第27話 ミュータントパーソン

 さて米河さん、私が示した対立軸であるが、前者の母子一体性にかかる側と後者の独立した市民同士の側のどちらにあなたがいるかはもうわかり切っておるからよろしいが、さて、この二つのうち、どちらが動物、否、生命体としてのヒトにとって本能からくるものなのかを考えてみたい。


 私に言わせれば、貴君らのもはやどっぷりつかっている独立した市民による側の歴史はせいぜい、よくさかのぼって古代のギリシアやローマあたりまでであろう。

 わしは決してその説全般を受容する気はないが、マルクスの述べる「原始共産制」とやらの時代な、まあ、日本で申せば縄文時代あたりがそうか、そんな時代に独立した市民による云々という話が成立できたとは思えぬ。

 しかしながら、前者の母子一体型の世界はその頃から、いや人類創世を待たずして、とりわけ哺乳類と称される胎生動物には多かれ少なかれみられるものであり、これなくして子孫は残せるわけもなかった。成体の雄あたりは単独行動する種もないわけではないが、これとて別段独立した市民による社会が云々という話でもなかろう。そんなことを言うのは、言葉を覚えた人間様くらいのものである。


 そこから考えていけば、貴君の生きておる世界というのは、ニンゲンゆえの世界とも言えんことはない。動物の本能を極限まで抑え、人類の英知を軸に言動を起こして他者と交わる。その上で、自らを立てていくわけですな。

 確かに、あなたには必要な世界じゃ。

 母子一体型の周辺にある世界は、そんな堅いことを言わんでも何となく生きていけないこともない。居心地も決して悪くはない。

 じゃが、それでは人類は近代以降発展しえなくなったわけじゃな。


 実は、後者の世界というのは、母子一体型の社会を守り壊さぬためにこそあるのではないかと、わしは思い至ってな。

 レディーファーストという習慣が欧米にありましょうが。

 あれは、女性を上に見ておるわけではない。いたわりの対象、それを言うならむしろ男性より女性を下位に見ているからこそ成立しておる習慣ではないかな。

 かの習慣にしても、わしは、あえて女性を下位におくことで安全圏に置き、子孫とそれをいつくしむ者を矢面に立たせないための思想であると考える。


 さて、そこに来て米河君、あなたはそのような世界においてどういう立ち位置におられるか、考えて見られたことはおありか?

 貴君の意見は追って伺うとして、私なりの貴君の立ち位置について述べる。


 米河清治という人物は、独立した市民による社会を、女性や場合によっては子どもに対してもなお拡大した社会を企図しておるように見える。

 確かに、近代化によって女性の参政権に始まり、今や子どもの権利が云々と、そういうことが世界的に言われるようになっておる。かくいう私も、旧民法で掲げられていた「妻の無能力」なる制度は、いくら夫婦の和合円満を述べてみたところでいかがなものかと思っておった。

 じゃがな、米河君、あなたは完全な男女平等、さらには子どもの大人並の権利拡大という形をとって、本当にそれがよりよい社会になると言い切れるであろうか。

 御高説を拝聴しておって、わしにはあなたが一種のミュータントパーソンに見えて仕方ない。突然変異というか、あだ花のような存在と申すか、そんなところじゃ。

 これは何も君を茶化しておるのではない。そうであるからこそ、貴君の存在というものは人間の歴史において必要とされておるのではないかという思いも、私は持っております。よって、あなたを茶化したり、まして小馬鹿にするような意図は一切ありませんので、そこはひとつ怒らずに思考のネタとしていただけまいかな。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 夜が明け始めた。

 今回は森川氏の弁が続いたが、次回は米河氏の反論を待つことに。

 協議の結果、次回期日は来る6月9日金曜日の未明と定まった。

 

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