第36話 まだ名前、聞いてない
「えっ……⁉」
青年に突き飛ばされた少女は闇の中へ飲み込まれていく。
深い、深い闇の中へ――
「――てっ、あれ?」
気づくとそこは小さな部屋。
あたりを見渡すと壁しか見えない。
出口はどこだろう?
どこから入ってきたのだろう?
疑問に思っていると、あることを思い出す。
ここは……不眠症さんたちの隠れ家?
少女がいるのは、不眠症と鎌鼬が作ったダンジョン内の秘密の部屋。
どうやら青年は彼女を助けるために突き飛ばしてここへ入れたらしい。
確かに、この小部屋ならば敵をやり過ごせるだろう。
騒動が落ち着いた後で助けが来るのをじっと待っていれば、安全に地上へ帰れるはず。
青年は追い詰められた状況のなかで、自分を囮にして少女を助ける道を選んだのだ。
「あーあ。助けられちゃったなぁ」
暗闇の中で独り言ちる少女。
あの時もそうだった。
行商の途中、盗賊に父親が殺されてしまい、母と共に馬車を捨てて必死に逃げた。
しかし、追っ手を振り切ることはできず、母は少女を木のうろに隠して自分の身を囮にする。
盗賊に襲われた母が上げる断末魔。
その声が脳裏に焼き付いて離れない。
少女は駆けつけた冒険者たちによって救われたが、家族を失い孤独の身となった。
冒険者たちは彼女を引き取り、大人になるまで育てると約束する。
パーティーの一員から魔法の手ほどきを教わり、共に冒険の日々を過ごす。
あの頃は楽しかった。
どこへ行っても、見たことのないものばかりで。
仲間たちは誰もが頼もしく、そして優しかった。
本当の家族のように思っていた。
でも……楽しい時間は永遠には続かない。
無敵だと思っていたパーティーは、最難関とうたわれるダンジョンに挑み玉砕。
人類にとって最強最悪の敵である魔王が現れてしまったのだ。
パーティーのリーダーが時間稼ぎをしているなか、魔法使いの女性が少女を脱出魔法で離脱させる。
お別れするのは嫌だ、最後まで一緒にいたい。
そう訴える少女の頭をそっと撫で、大好きだよと言って送り出してくれた彼女の顔が忘れられない。
私は助けてもらってばかりだった。
そして今回も……また。
――また?
本当にそれでいいのだろうか。
純粋な疑念が頭をもたげた。
助けてもらってばかりの人生。
いつまでも繰り返すのか。
大切な人たちが死んでいくのを、ただ見送って……無様に生きながらえる。
そんなの、果たして生きていると言えるのか?
少女は自らに問いただす。
いくばくの逡巡のあと、少女は決断し立ち上がった。
私は戦える。
あの人を助けられる。
決意を胸に秘め、杖を構える。
敵はアンデッドを使役する存在。
それなら――
「まってえええええええええええええ!」
秘密の小部屋を飛び出す少女。
青年がどちらへ向かったのか分からない。
足場の悪い地形に何度も躓きそうになりながら、わき目もふらずに前進する。
気色の悪い何かが這いずる音と、不気味な蟲の息遣いが聞こえる。
そしてわずかに感じる青年の気配。
――みえた!
果たしてたどりついた先には、壁際に追いやられた青年と、彼を追い詰める死体かつぎの母体がいた。
青年の周囲には無数のアンデッドの残骸とバラバラになった死体かつぎの幼体が散らばっている。
どうやら彼が一人で倒したらしい。
左腕を大きく負傷しながらここまで戦えるのかと少女は驚愕する。
死体かつぎの母体が背負った肉の塊が不気味に蠢いている。
奴は目の前の青年に夢中。
今ならば――!
「ええええええええええい!」
渾身の力を込めて杖を肉団子に突き刺す少女。
身体の一部ではないので、先端が食い込んだところで本体にダメージはない。
しかし――
「命を司る大地の精霊よ。
かの悪しき者たちを土へと還せ。
ことわりに背く不死者たちよ。
永遠の安らぎに喜び打ち震えろ。
早口で詠唱を済ませ、魔法を発動。
途端に杖の先端から青白い炎が放たれる。
炎は瞬く間に肉の塊を包みこみ、死体かつぎの背中が大炎上する。
「ぎぎょおおおおおおおおおおおおおお!」
この炎は不死者だけを焼き尽くすもの。
決して命ある存在を傷つけない。
けれども使役していたアンデッドたちが土へ還っていくのを感じ取った死体かつぎは悲鳴を上げる。
それはまるで、お気に入りのおもちゃを奪われた幼子のように、傲慢で浅はかで無垢な叫びだった。
「きみ! なにしてるの!」
青年が駆け寄ってくる。
必死の形相を浮かべる彼を見て、少女は朗らかに笑う。
ようやく誰かの力になれた。
助けられ、見送るばかりの人生だったけれど、こうして大切な人を救うことができた。
それが……なにより嬉しくて。
「どうして追って来たんだ!
あそこにいれば助かったのに――」
「だって私! まだあなたの名前、聞いてない!」
「……は?」
予想外の言葉に青年は目を丸くする。
「このままお別れなんて嫌です!
ちゃんと名前を教えてもらうまで!
どこまでもついて行きますからね!」
「そんなことを言ってる場合じゃ……」
「ぎぎょおおおおおおおおおおおおおお!」
叫ぶ死体かつぎ。
青年は少女の手を取り、再び走り出す。
アンデッドのほとんどを消失した今、母体に残された攻撃手段は直接攻撃のみ。
近づかれさえしなければ大丈夫なはず。
少女の手を引いて逃げる青年。
出口は確実に近づいている。
ちりん。
かすかに鈴の音が響く。
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