第9話 ……ごめん笑菜。今日一時間目一緒にサボってくれない?

 翌日の昼休み。放課後だとサッカー部の練習とバッティングしちゃうかもしれないと思った僕は、四時間目の終業のチャイムとともに一年七組の教室に向かった。

 なるほど、どこか受験に向けて淀んだ空気が流れている三年生と違って一年生の教室は活気に溢れている。これが若さってやつか。……実質五つ年下なわけだし、これくらい言ってもいいでしょう。


「お昼食べてるときにごめんね、酒々井さんっているかな」

 僕は入口近くの席でお弁当を食べている女の子に聞いてみると、すぐに彼女はいかにもクラスの中心という輪のなかにポジションを置いている酒々井さんを呼び出してくれた。


「はい、私が酒々井ですけど、何か用事でもありましたか?」

 ひょこりと跳ねたアホ毛にショートヘア、整った目鼻立ちに薄く塗られたリップといい、あ、僕みたいな陰キャが関わり合いになることは基本なさそうな子っていう印象を抱いた。


「あー、ごめんねいきなり。ちょっとサッカー部の榎戸君のことについて聞きたいことがあって……時間貰えたりするかな? あ、三年三組の都賀って言います」

 若干気負いつつも、僕は簡単に自己紹介をしつつ用件を伝える。すると、

「三組ですかっ?」

 酒々井さんは僕が予想もしなかったポイントに食いついた。


「わかりました、全然大丈夫ですっ。あまり人に聞かれないほうがいいんでしたら、場所変えますけどっ」

 おっ、おお……ぐいぐい来る。

「ま、まあそうだね……。聞かれないほうがいいっちゃいいかな」

「わかりました。そういうことでしたら、場所を変えましょうっ」


 そうして、移動した先は、僕の提案もあって漫研の部室に。……使いたいときに使っていいって言われたから、こういうときに使うべきだろう、と。

「へー、都賀先輩って漫研入っているんですねー、ちょっと意外でした」

 酒々井さんは、狭い部室に所狭しと並んでいる本棚の漫画や資料に興味津々といった様子で、適当に見繕った一冊をパラパラと眺めている。


「……意外?」

「第一印象、漫画よりも小説読んでそうなので、入るなら文芸部っぽいかなあって思ったので」

「……あー、まあ、小説も読むから、あながち間違いではないよ」

「やっぱりですか? なんで、文芸部入らなかったんですか?」

「……友達に、誘われたからかな」

 この漫画世界ではどういう理由なのかは知らない。でも、多分現実と大差はないだろう。なら、本当のことを言ってしまっても支障はないはず。


「あっ、すみません関係ない話しちゃって。それで、榎戸先輩について聞きたいことがあるんでしたよね?」

 ワンクッション挟んで本題に移るのもスムーズで、コミュ力が桁違いにあるのが目に見えてわかる。パラ読みしていた本も棚に戻して、もう席に座っては僕のことをまっすぐ見ているし。


