遙か彼方に昇る太陽 =天壌無窮・鼓腹撃壌合成改造版=

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」で宜しく

第1話:勝った勝ったはいいものの

 明治38年9月上旬のことである。

  あーあ。

「坊ちゃん、新聞など読んで如何なさいましたか」

「……別に、ただ東京で暴徒が暴れてるって聞いて呆れてるだけ」

「……まあ」

  なんともやれやれ、勝っただけでも僥倖に近いというのに。


 明治38年9月5日、東京は日比谷で発生した暴徒の一揆は、眼前の少年にとって非常に面白くないものであった。後に少年はその事件を振り返って曰く、「あの頃は、ロシアが攻めてくると話題になっており、むしろ辛勝で終えただけでもマシだというのに莫迦はどこにでも居るんだなあ、って思っていた」と述べているとおり、少年は根本的に現実主義者であった。そして彼は後に日米戦の主導者となった際に「勝てとは言わない、せめて負けるな」と発言した通り、基本的には消極的であることが多かった。だが、彼こそが後に大日本帝国を覇権国に押し上げて、「パックス・オブ・ニッポニア」を成し遂げるのだから世の中何が起こるか判らない。その、少年の名を語るのはまだ早いが、彼は間違いなく「希代の人」であった。


「坊ちゃん、新聞も宜しいですが、そろそろ学校の時間です。ただでさえ坊ちゃんは五修生選抜試験でも更に成績が良いのですから、きっと良い中学を受験できますよ」

「……ああ、うん」

  学校なんて、行きたくないんだけどなあ……。

 坊ちゃんこと眼前の少年は五修生――即ち、尋常小学校を規定年限よりも一年早い五年で修了できる権利――を抜群に良い成績で突破した。更に卒業予定者に対する口頭諮問でも「建校以来最優秀の成績」を修めたのだから、彼にとって常人の学問というものがいかになまぬるいかはお察し戴けるだろう。ただ、彼自身はなぜか学問というものに対してやる気に乏しく、「山本君ならば士官学校や兵学校も狙えますよ」という教諭の発言に対して「軍医になれるならば、考えておきます」と自身の才を鼻に掛けた傲慢なのか、それとも単に断る口実作りなのか判らない返答をして当惑させたという。だが、彼の本音は……。

  ……うん、決めた。やっぱり学校期間は早めに終わらせよう。幸いにして、戦前には飛び級がある。腐れ教員共とのお付き合いなんぞ、最小限に留めるに限る!

 ……これであった。後世代議士になった際に「学校不要論」などの問題発言を度々行う彼は、而してその思想を裏打ちするだけのきちんとした碩学を積めている分、周囲も「山本のような才人相手に教えるのは大変だ」という態度で済ませていたという。

 ……今はまだ、龍野の名士出である一介の少年に過ぎない彼が、後に大日本帝国を無窮の超覇権国パックス・オブ・ニッポニアへ押し上げるとは誰が予想し得ただろうか?……否、期待していた人間は多かった。だが、少年の活躍はその期待を大きく上方修正することになる……。


 本稿におけるポーツマス条約の内容は以下の通り。尚、読者世界との相違点にはカッコを掛けておいた。

 1.日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。

 2.日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満洲から撤退する。

 3.ロシアは[樺太全域]を永久に日本へ譲渡する。

 4.ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の[資源]の租借権を日本へ譲渡する。

 5.ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。

 6.ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。


 確かに、賠償金が存在しないことは日本人の、特に増税に耐えた臣民の矜持を深く傷つけるものであったが、この一報を聞いた山本少年は「どこが辛勝だ、大勝利じゃ無いか」と欣喜雀躍したという。なぜ、一介の少年が北樺太のオハ油田を知っていたのか。その事情を語るのは、まだ早かろう。

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