅であるというだけの話。
「米河さん、それでは、参りましょう」
「雨の中、御苦労様です」
「ま、来世では今生の天気は別に気にすることでもないからな」
「そういうものですか」
「それで御理解を。早速、昨日の続きに参ろう」
「私からで?」
「何なら、私から申上げてもよい。かねて思うところあるのでな」
「では、お願いいたします」
結局この日は、昨日に引続き、森川氏の主張から始まった。
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昨日の続きを参ります。
いいかな、米河さん、これまで我々は、社会性と人間性の相関関係について論じて参りましたね。その事実関係について、特段の同意は無用。
さて、社会性と人間性というものは、少なくとも成人においては、古代ギリシア・ローマや近代西洋の産業革命・資本主義以降の社会においては、成人男子というくくりであったが、現在ではそのようなことを申すとまた女性蔑視がどうこうとなるであろうから、そこは成人男女ということで参ります。
さて、性別はともあれ成人ともなれば、社会性というものがより多く問われるところとなるのは確かであろうが、それを担保する人間性というものが稚拙であると、例えば野球はうまいが他はからきしという、言うなら「野球馬鹿」みたいな人物を生み出してしまいかねない。野球の話ならまだ分かりやすいかもしれんが、実態はそう簡単に見えないだけに、性質がよろしいとは言えぬ。
その基盤となる人間性というものを、幼少期から育まねばならん。
それあってこその、社会性であることは間違いない。
よって、近代市民社会においても、少年らは厳しく紳士としての振る舞いをしつけられて育ったわけです。そのような言い回しの当否はともあれ、我が国においてもまた、それに代わる「武士道」などというものがあったわけでな。侍の子は、侍としての振る舞いをきちんと仕込まれた。
ところで、昨今「子どもの権利」というものがクローズアップされておるが、これはなんだかんだと申しても、人間社会というものは弱い者にしわ寄せが行きがちであることから、弱者たる者に対して救済というより、これは市民社会を再生産していく上で必須のものであるからこそ、そのような論が出現したと、私は解しておる。
貴君がそれに対しどのような解釈をされようとかまわんが、市民社会における紳士淑女、これは中途半端なアホどもの考える単なる「社畜」程度のものなど想定しておらんからな、ともあれ、一個人として尊重されるべき人物にならんことには、社会生活において大いに支障をきたしかねん。
かくして作られた「市民」というものの理想状態は、いかなるものか。
私は、社会性と人間性がより高次の段階で止揚され、さらに高みを求めていくことができるだけの状況を整えた人物であると考えます。
つまり、ドイツ語で申すところの、アウフヘーベン、ですな。
わしが若い頃のインテリさんらのお好きな言葉のひとつではある(苦笑)。
とは言ったものの、貴君にしても、この言葉は使い出がよいのではないかな?
~ は、はい、確かに。~と、米河氏。
このように、社会性と人間性を一定水準以上においてクリアし、なおかつそれをさらに高めていける人物こそが、近代にとどまらず、現代においてもなお求められているものであると、私は思料する。
つきましては、私見をもとに、貴君の持論を展開されたい。
プリキュア前のひと暴れ、やっていただこうではありませんか。
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