第52話:大逆事件(序)

 明治43年2月のことである、山本少年の半ば強制的である長期休暇も終わり、大蔵省の資料準備室――半ば、高橋是清の私室と化していた――でいつものように高橋是清の話し相手をしており話題がハレー彗星の無毒性から社会主義の危険性について移っていった矢先、役人(おそらく大蔵省のだろう)が飛び込んできた。

「大臣、大変でございます!」

 かなり、息を切らせて転がり込んできたその役人は、しかし顔は青ざめており、事態の重要性を物語っていた。

「なんだ、彼にも聞かせて良いことか?」

 一方で、事態が事態ならば山本少年には聞かせない方がいいか、などと思案していた高橋。と、いうのも、いかな逆浦転生者とはいえまだ子供である、ということもあるにはあったが、それはそこまで問題では無く、根本的に山本少年は部外者である。そして同時に、戦後生まれ、しかも昭和ではなく平成の、ということもあって、鉄火場にはまだこなれた動きは困難であった。だが、事態は彼らの上を行く案件であり、同時に……。

「ええ、山本氏にも聞いてもらいます。……内務省の調査により、長野県で陛下を暗殺する計画が発覚した模様!」

「なんだと!?」

「うーわー……」

 ……山本にとっては、「歴史の授業で」耳慣れた案件であった……。

「……山本氏は、驚かれないので?」

 山本の態度に驚く役人。山本のような少年が驚かないのに自分たちが驚天動地にあっては恥かと考え、一時的なその場の緊張緩和には役だったものの、その後の山本の言葉によって、彼たちは自分の蒙昧さ、あるいは山本の鋭利さに驚くことになる。

「……社会主義の感染者が本朝に存在しているだろうとは思っていましたが、案の定ですか……」

  なんというか、秘神大作戦にも「革命家」なんていう物騒な職業類型も存在していたが、そうか、大逆事件ってこの時期だったか。

「なんと!」

 案の定、つまり山本はこの事件を予見していたという。それ自体は、山本の鋭利さを象徴するものであったが、大蔵省役人の中でも山本に色眼鏡や妬心を持っていた者はなぜ高橋是清がわざわざその辺の少年を抜擢したのか、ようやく思い知ることとなる。

「……山本君、話は車の中で聞くぞ」

「ええ」

 そして、高橋是清は改めて彼のような逆浦転生者が他に存在するのかの調査を再開することになる。それは、いわば大日本帝国の国力増強に直結すると同時に敵方にそれが存在した場合、裏をかくためでもあった。

 そして、本朝ではまだ数少ない乗用車にて、高橋是清と山本孝三の会話の一言一句を聞いていた運転手は、耳を疑う事実を聞くとともに、山本の鋭利性について納得することとなる。

 ……奇しくも、当時は福来友吉博士をはじめとした千里眼千鶴子などのオカルティズムもまた、華やかりし時代でもあったわけで。それと山本が結びついた場合、とてつもない戦略的電子探信機が開発される、のかもしれなかった。


「……山本君は、予期していたのかい?」

   乗用車内にて山本少年に今回の事件を予期していたのかと尋ねる高橋大臣。それに対して山本少年はいともたやすく口を割った。

「予期というか、社会主義の罹患者が本朝に存在しているだろうとは予想していました。そして、事実関係までは洗っていませんでしたが、本朝が帝国という政治体系であることから、その皇帝を手にかけようとするだろう、とも」

「……まさか、とは思うが」

   高橋大臣は、ある種のことを予測し、山本少年に幾通りにも答えられる質問を投げかけてみた。いわば、鎌をかける行為であるが、その鎌に対して、高橋大臣も予測し得ぬ答えが山本少年から帰ってきた。その、答えは……。

「ええ、防弾着を発明したのも、元々は天皇陛下の身の安全を確保するためでした。結果的に、伊藤元老の安全を確保したのは、副産物と申しましょうか……」

   つまるところ、不逞鮮人の伊藤元老暗殺事件というものは今回の大逆事件を予測して立てた発明品の試験運用に近いものであり、彼にとっても副産物であったらしく、聖帝が洋装を着用していたことからその洋装に仕込んで暗殺を防ごうとしていたものらしかった。恐ろしい少年だ、高橋大臣が抜擢した理由も、これなら理解できる。……だが、高橋大臣の問答は、さらに深いものであった。

「……それも、未来知識かい?」

「申し訳ありませんが、そういうことです」

   以前、千里眼千鶴子の術を聞いたことはあったが、ああいう能力者は他にもいるのだろう。その証拠にこの少年は、未来を知識として知っているのだ。身震いした。私のような木っ端役人など、機嫌を損なえばひとたまりも無いだろう。

「なら、犯人もわかっているのだね?」

  大逆罪の犯人を当ててみよという。高橋さんも無茶を言うなあ。……まあ、知ってるんだけどさ、でも、違う人かもしれんよ?

「犯人というか、首謀者ならば」

  ごめんよ、名前しか知らない幸徳秋水。でも、アンタが謀なんてしなけりゃこんなことにはならないんだぜ?

「その、名前は?」

「……違う世界線ですよ?」

  っていうか、一応冤罪の可能性があるかもしれん話らしいしな。とはいえ、ここで本朝からアカの気配を絶っておくのは、悪い選択肢ではないねえ。とはいえ、思想弾圧にならないように配慮する必要はあるが……。

「それでも、いいから」

「……わかりました、責任は持ちませんからね?」

  そして、免責事項を口にする。ここで高橋さんから言質を引き出しておけば、最悪の場合でも最悪の事態にはならんだろうし。

「大丈夫だ、その件に関してなら、僕は責任を持てる」

「そうですか。……幸徳秋水、此方の世界線ではそういう風に伝わっております」

「幸徳秋水、か。覚えておこう」

 そして、山本少年は運命の振り出しを開始した。明治帝の糖尿病を治癒し、元老の暗殺を回避させ、今や本朝の外貨獲得手段としては重要な立ち位置となっている生ける新薬研究所は、ついにとんでもない立場となるのだが、それはまだ、もう少し先の話ではある。

「大臣、首相官邸に着きました」

「おう。……せっかくだ、山本君もついてきたまえ」

「お役に立てるかどうかは、わかりませんよ……?」

 ……山本少年が首相になり、第一次世界大戦を戦い抜くまで、残りは概ね5年から10年と少々といったところであった……。

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