「う、うん。……単刀直入に聞くけど、昨日、榎戸君と放課後駅前歩いていたよね?」

 僕も残りの席については、促されたように聞かないといけないことを端的に尋ねる。

「はい。それがどうかしましたか?」

「……榎戸君と、付き合ってる、とか、あるいは今後お付き合いする予定があったりするのかなって……」

「……えっと、もしかして、私のこと、口説こうとしてます?」

 僕の問いに、酒々井さんはぽかんと口を半開きにしてから、困ったように苦笑いを作る。


「……誤解を招くような聞きかたをして申し訳ありませんでした」

「私じゃないなら……えっ、じゃあ榎戸先輩のこと……?」

「うん、ごめんね、どっちでもないんだ」

 ああ、笑菜以外の女子と関わり持ってこなかったツケが来てる。まともに話ひとつできない自分に嫌気が差してしまう。


「榎戸君に幼馴染いるの、知ってる?」

「ええ、知ってます。家庭科部の平井先輩ですよね?」

 ああ、ほんとこの子のコミュニケーション能力に助けられている。おかげでなんとかはなっている。

「昨日さ、何か平井さんについて榎戸君、言ってなかった……?」

「……あー、えーっと、それを榎戸先輩の許可なく話すのはちょっと憚られるというか……。いくら先輩の頼みと言っても」


 僕の質問に対し、酒々井さんはちょっとだけ困ったふうに視線を明後日の方向に逃がす。

 簡単に他人の繊細な話を漏らさないあたりも、人間ができている印象を抱かせる。こういうと偏見だけど、何かと軽そうな外見はしているから、ある意味ギャップというか。


「……友達が、平井さんと仲良いんだけどさ、最近平井さん、榎戸君とすれ違ったみたいで、なんとかしてあげたいんだ」

「平井先輩と仲が良いんですか?」

「友達の友達……くらいかな」

「あっ、もしかして市川先輩のことですか? 同じ漫研ですしっ、平井先輩とも仲良いですし」


「……う、うん。そうだよ」

「そっか、そうなんですね。すれ違っているのを知っているってことは、ある程度の事情はわかっている、ってことですよね?」

「……まあ、そうだね。だからというか、なんとかしてあげたくて……」

 うーんと目をつむりながらしばしの間悩む素振りをした酒々井さんは、しかし首を縦に振っては、

「わかりました。そういうことでしたら」

 僕の質問に答えてくれた。


「シンプルに言っちゃいますけど、まず私と榎戸先輩はただの先輩後輩です。そこに恋愛感情なんてお互いありません」

 そして、気持ちいいまでの胸元ストレート。ものの数瞬で僅かに残っていた僕の疑念は晴らされた。

「わかりやすいですから、榎戸先輩。一週間も見てればわかります。視線の先に誰が映っているかなんて」

「それじゃあ、昨日は一体何を……?」

「相談されたんです、榎戸先輩に。平井先輩とぎくしゃくしちゃって気まずくなって、何かお詫びの品ひとつ買ったほうがいいんじゃないかって」


 ……なんというか予想はしていたけど、義理堅いな榎戸君は。その妙な義理堅さが今回は裏目に出たわけだけど。

「不器用ですよね。ひとことごめんって言えばそれで済むのに。そういっても『それじゃ俺の気が済まない』の一点張りで」

「……なるほどね」

「まあ、そんなに気にしてるならということで、女の子の視点枠でお詫びの品選びに付き合ったってわけです。……なので、都賀先輩が心配するようなことは私たちにはありませんよ」

「そっか……疑うような形になってごめんね」


 酒々井さんは右手を振って「そんなことないです」と返すと、

「だって、全部の練習試合応援に駆けつけてるんですよ? 平井先輩。どんな場所で開催されても。都外の試合でも。……そんなの見せられたら、上手くいって欲しいなって思うのが自然じゃないですか」

 さらに僕の知らなかった平井さんの情報を落としてくれた。


「……ありがとう。それだけ聞けたら十分だ」

 必要なことは聞き出せたので、話を締めくくろうとすると、

「あっ、ちょっと待ってください。都賀先輩、三組なんですよねっ? 同じクラスに、小岩正志こいわまさし先輩、いますよね?」

 机に体を乗り出して、僕に聞いてくる酒々井さん。


 ……小岩正志? ああ、そういえば笑菜に「小春ちゃんと話するなら、多分同じクラスの小岩君について聞かれると思うけど、気にしないであげてねー」と事前に言われてたっけ……。

「う、うん、そうだね」

「何か、小岩先輩の好きなものとか、知りませんかっ?」

 名前と顔はなんとか一致するけど、話したことはないから何も答えられないのが実情だ。


 というか、さっきと目の色が全然違うんだよな酒々井さん。さっきまで真面目な表情なのに、今はさながら女の子らしい雰囲気だ。

「えーっと、ごめん。小岩君とはあんまり関わりないから、教えられることないんだ……」

 多分、僕が三組で食いついたのも、つまりはそういうことなんだろう。だとすると、悪いことをしたかもしれない。


「いえ、気になさらないでください、交友関係が広い人じゃないんで。でしたら、もう私戻ってもいいですか?」

「うん、ありがとね、わざわざ時間作ってくれて」

「全然大丈夫です。また何かあったらいつでも聞いてください。できる限り力になりますっ」

 そこまで言うと、酒々井さんはペコリと僕に一礼し、漫研の部室を後にしていった。


 さて……となれば次は榎戸君本人に話を聞きに行かないと……。

 壁に立てかけられている時計の針はちょうど午後一時を指していて、お腹の虫も騒ぎ出す頃合いだったので、ひとまず僕は教室に帰って腹ごしらえをしてから、これからのことを考えることにした。


 けど、僕はもっと昨日の榎戸君の行動について深堀りをしたほうがよかったかもしれない。

 どうして榎戸君は、わざわざ「昨日」酒々井さんと買い物をしたのか。どうして、昨日じゃないといけなかったのか。

そこをもっと考えれば、違うアプローチができたのかもしれないのに。

 僕が異変に気がついたのは、酒々井さんに話を聞いた翌日の朝のホームルーム前のこと。


 第一に、榎戸君が教室に姿を見せなかった。この時点で少しおかしいなと思ったんだ。

 風邪でも引いたのかな? でも、スポーツを真剣に取り組んでいる彼がそのへんの体調管理を失敗するとは考えにくかった。

 さらに、教室を駆け巡ったひとつの話題。


「ねえ、聞いたかよ。榎戸、本当にプロ入りするかもしれないって」「聞いた聞いた、もう契約は大詰めだとか」

 そして、そんな話を聞いて僕と笑菜が真っ先に視線を向けたのは、

「……はっ、初芽ちゃん……」

 真っ青な顔で俯いている、平井さんだった。


 恐らく平井さんは何も聞かされてなかったんだと思う。榎戸君自身にとって大きな決断となるかもしれないこのイベントを、自分に何も話さずに迎えていることが、ショックが大きいのは想像に難くない。

 タイミングも良く、ポケットのなかのスマホが震えたかと思えば、昨日ラインを交換した酒々井さんからのメッセージだった。


こはる:榎戸先輩、前々から話があった東北のプロチームから内定貰ったみたいです

こはる:それで、チームの事情か何かで、高校生のうちからプロの試合に出られる手続きを取るために、三日間学校休むみたいで

こはる:すみません、私も今日榎戸先輩から聞かされて、こんなことになるんだったら、昨日のうちで聞いておけば……


 ひとまずお礼と酒々井さんは悪くないことだけを簡単にラインで送り、僕は笑菜のすぐそばに近寄って、

「……ごめん笑菜。今日一時間目一緒にサボってくれない?」

 サボりの提案をする。理由はもちろんひとつしかない。

「……いいよ? そういうことなら。さすがにこんな状況で、おちおち授業受けていられないだろうし」


 笑菜も僕の意図を口にせずとも察したみたいで、すぐさま平井さんのもとに向かっては、何か一声二声かけてから、重たい足取りで一緒に教室を後にしていった。

「……漫研の部室集合ねつがゆう」

「……了解」

 僕が少し遅れて教室を出た頃に、ちょうど朝の予鈴が鳴り響いた。


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